聖女候補の姫君は初恋の騎士に純潔を奪われたい

新月蕾

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第43話 家族

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 ヘルマンの先導で馬車はヘッドリー領を進む。
 ヘッドリー領、ランドルフの故郷の様子をベアトリクスは目に焼き付ける。

「何もないところでしょう」

 ベアトリクスの視線に照れたようにランドルフがそう言った。

「そうね、何もなくてひたすら山々が広がっていて……そして、空気が美味しい」

 ヘッドリー領は高山のただ中にある寒冷地である。
 空気は澄み切っている。少し冷えすぎるくらいであった。
 複数ある山を越えれば、隣国になる。

「あちらの方角がパルウェアですね」

 パルウェア、ローレンス国王が王妃を娶る国。

「あの人がいっぱいいるのは畑? ずいぶんと広いのね」
「そうですね、ここら辺の畑は冬は使い物になりませんから、ひたすら使える土地は畑に均してきました。ヘッドリーの城も縦に長いし、城の庭にも畑があるんですよ」
「ああ、そういえば不作の年もあったとローレンスお兄様に言っていたわね……」

 ベアトリクスはあの大騒乱の夜を思い出す。

「うふふ、あの時のランドルフ……かっこよかったわ」
「ひ、姫様……」

 ランドルフは照れる。外にいる兄や旧知に聞かれればからかわれること間違いない。

「……かっこいいわ、ランドルフは」

 しみじみとベアトリクスはそうつぶやいた。
 ランドルフは顔を真っ赤にして、口の中でむにゃむにゃと何かをつぶやいていたが、結局言葉にならなかった。

 二人がそうしているうちに、ヘッドリー城が見えてきた。

「……あれです、あれが我が家です」

 武骨で細く長い塔を、ベアトリクスは視界に収めた。
 あれがランドルフの生まれ育った場所だと思うと、飾り気のないその塔もどこかきらめいて見えた。



 ヘッドリー城の玄関では多くの人間が出迎えのために整列していた。
 ふたり、顔の似た男が並んでいる。
 年齢などからしてランドルフの兄と父だろう。

「ようこそ、おいでくださいました。ベアトリクス姫殿下。ヘッドリー伯です。愚息がたいへんお世話になっております」

 ランドルフの父は生真面目な表情をしていて、にこりともしなかったが、その顔には王族への敬意があった。
 傍らに控えるご婦人がシワのある顔で柔和に微笑んだ。
 おそらくランドルフの母、ヘッドリー伯爵夫人だろう。

「ベアトリクスにございます。ヘッドリー辺境伯、こたびはお世話になります」
「外で立ち話も何ですから、まずはお入りください」

 ヘッドリー辺境伯に導かれ、ベアトリクスはヘッドリー城に入った。
 石造りの建物は、中もやはり武骨であった。
 正面に麗しい女性の肖像画が飾られていて、それだけが彩りになっている。
 そう古いものでもなく、何よりベアトリクスはその女性に見覚えがあった。

「……あれは」
「ローレンス国王陛下の母君です。この城に滞在されたときのお姿を残しております」
「……お懐かしい」

 複雑な顔でベアトリクスは今は亡き王太后の顔を見上げた。
 正直なところ、彼女にあまり良い思い出はない。
 ローレンスの母はベアトリクス達一家に敵対的だった。心ないことを言われたりもした。
 自分たちはローレンスの王位を脅かすものとみなされていたのだと今ならわかる。

 しばらくベアトリクスが王太后の姿を見るのを、ヘッドリー家一同は見守っていた。


 応接間に通された。
 花瓶に花が生けてあるもののやはり、どこか物寂しい。
 ヘッドリー家はベアトリクスのためにわざわざ城を飾り立てていないのだと、ベアトリクスは気付いた。
 これまでの貴族の家は、ベアトリクス歓迎のために花やら何やら用立てていたのだろう。
 それをヘッドリー家はしない。
 それはベアトリクスを軽んじているのとは違う。
 厳しい状況で生きる辺境の地ならではのあり方なのだろうと、ベアトリクスは気を悪くすることはしなかった。

「……サイネリアですね」

 ベアトリクスは花瓶の花にそうつぶやいた。

「家内が生けたものです」

 そう言ってヘッドリー辺境伯はヘッドリー夫人を紹介した。

「お気に召していただけたら、幸いです」

 ヘッドリー夫人は人懐こい顔で笑った。
 たまにランドルフがこういう顔をする。
 どうやら愛想は母から受け継いだようだ。

「そしてこちらが跡継ぎのユージン、ランドルフの長兄です」

 ユージンは父に似た生真面目な顔で頭を下げた。

「はじめまして、ユージン殿」
「はじめまして、姫殿下、愚弟を引き立てていただき、誠にありがとうございます」

 ユージンはそういうとランドルフの方を見た。
 ランドルフはどこか緊張した面持ちでその視線を受け止める。
 まるで査定でもされているようだと、ベアトリクスは少しおかしく思う。

 ユージンの横ではすでに自己紹介を終えたヘルマンがくつろいだ様子でソファに掛けている。
 その軽さは長兄や父にはないものである。

「懐かしいですね、サイネリア」

 ランドルフがどこか嬉しそうにそう言った。

「ベアトリクス様は自分を歓迎するためにわざわざサイネリアを生けてくださったのですよ」

 ランドルフが家族にそう自慢する。
 ヘッドリー夫人とヘルマンがどこか微笑ましそうな顔になった。

「あらまあ、ランドルフ、こちらにいた頃は花の名前なんて微塵も気に掛けてなかったのに」

 ヘッドリー夫人の苦笑に、ランドルフは頭をかいた。

「……本当に、ベアトリクス姫殿下によくしていただいているのね」

 しみじみとヘッドリー夫人はそう言った。

 応接間の中にどこか緊張が走る。

 ランドルフがベアトリクスの恋人か何かであることは、すでにヘッドリー家にも伝わっているはずである。
 それを一体彼らがどう思っているのか、ベアトリクスは気になっていた。

 たとえベアトリクスのことが気に入らなくとも、姫君に面と向かってそのようなことを言えるものはおるまい。
 かと言ってベアトリクスの方からあれこれ聞くのも行儀が悪い。

 さて、誰がどう切り出したものかとお互い探り合う雰囲気が流れる。

「……あ、あの!」

 口火を切ったのは、ランドルフだった。

「……ひ、姫様」
「はい」
「……自分と結婚していただけますか」
「え?」

 突然の求婚に、ベアトリクスはヘッドリー一家の前であることも忘れて目を丸くした。
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