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第一章
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その後、迫力満点のチカの祖父と何を話したかの記憶もないまま、利都は彼の部屋を後にした。
「りっちゃーん、緊張しちゃった?」
「う、うん、すこし……チカさんのお爺様、面白い方ね」
「最近はね。昔、俺が小さい頃はニコリともしないで働きづめだったけど、ここ一、二年はあんな感じで丸くなった。俺の従兄弟に子供が生まれて、ひ孫が出来たからかな?」
チカが優しい顔でいい、ふわりと利都に微笑みかける。
「爺さんさ、一人目の奥さんだった俺のお祖母様と、オヤジのお姉さんにあたる娘を、両方若くして亡くしてるんだよね。だからさ、久々に女の子が本家に嫁いできてくれることになって、すごく喜んでるんだと思う」
「そうなの?」
そんな悲しい過去があるとは知らなかった。強面をぎこちなく崩して話しかけてくれたチカの祖父の様子を思い出し、利都の胸がかすかに痛む。
「うん。俺が知ってる限り、爺さんは毎日お祖母様と叔母様の仏前に手を合わせてる。忘れられないんだろうね」
「奥様とお嬢様を亡くされたら、悲しいよ……」
自分までもらい泣きしそうになり、利都はチカから顔を背けて言った。
「実は今日、連れていけたらりっちゃんを連れてくって爺さんに言っておいたんだ。そしたらさぁ、あんな風に自分が食べもしないマカロンなんか取り寄せてさ。俺の未来の奥さんに会えるのが嬉しかったんじゃないかな。りっちゃん、来てくれてありがとね」
何だかせつない。澤菱の御前様と呼ばれ、皆にかしずかれている偉大な老人にそんな悲しい過去があるなんて。地位もお金もあっても取り戻せないものが二つもあるなんて……。
「わ、私でよかったらお爺様の話し相手になるから。お爺様のご都合がよかったらいつでもここに連れてきて」
利都の言葉に、チカが手を伸ばしてさらりと髪を撫でてくれた。
「ありがとう。爺さんは妻子を喪っても泣き言も言わずに、ずっと澤菱グループの維持繁栄のために身も心も削ってきた人だしさぁ、幸せに過ごして欲しいんだ。りっちゃん連れてきたらきっと喜ぶし、大張り切りで見慣れないスイーツ山程買ってくると思う」
「マカロン美味しかった。お祖父様っておしゃれなお菓子ご存知なのね」
利都はちょっと笑って、チカについて歩き出した。
自分が何の役に立てるのか分からないけれど、自分が顔を出すことで、少しでもチカの祖父が明るい気持ちになってくれたらいいな、と思う。
「さて、あの離れが俺の部屋がある家」
チカが指し示したのは、最近改修したと思しき邸宅だった。大きな池を挟んで、本家とは対面の位置にある。
「離れはオヤジが『隙間風が寒いから』って言ってこの前建て替えたんだよね~。完全にオヤジの趣味の世界になってるけど、俺は家を出たからもうよく知らない」
「すごいお家……」
アンティークな風情を醸し出す洋館は、不思議と日本庭園の自然を精緻に再現した様子に似合っている。
近づくにつれ、かすかなピアノの音が届いてきた。家の中で誰かがピアノを奏でているのかもしれない。
「日本庭園のど真ん中に、イギリスのマナーハウス風の家を建てたかったらオヤジの気持ちは分かりませんけどね。上がって」
「素敵、かわいい。昔絵本で読んだお家みたい!」
建物の愛らしさに歓声を上げた利都に、チカが苦笑した。
「まあね、住んでるのは可愛くもなんともないおっさんと、俺の弟だけだけどね……」
そう言ってチカが、真新しい白い扉を開いた。それと同時に、叩きつけるような圧倒的なピアノの音が家の中から流れ出してくる。
「ショパンだねえ。弟が練習してるんだ。煩くてごめんね」
「う、ううん……凄いね、やっぱり上手だね……すごすぎて、なんだか鳥肌が立ちそう」
かつてチカと行ったコンサートで聞いた、彼の弟のピアノの腕前を思い出す。皆が喝采する程の素晴らしい演奏だった。今、家の奥から聞こえてくる旋律も、あの時に勝るとも劣らない素晴らしさだ。
「ただいま。オヤジ居る?」
チカが勝手知ったる足取りで、家の奥へとスタスタと入ってゆく。靴を履いたままだ。利都も恐る恐る下足のままチカの後を付いて行った。
それにしても美しい家だ。利都の乏しい知識では分からないが、イギリスかどこかの可愛いカントリーハウスのようなインテリアで、どこを見ても上品で可愛らしい。
利都が家の中を見回しながら歩いていると、不意にピアノがやんだ。目の前の扉が開き、チカによく似た青年が飛び出してくる。
「あれ? おにいさまお帰り? いつ帰ってきたの」
「おう、ただいま。帰ったのは今だよ」
チカが、背格好のよく似た青年にそっけなく答える。
――やっぱり綺麗な男の子……。
兄よりも癖のあるふわふわの髪に、もう少しソフトな印象を与える優しい輪郭の青年を見つめ、利都は内心溜息をついた。
チカの弟は髪の色がチカより黒っぽく、目は明るい茶色で、どこか妖精のような不思議な印象を受ける。
「だれ? この子誰?」
「俺の彼女だよっ! この前説明しただろ、聞いてないのかよ」
「あー……聞いた気がする……聞いた聞いた! うん、こんにちは!」
不意に美しい青年に顔を覗きこまれ、利都は赤面した。
「こ、こんにちは……」
――わ、チカさんに負けず劣らずまつげ長い……!
そんなことを考えながら、利都はチカの弟に微笑みかけた。
「こんにちは! えっと何ちゃんだっけ」
「お前は『今井さん』って呼べばいいんだよ……何を図々しく俺のりっちゃんに近づこうとしてるんだよ……」
チカの妙にドスの利いた声などどこ吹く風で、チカの弟がさっと利都の手を取った。
「りっちゃんだ! 思い出した思い出した! コンサートの時にクッキーくれた人だよね? 俺、高明です。」
「こら、りっちゃんから手ぇ放して。何を馴れ馴れしく触ってんの?」
鬼の形相になったチカに、利都は慌てて首を振った。
「べ、べつにいいよ! よろしくね……高明さん」
「えへへ、可愛いなー、いいなーお兄サマってばー!」
高明が愛らしい笑顔を浮かべて、利都の両手を自分の両手でぎゅっと握りしめる。
チカによく似た美しい男の子にしっかりと手を握られてしまい、恥ずかしくて利都はうつむいた。
「りっちゃんから離れて、高明。マジで庭の池に沈めるよ」
弟の行動が許せないらしいチカが、腕組みをしたまま低い声で弟に言う。
「い、いいってば、チカさん……」
真顔で怒っているらしいチカをたしなめ、利都はそっと高明の手から、己の手を取り戻す。
「おとーさーん! チカが女の子連れてきたー! おとーさーん!」
兄の怒りなど全く意に介さぬ笑顔で、高明がくるりと踵を返す。
どこかから、男性の返事する声が聞こえた。
家の奥に駆け込んでいく弟の姿を見送ったチカが、はぁ、と溜息をついてがりがりと頭をかきむしる。
「ごめんね、俺の弟本当にバカで。誰も厳しくしなかったから、昔からあんななんだよな」
「ううん、びっくりした……綺麗な子だね……」
高明はすべすべの肌も日本人離れした美貌もチカにそっくりだ。ただ、チカが透明だとしたら、弟の高明はやわらかなひよこ色の印象を受けるな、と利都は思った。
「あいつの事はびしびし躾けてやってね。デコピンくらいじゃびくともしないから」
不機嫌にチカが言いかけた時、一番奥の部屋からチカの父の寛明がひょいと顔を出した。
「おかえり、チカ」
「あ、オヤジ、ただいま」
「今井さんもいらっしゃい。さっき峯岸くんから連絡があったからお茶を淹れておいた。二人ともこっちにおいで」
たしかに、紅茶の良い香りが漂ってくる。素敵な家に芳しい紅茶の香りはぴったりで、利都は夢見心地で寛明に頭を下げた。
「ありがとうございます。お邪魔します……」
アンティークのテーブルと椅子が並んだサンルームに足を踏み入れると、そこにはアスコットタイを見事に着けこなした寛明の姿があった。
「最近紅茶を追求するのが楽しくてね。普段はお茶の相手が高明しかいないものだから今日は張り切ってしまいました。スコーンは冷凍しておいたものですみませんが。本当は焼きたてにクロテッド・クリームを添えて頂くのが最高なんです」
愛らしいテーブルの上に揃った銀のティーセット一式を示し、寛明が笑顔で言う。
昔、雑誌で見たイギリスの御茶会のようだ。
「お父さんさ、最近料理にこってるんだよねー。スコーンとかすごい上手だよ」
テーブルについた高明が、ニコニコしながら言う。
「俺はお父さんの手料理で順調に丸くなってるんだー。この前はジャムを一緒に作ったんだー」
高明の言葉に、寛明が言い添えた。
「会社をやめて自由な時間が増えたものでね、男二人でお菓子作りに精を出しているんですよ」
父と弟の言葉に、チカが肩を揺らして笑った。
「ま、良いんじゃないの? 良かったな高明。お前、お菓子大好きだもんな」
「好き」
素直にそう答えて、高明が銀器の上に積み上げられた甘い香りのスコーンを手にとった。
「りっちゃんも食べようよ。あったかいうちに!」
高明がそう言って、立ち上がって利都の手を引き、自分の隣の椅子に座らせた。
「そうです。お茶は私が淹れますから、好きなものを食べて。無礼講ですよ。マナーは必要ありません」
利都は、優雅な手つきでカップにお茶を注いでいる寛明に少し見とれながら、素直にお礼を言った。
「ありがとうございます」
――チカさんのお父様……弟さんのために、こうやってお料理とか作ってあげてるんだろうな……。
過去に一度だけ壊れかけた家庭を捨てて、別の女性と一緒になろうとしたという寛明。それから、自分の自由を選んで家を出て行ったというチカたちの母。
しかし寛明は親として生きることを選びなおしたのだろう。だから息子への贖罪の気持ちも込めて、こうやって仕事をセーブして時間を作り、手厚く末息子の面倒を見ているに違いない。
笑顔で父の行為を受け入れ、美味しそうにお菓子を頬張っているのは、高明の優しさなのかもしれない……。
そう思うと、利都の心はほのぼのと明るくなった。
チカも同じ席で、苦笑しながら父と弟の姿を見守っている。
彼もまた、少しだけ父親を許せて、受け入れる事ができたのだ。利都は何よりもそのことに一番ほっとする。
「りっちゃん、このジャムつけようよ。これはいちご。これはブルーベリー。お父さんの友達の畑の温室で取れたやつ」
口の周りをスコーンのくずだらけにしながら、高明が明るい声で言った。
チカが手を伸ばし、利都のお皿にスコーンやクッキーを取り分けてくれる。
「オヤジの料理って何か不安だけどさ……一応料理教室で習ったらしいから大丈夫だと思うよ、たべてやって、りっちゃん」
利都は笑顔でうなずき、チカの取り分けてくれたスコーンをちぎって口に入れた。
「美味しい」
利都のお皿に勝手にジャムを山盛りにしている高明の頭を、チカが手を伸ばして叩いた。
「こら、いたずらすんな、お前もうすぐ成人だろ、成人のすることかそれが!」
「だってこれ、美味しいからー。美味しいからさぁー」
兄弟のやり取りに利都は思わず吹き出す。
6月初旬の明るい光が、愛らしいサンルームに眩しく降り注いでいた。
「りっちゃーん、緊張しちゃった?」
「う、うん、すこし……チカさんのお爺様、面白い方ね」
「最近はね。昔、俺が小さい頃はニコリともしないで働きづめだったけど、ここ一、二年はあんな感じで丸くなった。俺の従兄弟に子供が生まれて、ひ孫が出来たからかな?」
チカが優しい顔でいい、ふわりと利都に微笑みかける。
「爺さんさ、一人目の奥さんだった俺のお祖母様と、オヤジのお姉さんにあたる娘を、両方若くして亡くしてるんだよね。だからさ、久々に女の子が本家に嫁いできてくれることになって、すごく喜んでるんだと思う」
「そうなの?」
そんな悲しい過去があるとは知らなかった。強面をぎこちなく崩して話しかけてくれたチカの祖父の様子を思い出し、利都の胸がかすかに痛む。
「うん。俺が知ってる限り、爺さんは毎日お祖母様と叔母様の仏前に手を合わせてる。忘れられないんだろうね」
「奥様とお嬢様を亡くされたら、悲しいよ……」
自分までもらい泣きしそうになり、利都はチカから顔を背けて言った。
「実は今日、連れていけたらりっちゃんを連れてくって爺さんに言っておいたんだ。そしたらさぁ、あんな風に自分が食べもしないマカロンなんか取り寄せてさ。俺の未来の奥さんに会えるのが嬉しかったんじゃないかな。りっちゃん、来てくれてありがとね」
何だかせつない。澤菱の御前様と呼ばれ、皆にかしずかれている偉大な老人にそんな悲しい過去があるなんて。地位もお金もあっても取り戻せないものが二つもあるなんて……。
「わ、私でよかったらお爺様の話し相手になるから。お爺様のご都合がよかったらいつでもここに連れてきて」
利都の言葉に、チカが手を伸ばしてさらりと髪を撫でてくれた。
「ありがとう。爺さんは妻子を喪っても泣き言も言わずに、ずっと澤菱グループの維持繁栄のために身も心も削ってきた人だしさぁ、幸せに過ごして欲しいんだ。りっちゃん連れてきたらきっと喜ぶし、大張り切りで見慣れないスイーツ山程買ってくると思う」
「マカロン美味しかった。お祖父様っておしゃれなお菓子ご存知なのね」
利都はちょっと笑って、チカについて歩き出した。
自分が何の役に立てるのか分からないけれど、自分が顔を出すことで、少しでもチカの祖父が明るい気持ちになってくれたらいいな、と思う。
「さて、あの離れが俺の部屋がある家」
チカが指し示したのは、最近改修したと思しき邸宅だった。大きな池を挟んで、本家とは対面の位置にある。
「離れはオヤジが『隙間風が寒いから』って言ってこの前建て替えたんだよね~。完全にオヤジの趣味の世界になってるけど、俺は家を出たからもうよく知らない」
「すごいお家……」
アンティークな風情を醸し出す洋館は、不思議と日本庭園の自然を精緻に再現した様子に似合っている。
近づくにつれ、かすかなピアノの音が届いてきた。家の中で誰かがピアノを奏でているのかもしれない。
「日本庭園のど真ん中に、イギリスのマナーハウス風の家を建てたかったらオヤジの気持ちは分かりませんけどね。上がって」
「素敵、かわいい。昔絵本で読んだお家みたい!」
建物の愛らしさに歓声を上げた利都に、チカが苦笑した。
「まあね、住んでるのは可愛くもなんともないおっさんと、俺の弟だけだけどね……」
そう言ってチカが、真新しい白い扉を開いた。それと同時に、叩きつけるような圧倒的なピアノの音が家の中から流れ出してくる。
「ショパンだねえ。弟が練習してるんだ。煩くてごめんね」
「う、ううん……凄いね、やっぱり上手だね……すごすぎて、なんだか鳥肌が立ちそう」
かつてチカと行ったコンサートで聞いた、彼の弟のピアノの腕前を思い出す。皆が喝采する程の素晴らしい演奏だった。今、家の奥から聞こえてくる旋律も、あの時に勝るとも劣らない素晴らしさだ。
「ただいま。オヤジ居る?」
チカが勝手知ったる足取りで、家の奥へとスタスタと入ってゆく。靴を履いたままだ。利都も恐る恐る下足のままチカの後を付いて行った。
それにしても美しい家だ。利都の乏しい知識では分からないが、イギリスかどこかの可愛いカントリーハウスのようなインテリアで、どこを見ても上品で可愛らしい。
利都が家の中を見回しながら歩いていると、不意にピアノがやんだ。目の前の扉が開き、チカによく似た青年が飛び出してくる。
「あれ? おにいさまお帰り? いつ帰ってきたの」
「おう、ただいま。帰ったのは今だよ」
チカが、背格好のよく似た青年にそっけなく答える。
――やっぱり綺麗な男の子……。
兄よりも癖のあるふわふわの髪に、もう少しソフトな印象を与える優しい輪郭の青年を見つめ、利都は内心溜息をついた。
チカの弟は髪の色がチカより黒っぽく、目は明るい茶色で、どこか妖精のような不思議な印象を受ける。
「だれ? この子誰?」
「俺の彼女だよっ! この前説明しただろ、聞いてないのかよ」
「あー……聞いた気がする……聞いた聞いた! うん、こんにちは!」
不意に美しい青年に顔を覗きこまれ、利都は赤面した。
「こ、こんにちは……」
――わ、チカさんに負けず劣らずまつげ長い……!
そんなことを考えながら、利都はチカの弟に微笑みかけた。
「こんにちは! えっと何ちゃんだっけ」
「お前は『今井さん』って呼べばいいんだよ……何を図々しく俺のりっちゃんに近づこうとしてるんだよ……」
チカの妙にドスの利いた声などどこ吹く風で、チカの弟がさっと利都の手を取った。
「りっちゃんだ! 思い出した思い出した! コンサートの時にクッキーくれた人だよね? 俺、高明です。」
「こら、りっちゃんから手ぇ放して。何を馴れ馴れしく触ってんの?」
鬼の形相になったチカに、利都は慌てて首を振った。
「べ、べつにいいよ! よろしくね……高明さん」
「えへへ、可愛いなー、いいなーお兄サマってばー!」
高明が愛らしい笑顔を浮かべて、利都の両手を自分の両手でぎゅっと握りしめる。
チカによく似た美しい男の子にしっかりと手を握られてしまい、恥ずかしくて利都はうつむいた。
「りっちゃんから離れて、高明。マジで庭の池に沈めるよ」
弟の行動が許せないらしいチカが、腕組みをしたまま低い声で弟に言う。
「い、いいってば、チカさん……」
真顔で怒っているらしいチカをたしなめ、利都はそっと高明の手から、己の手を取り戻す。
「おとーさーん! チカが女の子連れてきたー! おとーさーん!」
兄の怒りなど全く意に介さぬ笑顔で、高明がくるりと踵を返す。
どこかから、男性の返事する声が聞こえた。
家の奥に駆け込んでいく弟の姿を見送ったチカが、はぁ、と溜息をついてがりがりと頭をかきむしる。
「ごめんね、俺の弟本当にバカで。誰も厳しくしなかったから、昔からあんななんだよな」
「ううん、びっくりした……綺麗な子だね……」
高明はすべすべの肌も日本人離れした美貌もチカにそっくりだ。ただ、チカが透明だとしたら、弟の高明はやわらかなひよこ色の印象を受けるな、と利都は思った。
「あいつの事はびしびし躾けてやってね。デコピンくらいじゃびくともしないから」
不機嫌にチカが言いかけた時、一番奥の部屋からチカの父の寛明がひょいと顔を出した。
「おかえり、チカ」
「あ、オヤジ、ただいま」
「今井さんもいらっしゃい。さっき峯岸くんから連絡があったからお茶を淹れておいた。二人ともこっちにおいで」
たしかに、紅茶の良い香りが漂ってくる。素敵な家に芳しい紅茶の香りはぴったりで、利都は夢見心地で寛明に頭を下げた。
「ありがとうございます。お邪魔します……」
アンティークのテーブルと椅子が並んだサンルームに足を踏み入れると、そこにはアスコットタイを見事に着けこなした寛明の姿があった。
「最近紅茶を追求するのが楽しくてね。普段はお茶の相手が高明しかいないものだから今日は張り切ってしまいました。スコーンは冷凍しておいたものですみませんが。本当は焼きたてにクロテッド・クリームを添えて頂くのが最高なんです」
愛らしいテーブルの上に揃った銀のティーセット一式を示し、寛明が笑顔で言う。
昔、雑誌で見たイギリスの御茶会のようだ。
「お父さんさ、最近料理にこってるんだよねー。スコーンとかすごい上手だよ」
テーブルについた高明が、ニコニコしながら言う。
「俺はお父さんの手料理で順調に丸くなってるんだー。この前はジャムを一緒に作ったんだー」
高明の言葉に、寛明が言い添えた。
「会社をやめて自由な時間が増えたものでね、男二人でお菓子作りに精を出しているんですよ」
父と弟の言葉に、チカが肩を揺らして笑った。
「ま、良いんじゃないの? 良かったな高明。お前、お菓子大好きだもんな」
「好き」
素直にそう答えて、高明が銀器の上に積み上げられた甘い香りのスコーンを手にとった。
「りっちゃんも食べようよ。あったかいうちに!」
高明がそう言って、立ち上がって利都の手を引き、自分の隣の椅子に座らせた。
「そうです。お茶は私が淹れますから、好きなものを食べて。無礼講ですよ。マナーは必要ありません」
利都は、優雅な手つきでカップにお茶を注いでいる寛明に少し見とれながら、素直にお礼を言った。
「ありがとうございます」
――チカさんのお父様……弟さんのために、こうやってお料理とか作ってあげてるんだろうな……。
過去に一度だけ壊れかけた家庭を捨てて、別の女性と一緒になろうとしたという寛明。それから、自分の自由を選んで家を出て行ったというチカたちの母。
しかし寛明は親として生きることを選びなおしたのだろう。だから息子への贖罪の気持ちも込めて、こうやって仕事をセーブして時間を作り、手厚く末息子の面倒を見ているに違いない。
笑顔で父の行為を受け入れ、美味しそうにお菓子を頬張っているのは、高明の優しさなのかもしれない……。
そう思うと、利都の心はほのぼのと明るくなった。
チカも同じ席で、苦笑しながら父と弟の姿を見守っている。
彼もまた、少しだけ父親を許せて、受け入れる事ができたのだ。利都は何よりもそのことに一番ほっとする。
「りっちゃん、このジャムつけようよ。これはいちご。これはブルーベリー。お父さんの友達の畑の温室で取れたやつ」
口の周りをスコーンのくずだらけにしながら、高明が明るい声で言った。
チカが手を伸ばし、利都のお皿にスコーンやクッキーを取り分けてくれる。
「オヤジの料理って何か不安だけどさ……一応料理教室で習ったらしいから大丈夫だと思うよ、たべてやって、りっちゃん」
利都は笑顔でうなずき、チカの取り分けてくれたスコーンをちぎって口に入れた。
「美味しい」
利都のお皿に勝手にジャムを山盛りにしている高明の頭を、チカが手を伸ばして叩いた。
「こら、いたずらすんな、お前もうすぐ成人だろ、成人のすることかそれが!」
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