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第二章
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とうとう土曜日がきた。父と母にチカを引き合わせる初めての日だ。
「楽しみにしてたんだ、りっちゃんのお父さんとお母さんに会うの」
チカは、利都の傍らで嬉しそうな笑顔を浮かべている。
電車の空いたポジションにたち、チカは吊革に、利都は手すりに捕まって立っている。
ダイエットをしたいので座らないで行く、と言ったのは利都なのだが、十分程度で早くも疲れてしまった。
一方、普段よく体を動かしているチカは、疲れの陰も見せず元気いっぱいだ。それに……車内の人々の視線を一身に集めている。
白いシャツにサンドベージュのパンツ姿は、組み合わせとしては非常に無難で平凡なのに、チカが一度身にまとえば、息をのむほどスタイリッシュだ。まさに光を集めたような姿に、彼を見慣れたはずの利都ですら不覚にもどきどきしてしまう。
「あ、あの……うちのお父さん本当に変わってるから、チカさんに変なことをいったらごめんね?」
内心冷や汗だらだらで、利都は言った。
今朝母から来たメールには『お父さんは部屋から出てきませんねぇ。そのぶんお母さんが歓迎するから、気にしなくていいわよ』と、どう考えても大丈夫ではないことが書いてあった。
父は、案の定最悪な感じですねまくっているようだ。
「へーきだって。俺、嫌味とか当てこすりとかなれてるし。むしろそれが主食みたいな人生送ってきたし」
チカが、初夏の日差しに緑に透ける美しい目を細める。
「あの、本当に気にしないで。お父さん、変わってるから……」
さっきから、何回も同じ言葉を繰り返している。何のフォローにもなっていないのは自分でもわかる。
チカには一応、父がものすごくすねてしまって部屋から出てこないかも……とは念を押してある。どんな時もいやな顔を見せない彼は、気にしないと何回も言ってくれた。だけど不安だ。さっきから不安しかない。
「りっちゃんのご実家、俺んちから電車で三十分くらいなんだね。すぐ帰れていいね」
チカはさっきから前向きなことをいっぱい言ってくれる。
利都は、精一杯の笑顔を浮かべてうなずいた。
——ああ、お願いお父さん。チカさんを怒鳴ったり無視したりしないでね……
「そうなの、三十分で着いちゃうの……」
どよんとした声で利都は答えた。
「りっちゃん、そんなに暗くならないで。俺、たぶん、俺のかわいい娘に手を出しやがって!って、お父さんに吹っ飛ばされても平気だから、ね?」
「ダメ、うちのお父さんは本当にゴリラなの……チカさんが折れちゃう……」
「りっちゃんてば、元気出して」
何を話していても心配で落ち着かなく、暗い気分になってしまう。
自分の彼氏を親に紹介するだけでもそわそわするのに、どうして親が大暴れする予定があらかじめ立っているのだろう。泣きたい。
利都の視界に、ぺたんこの靴が映る。
服装は、茂姐さんに「ダサい野良猫」といわれたテイストのままだ。同じ量販店で同じように買った服なのに、チカと自分では何が違うのだろう。
利都は、チカをじっと見上げた。
「どうしたの?」
「チカさんは、何でそんなに千九百円のシャツがびしっと決まるのかなって……」
「二千九百円だよ、ふふっ」
チカが非の打ち所のない美しい顔をほころばせた。
そんなのは、大した差ではない。平凡な服を着てもきらきら王子様でいられる彼と、自分の差はどこにあるのか知りたいだけなのだが。
「さっきからご機嫌悪いねえ。ホント心配しなくていいのに……おとーさんが俺のこと嫌いなんて、当たり前じゃない?」
チカがそういって、じゃれるように利都にぐいと肩を押しつけた。
「べ、別に機嫌悪くないもん……」
「綺麗な顔が台無しだよ、そんな悲壮な顔してたら」
「き、綺麗じゃありません」
さっきから王子様オーラ出しまくり、目立ちまくりのチカに言われたくない。そう思ってかすかに唇をとがらせた利都に、チカが笑顔のまま言う。
「りっちゃんはもっと自己評価を高めよう? せっかく超かわいいんだから、ね?」
利都は無言で首を振る。
本当に気分が晴れない。どうか父がひどいことをしませんように、と祈っているうちに、電車は実家の最寄り駅に着いてしまった。
「りっちゃん、処刑台に上がるみたいな顔してる……」
「だって……」
利都は実家の駅からの近さを恨めしく思いながら、「今井」と書かれた表札を見上げる。新卒の頃まで暮らした懐かしの場所だが、今は中から得体の知れないオーラがにじみ出ているような気さえする。
「へー、ここがりっちゃんのお家かぁ。おじゃまします」
何のためらいもなく、チカが笑顔でインターフォンのボタンを押した。
「あ! まっ……」
インターフォン越しの返事すらないまま、勢いよく玄関のドアが開く。
「いらっしゃーーーい!」
家の中から弾丸のように飛び出してきた小柄な人物は、母だった。
「いらっしゃい! まぁぁぁ! 実物のほうが写真よりイケメン!」
利都に生き写しの外見をした母が、チカを見上げるなり目をきらきらさせて叫ぶ。
「イケメン! すっごい! イケメぇぇぇン! ねえりっちゃん、ママと彼氏君の写真、その携帯で撮って!」
いらっしゃいませの言葉もなく、母がいそいそとチカの隣に並んでピースをする。目を丸くしていたチカが、くすっと笑って母の肩を抱き、同じようにピースをしてくれた。
「お、おかあさんっ! 何して……」
「早くぅ!」
ポーズを決めている母にせがまれ、利都はあわててスマートフォンのフレームに二人の姿を納めた。いつもこんなペースなのだ。やりたい放題な母に、一人娘は流されっぱなしなのである。
「りっちゃん、写真見せて!」
自由人の母が、利都の手からスマートフォンをひったくり、目を輝かせてのぞき込む。
「ねえこれフラダンスの友達に見せていい? ママ、最近フラダンス習いに行ってて……」
好き勝手なことをしゃべり始めた母を、利都はあわてて遮った。
「ねえっ、チカさんがびっくりしてるよ、やめて!」
利都は母を制しながら、横目でチカを振り返った。
チカは笑いをこらえて小刻みに震えている。
「りっちゃんのお母さん、りっちゃんに顔そっくり……」
「う、うん、そうなの、私お母さん似なの、似てるでしょ。って、お母さん! 私の電話返して!」
「ねえ、ママは彼氏君のことなんて呼べばいい? 寛親君?」
利都は興奮状態の母からスマートフォンを取り上げ、精一杯の大声で母の言葉を遮った。
「お母さんてばっ、お客さんなんだから家にお通しして!」
「あ、そうね。ごめんごめん」
母がようやく我に返ったように言い、今更ながらに奥様然とした笑顔を浮かべて、お上品に小首を傾げた。
「いらっしゃいませ。いつも娘がお世話になっています。何もないところだけど上がってくださいね」
チカが我慢できないと言うようにひとしきり笑った後、見とれてしまうような笑顔を浮かべる。
「ありがとうございます。おじゃまさせていただきます」
「楽しみにしてたんだ、りっちゃんのお父さんとお母さんに会うの」
チカは、利都の傍らで嬉しそうな笑顔を浮かべている。
電車の空いたポジションにたち、チカは吊革に、利都は手すりに捕まって立っている。
ダイエットをしたいので座らないで行く、と言ったのは利都なのだが、十分程度で早くも疲れてしまった。
一方、普段よく体を動かしているチカは、疲れの陰も見せず元気いっぱいだ。それに……車内の人々の視線を一身に集めている。
白いシャツにサンドベージュのパンツ姿は、組み合わせとしては非常に無難で平凡なのに、チカが一度身にまとえば、息をのむほどスタイリッシュだ。まさに光を集めたような姿に、彼を見慣れたはずの利都ですら不覚にもどきどきしてしまう。
「あ、あの……うちのお父さん本当に変わってるから、チカさんに変なことをいったらごめんね?」
内心冷や汗だらだらで、利都は言った。
今朝母から来たメールには『お父さんは部屋から出てきませんねぇ。そのぶんお母さんが歓迎するから、気にしなくていいわよ』と、どう考えても大丈夫ではないことが書いてあった。
父は、案の定最悪な感じですねまくっているようだ。
「へーきだって。俺、嫌味とか当てこすりとかなれてるし。むしろそれが主食みたいな人生送ってきたし」
チカが、初夏の日差しに緑に透ける美しい目を細める。
「あの、本当に気にしないで。お父さん、変わってるから……」
さっきから、何回も同じ言葉を繰り返している。何のフォローにもなっていないのは自分でもわかる。
チカには一応、父がものすごくすねてしまって部屋から出てこないかも……とは念を押してある。どんな時もいやな顔を見せない彼は、気にしないと何回も言ってくれた。だけど不安だ。さっきから不安しかない。
「りっちゃんのご実家、俺んちから電車で三十分くらいなんだね。すぐ帰れていいね」
チカはさっきから前向きなことをいっぱい言ってくれる。
利都は、精一杯の笑顔を浮かべてうなずいた。
——ああ、お願いお父さん。チカさんを怒鳴ったり無視したりしないでね……
「そうなの、三十分で着いちゃうの……」
どよんとした声で利都は答えた。
「りっちゃん、そんなに暗くならないで。俺、たぶん、俺のかわいい娘に手を出しやがって!って、お父さんに吹っ飛ばされても平気だから、ね?」
「ダメ、うちのお父さんは本当にゴリラなの……チカさんが折れちゃう……」
「りっちゃんてば、元気出して」
何を話していても心配で落ち着かなく、暗い気分になってしまう。
自分の彼氏を親に紹介するだけでもそわそわするのに、どうして親が大暴れする予定があらかじめ立っているのだろう。泣きたい。
利都の視界に、ぺたんこの靴が映る。
服装は、茂姐さんに「ダサい野良猫」といわれたテイストのままだ。同じ量販店で同じように買った服なのに、チカと自分では何が違うのだろう。
利都は、チカをじっと見上げた。
「どうしたの?」
「チカさんは、何でそんなに千九百円のシャツがびしっと決まるのかなって……」
「二千九百円だよ、ふふっ」
チカが非の打ち所のない美しい顔をほころばせた。
そんなのは、大した差ではない。平凡な服を着てもきらきら王子様でいられる彼と、自分の差はどこにあるのか知りたいだけなのだが。
「さっきからご機嫌悪いねえ。ホント心配しなくていいのに……おとーさんが俺のこと嫌いなんて、当たり前じゃない?」
チカがそういって、じゃれるように利都にぐいと肩を押しつけた。
「べ、別に機嫌悪くないもん……」
「綺麗な顔が台無しだよ、そんな悲壮な顔してたら」
「き、綺麗じゃありません」
さっきから王子様オーラ出しまくり、目立ちまくりのチカに言われたくない。そう思ってかすかに唇をとがらせた利都に、チカが笑顔のまま言う。
「りっちゃんはもっと自己評価を高めよう? せっかく超かわいいんだから、ね?」
利都は無言で首を振る。
本当に気分が晴れない。どうか父がひどいことをしませんように、と祈っているうちに、電車は実家の最寄り駅に着いてしまった。
「りっちゃん、処刑台に上がるみたいな顔してる……」
「だって……」
利都は実家の駅からの近さを恨めしく思いながら、「今井」と書かれた表札を見上げる。新卒の頃まで暮らした懐かしの場所だが、今は中から得体の知れないオーラがにじみ出ているような気さえする。
「へー、ここがりっちゃんのお家かぁ。おじゃまします」
何のためらいもなく、チカが笑顔でインターフォンのボタンを押した。
「あ! まっ……」
インターフォン越しの返事すらないまま、勢いよく玄関のドアが開く。
「いらっしゃーーーい!」
家の中から弾丸のように飛び出してきた小柄な人物は、母だった。
「いらっしゃい! まぁぁぁ! 実物のほうが写真よりイケメン!」
利都に生き写しの外見をした母が、チカを見上げるなり目をきらきらさせて叫ぶ。
「イケメン! すっごい! イケメぇぇぇン! ねえりっちゃん、ママと彼氏君の写真、その携帯で撮って!」
いらっしゃいませの言葉もなく、母がいそいそとチカの隣に並んでピースをする。目を丸くしていたチカが、くすっと笑って母の肩を抱き、同じようにピースをしてくれた。
「お、おかあさんっ! 何して……」
「早くぅ!」
ポーズを決めている母にせがまれ、利都はあわててスマートフォンのフレームに二人の姿を納めた。いつもこんなペースなのだ。やりたい放題な母に、一人娘は流されっぱなしなのである。
「りっちゃん、写真見せて!」
自由人の母が、利都の手からスマートフォンをひったくり、目を輝かせてのぞき込む。
「ねえこれフラダンスの友達に見せていい? ママ、最近フラダンス習いに行ってて……」
好き勝手なことをしゃべり始めた母を、利都はあわてて遮った。
「ねえっ、チカさんがびっくりしてるよ、やめて!」
利都は母を制しながら、横目でチカを振り返った。
チカは笑いをこらえて小刻みに震えている。
「りっちゃんのお母さん、りっちゃんに顔そっくり……」
「う、うん、そうなの、私お母さん似なの、似てるでしょ。って、お母さん! 私の電話返して!」
「ねえ、ママは彼氏君のことなんて呼べばいい? 寛親君?」
利都は興奮状態の母からスマートフォンを取り上げ、精一杯の大声で母の言葉を遮った。
「お母さんてばっ、お客さんなんだから家にお通しして!」
「あ、そうね。ごめんごめん」
母がようやく我に返ったように言い、今更ながらに奥様然とした笑顔を浮かべて、お上品に小首を傾げた。
「いらっしゃいませ。いつも娘がお世話になっています。何もないところだけど上がってくださいね」
チカが我慢できないと言うようにひとしきり笑った後、見とれてしまうような笑顔を浮かべる。
「ありがとうございます。おじゃまさせていただきます」
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