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姿を見せない婚約者
しおりを挟む十日目でやっとルージュが来ていないことに気付いたアルベルトに執事長のセントリックは眉を下げた。
子供の頃から仕えているが、アルベルトは昔から傲慢だったわけじゃない。
由緒正しく富豪でもあるルージュの実家は伯爵家だが多くの家門から一目を置かれる名家だ。
この侯爵家もまた由緒正しく、さして大きな問題を抱えている訳ではないので令嬢達からすれば所謂優良物件。
社交界では有名なお似合いの小さな恋人だった。
十歳の頃に幼馴染であるルージュへの恋心を自覚してから、二年もかけて成就させたあの頃の純粋なアルベルトが懐かしいとセントリックは執務室で淫らな情事に耽る彼にため息をつく。
乳母の遠縁だという理由で侯爵家で秘書になったメーデアが来てからはずっとこの調子で、元々女性に目がない所はあったもののルージュを粗末に扱い始めたのは彼女の影響だった。
責任を感じる乳母やセントリックをルージュは最後まで励ましたがそんな事を知らない若い使用人達は寵愛を受けるメーデアに影響されルージュを侮り始めたのだ。
「で、ルージュを最近見たか?」
「いえ。暫くお越しになっておりません」
アルベルトは少し考える仕草をした後に「気を引きたいだけだろう」と鼻で笑ってメーデアの尻を撫でた。
「やん、アルベルト様ったら。今日はもうお仕事に集中なさって下さい」
「セントリック、一応ルージュに花でも贈っておいてくれ」
そろそろ離縁状が受理される頃だろう。
幼い頃から仕えるアルベルトには心が痛むが、この調子なら別に深く傷つく事もないのかもしれないと、ルージュの為にも両家の為にもこれで良かったのだと主人を騙して痛む胸の痛みを振り切った。
「必要ないと思います」
「ん……?セントリック、珍しいな」
他の使用人達がどれほどルージュを馬鹿にしてもセントリックはいつもそれを諌めていた。
侍女やメイド数人と、乳母、そしてセントリックだけはいつも彼女の肩を持ったと言うのに……
そう違和感を感じたものの遮ったのはメーデアの少し嬉しそうな声だった。
「まぁ、セントリックさんもやっと分かってくれたのね」
「と、いいますと?」
「皆わざとルージュ様を悪く言うんじゃないんです。あまりにもルージュ様ったら……」
「メーデアいい。ルージュが温室育ちで無能なのは俺も分かっている」
「セントリックにも愛想をつかされたか」と額に手を当てるアルベルトにメーデアがニタリと笑ったのをセントリックは見逃さない。
愛想を尽かされたのはこちらの方で「必要ない」というのはもうそんな事をしてもルージュは戻ってこないだろうという意味だと言うのに、セントリックは呆れて説明をする気力すら失ってしまった。
正式に受理され、ルージュに新たな婚約者でも決まればおのずと書面によって知ることになるだろう。
「あまり大きな騒ぎにせず、静かに去りたいの」
そう疲れ果てたように言ったルージュを思い出してセントリックは口を閉ざした。
「ところで、ランチはどうなさいますか?」
「あぁ、今日は君が買ってきてくれ」
「今日も、ですよ。アルベルト様」
不服そうなメーデアにアルベルトは眉尻を下げて困ったように再度「頼むよ」と言う。
「クリンジア侯爵家がどうも今回の取引を急に渋ってな」
「まぁ、大変なのですね?」
「しばらく忙しくなりそうなんだ」
それならばとランチを買いに出かけたメーデアを眺めながら、セントリックはアルベルトに心中で「それもそうだ」と言いたくなった。
社交パーティーや行事ごと、ボランティア活動などでルージュが侯爵家の事業に貢献したのはどれほど多いだろうか?
富豪な実家だけでなく、事業家としても才能を見せるルージュの後ろ盾がどれほどの取引の力添えになっていただろうか?
彼女という人柄がどれほど多くの人達を集めているのか、親しみやすいからこそ忘れがちであるが彼女の美貌がどれほどの男達の心を動かすのか、それをアルベルトは当たり前に享受し自分一人の手柄だと思っていたのだから。
「それでは私は失礼いたまします」
「忙しいのにすまないなセントリック」
セントリックは長年仕えるこの邸とアルベルトにこんなにも不安を覚えるのは初めてだと思った。
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