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第二章 襲い掛かる魔の手

第三十一話 顕現

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 二人の吸血鬼が姿を消した後、その場所には嫌な静寂だけが残された。
 静藍は倒れたままでぴくりとも動こうとしない。
 胸はゆっくりと上下しているので、息はしているようだ。
 
「茉莉……!! 茉莉……!!!! いやああ!!!! 誰かあぁっっ!!」

「先輩――っっ!!」
 
 泣き叫ぶ優美。
 自分は木に縛り付けられたまま何も出来ず、目の前から大切な親友を連れ去られたのだ。
 糸が身体に食い込み、真っ赤な血が一筋流れて来た。
 非力過ぎて自分を呪いたくなる。
 
「くそっ! 静藍もといルフスが駄目なら俺達一体……」
 
 一同谷底に突き落とされた心地がした。
 頼みの綱であるルフスは今静藍に戻っている上、現在前後不覚状態だ。度重なる負担に少しずつであるが肉体が弱ってきているのが目に見えている。
暦はもう八月だ。運命の日まで時間があまりない。負担が重ければ時間が短くなる可能性だって大きくなる。
 それに、希望の光だった芍薬水晶は現在力を発揮出来ないようだ。
 今の彼等には、底知れぬ闇の色しか見えない。
 
「何とかして茉莉君を助けに行かないと」
 
「でも一体どうしたら……」
 
 その時、一筋の柔らかい光が溢れ出してきた。
 それは茉莉が姿を消した辺りからのようだ。
 透明感のある薄桃色の光が辺り一面を覆ってゆく。
 すると、彼らの水晶も息を吹き返したかのように静かに光り始めた。
 倒れている静藍の手元にある水晶も、誘われたかのように藍色へと輝き出す。
 七色の光が呼応するかのように点滅している。
 
 その途端、身体がふっと軽くなるのを感じた。
 優美は改めて自分の身体を見ると、今まで縛られていた糸が跡形もなく消え去っているのに気が付いた。
 他のみんなも手を動かしたり、辺りを見渡したりと、同様の反応をしている。
 
「え……!? 水晶が……!」
 
「光っている……!?」 
 
 織田達の目の前で非日常的な光景が続いていた。
 桃色の光を七色の光が包み込むかのように交錯し始めた。
 一瞬強い光が地面から空に向かって打ち上げられる。眩しすぎて目を開けていられない位の明るさだだ。
 
 その神々しく柔らかな光は次第に人の形を成し、光が消えてゆくと同時に一人の小柄な女性が現れた。
 
 さらさらと流れるような黒髪。
 うりざね顔で富士額。
 その額には赤い芍薬の花の印。
 紅をひいた小さな唇。
 気品漂う桜色の瞳。
 紅匂襲の女房装裳には咲き誇る芍薬の花を模した紋。
 漂うのは薔薇に似た、甘くて優しい芳香。
 
 芍薬神の登場に七人は声がすぐに出なかった。
 
「あなたは……ひょっとして……芍薬姫……!?」
 
 小鳥がうたうような、丸みのある声がするりと耳元へと流れてくる。
 
「……そうじゃ。そなたらの水晶に呼ばれて参った」
 
「本物……!?」
 
 姫は優しく微笑んだ。凍てつく雪を緩やかに溶かしてしまいそうな、暖かい笑顔だ。蒸し暑い夏の筈だが、凍える冬に暖かいスープを飲むとほっこりする、そんな心地がした。
 
「どうやらわらわを疑うておったみたいじゃな。まあ無理もない。そなたらはわらわを見るのが初めてだからのう」
 
 図星である右京が赤面した。だが、他の部員達もどこか半信半疑だった。話しを聞いただけで百パーセント信じろという方に無理がある。
 
「姫……茉莉が……!!」

 芍薬神は、涙でボロボロの優美の肩を優しく抱いた。重みも感触もないが、漂う芍薬の花の優しい香りで荒れた気分が少し和らいだ。
 
「ああ。すまないことをした。普段はここにおるが、今日は外せない用事があって、一時的にここを離れざるを得なかったのじゃ。彼等はその空きを狙ったのであろうな。そなたらも時期が悪かった」
 
 少し一呼吸置いて、芍薬神は言葉を繋げた。
 
「あの茉莉という娘から大体の話しを聞いたと思うが、わらわは見ての通り実体がない。主に神界に身を置いている立場故、この地上では何も出来ぬ。口惜しいが致し方ないのじゃ」
 
「姫はこれまでのことを……?」
 
「全て存じておる。吸血鬼達はわらわの存在を感じ取り、自分達が成敗されぬよう手を打ってきたのじゃ。そなたらの心を乱し、真の力を発揮出来ぬようにな」
 
「酷い……!!」
 
「それじゃあ茉莉を拐ったのは……」
 
 姫は静かに頷いた。雪のように滑らかで美しい頬に翠の黒髪が艷やかにこぼれ落ちる。
 
「彼女が最大の鍵を持つからじゃ。実力を行使出来ぬわらわの代わりに、先日わらわの力を授けた。力の使いようはあの娘の心次第」
 
 芍薬神は倒れている静藍の方へと静かに顔を向ける。しずしずと移動し、脱いだ羽衣をふわりとその身体にかけ、そっと呪文を口にした。青白い頬にそっと手を触れると何かに勘付いたのか、ぴたりと動きを止める。
 
 暫くすると、長いまつ毛がかすかに動き、タンザナイトブルーの瞳が現れた。ルフスが珍しく自分の感情を静藍の身体に残していった為か、その儚げな表情にどこか喪失感が漂っている。
 
「……これは驚いた。そなた。名は何と?」
 
 芍薬神は驚きのあまりに、目を大きく広げている。
 
「静藍です。神宮寺静藍」
 
 芍薬神の雪のように白い手が、静藍の腹のあたりを静かに触れるような動きをした。妊婦の腹を触るような感じだ。実体がないので、何も感じないが、妙に変な気分がする。
 
「そなた……気付いておらぬようだが、光と闇と両方の力を持っておるようじゃの」
 
「え……?」
 
 今まで気付かなかったことを知らされた静藍は二の句が継げない。改めて自分の腹を撫でてみたが、何も変哲もない平べったい腹の感触しかなかった。

(吸血鬼が潜む闇の力は分かるけど、光の力もあるとは……?)
 
「それは天秤のように揺れ動く不安定な力。心が安定した時に初めて実力を発揮出来よう」
 
「僕にそんな力が……!?」
 
 静かに頷いた芍薬神は、優しく諭すように言葉を繋げた。
 
「そうじゃ。静藍とやら。その身の内に秘めたる力は、吸血鬼達を鎮静化させるのに必要とされる力じゃ。鎮静化させるには霊剣が必要。だがそれは光と闇の力が結び付いた時に初めて姿を現す」
  
「……!」
 
「霊剣を呼び出す力は茉莉にしかない。霊剣の“核”となるものを静藍、そなたが持っておる。二人が力を合わせればそれは無事顕在化するだろう」
 
 何故そんなものが自分の胎内にあるのか不明だ。恐れおののくような表情が静藍の顔に出ている。
 
「霊剣を出現させるだけではそれはただの刀剣に過ぎぬ。そなたら皆の心が一つになってそれは初めて威力を発揮出来よう」
 
 芍薬神は真顔となり、きっぱりと断言した。
 
「そなた達、ここにおらぬ茉莉もじゃが、互いを信じる心が少しでもかけるとこれから先がもたぬぞ。あの娘を救い出すことが出来ねば吸血鬼達を鎮静化することもままならぬ。彼等を鎮静化する“芍薬刀”を発現させ、茉莉に帯びさせるのじゃ。その霊剣は彼女にしか抜けぬし彼女にしか扱えぬ」 
 
 その場にいる全員が固まってしまった。自分達の想像を遥かに超える事態にあっけにとられている。
 
「吸血鬼の性質をも併せ持つそなたを心身共に完全に手に入れるのが彼等の最終目的。彼女は餌に過ぎぬ。そなたをおびき寄せるためのな。彼女をすぐに殺しはせぬじゃろう」
 
「茉莉……」
  
 (早く助けに行かなくちゃ。
 本当のところ、百パーセント信じきれてなかった。
 自信がなかった。
 疑ってごめんね、茉莉。
 これで親友名乗ってるなんて馬鹿だよね。あたし)
 
 芍薬神は視線を静藍に向けた。何故か少し悲痛な表情をしている。
 
「これから先、そなたはここにいる誰よりもその身を危険に追い込むことになるが、覚悟は良いか?」
 
「それは……」

 ごくりと唾液を嚥下する音が静藍の身体中に響き渡った。
 
「詳細は言えぬ。じゃがわらわには視えておるのじゃ。この先そなたは生命を落とす可能性が最も高い」
 
「常に危険と隣り合わせだと言うことですね。分かりました」
 
 真顔でしずしずと答える静藍。
 その真っ直ぐな瞳には迷いがなかった。
 それを見た芍薬神は静かに頷いた。

「良いな。わらわが伝えるべきことはこれが全てじゃ。健闘を祈る」

 その身はそのままゆっくりと透けてゆく。あっという間に周りの景色と同色化した。
 
 姫の姿が完全に消え去った後、桃色の勾玉のついた芍薬水晶だけが残された。
 茉莉が常に肌身離さずつけていた水晶。
 それを拾い上げ、そっと撫でてみた。
 切れてしまった鎖はまた付け替えれば良い。
 
 (僕は絶対に茉莉さんを助け出してみせる。
 この身体がどこまでもつかは分からないけど、ルフスとみんなの力をかりて! 
 この現実からもう絶対に逃げない。
 早く、君に会って伝えたいことがある。
 この生命がある内に……)
 
 静藍は新たな決意と共に拳をぎゅっと固く握りしめる。 
 湿気を帯びた風が周りの木々を揺らし、落ちた葉を巻き上げていった。
 
 
 
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