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記憶の欠片は闇の中

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 ある日、後輩が出来て何故か二人で居酒屋に入り、尋ねられた事が彼女の有無だった。

 コレは脈ありと捉えるべきか『その年齢で彼女も居ないの?』と煽られているのか分からない。どこまでも僕の性格はひねくれているのである。

 齢二十八歳の僕――西崎カオルは現在お付き合いしている女性は本当に居ない。何故なら仕事に行き残業をして家に帰り、休みの日も外に出ず、友達とも数ヶ月に数回遊ぶ程度の日々を過ごしている。社会に出れば出会いがあると考えるのはダメだ。出会いは自ら見つけに行かなければならない。

 ただ漠然と生活して恋人が出来る訳が無いのだ。

 そんな僕が齢二十四歳の大学を卒業したての新人に彼女の有無を尋ねられていた。

 大学生のノリという奴に巻き込まれたに違いない。

「先輩、ビールも……あ、空になっちゃった。店員さーん」

 カルアミルクで喉に住み着いていた唐揚げを胃袋までウォータースライダーの如く流し消した僕は追加されたビールを受け取り、二度と喉にあがることが無いよう唐揚げに追いビールを注いだ。

「ふぅ……助かった」

 僕はもう一度、少しだけビールに口をつけて後輩を見る。

 くらっと視界が揺らぎ瞼に重さを感じつつ気分が高揚しているのを感じた。

 ――何杯飲んだ!?

 僕はお酒があまり得意では無い。三時間で二杯も飲めばそれだけで十分に酔っ払うし楽しめる。

「先輩? 酔っちゃいました?」

 今井カナの顔が段々と近づくように感じた。でも、酔ってる感覚も急な唐揚げの攻撃に驚いているだけだ。何故なら僕は定番の返しさえも出来る冷静さを持っている。

 酔ったか訊かれたら僕は勿論、こう答える。

「酔ってないです」
「へぇー、酔ってないんだー。先輩? お酒が減ってないですねぇ~」

 ニヤニヤと後輩が笑みを浮かべて僕を見ていた。全く……僕がこの程度のお酒で酔う訳が無い!

「これくらいすぐ飲める」

 苦味を持つシュワシュワが喉を通り過ぎて胃に溜まる。ビールはお酒を飲んでるって強い実感を与えて最初の一杯から二杯は旨いと感じる。でも、段々と胃が辛くなって苦しさを感じた。

「次は……ビール以外にしよかな」
「こっちは甘いですよ。飲みますか? もう飲めませんか?」

 同じものを食べ続けるには相当好きな物じゃなければ難しい。味変で今まで美味しく食べていた物を更に美味しく食べる事ができる。それは、飲み物でも同じだと言えるだろう。味の違う飲み物を飲めば更に美味しく酒を飲める。

「……飲める」

 僕は今井カナからお酒を受け取って飲んだ。

 あまり僕を舐めないで頂きたい。今までお酒で失敗した事など皆無である。何故ならば記憶に残っていないから無い物は無い。もしかしたら今回も飲みすぎて一部記憶を無くす可能性はあるがその失敗も新入社員で僕が自分の限界量を把握していなかったからだ。

 もしも、僕が限界量を超える酒を飲むとしたら何か熱い譲れない物が合ったに違いない。

「先輩は意外とお酒好き……」
「お酒は苦手だよ」

 僕は素直に苦手だと伝える。悪酔いして二日目も頭に響いた暁には気分も悪くなり神様にごめんなさいと祈る時間が続くだろう。そう言った意味でもお酒は苦手だ。何故、神様に謝るのか……絶対に分かってるはずだ。この量を飲むと明日に響くと……でも、飲んでしまう私めをお赦し下さいと懺悔である。

 神様に謝るので、上司もきっと許してくれるだろう。その日が使い物にならなくても。

「ちなみに、私も彼氏居ないんですよー?」
「へぇー、可愛いのに意外だな」

 顔採用というだけあり、見た目は非常に可愛い。しかし、可愛いからって仕事が出来なければ僕等の部署では痛い目に合うだろう。この子がこれから苦労するだろうが知ったこっちゃない。

「なんと、先輩? 驚いて下さい。私って実は一ヶ月前まで大学生なんですよ? 大学生とお付き合いする社会人ってなんか背徳感あって良くないですか?」

 学生という身分を己の魅力として僕を口説こうとしているのだろうか、この小娘は……そういう手に僕は引っ掛からない。

「よく考えろ後輩。先月まで大学生ってことはだ。バイトくらいならやったことあるだろうけれど、私は社会未経験の未熟者でしたって言ってるもんだ。口ぶりから大学生を武器にしたかった様子だが、アプローチの仕方に難ありだ」

 手の掛かる子ほど可愛いとはよく出来た表現だ。手塩に掛けた子の成長を見守るのは親目線だと楽しく見守る事も出来るだろう。

 だが、僕は見てきた。何事も向いてない人にはある程度のところで壁が出てくる。それは、これ以上の成長が見込めないのか成長する気が無いのか別に興味が出て優先順位が変わったのかもしれない。

 それは本人のみぞ知る世界である。数多くのエンジニアが去るのを見送った。

 結局、僕が伝えたいのは何者でもないですよと自己紹介している相手に対して利を感じないという事だった。

「アプローチの仕方……難しい」
「あぁ、難しいな。今井カナは確かに可愛い。最初に見た時は何でこんな可愛い子が仕事場に居るのか理解するのに時間が掛かった。よくある雑誌系の漫画で水着になってても不思議じゃない子が僕の席に座っていたんだ」
「……あそこは私の席です」

 どうやら後輩の今井カナもお酒が回ってきた様子に見える。何故なら白い肌と記憶しているが今は顔を真赤にしていた。

「席はどうでもいい。ん……僕は口説かれてたのか?」

 話の発端を振り返ると落ち着いて聞けば卒業したての彼氏無しですよ私はどうですか? と解釈出来る。むしろ、僕はそう解釈してしまった。

 つまり、何故か後輩の今井カナが僕に好意を抱いている……?

 原因の心当たりが全くない。分からないから僕は素直に尋ねる事にした。

「今井カナさん……もしかして僕と付き合いたいの? その……恋人ってこと?」

 酔っ払いの僕が視界を揺らしてしまっているのか、今井カナが小刻みに揺れてあわあわと慌てているのか判断がつかない。でも、僕か彼女に異変が起きてるのは確かだった。

「えっとー、その……」

 顔を下にする今井カナはコクンと頷いた。僕の事が気になる……付き合いたい……?

 意味が分からん!

「それって何で?」

 恐らく酔って冷静じゃない僕は酷いと思いつつ今井カナに訪ねた。

「私、実は緊張してたんですよ? 事前に怖い人って聞いてたし。朝起きて腕時計見たら遅刻ギリギリでやばい! って思って猛ダッシュして電車に乗った時に時計が壊れてるのに気付いて、こんな早く出社しちゃうとは思わなかったし」

 話が読めない。朝遅刻ギリギリだから僕に好意を抱く訳が無い。

「一人で待ってる朝に、ガチャって扉の開く音で驚いてたら優しそうな人で安心して……あと、顔も割りと好みだし」

 少し納得出来る話が出てきた。

 恋に落ちる経験を今までしたことのない僕は理解できないが、ひと目見て好きになることもある……かもしれない。

「後輩の今井カナさんは僕の顔が好みでつまり……一目惚れって奴?」

 見た目が好みだからという理由で人を判断するのは早計では……と微かに冷静な僕の頭が答えを導き出した。何か喋ろうとしていた今井カナを遮り僕は続ける。

「一目惚れってだけなら僕は諦めてくれ」

 例えば、見た目だけで判断した時に弊害がある。それは相手の事を把握する以前に深い仲へなることで目的を達成した錯覚に陥ってしまう。

 すると、最初は達成感で満たされるが同じ時間を共有する事により相手のことが見えてくる。相手を知ってゆっくりと深い仲になるのでは無く、深い仲になってから相手の知らない部分が顕になるのだ。

 人間は何事も良い方向に補完する傾向があると僕は考える。見た目が綺麗だからこういう生活をしているんだろうなぁと理想を思い浮かべて全て良い方に持っていく。

 その妄想は必ず時間という共有する概念で現実に塗り替えられる。

 一言で表現するならば『思っていたのと違う』現象だ。経験ある人は思い当たる節が少なからずあるだろう……僕は学生の頃にアニメやゲームにハマっていた時期がある。

 人並みに趣味として嗜んでいたのだ。その時に新作ゲームのプロモーションムービーに引かれて購入し実際に遊ぶと全面に押し出されていたヒロインと絡みが少なく、あっさり退場してしまったり。ほんわかした微笑ましい雰囲気の作画をしたアニメだと思っていたら血みどろのシリアス作品だったりもする。

 そういうギャップを売りにしている可能性があるけれど、僕が今まで出会ったのは思っていたのと違う。

 他人の評価が全てとは言わないけれど、レビューを参考に限りあるお小遣いでゲームを購入した経験がある。

 恐らく一目惚れという現象には同じ様な……少なくとも近い現象が起きると僕は考えている。

「一緒に……」

 今井カナが言葉を選ぶように、ゆっくりと想いを伝えるように僕を真っ直ぐと見た。

「一緒に、ドラマを見た。楽しそうに笑う顔に惹かれた。多分、付き合っても楽しく過ごせると思う。それと、私が新人だから先輩にお酒を注ごうと思って溢しても怒らなかった。うちのパパなら『ったく、何やってんだか』って呆れられてたと思う。でも、先輩は私の心配をする余裕を持ってた。人に気を使える人格者と……判断できると言えるかも?」

 僕は自分を客観的に考えたことなんて無いけれど、少なくとも彼女にはそう見えたらしい。

「先輩……私の見た目も脈アリみたいだし可能性あると思ったー」

 低く見積もってもそこらのアイドル並、いや、ソレ以上に可愛いと思う。ぱっちりとした瞳に白い肌がひときわ目立つ。流石うちの人事部が内定を出した逸材だ。

 でも、今はそれだけである。

「まだ何者でも無い私が成長したら、先輩の身の回りのお世話とか料理とかお仕事とか出来るようになったら彼女として立候補出来るんですか?」

 僕は今の彼女は雑に言うと会社での立場はお荷物である。何も出来ない新人が僕に熱い想いを向けてくれるのはとても嬉しい。

 でも、それだけだ。

「例えば、僕の前に二人が現れたとしよう。その二人が僕の恋人として立候補すると言い出した。そのうちの一人は仕事も結果を出していない新人で何も出来ない可愛いだけの人物。もう一人はトップアイドルで年収も僕より数倍多く趣味で料理もする子だとしよう。意地悪な質問をするけれど、僕はどちらを選ぶと思う?」

 我ながら本当に意地悪な事を口走っていると思う。その言葉を聞いて今井カナはムッと下唇を噛みながら言った。

「やっぱり……アイドルの子」

 見た目も良く財力もあり家庭的な人とソレを全て下回っている人を例に出した。そのどちらを僕が選ぶのかと伝えた。

 本当に僕はひねくれていると思う。あまり良い性格をしていない。

「実は僕にもどちらを選ぶか分からない」
「えっ?」

 予想外の言葉だったのか、今井カナはパチパチと瞬きを繰り返していた。表情豊かで可愛いと思いながら僕は続ける。

「僕も良い大人と言える年齢で周りにも少しは結婚している人がいる。さぁ、もう少し考えてみよう。彼女との交際に関してゴールと表現するには些か短すぎるが、一つの通過点として一般的には結婚の道を通るだろう。そこで僕が幸せな結婚生活を送る為にはどちらと付き合うのが良いか。それは僕には分からない。アイドルと結婚したから僕が幸せになれると因果関係があるわけでも無いと思うんだ」

 優れた人と深い仲になればより良い幸せを掴めるとは限らない。もしそうなら、世の中で成功した人物同士が離婚するはずが無い。誰しも幸せを願って結婚するに決まってる。離婚するために結婚する恋人は絶対に居ない。

 結局、二択を例に出したけど僕はどちらが良いかなんて分からない。でも、その答えが何時出るのかは漠然と分かっているつもりだ。

 いずれ、歳をとって死を意識する時に答えが出るだろう。それが良い答えでも悪い答えでも僕が選んだ道なら受け入れるつもりだ。

 出来ることなら、相手には悪い答えを出して欲しくないと思う。

「ふふっ、先輩? それって付き合ってみないと分からないって事ですよね?」

 緊張していた表情が少し柔らかくなった後輩が目の前で微笑んだ。

「あぁ、その通り。尋ねるが、君が僕と付き合って後悔ないと断言出来るか?」
「ふーん。そうですねぇ、もしかしたら私と付き合った直後にトップアイドルと浮気するかもしれませんし?」

 意地悪に悪女のような顔も見せてくれた。

「そう、何があるか分からない。それは同じで僕もあっさり嫌われて今井さんに捨てられちゃったりね。少なくとも流されて曖昧な決断で僕は付き合いたくない。出来るならこの人と一緒に過ごしたいと納得して深い仲になりたいな」

 自分の中で答えを見つけたのか今井カナは笑顔で僕に考えを伝えた。

「結局、先輩も私の事をラブになっちゃったりして、側に居るだけで幸せってなるかもしれませんよね? それとも、お仕事を頑張って先輩よりもすっごい結果を出して惹かれるかもしれませんし。逆に悔しがるかなぁ? 私なりに先輩が私を見てくれるように頑張っちゃいますよ?」

 未来はどうなるか分からないけれど、僕は今井カナに興味を持っている。

「知らない畑……未経験のど素人で何も知らず一年目から知らない世界に飛び込む気概だけは高く評価している。これから化けるか楽しみだ」

「意外と高評価!? 先輩はイヤラしいですね。そんな事を言われたら俄然やる気が出るじゃないですか」

 きりっと見た目だけはやる気に満ち溢れていた。

「まぁ、熱量ってのは最初だけがマックスであとから落ちていく一方だからな。どうモチベーションを保つのかが難しい。頑張りたまえ」

 やる気って奴は直ぐに家出するから本当に困る。

「そういえば先輩の事は先輩でいいんですか? カオルさんって呼ぶ物ですか?」

 呼び方を意識したことは無かった……部下を持つ経験も無いが、先輩と呼ばれるのも環境の変化を肌で感じれて良いかもしれない。

「先輩でいいよ。神下部長に対しても僕は部長って呼ぶ時もあるし」
「分かりました先輩。ちなみに、私はカナって呼んでもいいんですよ?」

 頬の隣でぶいさいんをしながら笑顔の生意気な後輩が超可愛かった。

「カナ……いや、気恥ずかしいから断る。今井くらいがちょうどいい距離感だな」
「……カオルって呼び捨てにしてやる」

 別に好きにしてもらって構わないが一応、上司と部下の仲に変わりはない。

「そういえば、神下部長遅いな」

 未だに姿を現さない部長のせいで変な話を後輩と繰り広げてしまった。

「用事とかかなぁ、先輩! 私達の門出に乾杯しましょうよ」
「なんの門出だか」

 乾杯!

 つい、お酒を飲んでしまった。もうとっくにアルコールの許容量を超えていると思う。









 朝起きた僕は布団の中で暫く蹲っていた。

「頭いてぇ」

 僕はガンガンと鳴り響く頭を抑えて時計を見た。仕事が始まるまで一時間を迫っている……二十分で準備して、五分くらい歩いて電車に乗れば間に合うか。

 翌日の朝、僕はどうやって家に帰ったか記憶が無かった。

 むしろ、昨晩……居酒屋で後輩と一杯目を乾杯したところまでは覚えているが後の記憶が抜け落ちている。

「だりぃ、会社を休む……と今井が一人で途方に暮れるか」

 僕は二日酔いの薬を飲みながら会社に向かった。
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