魔女の巣から

栢野すばる

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兄のヤキモチ

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「チカ! ゲームゲーム、ゲーム貸して 」
「ちゃんと座ってやれよ」
 俺は、家に上がり込んでくるなり、床に転がった弟の高明に言った。
「お前な、人んち来てそんなふうに寝っ転がったりするなよ。まさか他所の家でもそんな態度なの」
 まあ、女の子の家に上がり込んでセックスして朝になる前に帰ってくる俺が言えた義理じゃないけど。
 いや、もうそういうのも止めたんだった。
 今の俺は清いサラリーマンだ。これからは仕事に人生を捧げる。
 不倫しなきゃ生きていけなかった母や、外に異母妹まで作ってくれちゃった父とは別の生き物になるのだ。
 禁欲お兄さんになったんだよ! 分かったか!
「チカはゲームやらないの」
「やらねえよ。仕事あるんだから」
 そう言って俺は、持ち帰ってきた仕事の書類を出した。
 弟は、俺が総ちゃんに借りている、洋風の家が気に入ったらしい。本家とは随分違った佇まいだからかな。
「ブラックドラゴン倒すまでやめないぞ〜」
 弟は、熱心にコントローラーを動かしながら独り言を言っている。
 今日も弟は泊まっていくんだろうなと思い、ため息が出た。だってさ、弟はアホな上に俺と同じくらいボンボン育ちなので、なーんにもできないのだ。俺が飯食わせて、風呂に入れってどやしつけて、夜はベッドに押し込んで……。
  イチイチこいつの面倒見るの、大変なんだよな……。
 でもお祖父様には、母親が出て行って寂しがっている高明の相手をしてやれ、ちゃんと面倒を見てやれっていわれてるからな……。
「なんかお菓子頂戴」
「また太るぞ」
 せっかく痩せたのに、最近再び顔が丸くなってきた高明に言って、俺はパソコンの電源を立ち上げる。
 今日中にフランスにメールせねば。
 何で俺は毎日日付が変わるまで働いて、土曜日も働いているんだろうか。
 認めたくはないが仕事が遅いのだろうか。
 いや、遅いのだろう。サラリーマンなんて初めてやるからなぁ。
 俺はキーを叩きながら、ゲームに熱中している弟に尋ねた。
「高明、ピアノの練習は家でちゃんとしてきたか?」
「わぁ、お兄サマったら、声も口調もお父さんそっくり」
 げっ。
 それを言うな。
「朝から夕方までずっとしてたよ」
「ならいいんだけど」
「明日も家帰ったらすぐ練習する」
 高明がテレビの画面に釘付けになりながら言った。
 横顔が俺そっくりでため息が出る。ああ、俺らはあの人達の息子なんだなぁって思う。
「あ!」
 弟がテレビを見ながら器用に手を伸ばし、スマホを手にとった。
「はい、もしもし、あ、ヨーコちゃん?」
 ……え?
 あのアホな弟に、女からの電話……だと……。
「うん、うん、そう、お兄ちゃんの家! ヨーコちゃんもおいでよ。大丈夫大丈夫。俺のお兄ちゃんざっくばらんな人だから。うん、うん、じゃあ、あしたね! 楽しみにしてる。じゃーね」
 お前、勝手に俺の家に女招待してんじゃねーよ……!
 内心ツッコミを入れつつ、俺は弟に尋ねた。
「誰?」
「彼女だけど?」
 どすっ……と、槍のようなものが俺の胸に突き刺さる。
 彼女、だと?
 お兄ちゃんにもそんなものいないのに?!
「お前な! ガキのくせに何やってんだよ! 女なんか作ってないで、まずちゃんと自分のことをしっかりやれ!」
 うん。自分に突き刺さるセリフだ。
 これこそおまえが言うなってやつだよね。
 やっぱオヤジからの遺伝だよねこれ。
「なんだよチカ。ヤキモチか」
 図星を突かれ、俺の頭にカッと血が上る。
 きぃーーーー!
 弟にだけは言われたくなかったぁぁぁぁぁぁ!
 いや、ちょっと待てよ。
 もしかしてコイツアホだから、女に騙されてるんじゃね? 
 そ、そうだよ、きっと騙されてるんだ。これはあれだな、保護者に報告ってやつだよな。
「お祖父様とかオヤジは知ってんのかよ、そのヨーコちゃんとやらのことは」
「うん、お父さんも知ってるよ。ヨーコちゃんのこと、美人でいい子だってお父さん褒めてたもん。お祖父様もヨーコちゃんのピアノ聴いて、いい弾き手だって絶賛してた」
「はぁ?」
 し、し、しかも才能があって美人なのかよ。
 え、待って、お兄ちゃん納得行かないんだけど。心が全然ついていかない。セフレしか作れないお兄ちゃんにはまるで納得のできない話なんだけど。
「ヨーコちゃんはピアノ科の特待生で俺の先輩なんだよねー。すっごいピアノ上手なんだよねー。チカにも紹介してあげよう」
「うるせえな! 紹介なんかしてくれなくていいよ!」
 俺は何故マジギレし始めてるんだろう。
 兄の威厳を保たねばならぬ場面なのに。
 イライラしながら俺はキーを叩く。なぜ、こんなボケーっとしたお子様に美人で優秀な彼女が? 俺は? 俺はセフレ全員と合意のうちにお別れして、今は毎日労働しかしてないのに。
「次はレッドドラゴンを倒すぞ〜」
 弟が頭のゆるそうな口調でつぶやき、再びテレビにかぶりつきになる。
 なんなんだよ。
 ちょっと待って。
 俺の人生なんなの?
 ねえ神様、俺の人生に春がくるのはいつなの……? 何で弟の順番が先なの?
 俺の人生は生まれてすぐノイローゼの母に虐待されて、その後放置されて、海外留学して、オカマになって、毎日毎日泣くほどダイエットしながら女装モデルやって、魔王のペットになって、大量の血吐いて、オヤジと絶縁して、夜中まで働いて今に至るんだが……。
 弟? 弟は『この子を産んだらノイローゼがなおった。初めて子供を可愛いと思えた』とか言い出した母に溺愛され、澤菱家の末っ子として誰からも可愛い可愛いと愛玩され、海外留学も行かされずに日本で友達と楽しく過ごし、ゆるふわに生きて今に至るわけだ。
 おかしいだろこれ! どう考えても俺の人生貧乏くじ引きまくりだろうが!
「明日ヨーコちゃん連れて来ていい?」
「は?」
「結婚するから」
「は?」
「俺、ヨーコちゃんと学校出たら結婚するから、お兄様にも紹介したいんだよね〜」
「……ダメ」
 弟がコントローラーのボタンをピッと押し、口をとがらせて俺を振り返る。
「何でだよぉ」
「お前が結婚なんかできるわけ無いだろ」
 はい。
 これはいちゃもんの一種です。
 僕は心の狭い男です……。
「できるよ。卒業してすぐに子供作らないで、しばらく一緒に働くならいいってお父さん言ってたもん。だから俺頑張って、在学中に国際コンクールで優勝する。そんでヨーコちゃんと一緒にピアノ弾く夫婦になる」
 あ、あの恋愛脳スイーツ親父!
 結婚なんか止めさせろよ!
 こんなアホに結婚なんかできるわけ無いじゃん! あああああ畜生俺ムカついてるわ! 愛想笑いすらできねえもん!
「あ!」
 弟が無邪気な笑顔でポンと手を叩いた。
「やっぱりチカ、俺に妬いてるんだ〜、あはは」
 
 泣いてない。泣いてないからな、お兄様は……!
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