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第17話 まどう。

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 娘のところに行かなくなっても、静真がやるべきことは変わらなかった。
 治道に命じられた仕事を、淡々と片付けていく。ただ、呪詛の数が多いためにいつにもまして方々へ駆けていた。
 疲労が蓄積していくのを感じていたが、余計なことを考えないですむために静真は安堵していた。

「静真のあにさん、眠れていやすかい」

 情報提供を頼んでいた渋郎にそう問われて、静真は現実に引き戻される。
 自分が少しぼんやりしていたことに気づき、付けた面の裏で眉をひそめる。

「……お前には関係ないだろう」

 悪夢は見ずとも、眠りがひどく浅くなっているのは自覚していた。だがそれがなんだというのだ。冬が終わればまた元に戻るはずなのだから。
 頭を振った静真はもの言いたげな表情をする渋郎のもの言いたげなまなざしを無視した。
 あの日暮れから、そろそろ一月近く経っている。はじめこそうるさくわめいていた渋郎だったが、あきらめたように肩を落としていた。

「それよりも、次の情報は手に入っているか。いくつか足りない資材もある。調達してくれ」
「あにさん、おかしいとは思いやせんか。どうしてそこまで働くんです?」

 静真が次の算段を付けるために矢継ぎ早に問えば、渋郎が思い詰めた顔でこちらを見上げていた。だが静真にはその問いの意味ががわからない。

「何を言っている。里の繁栄のためだ。それ以外にあるはずがないだろう。邪魔な存在は排除しているだけだ。何が問題か」
「ですが数が多すぎやす。いくらあにさんでも持ちやせんよ。天狗たちが町を荒らしていくもんだから、妖たちの不満がたまっちまってて……特に佐徳さとく様でごぜえやしたか。見るに堪えねえ」
「……俺には関係ない」

 ぎょろりとした渋郎の目が不安げに揺れるのが不愉快で、静真は視界から外して歩き出した。むろん人界の町ではなく、多くの魑魅魍魎ちみもうりょうが居を構える異界いかいの一つだ。
 真昼に空を飛ぶのは目立つ。故に町中を抜けることもままあった。標的を追って入り込むこともそれなりに多いため見慣れてはいた。
 様々な姿をした妖が行き交っている。名のある妖名もなき魍魎、人の形をしていないもの、様々いるが、人も妖も生活が必要なのは変わらない。ここでは静真が注目されることはないためにわずかに息がしやすい場所でもあった。

 ふ、とすれ違った娘の髪がふんわりとなびいて、静真は驚いて振り返る。

 勢いが視界に入ったのか、その娘が振り返ったが、不思議そうに細められた目は顔に一つだけ。妖であった。
 よくよく見てみずとも、似ているのは髪型と背格好だけで、雰囲気は全く違う。
 娘は静真をみてほんのり顔を赤らめつつも、会釈をして去って行く。
 ここは妖の住む町だ。人界に住まう娘がここにいるわけがないのに、何を考えていたのか。
 胸の奥に燻るような感情が芽生えかけるのをすぐさま消していると、渋郎が小走りで追いついてきた。

「静真の旦那、そういや飯はまだなんじゃないですかい? 何かしら腹に入れませんか」
「いや……」

 渋郎の提案に静真はためらった。なぜならここ数日、食欲というものを感じていなかった。
 娘がいなければ食事は手早くとれるものになり、面倒で抜くことも増えていたが以前の形に戻っただけだ。
 つきあう必要はない。と断ろうとした静真はふと風に乗ってだしのにおいを感じた。
 娘の元で嗅いだうどんのつゆと似ている、と反射的に考えた静真はっと我に返る。
 ぐっと胸が詰まったような心地がするくせに、腹の寂しさを覚えたことに眉をしかめる。
 だが、一度気づいてしまうと無視できなくなり、静真はあきらめて応じた。

「軽いものであれば」
「そうこなくっちゃっ! こっちですぜ」

 渋郎に連れてこられたのはそば屋で、静真はわずかにほっとしながらもながらも席に着いた。選ぶのもおっくうだったため、渋郎と同じかけそばだ。
 だが醤油色に染まった油揚げがのせられており、一瞬静真の手は止まった。

「どうかしやしたかい」
「なんでもない。……いただきます」

 そうつぶやいてしまうことに胸がざわつく。
 不思議そうにする渋郎の視線を感じながらも、静真は油揚げを切り分けて口に含む。
 甘辛い醤油の味がするのだろうが、紙を食んでいるようだった。
 結局、油揚げはそれきり手を付けず、そばも半分ほど残して箸を置いた。
 きれいに完食する渋郎に代わり静真はお代を払い店を出たのだが、さらに渋郎が話しかけてきた。

「そういえば、お嬢さんがしょんぼりと落ち込んでらっしゃいましたよ。あにさんが来ないおかげで鍋がやりづらくなったと」

 今日は妙にまとわりついてくるなと静真は考えていたが、その言葉で渋郎の意図を知った。
 ぐつり、と体の奥が騒いだ気がしたが、返事はしなかった。

「あの、まだ人界での誘拐事件も収まっておりやせん。ですがそれよりも静真のあにさんを気にかけていますよ」
「あれが勝手に言っているだけだろう。本心だとも思えん」

 何せ己は天狗なのだから。そもそも住む世界が違い。時を共有するはずもない者だ。
 だから静真は皮肉に笑って見せたのだが、渋郎の震える声が響いた。

「本気で、言っておりやすかい」

 渋郎は怒りとも悲しみともとれる表情をしていた。
 なぜ、渋郎がそのような顔をするかわからなかった。これは静真の問題であるのに。

「ほかに何がある」
「ですがあにさんっ……!」

 渋郎が叫びかけたが、その前にすさんだ空気をまとった男たちに囲まれていた。
 獣面に鬼面、一つ目と不定形の者が一体。皆一様にすさんだ空気をまとっており、表情のわかりやすいものは卑しく、あざけるような顔で静真たちを見ていた。

「てめえか、片翼天狗ってのは。何でも人間の混ざり物だとか」
「天狗とついていてもつまはじきにされているってえ? 天狗にいいように扱われている卑しい糞鳶くそとびが」
「俺たち鼻高野郎を見るとむしゃくしゃするんだ」

 吐き捨てるように天狗の別称を言う男どもに、静真はまたかと息をつく気も起きず冷めたまなざしでいた。だが渋郎はおびえと憤りを混ぜて、静真にささやきかけてくる。

「静真の旦那、おそらく佐徳に恨みを持った輩でさあ。あの坊ちゃんお役目だとか言って近頃この街にも、人界にも繰り出しているようですからねえ。あれでも天狗ですから手が出せずに鬱憤がたまってるんで、しょ!?」
「うるせえ小鬼だなあ。邪魔だ」

 獣面の妖に頭をわしづかみにされた小鬼がそのまま投げられた。
 街路樹にたたきつけられてむせ込む小鬼を、やくざ者たちはけらけら笑った。

「おーよく吹っ飛んだな。糞鳶風情が従えている手下なんざこんなもんだろう。弱い者はただびいびい泣いて這いつくばって、なぐぅ!?」

 得意げに罵倒していた一つ目の男に、柄尻をめり込ませて沈黙させた静真は、燻るような怒りといらだちのまま、にいと笑ってみせる。

「そうだな、弱いやつほどよく鳴く」
「てめえやりやがったな!」

 およびごしながらもいきりたつ残り二人に、静真は唇をつりあげてみせた。

「ちょうどいい、遊んでやる」

 挑発してやれば、一斉に襲いかかってくる。
 なぜ己がここまでいらだっているのかわからないまま、静真は無造作に拳を振るった。
 だが手応えがなくたちまち三人は地にしずんでしまったため、胸に燻るいらだちは収まらない。
 街路樹にたたきつけ、獣面の男が意識を失ったところで興味を失った静真が服の乱れを直していれば、渋郎がよろよろと立ち上がっていた。その顔にはおびえとも戸惑いともつかない色を浮かべているような気がして、静真は顔を背けた。

「あ、あにさん……」
「しばらく近づくな、残りは一人でやる」

 己はどちらにもなれず、関われば誰かを巻き込むのなら。一人でいい。
 渋郎に何かを言われる前に、静真は翼を広げて飛び立った。
 煩わしい感情に惑わされるのはもううんざりなのだ。


 静真は離れてみて、どれだけ娘に己のペースを崩されていたかよくわかった。
 食事なんてまともに食べたことがなかった。ようやく離れられてせいせいしている。天狗である静真にとっては不必要な存在だ。
 だからすぐに記憶なぞ薄れる。そう考えていたはずなのに、一月近く経った今でも様々な場所に娘の影がよぎった。
 食事の時は挨拶が口をつく。ふとしたときに娘が話していた言葉を思い出す。
 手持ちぶさたになると、娘の元へ向かおうとする翼を止めるはめになる。
 そこまで固執する理由を、静真は考えない。
 考えてしまったら何かが終わってしまう。だから没頭できるものが欲しかった。
 あの里しか静真は戻る場所がない。

「お前が生かされている理由を肝に銘じておけ」

 治道に告げられる言葉が、体を絡め取っている。

 だが、そのような余計なことを考えていたからだろう。

 油断しているつもりはなかった。いつもと変わらぬ呪詛の後始末だ。ただ、想定していたより呪詛の規模が大きく、怨念が深かっただけだ。
 呪詛の反動をかぶった。呪詛返しは成功したが、抜け出したその一部が静真に襲いかかったのだ。
 かろうじて魂に食い込まないようにはしたものの、全身に穢れの汚泥に侵されており、安全圏に離脱したところで一歩も動けなくなくなった。
 いままでこういったことがないわけではなかった訳ではないが、今までで一番ひどい。
 だが、静真の神通力のほうが強いのだから、時間をかければ祓うことはできる。
 それでも頭には呪詛の言葉が不協和音のように反響しているのが不愉快だった。
 自分の中で何度も押し殺した悲鳴に似ている気がして。

 己は一人だ。誰の手助けもいらない。どうせ罵倒されるのなら、離れてゆくのならはじめからいらない。
 半端物で、混ざり物。どっちつかずの静真に居場所などない。どうして母と共に死ねなかったのか。
 このまま露と消えられれば、安らぎを得られるだろうかとぼんやりと考えた、時。
 静真はふわりと、暖かさに包まれた。

 陽だまりのような、泣き出しそうなほど優しくやわらかなこのぬくもりを、静真は知っていた。
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