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かつては自分のものだった
遠目にルージュを見るアルベルトはどうしてだか泣きそうな気持ちになった。
あの頃は何もかもが上手くいっていた。
どこにでもいる令嬢、ただ容姿が気に入っていただけの婚約者だった。けれどアルベルトはルージュが離れてからというものの、今更になって彼女の優しさや細やかな気遣い、どれほど彼女が周囲の人達に慕われていたのかを思い知った。
そして、そんなルージュがどれほど自分の支えになってくれていたのかも……。
だからルージュと婚約を解消してからのアルベルトはいまだに何もかもが上手くいかないままだった。
自分がメーデアに騙されたからだと、メーデアが本当は無能だったからだと決めつけていたがマルゴ子爵が秘書としてやって来てからアルベルトは無能だったのは自分だったということにも気づいてしまった。
それでもメーデアが憎たらしかった。
彼女を恐ろしくも感じていた。
自分の子を産んだ彼女を切り捨てる訳にもいかず、こんな場所でもできる限りの贅沢をしようとする彼女に疲弊していた。
自分の不甲斐なさのせいで足を運ばせたとはいえ、ルージュを遠目に見ることで心を落ち着かせる事ができた。
「ルージュ……」
凛とした目元なのに微笑むと優げで、いつも憂鬱そうだった表情は今は活き活きとしている。
テンタシオンのおかげだと思うと叫び声をあげたいほど嫌であったが、彼女はもう自分の婚約者ではない。
ルージュに愛されているから何をしても許される。
そう思っていた。
(そんな筈はないのにな)
自分たちとは少し離れた来賓席に座るテンタシオンとルージュを眺めていると、ふと子爵夫人が連れてきた神官と目が合う。
ヘルゲンは美しい容姿を鼻にかける風でもなく、なんと表現すればいいのだろうか、彼はとても無機質に感じる。
美しく口角が上がり、目元が細まる。
微笑んだのではなく文字通り口角を上げただけだ。
感情を全く感じない計算され作り上げられた表情にぞわりと背中に妙な感覚がした。
何故アルベルトのことを見ていたのだろうか?
彼とはどこかで会ったことがあっただろうか?
何となくアルベルトの頭の中で彼は危険だと警笛が鳴った。
「アル?ずっと会いに来てくれないから困るわ」
「……メーデアか」
「なに?他に誰か期待でもしたの?」
皮肉な笑みを浮かべてアルベルトに耳打ちするメーデアにはもう、可愛げやしなやかさなど一片も無い。
やけに着飾った不釣り合いなドレスからはだけた肩と、濃いメイクが乗せられた唇をアルベルトに寄せて「ルージュとか?」と囁く。
こんな人間のどこがルージュよりも優れているように見えたのか、今となっては自分の見る目の無さに落胆するばかりだ。
遠目からでも分かる。
短時間で取り巻く人間達を虜にする魅力。
テンタシオン・ウィクトルという彼そのものがどの宝石よりも有能で魅力的だ。女性達だけでなく様々な人達から必要とされるそんな彼ですらあんなに近くにいてもまだルージュを渇望しているように見えた。
(かつては、俺の婚約者だったのに遠いな)
「ねぇ、聞いてるの!?」
(せめてこれ以上過ちを繰り返してはいけない)
メーデアの耳障りな声に思わず顔を顰めながら形だけの領主の席へ座る。
「アルってば……!」
「もういいんだ。君も席に着け」
「なによ、しおらしくなっちゃって」
(この男は今回は使えないわね)
とは考えつつも、アルベルトには子供の父親でいて貰わないといけない。
メーデアは彼が下手に動がない方が都合がいいと判断して黙って後に続いた。
関係性を考慮してか、メーデア達と大公夫妻との挨拶は遠目からの起立で行われたことが不服だったが、ヘルゲンのようないい男を引き連れて歩くイリアが緊張の所為か扇子を落としたり躓いたりしながら挨拶をして歩くのがメーデアにとっては愉快だった。
「ふふっ」
(いつでも見下げる者がいるのは気持ちがいいものね)
大公夫妻の前で躓いたイリアを華奢な腕で支えたのはルージュだった。イリアは口先でこそ感謝を述べたが表情は何とも言えないものだった。目線はずっとテンタシオンを捉えていた。
(わかりやすい子ね)
相変わらず何も目に映さないようなヘルゲンの微笑みのポーカーフェイスを見てから、テンタシオンの凍えそうな瞳を見てメーデアは二人よりは劣るがアルベルト程度の方が夫としては扱い易いなと場違いなことを思案した。
メーデアは近頃はずっとそうだった。
どんな愉快なことよりも、我が子にとっての小さな幸せや平和がなによりも大切ですぐにそちらに思考を持っていかれてしまう。
一瞬、ヘルゲンが柔らかく微笑んだ。
「は?」
身体を重ねたメーデアにも見せたことのない表情だった。
隣に顔を向けて驚いた表情で硬直したイリアにとってもそうだったのだろう。
その視線はルージュに向けられていた。
当の本人はそんなこともつゆ知らず形式的な笑顔と姿勢で挨拶を返しただけだったが、テンタシオンの笑顔は氷のように冷たかった。
アルベルトはまだ感傷にひたっているのか何も気付いている様子はない。
メーデアは思いきり上がる口角を隠す為に扇子を開いた。
(これは使えるわヘルゲン!なんて素晴らしい偶然なの!)
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