アラフォー少女の異世界ぶらり漫遊記

道草家守

文字の大きさ
表紙へ
20 / 36
2巻

2-3

しおりを挟む
     その二 芸は身を助けるようです。


 幸いにも飯屋がジョルジュの行きつけだったおかげで、彼を知り合いだというお店の人に預ける事ができた。
 そして宿で一眠りした私達は、夜も明けきらないうちに人気ひとけのない海岸へ来ていた。
 漁港から離れていて、海際ぎりぎりまで下りられる岩場だ。地面に広がるのは石ころ混じりのじゃだから、わりと歩きやすい。

「こんなものでいいか、祈里」
「ありがと助かる」

 じゃの一部をならしていたライゼンがこちらを振り返ったが、私を見るなり珍妙な顔になる。
 だがそれにかまっていられないほど、私はド真剣だった。

「その、なにをしているんだ」
「なにって、柔軟体操。久々にやるからさ」

 私は入念に足を伸ばし、腕を伸ばし、せっせと体を温める。
 いきなり動いて体を痛めるのはつまらないからね。この推定十歳児の体でも、痛めるのかわからないけど。
 あ、そうだ発声練習もやっとかなきゃ。声を出すのも久々だしな。

「あーめーんーぼーあーかーいーなー あーいーうーえーおー!」

 ライゼンがびくってしたけど全力で無視する。
 よーししゅうしんは捨てろー。海の彼方かなたに放り出せ。
 これをやらんとなにも始まらないからな。

「……なあ祈里。本当にこれは、人魚族から話を聞くためなんだよな?」
「もちろんよ」

 あいつが約束を守ってくれるんなら、これで大丈夫なはずだもの。
 準備運動を終えてふうっと息を吐いた私は、ライゼンが作ってくれた舞台へ上がる。
 波しぶきの音が聞こえる中、脇に置いてあった聖剣を取って引き抜いた。

「ミエッカ、マイクモード起動!」

 声と同時に聖剣ミエッカが光に包まれ、見る間にマイクへ姿を変える。
 聞いて驚け! 長くて手に持つものなら、ミエッカは変化できるのだ!
 そして私は、さやをライゼンへ向けて放り投げ、右手にマイクを構えて海に向かって叫んだ。

「ミュージック! スタートッ‼」

 宣言すると同時に、気が利くミエッカがアップテンポでキャッチーなイントロを流し始める。
 ほんっと心憎いくらいうまい演奏だよな! どっかの遊び人が日本の音楽が面白いってフルコーラス再現したのを、ミエッカが覚えちゃったっていう悪乗りの産物なんだけどな⁉
 そしてしゅうしんを空の彼方かなたへ投げ捨てた私は、全力で踊り出した。
 曲は一昔前に一世をふうしたドラマの主題歌だ。
 見よ、友達の結婚式のためにきたげた二次会芸! 忘年会の時も大盛り上がりだったんだぜ! テンポが速いから振り付けの難易度は高めだけれど、その分華やかでかわいいと、こぞって練習したものだ。
 だからライゼン、全力で引くんじゃねえっ。これが約束なんだよ!
 細い手足をめいっぱい振り回して前奏をクリアした私は、すうと息を吸った。

「たーとぉ~えーはーああぁなれ~ばぁ~なーれえぇにーぃーなあってぇえぇもおーっ‼」

 歌い出した途端、ライゼンが硬直するのを目の端にとらえた。
 くっそー! 知ってるよ、音痴な事ぐらい!
 私の歌唱能力はこっちに来てから披露した時、仲間達にすらやめてくれと言われたレベルだ。
 地球時代の忘年会の時だって口パクでどうにかしたんだぞ。
 なんであいつらはこんなもんを聴きたがるんだかわからない。と思いつつ私は全力で腕を振り回し、跳ね飛び、思う存分かわいいを発散していく。
 だってそうだろ? なにせ今は推定十歳児の銀髪へきがん美少女だ。
 そんな子供が、かわいいを全力で追求したアイドルナンバーを歌って踊ってるんだぞ。どう考えたってかわいかろう?
 まあそれに、私だって歌っている分には楽しいしね!
 ライゼン以外誰もいないのを良い事に、久々に思いっきり声を張り上げる。
 それこそ海の彼方かなたへ届くように、壮大な愛の歌を。

「きみぃーーだけぇがー ぼくぅの~ひ~かーりー‼」

 じゃぁんっ! とミエッカが伴奏を終えて、ポーズを決めた私は、完全に息が上がっていた。
 歌って踊るって戦闘並みに激しいよな。本職のアイドルって戦えるんじゃない? と思う。
 さあ、レパートリー的には三曲だから、やり終えたら耐久ループになる。できれば早めに来てほしいかなあ。と言うかほんとに声届くのかよ。


 若干疑いつつも、私がミエッカに次の曲を指示しようとした時、波が不自然に乱れた。
 ライゼンが剣を抜きかけるが、待ち人が来たとわかった私は冷静だ。
 海面からかすかな水しぶきを上げて顔を出したのは、美しい人魚達だった。
 この世界の人間でも珍しい、うすべに、レモンイエロー、ぐんじょう色など、色とりどりの髪を緩やかに波に遊ばせている。
 性別がわからないほど整ったおもちの彼らの耳に当たる所には、魚のヒレみたいなものがあり、優雅に朝日を反射していた。
 人魚達は私達を見つけた途端にっこり笑うと、いったん海中へ戻っていく。
 だが、すぐに海面から次々と顔を出してきた。
 やっぱりこんなに来るのかと遠い目になりつつ、私は彼らに話しかけようとする。だがその前にきょう津々しんしんの人魚達がすうと、道を譲った。
 好奇心おうせいで、自分の興味を最優先にする人魚達が譲る存在はただ一人だ。
 水しぶきを上げて岩場に上がってきたのは、ひときわ美しい人魚だった。
 朝日にけてうすべににも紫にも見える夜明け色の髪に、透明なヒレの耳が上機嫌を表すように揺らいでいる。
 二十代前半くらいの若々しい顔立ちは男性とも女性ともつかない。子供の無邪気さと、踊り手に似たようえんさをあわせ持つ不思議な美貌びぼうだ。中国の天女にも似た薄布を重ねたころもから伸びる両足には、髪と同じ色のうろことヒレがクリスタルビーズのように輝いていた。
 この世界の人魚の足は二本でヒレがついているんだよな。こいつに会った時にはほんと、ここが異世界なんだと改めて実感したものだ。
 王者の風格を持ったその人魚は、私を認めると細い指を自身の唇に当てて微笑する。

「くふふ、相も変わらず面妖でまろい歌声をしておるのう」

 夜に響く波音にこんぺきを溶かし込んだような、しっとりとした声だった。そのたたずまいはまるでな淑女のように清らかだ。
 でも私は知っている。こいつが五百歳超えのじいさまだって。

「あんたぐらいよ、そんな形容詞使うの」
「おや気を悪くするでないぞ、われら人魚のめ言葉だからの。唯一無二の歌声じゃ」
「相変わらず悪趣味ね、スラン」
「再びまみえて嬉しいぞ、祈里」

 相も変わらず、名前の発音は完璧だ。
 私がため息をついて言えば、彼はあでやかに微笑ほほえんだが、ふいと私の背後を見た。

「くふふ、面妖な者を連れているようだの」
「あ、そうだ紹介するよ」

 人魚、スランの言葉に、私はライゼンを振り返った。
 案の定、硬い顔をしている彼に、ちょっと申し訳なく思いつつ紹介する。

「私のお忍び旅のかくみの兼相棒のライゼン。ライゼン、彼は人魚族のおさであるアンソルスラン」
「くるしゅうない。祈里の連れならば言葉を交わす事を歓迎しよう」

 ひらひらと手を振るアンソルスランにライゼンは少しぎこちないながらも、軽くこぶしを胸に当てて頭を下げた。

「お初にお目にかかる、人魚族のおさよ」
「……ほう」

 ライゼンの声を聴いたアンソルスランが、愉快そうに笑む。
 人魚って声だけでその人の人となりを判断できるらしいからなあ。勇者時代の私の時も一発で勇者って見抜かれたし。その微笑ほほえみの下でいったいなにを考えているのやら。
 が、ライゼンはそれどころじゃないらしく、私に耳打ちしてきた。

「人魚族のおさが出張ってくるなんて聞いてないぞ」
「いや私も、まさか近海にいるとは思っていなかったし許してよ」

 アンソルスランとは、勇者時代にシーサーペント狩りをした仲だ。
 その時、何を気に入ったのか、この人魚のおさは私が海岸に向かって歌えば必ず人魚が応じるよう取りはからう事を約束してくれた。
 そう、音痴の私に。
 人をまどわせるほど最高に歌がうまい人魚達に向けて聴かせるなんてどんないじめだと思ったし、絶対にそんな約束使わないだろうと思っていたのだが。
 どんな風に役に立つかってわからないものだなあ。
 それでも真顔のライゼンの言いたい事はわかり、私は乾いた笑みを漏らしながらこそこそ話す。
 するとアンソルスランのくすくすと美しい笑い声が響いた。

「くふふ、人魚のおさは陸の者と意味合いが異なる。ただ最も声の尊き者に贈られる称号よ」

 ライゼンがぎょっとするのもかまわず、アンソルスランは茶目っ気たっぷりに続ける。

「我らに聴こえぬ声はないゆえな。内緒話は水際から離れたほうが良いぞ」
「失礼した」

 謝罪したライゼンに、アンソルスランはおうよううなずいた。

「さ、話をしよう祈里。我らに聞きたい事があるのじゃろう」
「ああそうだね」

 自分では、「おさ」をただの称号と言うけれど。こうしているアンソルスランは、ちゃんと上に立つ者だと思うのだ。
 の瞳をやわりと細めるアンソルスランに、私は身を引きしめてうなずいた。


     ☆ ☆ ☆


 私とライゼンは海岸に広げた敷布に座って、岩に腰かけるアンソルスランと向かい合っていた。
 好奇心でついてきてしまったらしい人魚達は、おさの号令で散っている。
 アンソルスランは足を海にひたしたまま、私が持ってきた朝ご飯である焼いたソーセージを優雅につまんでいた。

「かように塩気の強いものを食すとは、人はまこと不思議なものよのう」

 ほぼ十年のタイムラグがあるにもかかわらず、昔と変わらない彼に、私はパンをかじりながら話しかけた。

「ところでよく私だってわかったね。今推定十歳児よ? 前に会った時には男だったのに」
「なにを言っておるのじゃ。そなたの声は今も昔も変わらずれつであでやかであろうに。たかだか外見が変わった程度で見失うものか」

 たかだかって言いますけどね、こちとら外見成人男性から十歳美少女になってるんだぞ。
 だけど、ああそうだった、この人魚はこうして声ばっかりめてくる変なやつだった。
 心外そうな声を上げたアンソルスランは岩場に腰かけなおすと、私の銀の髪に手を伸ばし、一房するりとつまむ。

「だが、その姿のほうが、そなたのたましいにふさわしい色彩をしておるの」
「私が子供っぽいって言うのかよ」

 さすがに聞き捨てならなくて抗議すれば、アンソルスランはの瞳を細めて微笑ほほえんだ。

「我ら人魚は、声を最も重んじるがゆえにいつわらぬと知っておろうに。そなたの声が表すたましいは、まれに見る美しさであるよ」

 声だけで魔法を使う人魚族は、音を……ひいては声を重んじる。
 人魚族のおさであるアンソルスランは、その声だけでたましいすら見通すと言われているほどだ。
 だから、約十年前に出会って早々に勇者と見抜かれた時はビビッたものだが、話が早くて助かる。
 そう思って本題に入ろうとしたら、アンソルスランが目を細めた。

「くふふ、気安く触れられて気に食わぬ、という顔だの」

 え、と隣を見ると、ライゼンが何とも言いがたい顔をしていた。
 こう、子供が隠そうとしていたものを言い当てられて、決まり悪さと悔しさをどうしたらいいかわからない、みたいな。

「別に。古い知り合いなのだろう。口を挟む気はない」
「ならば良い。その殺気も寛大な心で許そう」

 え、殺気? 全然感じなかったけど。
 見上げてもライゼンは視線をそらすだけで答えてくれなさそうだった。私は釈然としなかったけど本題に入る。

「で、スラン。私達の事情はさっき話した通りだけど。海でなにが起きてるの」
「そなたが旅に出ておるとは驚いたものだが。なにから話したものだのう」

 人魚の前で言葉をいつわる事はできないから、朝ご飯の間にここまでの経緯を包み隠さず話したのだ。
 薄くうろこの生える指先をあごにかけて沈思したアンソルスランは続ける。

「何ヶ月前かの、街の領主だと申す男が船でやって来て、同胞にこう言うたのだ。『この海は我らの領地。暮らすのであれば税をよこせ』と」
「は? 馬鹿なの」

 領主のあんまりな言い分に私は反射的に返していた。
 海には海神マーレンの加護があるため、ずっと昔から海と陸は互いに不可侵という暗黙の了解がある。
 人間の船だって海の上を通るのを見逃されて、知らんぷりされているだけなのに。

「うむ、馬鹿であろう。しかも国の総意でもなく、領主の独断であったらしい。陸の者は様々な者がおるのう」
「できれば同じ陸の人間として扱ってほしくないわ」
「わかっておる、しき者ばかりではないからの」

 やれやれ、とばかりにため息をつくアンソルスランの言葉には、長い年月を経た重みがある。

「むろん、海におる我らが簡単に捕まるわけがないがの。そうしたらあやつらなにをしたと思う」
「……なに」

 私が先をうながすと、アンソルスランはいっそようえんなまでに微笑ほほえんだ。

「海にしょうでいかたまりを投げ入れたのだ。おかげで連日浄化に追われておる」
「ここの領主まじめになにしてるの⁉ 滅亡でもしたいわけ⁉」

 あんまりにもあんまりな事態に、私は思わず頭を抱えた。こんなに頭の悪い経緯だったとは。
 するとアンソルスランは不思議そうに、ゆらと耳のヒレを揺らめかせた。

「おや、陸の子には我の言葉の真偽はわからぬのであろう? みにして良いのか」
「そんな風にしょうでいを投げ込まれて、しょうになった精霊に会ったばっかりなもんで」
「……ほう」

 色の瞳が細められたけど、アンソルスランは話を続けた。

しょうでいを投げ入れた後も、領主めは我らを捕らえようとうろうろしておってな。ゆえに海にたゆたう船はすべて追い返しておったのじゃ」
「漁師達が漁に出られないと困っていたが」
「領主も知恵をつけて、漁師の船で襲い掛かってくるものでな。我らに区別はつかないゆえ、すべて追い返していたのじゃよ」

 ライゼンの問いかけに、あっさりと答えたアンソルスランはそう締めくくった。
 言葉を重んじる人魚である彼の言う事は、おおむね信じて良い。
 心底不愉快だが、これで全容が見えてきた。
 ライゼンもある程度思い至った様子で、確認するように私に言う。

「漁師達は、領主が数年前に新しく赴任してきたばかりだったと言っていたな。海の事はうといが、金勘定はうまいから、特に文句はなかったと」
「それってつまり、利益になるものだったらなんでもしかねないって事だね」

 人魚のうろこは、とても硬くて色も様々、水に関連する魔法の触媒としても有用だ。ありていに言えばお金になる。
 私は少々ぼかしたのだが、アンソルスランはやんわりとした笑みでぶっちゃけた。

「我らの容姿も声も陸の者にとっては魅力的だからのう。鑑賞用にも素材採取用にも価値があろう? 我らを捕まえようと船でやってきたところで、我らの声にれて溺れ死ぬだけであるのに、いやつらじゃ」

 くすくす、くすくす笑うアンソルスランには妙な迫力がある。初めて見るだろうライゼンは引きつった顔をしていた。
 ま、ともかく。ぶっ飛ばす相手が明確になったのは助かるってもんだ。
 ここは他国とはいえ、領主の横暴に困っている人達をほうっておきたくはない。
 けれどもこれを二日で解決するのはちと無謀に思えてきたぞ……?
 私がうんうん悩んでいると、アンソルスランが話しかけてきた。

「それでの、祈里よ」
「なに」
「つがいとなろう」
「ちょっと待ってね……て、は?」

 なんか領主を引っ張り出す方法……と考えて生返事をしたら、妙な提案をされた気がした。

「なんだと」

 隣のライゼンが耳を疑っている風な声音で聞き返すが、アンソルスランはただふむと優雅にあごに指先を置く。

「そういえば陸の人間はこう言わないのだったな。ではもう一度」

 彼は私の手を取ると、ゆっくりと指を絡める。

「祈里よ、我と結婚しよう」

 私とライゼンが絶句する中、発言主であるアンソルスランだけが悠然と微笑ほほえんでいたのだった。


 禁漁問題を解決しようと聞き込みに来たら、人魚族のおさアンソルスランに求婚された。
 ちなみに私の小さな手を包む彼の手は、ひんやりとしていて吸い付くようにしっとりとしている。
 もふもふとはまた違った不思議な感触だ。いや現実逃避なのはわかってる。
 だがわけわからん。
 私が無言になっていると、ライゼンが荒っぽく身を乗り出した。

「いきなりなにを言っているんだあなたは! 今は海に広がったしょうでいをどうにかする話をしているんだ。そもそも彼女はまだ幼いんだぞ、結婚なんて早いだろう!」
「なにを言っているのだ、面妖な男よ。陸の者はおさなのうちに婚姻をしてはいけない決まりがあるのは知っておるが、我が祈里に会ったのは勇者時代であるぞ。すでにたましいは成熟しておる」
「ぐっ」

 ライゼンが言葉を詰まらせたけど、言うてあれだよな。

「でもスラン。あんた五百歳超えてたでしょ、ふつうにロリコンになるんじゃない?」
「ろりこん……ああ、おさなを好む性癖の事か。そういうものかのう?」

 アンソルスランがきょとんとした隙に、自分の手を救出する。
 ライゼンがアンソルスランに食ってかかったのは意外だったが、それは置いといて。
 私は人魚のおさあきれまじりににらんだ。

「あんた、まだあきらめてなかったの。あの時断ったでしょうに」
「当然であろ。そなたのような美しくまれたましいと共に歩めるのなら海底も華やぐと言うものだ」

 悪びれた風もない彼に、私はこれ見よがしにため息をついてみせる。
 すると今度はライゼンにられた。

「以前にも求婚されていたのか?」
「まあねー。海はいい所だぞ、一緒になろうって。……あれ、そういえばあの時『婿むこに来い』とは言わなかったね。もしかしてその頃から私の性別わかってた?」

 ことあるごとに恋の歌を歌われて、他の人魚達に公認のカップル的に見られた時はどれだけ決まり悪くてこっ恥ずかしかった事か。
 だが、性別に言及された事はなかった気がする。疑問を口にすれば、アンソルスランはなにを今更と言わんばかりだった。

「人魚に性別意識は希薄じゃ。どちらにせよ、そなたに合わせて変えれば良いだけじゃしの」

 道理で性別迷う美人が多いと思ったよ人魚。その時は自分も性別に突っ込まれると困るから聞かなかったけれども。
 十数年経っていてもまだまだ驚く事がある異世界だ。でもさ。

「そもそもなんでその話を蒸し返すんだ。今は関係ないでしょ」
「そうでもないさ。勇者王よ」

 アンソルスランにそう呼ばれて、私は表情を引きしめた。
 彼がそう呼ぶという事は、つまりはここからは個人ではなく政治的な話だ。

「ずっと我を誘っておったではないか。グランツ国であったか、そのさんに入るようにと」
「まあ正確には同盟だけどね」

 十年前にそういう誘いをした覚えはある。もうその時には国を作るという構想をしていて、海の戦力……少なくとも安全が欲しかったのだ。

「このところ船の数が増えてな、こたびの騒動のように陸と無関係とは言い切れなくなっている。だが我ら人魚は陸に興味がなくてなあ。今ですら浄化さえできれば良いと考える者が多いのだよ。――そこで、そなたとの婚姻だ」

 アンソルスランは苦笑に似たあいまいな表情のままだったが、言葉の端々に真剣な色がにじんでいて、彼が危機感を抱いているのだと理解できた。

「人であるそなたと我がつがえば、同胞達は人に興味を持つ。それくらいには我は同胞達から愛されておるからの。なれば、こたびの事件も人と足並みをそろえて解決する事が可能だ」
「私は人魚族との交渉権を得て、スラン達は陸の人間とのつながりを持つって事?」

 彼は、おとぎ話に出てきそうな幻想的で美しいかんばせで微笑ほほえんだ。

「王たるそなたにとって、有益な交渉であろう?」

 さすが伊達だてに五百年、生きていないってところだろうな。
 救助を求めるのではなく、交渉カードを用意して有益な形に持っていこうとする。為政者として正しい対応だと思うわ。セルヴァも海とのつながりはぜひ欲しいって言ってたし。海の安全な海流や航路を熟知しているのは人魚だもの。
 ダメ押しのようにアンソルスランが続けた。

「マーレン様は相も変わらずのんきであらせられるゆえな、今も我が一番海では偉いぞ」

 知っているさ。海神マーレンは最低限しか仕事をしないから、アンソルスランが実質のトップだって事も。ただ、言わずにはいられない。

「ほんとこの世界の神様達っていい加減だよねえ」

 だってそうだろ? この世界に神は存在するのに、魔王の出現って世界の危機も、対処は人間に丸投げだ。私には天空神の加護が付いているらしいけど、まったく助けられた気はしない。
 ともかく、アンソルスランの提案はまあまあ釣り合いが取れているわけで、利益に訴えてくるとこも冷静だよなって思うのだ。ぶっちゃけ悪くはないどころかめちゃくちゃ良い。
 どう返事したものかと考えていれば、すう、と顔に影がかかった。

「人魚のおさ、それは看過できない」

 低い声がを打ち、気がつくと私はライゼンの腕にかばわれていた。
 へ、と驚いて顔を上げると、彼の厳しく引きしめられた横顔が目に入る。
 顔を戻せばアンソルスランがの瞳を細めていた。
 彼の足のヒレが、海面をたたく音が響く。

「ほう。そなたが、看過できぬと申すか」
「その提案は祈里の人格を無視した言葉だ。そもそも祈里は見合いを拒否して旅に出たんだぞ、受け入れられるものじゃない」
「ほう、ほう、ほう。兄代わりと聞いていたが、ずいぶん真に迫っているではないか」
「俺は彼女の相棒だからな。侵害されているととればみつきもするさ。なにより共に歩む相手は好きあったもの同士であるべきだと思う」

 ライゼン、なんだか妹に付きかけている悪い虫を追い払おうとしている感じでは?
 私が驚いている間にも、二人はにらって譲らない。
 うわ、アンソルスランってば、すげえ人の悪そうな顔になっているぞ⁉

「聞いたところ、行きずりの関係なのだろう。ほうっておいても良いだろうに。それとも別の理由があるのかの?」

 途端、ライゼンの顔がこわばった。
 殺気混じりの雰囲気が一気にしぼむ。なにか動揺する言葉があっただろうか。
 激情を押し殺している風だったライゼンは、絞り出すように声を上げた。


しおりを挟む
表紙へ
感想 73

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

おばさんは、ひっそり暮らしたい

波間柏
恋愛
30歳村山直子は、いわゆる勝手に落ちてきた異世界人だった。 たまに物が落ちてくるが人は珍しいものの、牢屋行きにもならず基礎知識を教えてもらい居場所が分かるように、また定期的に国に報告する以外は自由と言われた。 さて、生きるには働かなければならない。 「仕方がない、ご飯屋にするか」 栄養士にはなったものの向いてないと思いながら働いていた私は、また生活のために今日もご飯を作る。 「地味にそこそこ人が入ればいいのに困るなぁ」 意欲が低い直子は、今日もまたテンション低く呟いた。 騎士サイド追加しました。2023/05/23 番外編を不定期ですが始めました。

私が死んで満足ですか?

マチバリ
恋愛
王太子に婚約破棄を告げられた伯爵令嬢ロロナが死んだ。 ある者は面倒な婚約破棄の手続きをせずに済んだと安堵し、ある者はずっと欲しかった物が手に入ると喜んだ。 全てが上手くおさまると思っていた彼らだったが、ロロナの死が与えた影響はあまりに大きかった。 書籍化にともない本編を引き下げいたしました

若奥様は緑の手 ~ お世話した花壇が聖域化してました。嫁入り先でめいっぱい役立てます!

古森真朝
恋愛
意地悪な遠縁のおばの邸で暮らすユーフェミアは、ある日いきなり『明後日に輿入れが決まったから荷物をまとめろ』と言い渡される。いろいろ思うところはありつつ、これは邸から出て自立するチャンス!と大急ぎで支度して出立することに。嫁入り道具兼手土産として、唯一の財産でもある裏庭の花壇(四畳サイズ)を『持参』したのだが――実はこのプチ庭園、長年手塩にかけた彼女の魔力によって、神域霊域レベルのレア植物生息地となっていた。 そうとは知らないまま、輿入れ初日にボロボロになって帰ってきた結婚相手・クライヴを救ったのを皮切りに、彼の実家エヴァンス邸、勤め先である王城、さらにお世話になっている賢者様が司る大神殿と、次々に起こる事件を『あ、それならありますよ!』とプチ庭園でしれっと解決していくユーフェミア。果たして嫁ぎ先で平穏を手に入れられるのか。そして根っから世話好きで、何くれとなく構ってくれるクライヴVS自立したい甘えベタの若奥様の勝負の行方は? *カクヨム様で先行掲載しております

もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?

冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。 オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。 だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。 その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・ 「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」 「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」

婚約破棄された令嬢が記憶を消され、それを望んだ王子は後悔することになりました

kieiku
恋愛
「では、記憶消去の魔法を執行します」 王子に婚約破棄された公爵令嬢は、王子妃教育の知識を消し去るため、10歳以降の記憶を奪われることになった。そして記憶を失い、退行した令嬢の言葉が王子を後悔に突き落とす。

クラス転移したけど、皆さん勘違いしてません?

青いウーパーと山椒魚
ファンタジー
加藤あいは高校2年生。 最近ネット小説にハマりまくっているごく普通の高校生である。 普通に過ごしていたら異世界転移に巻き込まれた? しかも弱いからと森に捨てられた。 いやちょっとまてよ? 皆さん勘違いしてません? これはあいの不思議な日常を書いた物語である。 本編完結しました! 相変わらず話ごちゃごちゃしていると思いますが、楽しんでいただけると嬉しいです! 1話は1000字くらいなのでササッと読めるはず…

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。
番外編を閲覧することが出来ません。
過去1ヶ月以内にレジーナの小説・漫画を1話以上レンタルしている と、レジーナのすべての番外編を読むことができます。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。