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第四章 せめぎ合う光と闇

最終話 生命、瞬いて

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 気が付くと、茉莉は自分のベッドの上にいた。
 むくりと起きてみると、何の変哲もない自分の部屋だった。
 身を包んでいるのは桃色を基調としたお気に入りのパジャマ。
 傍にはクマのぬいぐるみ。
 紗羽の顔が視野に入り、やっと元の生活に戻れた安堵感に包まれた。
 だがそれと同時に、大きなものを失ったような虚無感にも襲われる。
 
 この約三ヶ月間、吸血鬼騒動で振り回されっぱなしで気持ちに余裕がなかった。過ぎ去ってみればあっという間だったが、何十年も過ぎた様な感じがするから、不思議だ。
 
「茉莉。貧血で倒れてたそうじゃない。お友達が家まで連れてきてくれたわよ。感謝なさいね」
 
 母親の一言が予想外に普通過ぎて、却って違和感を覚える。
 いつものように派手に雷を落とされる方が、逆に安心するかもしれない。
 
「……誰だったの?」
 
 茉莉はこう返すのがやっとだった。
 
「優美ちゃんと綺麗な顔をした男の子だったわね。ほら、この前優美ちゃんと一緒にお見舞いに来てくれた子よ。神宮寺と聞いたわ。静藍? 何か凄い名前ね」
 
 ――静藍……!?
 
「あんたを背負ってくれてたせいか、何かよたよたしていたのよ。ひと休憩して帰るように言ったんだけど、遠慮しちゃって。可愛らしいこと」 
 
 事情を知らない紗羽は「若いって良いわねぇ」と、くすくすと思い出し笑いをしている。吸血鬼の舘で気を失って以降、今までの記憶が途切れている分、落ち着かない思いで一杯だった。
 
 (静藍、大丈夫だったのだろうか? )
 
 彼は確か大量出血で瀕死状態だった筈だ。病院には行ったのだろうか?
 
 (また会った時に、聞いてみようかな……)
 
 母親が部屋を出ていった後、茉莉は一度起こしていた上半身を再びベッドに沈ませた。
 背や腰に響くスプリングの音が心地良く感じる。
 弾みでくまのぬいぐるみがつんのめるように倒れ込んできて、茉莉の傍にごろんと転がった。
 
 そこではぁと、大きな溜め息を一つく。
 特に模様のないベージュ色の天井を仰ぎ見つつ、色々思い出した。
 
 (私到頭……血を吸われてしまった……)
 
 別に身体を許した関係ではないのだが、到頭血を許してしまった。
 妙に気恥ずかしい。 
 献血イコール人助け。 
 味気ないが、 茉莉はそう思い込むことにした。
 
 すっかり失念しているようだが、 茉莉はどさくさ紛れに静藍とファーストキスを済ませてしまっていた。それも一方的に奪われるような形で……だが。
 
  しかし、彼女にとってはファーストキスよりも、 ルフスによる吸血行為の方が羞恥心を遥かに凌駕していたようだ。
 吸血したのはルフスだが、その肉体は静藍のもの。 静藍に血を与えたも同然だ。
 そう思うと、身体中が熱くなってきて、つい手扇で扇ぎだしてしまった。
 
 (何か恥ずかし~! クーラーが効いている筈なのに、熱くなってきた。変な私……)
 
 そこで、茉莉はふと思い出した。
 
 ――静藍を返してやる。 お前に――
 
 ルフスが最期に茉莉へと遺した言葉だった。
 ルフスからの最初で最後の贈り物。
 
 薄れゆく意識のなかで芍薬神と一緒にいた公達。 瞳の色がルフスと同じ色だった気がしたけど、 気のせい だったのだろうか? あれ以来、気配がなくなった。
 
 あれこれ考え事をしていると、机の上に置いてあったスマホが振動して、LINE受信を知らせる着信音が部屋中に鳴り響く。スマホに手を伸ばしてみると、優美からのメッセージ だった。
 
「茉莉目ぇ覚めた? あんたがいなかった二日間と昨日一日、おばさんには部活のメンバーで、合宿を兼ねた勉強会をしていたことにしておいたからね」
 
 つまり、口裏を合わせておく為の連絡だった。
 優美のことだ。きっと上手に言ってくれたのだろう。
 持つべきものは友とは良く言ったものだ。
 茉莉は「Thank you」のスタンプで返事をした。
 
 ※ ※ ※
 
 吸血鬼達との戦いの後、優美達が気を失っている茉莉と静藍の元に駆け寄ると、彼等の芍薬水晶が再び光り出した。茉莉の傍に落ちていた桃色と藍色の水晶も光を帯びている。
 八色の光が消え失せると、彼等は自分達が部室の中にいることに気が付いた。
 あまりにも極端過ぎて部員全員驚いた。
 だが、これはきっと、芍薬神が助けて自分達を見送ってくれたに違いない。優美達はそう感じた。
 
 芍薬刀は役目を終えた後、いつの間にか姿を消していたらしい。部室に戻ってきた優美達は、きっと芍薬神の元へと帰っていったのではないかと考えている。
 
 茉莉と静藍がこのことを知るのは、また後日の話しだ。
 
 ※ ※ ※
 
 それから二・三日後。
 部員で部室に集まり、各自担当している記事について話し合いをする為、招集がかかった。
 学内新聞は九月一日が発行日だ。
 正直、あまり時間がない。
 
 白のインナーに緑のカラーシャツを羽織り、ベージュのショートパンツ、黒のサンダル姿の茉莉は、学校に向かう途中で見覚えのあるひょろりとした背格好を見付けた。
 静藍だ。
 声を掛けると、眼の前を歩いていた白いTシャツに紺色のジーンズ、白いスニーカーを身に着けた少年がこちらを振り向く。何故か、いつも使用していた黒縁眼鏡がなかった。青紫色の瞳が陽の光を反射して宝石のようにきらめいている。
 
「あれから身体の調子はどうなの?」
 
「……うん。何とか。僕は大丈夫です。どうもありがとうございます」
 
 二人で並んで歩き出した。
 通学路の途中にある公園を通りかかる。
 子供達の声で、賑やかだ。
 
「ただ、もう一人の“僕”は、完全に消滅したようです。首にあった痣も消えましたし、身体の中にあった感覚も今はもうなくなりました。ずっと続いていた不調もなく、すっきりしています。通院生活から開放される日が近いかもしれませんね」
 
 静藍はどこか憑き物が取れたような表情だ。顔色もいつも青白かったが、頬にどこか赤みが指しているのはきっと気のせいではないだろう。
 
「……やっぱりお別れは寂しい? もう一人の自分との」
 
 ちょっと気になっていた話題を振ってみた。
 すると、思ったより早く返事が隣から早く来た。
 
「……そうですね。とは五年位一緒に生きてきたから、正直寂しいです。でも、僕はにこれまでずっと甘えて来たから、そろそろ卒業しないといけなかったんだと思います」
 
「私は静藍が生きていてくれるだけで嬉しい」
 
「……え!?」
 
 少し驚いた静藍はふと茉莉の方へと視線を動かした。
 目を大きく見開いている。
 
「だって、もう“影”に怯えなくて良いんでしょ? 静藍はもう普通の人間に戻ったのだから」
 
 そう。もう吸血する必要性もない。
 寿命を極端に気にすることもなくなった。
 静藍の体内に巣食っていたランカスター家の呪いは“芍薬姫の血”によって浄化され、彼は無事に普通の人間へと戻った。
 もう空を飛ぶことも出来ないし怪力もないけれど。
 もう一人の静藍が守ってくれた命があれば、充分だ。
 
 唯一変わったことと言えば、黒縁眼鏡をかけなくても大丈夫になった位だ。ルフスが自分の体内から消える時、序でに目を治してくれたのかもしれない。
 
「僕にとって、これからが始まりです」
 
「そうね」
 
 相槌を打つ茉莉。
 そこで静藍は突然歩みを止めた。
 茉莉も同じく止める。
 静藍は茉莉と向き直って言葉を発した。
 
「茉莉さん」
  
「?」
 
「僕はあなたのことが……」
 
「え……」
 
 数秒間が、するりと過ぎてゆく。
 
「……あ……やっぱりまた今度に……」
 
 茉莉は逃げようとする静藍の腕を右手で掴んだ。
 
「駄目。逃げないで。続きを聞かせて」
 
「……」
 
「ほぉら、私の目を真っ直ぐ見て」
 
 タンザナイトブルーの輝きに、頭がくらくらしそうになる。
 
 薄い唇が単語を発した。
 彼はそれに対し、何かを言おうとする茉莉の唇を自分の唇で塞ぐ。
 茉莉の目がひときわ大きく広がる。
 静藍の先程の言葉が、彼女の耳元で木霊のように響いた。
 
 “――好きです。茉莉さん。あなたのことが――”
 
「……んもう、あんた本当に見かけによらず大胆ね。急に驚くじゃないの!」
 
「……すみません」
 
 茉莉は静藍の頬を両手で包んで自分の方に引き寄せ、お返しとばかりにちゅっと口付けた。静藍の頬がさっと真っ赤に染まる。
 
「私も好きよ。あんたのこと」
 
 静藍はやや早足で再び歩き出した。
 茉莉も負けじと追い掛ける。
 
「あんたのこと、もっともっと知りたい。まだ時間があるし、色んなことをしよう。これから一緒に」
 
「そうですね」
 
 そう、時間はたっぷりある。
 誰も止めるものはないのだ。
 二人の周りに優しい時間が流れていた。
 
 
 ――命が惜しければ俺の話しを良く聞け――
 
 五月のある日、学校からの帰り道、吸血鬼に襲われた時、危機一髪で自分を助け出してくれたルフス。
 彼はぶっきらぼうで無愛想だったが、実はその内面に優しさを秘めていた。彼は吸血鬼だが人間である自分達を守りつつ、嘗ての仲間達のことも忘れずに思い続けていた。
 
 彼はその後先に逝った仲間達と、無事に再会出来たのだろうか。
 あんなに凄惨な想いをして生き続けてきた彼等を、憎むどころか逆に哀れに思えて仕方がなかった。
 ルフスはああ言っていたが、果たしてこれで良かったのだろうか? 他に方法はなかったのだろうか?
 
 ルフスに目を合わせようとしていたセフィロスの表情を思い出すと、心のどこかで胸を締め付けられるような想いがする。
 見間違いでなければ、あの時のセフィロスの表情は、ずっと溶けずに残っていた氷が漸く溶けきれたような、そんな感じだった。
 そう考えると、彼等の長年の願いが時を越えてやっと叶ったのではないか。
 
 “ずっと自分の傍にいて欲しい”
 “セフィロスを自由にしてやりたい”
 
 という願い。
 そんな気がする茉莉だった。
 
 きっとルフスは彼等に追いついて、仲良くやっているだろうと思っている。
 誰よりも仲間を想い、セフィロスを想っていた、優しい彼のことだから。
 いつかまた命を得た時は、今度こそ平和に仲良く生を全う出来ますように。
 そう、強く願わずにはいられなかった。
 
「行きましょう。みんなが待っています」
 
 静藍の声にふと現実に戻された茉莉。
 眼の前の瞳は、優しい光をたたえている。
 もう二度と深紅に変わることはない、温かいタンザナイト・ブルー。
 ルフスは、約束通り静藍を返してくれた。
 
「そうね」
 
 差し出された手に、茉莉は手を乗せた。
 温かい掌だった。
 
 真夏の太陽は、彼等の思いを汲んでいるかのようにきらきらと輝き、生命のように瞬いていた。
 
 ――完――
 
 最後までお付き合い頂き、どうも有難う御座いました。
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