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仮面先生の真実(完)
しおりを挟む西崎カオルという男は会社へ向かう時に電車を利用している。家から出て数分歩いた先にある駅から電車に揺られて十数分……そこから会社へ少し歩いている。別の会社へ出向する機会も少ないので本社近くに住めば朝の時間も終電を気にしなくても良いくらい生活に余裕が生まれるだろう。
それにも関わらずカオルは離れに住んでいた。
理由は至極単純で会社付近は家賃が高い割に部屋が狭い。少し離れるだけで家が広くなり家賃も安くなるから満足している。
先週の金曜日に飲み会があり土曜日は二日酔いで消え去った。同期の睦月モエ達と別れた後は、何だかんだと三次会まで直属の上司である神下部長に付き合い撃沈。
三次会は高そうなバーに連れられて高い酒を飲まされたのを覚えている。店員が言った『飲みやすいですよ』と優しく甘い誘惑に堕ちたカオルは楽しかったような気がする、という感覚だけを覚えている。
そして、身体を休めること一日経った日曜日。
ピンポーンと家のチャイムでカオルは起きた。呆けた表情のカオルが時計を確認すると、時刻は正午をさしている。倦怠感の抜けない身体を無理やり立ち上がらせて大欠伸をしながら玄関へ向かった。
「はーい」
ガチャっと扉を開けて少々傾いた日差しの眩しさにカオルは目を覆った。先程まで睡眠を取っていたので急な光に目が痛いと言わんばかりに眉間へ皺を寄せる。
そんなカオルの状態を知らない客は元気な声を出した。
「よぉ、兄貴ひさしぶり。つーか、酒臭くね?」
「あー、昨日……じゃなくて一昨日に部長と飲み歩いて怠いわ」
おっじゃましまーすとカオルと対象的に元気なお客さん――西崎カズキがリビングに転がり込んだ。
「何か飲みたい兄貴」
「んぁ……あぁ、俺も飲みたいな」
カズキの言葉を理解するのに少し間が必要だった。なにせカオルも喉が渇いたと思っていたので『何か飲みたい?』と言われている気がした。
カオルは麦茶を手にコップへ注ぐ。二つのコップをリビングに運ぶとカズキがソファーに座ってテレビを付けていた。自由奔放で困った弟だと言わんばかりにカオルは小さな溜息を吐く。
「さんきゅー」
「それで何しに来たんだ?」
カオルの弟――西崎カズキは俳優業を生業としている。絶賛放送中の『仮面先生の真実』というドラマで活躍しており、兄のカオルも話題は耳にする。兄目線では芽が出ているので安心していた。日曜のお昼に兄弟の家へ訪れる理由に対してカオルは全く心当たりがない。
「前入りしたんだけど、兄貴の家が近いから寄ってみた」
「なるほどな。あれだろ。仮面先生の真実だ」
にやりと笑みを浮かべたカズキが悪戯に言った。
「兄貴何処まで見た? ネタバレしようか?」
「勘弁してくれ、実は全然見れてない。ってか、最終回だったっけ?」
仕事を理由に弟の晴れ舞台を後回しにしている兄へ対して心底残念と言わんばかりにカズキは肩を落とした。
「っぱなー。ちなみに最終回は二週間後。明日から『君の過去だけ知っている』ってドラマの撮影が始まるんよ。今度のドラマはヒロインが事故で死んじゃうんだけど主人公が過去に戻ってさ。それでヒロインの事故を回避しようと頑張るんだけど、進展がある度に物語が変わっちゃってー、ヒロインの悲劇を回避する感じ。ちなみに、まだ発表されてないからオフレコな!」
カオルは自慢げにアピールする弟の頭を軽く小突いた。
「そういうのは親族でも言わないようにしろ」
「っちぇー、分かったよ。んで、腹減ったー何か無い?」
本当に理解したのか心配しつつカオルは冷蔵庫の中身を確認する為に席を立った。中身と暫くにらめっこするも、無言でチラシを漁り始める。
「なんか注文するぞー、弁当か寿司にするか……ピザでも良いぞ」
「ピザ!!!!」
ガハハと笑いながらテレビを眺めるカズキを無視してカオルは適当にピザを注文した。
「後は待て。それで、次のドラマの主人公は……現在だとヒロインが居ないから過去に戻って成り行きを知るんだっけ。未来と現在を取り戻すみたいな話だな」
情報は漏洩するなとは言いつつも話題を振ったカズキの話にカオルは戻った。嬉々として話す弟を溺愛している様子が見て取れる。その言葉を聞いてカズキはくしゃっと満面の笑顔になった。
「そうそう、主人公とヒロインは遠距離恋愛だったから空白の期間があるんよ。それを過去に戻って紐解いていく物語で、ピースが段々揃っていくんよなぁ。ヒロインが最悪な状態から始まるから視聴者と一緒に幸せに向かうのを見守れるって言うの? 一緒に体験してる錯覚に陥らせたら勝ちだな。仮面先生はアウトロー気味だったけど、今回は……そーだな。青春みたいな印象」
テーマが変わってカズキの興味も高まっている様子にカオルは倦怠感を忘れていた。
「楽しみだな」
「めっちゃくちゃ楽しみなんだけど……」
ボタンを押してスイッチが切り替わった音が聞こえた様な錯覚にカオルは陥った。先程までニコニコきらきらと笑っていたカズキが無表情になり纏う雰囲気が急変する。
まるで仮面先生を画面越しでは無く目の前で見ている様な冷たい雰囲気に圧巻された。
「どっかの誰かさんは見てくれないから」
鋭い目付きに嘲笑めいた表情を見てカオルは身震いした。
「絶対に見るから安心しろ」
「やりぃ。絶対に見てくれよな」
コロっと元に戻ったカズキはお腹空いたーと転げ回る子供みたいにソファーへだらしなく寝っ転がった。
「大人しく待つことも覚えろ」
「へいへい。そういえば、兄貴も仕事は順調ー?」
自分の話だけで終わらず、カオルの近況をカズキは気にしている。
「順調と言えば順調……かな」
普段は顔に出ないカオルだが兄弟ともなれば浮かない表情をしているとカズキは察した。
「微妙そー。兄貴も仕事でそんな感じなんだな」
カズキは何をやっても卒なく熟すカオルの姿しか今まで見てこなかった。勉学に限らず運動面でも学生時代は勝てないと思うほどの完璧な兄でも不安に思う存在がある事に対して嬉しいという感覚が湧いていた。完璧超人な姿しか知らないカズキは真顔で口を開く。
「兄貴なら上手く行くっしょー」
「そうだったらいいんだけどな」
ピンポーンと家のチャイムが鳴るとだらだらしていたカズキがぴょこっと起き上がり玄関へ駆け足で向かった。何でもカオルへ頼っていたカズキの空腹は限界に近く、とても現金な弟である。
「はいはーい」
カズキがそう言いながら玄関の鍵を開けた直後に異変が起きた。
「せんぱーい。近くに寄ったから来ちゃっ……」
何故か今井カナの声がカオルの耳に入る。その後、約五秒程の時間が流れた。玄関先に誰もいないかのような静寂を先に破ったのはカズキ。
「大変だ兄貴ピザじゃなくて女の人が届いた」
「大変です先輩。知ってる人が先輩の家にいます」
ドタドタと二人はリビングに居たカオルの前に駆け足で近寄る。
「よっ、あの後は無事に家へ帰れたか?」
「はい。モエさんに送ってもらいましたよって違います。聞いてください。仮面先生のカズキが居ます」
「とりあえず落ち着いて。弟だから家に来てても、おかしいところは無い」
目が泳ぐカナは言葉を理解しようとして脳がショートしていた。今まで話題に出していた俳優が実は恋人の弟という新事実に追いつけていない。今までカオルが黙っていた事もあり、夢だという結論を出したのか自分のほっぺたをぎゅーっとつまんで悲鳴を上げていた。
「大学生みたいな人が兄貴の家に……極自然に訪ねて来たって事はもしかして……」
「後輩で恋人の今井カナさんだ」
女っ気が今まで無かったカオルに対してカズキはボディブローを受けた様にじわじわと現実が鮮明になっていった。孤高の存在だった自身の兄が恋人を作り自宅へ通う仲を想像したカズキはとても深い関係だと察する。
ピンポーン。
思考行き交うカオルの部屋で全員の耳にチャイムが鳴り響いた。
身動き取れない二人を放置してカオルは玄関へと向かう。一歩ずつ玄関へ向かうカオルの足取りを二人はスローモーションに感じながら思考だけが加速していた。
弟は休日に来た恋人から連想し、深い仲だからこそ親御さんまで訪ねてきたかと思い……付き足がすくわれる。本当に間が悪いタイミングで会ってしまったと考えた一方。
恋人であるカナも似たような思考に陥っていた。まさか、家族が来ているなんて思い付かなかった。まだカオルと付き合いが長いとは言えない期間だと自負しているので、親御さんと顔を合わせる気持ちの整理が付いていない。
「来たぞー」
宅配のピザを受け取ったカオルが見ると膝から崩れ落ちてリビングに置いてあるテーブルを二人で囲んでいた。
「今井もお腹すいてたか?」
呼吸乱れる二人はピザで安心すると、ぐうぅーと腹の虫があざ笑う。
「ピザ……ピザいいですね」
「ピザで良かったわ」
ピザをテーブルに置いたカオルは飲み物を追加で取りに席を立った。
「初めまして。彼女のカナです」
「お、弟のカズキです」
まるでお見合いのような雰囲気を感じ取る事も無く、カオルはコップをカナに手渡した。
「食べようか」
そう言いピザのお披露目を行うカオルに言葉の矢が飛んでくる。
「先輩。なんで黙ってたんですか?」
「そうだぜ兄貴。前もって言ってくれないと心の準備が出来ない」
攻められている事だけは理解しているカオルがピザを頬張りながら暫く無言で考える。良く噛んで飲み込んだカオルの第一声は悪気も無く透き通っていた。
「変に勘ぐられると面倒だなって……今度からは先に言うよ」
カオルとしては意識させたくないという想いが籠もっていたけれども。二人には伝わらず。
「カオル……」
「そうだぜ兄貴。本人の前でその発言は宜しくない」
もう一口食べながら二人の慌てる原因がピンと来ず、カオルは物事を脳内で整理し始めた。職業柄、思考の整理は日頃行っているので紐解いて組み立て直し答えへ辿り着いた。
カオルが口にだした『今度からは』という言葉がさしている物事が分かれば直ぐに失言だったと気づいたのだ。
今井カナは俳優――西崎カズキという存在が弟だと既に知っている為、二度目の報告をする必要がない。
二人の反応を見るに『今度、彼女が出来たら』伝えると受け取っている。これでは、今井カナと別れて次の彼女を紹介するよと言っているようなものだと導いた。
「……カナと別れる気は無いよ」
カオルが照れながら言うのを見て二人は胸を撫で下ろしピザが喉を通るようになった。
同じピザを食べていたにも関わらず、二人の食べたピザがどんな味だったのかをカオルは知る由もない。
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