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1巻
1-2
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……エリーには、この一か月の間、かなり無茶なお願いをしてきた。
私を部屋の外に連れ出してほしいと言ったりとか、誰がこの家にいるのかを聞いたりとか。
【空間把握】ができるようになって、私は一人でも歩けるようになった。
でも、いきなり盲目の幼女がうろちょろし出したら怪しいと思って、しばらくエリーを頼っていた。
(でも、おかげでエリーと仲良くなれたから、結果オーライ)
仲良くなるうちに判明したけど、エリーは十四歳とメイドの中では一番若く、半ば押しつけられるように私の専属になったらしい。
最近まで、貧乏くじを引いたと思ってたって、申し訳なさそうに教えてくれた。でも今は、ナディお姉さんの影響もあって、一緒にいるのが楽しいって。
まぁ、明らかに家の当主から好かれていない子供のお世話なんて、面倒だと思っても不思議じゃない。私もそれはわかってるから、そんなことを思ってたって怒らない。むしろ、いろいろ手伝ってくれて感謝してる。
私は、エリーが淹れてくれたお茶を口に運んだ。
「おいしい」
「それはよかったです!」
今じゃエリーは、私が苦もなくカップを手に取っても驚かなくなった。最初のうちは、飛び上がるくらいびっくりしてたんだけどね。
……と、私の普段の【魔力視】の感知範囲に、高速で移動する魔力が映った。どんどん近づいてくるコレは、間違いなくナディお姉さんだね。
「ん、ねぇさまがくる……」
「へ? わ、わかるのですか?」
「うん」
不思議そうなエリーに、私は頷いた。
ナディお姉さんの魔力は、この家の中でも特に濃い青色をしている。前にエリーに聞いたんだけど、魔力の色は属性を、濃淡は量を表しているんだって。
この家には、私以外はなぜか青系の色……水属性の魔力を持った人しかいない。その中で、ナディお姉さんは一番強い。だから、離れていてもすぐわかる。
そんなことを考えていると、バァン! と勢いよくドアが開いた。
「フィーちゃんがお茶してる気配がするわ! ……ほらやっぱり!」
……ナディお姉さんには、何か特別なセンサーでもついているのかな?
なんで私がお茶してるのがわかったんだろう。私の部屋、お屋敷の端っこなんだけど。
エリーは、私がナディお姉さんの接近を当てたことに驚いているみたい。
「すごい……本当にいらっしゃいました」
「でしょ」
【魔力視】に壁や障害物は関係ないから、感知範囲にいればすぐわかる。
(それに、【魔力視】がなくても、ナディお姉さんはわかる気がする……)
ナディお姉さんの足音には特徴があるし、そもそも私の部屋に来るのはエリーとナディお姉さんだけだし。
ナディお姉さんは私たちに近づいてきた。
「私も交ぜて?」
「すぐに用意いたします」
「ありがとう、エリー!」
ナディお姉さんが来ること自体は想定内だったのか、エリーが新しくお茶を用意している。
ナディお姉さん用のカップがあらかじめ用意されているとか……エリーも慣れてるね。
普通にカップを持っている私を見たのか、ナディお姉さんがほぅ……とため息をついた。
「んん、フィーちゃんは本当に器用よねぇ」
ナディお姉さんは、私が【魔力視】や【空間把握】を使っていることには気付いていないらしい。だから、私が見えないのにカップを持てるようになったと思っているみたい。
「あぁ……どんどん手がかからなくなるわ。嬉しいはずなのに、私の心は複雑だわ……もっと頼ってほしいのよぅ!」
「「……」」
べしっべしっと、テーブルを叩くナディお姉さんに、私もエリーも絶句する。お行儀が悪いですよ。……と思ったら、今度は私のほうににじり寄ってきた。
「ということで、フィーちゃん! 何かしてほしいことはないかしら!?」
フンスフンスと、ナディお姉さんの荒い息遣いが聞こえてくる。
【魔力視】では、手をワキワキしてるのも視えるんだけど……なに、その怪しい手つき。
(……ちょっと鬱陶しいけど……でも、嫌いじゃないなぁ)
何気ない日常も、ナディお姉さんがいなければとたんに寂しくなる。私はナディお姉さんのことが好きなんだ。
……してほしいことかぁ。どうせなら、自分じゃできないことがいいよね。
「じゃあ、かみ、きれいにして?」
鏡を見ることができない私には、自分で髪のお手入れをすることができない。
エリーもまだ不慣れなのか、結んだり切ったりするのは苦手らしくて……私の長い髪はいつも、ちょっとだけボサボサしている。
ナディお姉さんは髪のお手入れが得意なのか、私のお願いに即答してくれた。
「えぇ、えぇ! いいわよ! フィーちゃんにはどんな髪形が似合うかしら。うーん……最近の流行り? 縦に巻くんだったかしら」
(縦ロール!? 待って待って! ソレは勘弁して!)
「ふ、ふつうがいい……」
「あら、残念ねぇ」
危なかった……もうちょっとで縦ロールにされるところだった。
いくら自分じゃ見えないからとはいえ、五歳で縦ロールはちょっとね。
というか、今のトレンドって縦ロールなの? 確かに、前世でやったゲームには、そんな髪形のキャラクターがたくさん出てくるものがあったような……それはどうでもいいか。
【魔力視】で視たナディお姉さんは、いつもストレートの髪を頭の後ろでまとめている。流行りには乗らない主義なのか、縦ロールじゃない。
自分がやらないことを、妹で実験しようとしないでよ。
私が思わずため息をついていると、ナディお姉さんが髪を梳き始める。
「櫛が引っかかるわね……フィーちゃん、せっかくきれいな銀髪なんだから、ちゃんとエリーにお手入れさせないとだめよ?」
いつも、「まぁいっか」みたいな感じで適当にお手入れしているのがバレたみたい。
(それにしても……私って銀髪なんだ。珍しいのかな?)
銀髪なんて、前世じゃ聞いたことがない。私は尋ねてみることにした。
「ぎんって……めずらしい?」
「いえ。ナディさまも銀髪ですよ。フィリスさまは白に近く、ナディさまは青みがかっていますが」
(あ、普通の色なんだ)
「他のご家族は、皆様、青に近いお色ですね。お屋敷の外には、赤や緑など、様々な髪色の方がいます」
「ふぅん」
私は、ていねいに質問に答えてくれたエリーに頷く。せっかくファンタジーっぽい色なのに、【魔力視】はものの色自体は視ることができないから、残念で仕方がない。
「あっ!? 枝毛! こっちにも! んもぅ、フィーちゃんったら。……うん! どうせなら徹底的にやっちゃいましょう! エリー、お手入れする道具を持ってきてくれるかしら?」
「わかりました」
私の髪を梳きながら騒ぐナディお姉さんに、エリーが返事をする。
「もちろん、エリーも覚えるのよ」
「……はい」
……あれ、いつの間にか髪のお手入れの講習会が始まった。エリーが嫌そうな声を出している。
エリーはあんまり器用じゃないから、こういうのを覚えるのは苦手みたいだね。
……私には、頑張ってとしか言えない。
それからしばらくして、私の髪は驚くほどサラサラに生まれ変わった。
使った道具を片付けるためなのか、ナディお姉さんとエリーが私から少し離れる。すると、ナディお姉さんがエリーに小さな声で話しかけた。
「……そういえば。フィーちゃんって、定期的に魔力を放出しているわよね? あ、ほらまた」
「え、そうなのですか? 私は気付きませんでしたが……」
「あら、そう? うーん、確かにわかりにくいかもしれないわ。かなり少ない量だけど、わざとやっているみたいなのよね」
……ひそひそ話でも、耳がいい私には全部聞こえているんだよ。この部屋の中での会話なら、漏らさず聞き取る自信がある。
(……ナディお姉さんは、私の魔力を感じ取れる?)
私が魔力を放出しているってナディお姉さんが言ったタイミングは、ちょうど私が【空間把握】を使ったときと重なる。エリーにはわからなかったみたいだけど、ナディお姉さんが魔力を感知しているのは間違いなさそう。
「……もしかして、魔力を反射させて、物の位置を感知しているのかしら?」
(当てた! ナディお姉さんすごい!)
なんのヒントもなく、ナディお姉さんは私がしていることを当ててみせた。
ちょっとおバカさんだとか思ってたけど、実はナディお姉さんってすごい人なのかもしれない。
「反射させて感知……そのような魔法があるのですか?」
「魔法というよりは、魔力を使った小技、かしらね。属性に関係なく、魔法が使えるか否かにも関係なく、魔力を感じ取れる人ならできるはずよ。フィーちゃんの風属性は、他の属性よりも感知に向いているの。それでも、あんな難しい技術をもう使えるなんて、驚いたわ」
「なるほど……」
エリーの問いにも、ナディお姉さんはすらすら答えた。エリーも理解できたらしい。
【空間把握】が珍しい技術じゃないのにはちょっと安心したけど、これ、そんなに難しいかな?
なんとなくで使えるんだけど。これも風属性の魔力のおかげ……っていうことなのかな。
【魔力視】でエリーたちを視続けていると、ないはずの視線に気が付いたかのように、ナディお姉さんがこっちを向いた。
「でも、それだけじゃなさそうね。フィーちゃんは、他にも何かしているわ。目の辺りに魔力を集めているみたいなのだけれど……よくわからないわね」
(【魔力視】のことも気付いてる?)
近づいてきたナディお姉さんが、私のわきの下に手を入れて、向かい合うように抱き上げた。
目の前の、吐息を感じるくらいの距離にナディお姉さんの顔がある。残念ながら、表情は全くわからないけど。
「やっぱり目は合わないわねぇ。実は見えるようになっていた、というわけではないのかしら」
視えてはいるけど、見えてないよ。【魔力視】では目や口の位置はわからない。だから当然、人と目を合わせるなんて不可能。というか、眼球を動かしている感覚すらないんだもん。自分がどこを見ているのかもわからないよ。
「そうだわ! フィーちゃん、魔法を覚えてみない?」
「……ほぇ?」
ナディお姉さんからの突然の提案に、私は間の抜けた声をあげてしまう。
私を下ろしたお姉さんは、深ーいため息をついた。魔力がゆらっと、一瞬だけブレたように視えたんだけど……なんだろう、今の。
「お父様は、フィーちゃんに家庭教師をつけるつもりがないようだし……私がフィーちゃんの先生になるわ!」
「よろしいのですか? ゲランテさまは、その……」
「いいのよ。でも、見つかると面倒だからお父様には内緒よ? 秘密の特訓ね」
戸惑うエリーに答えたナディお姉さんの声が、少し冷たくなった気がした。
どうやら、父親とナディお姉さんの仲は、良好とは言えないみたい。
「大体、フィーちゃんに会おうともしないような人に、とやかく言われる筋合いはないわ。もし難癖をつけられても、私の判断だと言えば、文句は言えないでしょうし」
……ナディお姉さんって、家の中でどれくらいの強さを持っているのかな。当主ですら文句を言えないんだ。
それにしても、会いに来ようともしないってことは、私は父親に相当嫌われているらしい。確かに、エリーと一緒に屋敷探索をしているときですら、出会うことはなかった。
声も聞いた覚えがないくらい、私に父親の記憶はない。
「ねぇさま……」
「あぁ、ごめんなさい! 変なこと聞かせちゃったわね!」
ナディお姉さんは、私が声をかけたとたん、声のトーンを明るくした。溺愛する私に余計な心配はかけたくない、ってことなんだと思う。
声で相手の感情を判断する私への気遣いもするなんて、ナディお姉さんは本当に優しい人だね。
ナディお姉さんは話を切り替えるように、楽しげに言う。
「さぁ! 気を取り直して、魔法をさくっと覚えちゃいましょう! フィーちゃんならすぐできるわ! さ、危ないからお庭に行きましょうか」
……そんなさくっと覚えられるものなのかな?
ナディお姉さんは、私のことを過大評価している節があるからなぁ。本当に簡単ならいいんだけど。とはいえ、魔法に興味があるのは事実。ここはお姉さんの言葉を信じてみよう。
場所を屋外へと移して、ナディお姉さんによる魔法の授業が始まった。
「フィーちゃんはね、魔力の操作がもうできているの! だから難しいことはないわ。まずは、魔力を手に集めてみましょう。集中して……そう、深呼吸」
魔力を手に集めるのは、魔力の流れを意識することで簡単にできた。【魔力視】と一緒に使おうとすると混乱しちゃうけど、ひたすら練習して慣れるしかないかな。
「そうそう! 流石ね、フィーちゃん!」
安定して魔力を集められるようになったところで、ナディお姉さんが突然パンッと手を叩いた。思わずびくっとしてしまったけど、魔力はそのまま保持できた。
「驚いても霧散しない……うん、いいわね! じゃあフィーちゃん、私に続いて唱えて。〈風よ、我が身を守れ――風鎧〉、はい!」
「〈かぜよ、わがみをまもれ――かぜよろい〉」
若干たどたどしくも、ナディお姉さんの言葉をなぞる。
ちゃんと言えたかな? と思った瞬間、私を包むように風がゴゥッ! と渦を巻いた。
「ぅわ!?」
私の周りで魔力が薄く光り、陽炎のようになって歪んで視える。
恐る恐るそれに触れてみると、柔らかく押し返されるような感覚があった。
「……驚いた。フィーちゃんは天才かしら?」
「た、たった一度で……私、三年勉強してやっと魔法を使えるようになったのですが……」
ナディお姉さんが本気で驚いているような気がする。
エリーはなんだか落ち込んでいるみたいだけど、風がうるさくてよく聞き取れない。
一瞬、五歳の幼女が詠唱を完璧に復唱したのは不自然だったかな、と思ったけど、今のところ怪しまれてはいないっぽい。
「すごいわ、フィーちゃ……ぅぐっ!?」
私に近づいてきたナディお姉さんが、硬いもので殴られたみたいに吹っ飛んでいった。
「……ねぇさま?」
何、今の……っていうか、結構飛んだけど大丈夫かな?
何が起こったのかよくわからずにいると、はぁ、とエリーのため息が聞こえた。
「〈風鎧〉を教えたのは、ナディさまではないですか……」
「な、なかなか強力だったわね……フィーちゃん恐るべし」
(あぁ……ナディお姉さん、風に吹き飛ばされたんだ)
どうやらこの〈風鎧〉とかいう魔法は、その名前の通り風の鎧を生み出すものらしい。
渦を巻く風に何かが当たると、さっきのナディお姉さんのように弾く仕組みになっているみたい。
吹き飛ばされたナディお姉さんはピンピンしているから、ダメージを与えるほどの魔法ではないのかもしれないけど。
(魔法……なんだか楽しいな)
魔力を多く消費している感覚はない。【空間把握】より、ちょっと多いくらいかな? コスパもよくて、自分の身を守れる魔法を教えてくれるなんて……ナディお姉さんは、私のことをよく考えてくれている。
ナディお姉さんは立ち上がると、再び私の近くに来て教えてくれる。
「ずっと使い続けていると、魔力がなくなって倒れてしまうから、魔法は解除しましょう。フィーちゃん、〈風よ散れ〉って言ってね」
「〈かぜよちれ〉!」
「うんうん、解除詠唱も完璧ね!」
私が詠唱すると、風が一瞬で霧散した。なるほど、使うときと解除するときで、それぞれ詠唱するんだね。
あのまま使い続けても、魔力が切れるような気配はなかったけど……ナディお姉さんのことだから、余裕をもって解除させたのかも。私も、いきなり倒れるのはいやだ。
「さ、続けましょう!」
それからしばらく練習し続けて、魔法の実践はおしまいになった。
結局あのあと、〈風弾〉と〈風塵〉っていう魔法を教わったけど、〈風鎧〉とは違って何回やっても発動させることはできなかった。
実践練習の次は、部屋に戻ってナディお姉さんに魔法の基本を教えてもらう。魔法の知識があまりないというエリーも、一緒に授業を受けることになった。
「エリーはもう知っていると思うけれど、魔法には型というものが存在しているの。型には、攻撃型と防御型の二種類あって、それぞれ魔法の使い方が微妙に違うのよ。普通は、適性がある型の魔法しか使えないけれど、例外も存在するわ。まぁ、それについてはあとで教えるわね。エリー、あなたは防御型よね?」
「はい」
エリーが答えるのを聞いて、ナディお姉さんは続ける。
「フィーちゃんの適性も、エリーと同じ防御型になるわね。〈風鎧〉は防御型の初歩の魔法なの。とはいえ、たった一回で、あれだけ強力な魔法を使えたフィーちゃんは天才ね!」
ナディお姉さんが、ぐりぐりと私を撫でまわす。
「ぼーぎょ……」
私はぼんやりと呟いた。失敗した〈風弾〉や〈風塵〉は攻撃型の魔法だそうで、ナディお姉さんも失敗する前提で教えていたみたい。
私には魔法の才能がないのかと思っていたけど、どうやらそういうわけではないらしい。
それならそうと、先に教えてほしかった……思いっきり落ち込んでたのに。
「ねぇさまは、どっち?」
……ふと気になって、私はナディお姉さんに聞いてみた。ナディお姉さんは自分の属性以外についても詳しいけど、どんな魔法を使えるのか全く知らないからね。
「私は攻撃型よ。でも、防御型も使えるわ。威力は落ちてしまうのだけれど。さっき言っていた、適性の例外が私よ。学園でも有名だったんだから!」
「えぇぇぇっ!?」
さらりと言ってのけたナディお姉さんに、エリーがかなり驚いている。私だってびっくりした。
攻撃も防御も使えるナディお姉さんだけど、凄まじいのはそれだけじゃない。
なんと魔法の威力もとんでもないらしく、学園では卒業までトップの成績を維持し続けて、歴代最強とまで言われたというから、さらに驚き。
で、その魔法を使って校舎を半壊させたとか、婚約者が気に食わなかったから魔法で吹っ飛ばしたら破談したとか……笑って話すような内容じゃないと思うんだけど、ナディお姉さんは楽しげに教えてくれた。
すごすぎるエピソードを聞き終えたあと、エリーが恐る恐る質問する。
「ナディさまは十八歳なのに、未だに独身なのって、もしかして……」
「そうよ? ……三回くらい婚約破棄されてからは、ぱったりとお誘いが来なくなったのよねぇ。独り身のほうが気楽だから、かえって都合がよかったのだけれど」
「それでいいのですか……」
エリーが、少々呆れたように呟いた。十代前半で結婚することも珍しくないという貴族社会では、もう婚期が過ぎかけているナディお姉さん。三回も婚約破棄されているのに、それを気にしたそぶりもない。……ナディお姉さんは、かなり破天荒な性格をしているらしい。
「ま、それはそうとして……」
突然、ナディお姉さんがまとう空気が重くなった……ような気がした。
魔力が、ちりちりと弾けるように膨らんでいく。
私の肩に置かれたナディお姉さんの手に、ぎゅうっと力がこもった。
「『選定の儀』だけは、なんとしてもフィーちゃんに受けさせないといけないわ。お父様に邪魔はさせないわよ!」
……『選定の儀』ってなんだろう? 受けるのは私っぽいけど、初めて聞いたなぁ。
ナディお姉さんの口ぶりからも、かなり重要そうなのは伝わってきたけど……まぁ、私にできることはただ待つだけ。そのうちナディお姉さんが教えてくれるはずだし。
私がそんなことを考えていると、エリーがため息をつきながら言った。
「魔法はお使いにならないでくださいね……お屋敷が半壊します」
「わ、わかっているわよぅ……」
……これは、魔法を使うつもりだったね、ナディお姉さん。
ナディお姉さんが父親を説得すると息巻くのはいいけど、どうか平和的に解決しますように。お家が半壊するなんていやだ。
第二章 くずれた幸せ
ナディお姉さんの魔法の授業を受けてから、あっという間に二週間が経った。
その間、私はナディお姉さんに教わった〈風鎧〉をひたすら練習していた。私が教わった魔法の中で、発動させることができたのはこれだけだから。
他の防御型の魔法は、発動させるために魔法陣というものを使うらしいんだけど、私はそれを見ることができないから、あれこれ試しても結局覚えることはできなかった。
まぁ、ひとつに集中できるって、なかなか悪くないんだけどね。
(〈守れ――風鎧〉)
ベッドに座って心の中で唱えると、ゴゥッと風が渦を巻く。
魔法を教わったはいいものの、元日本人の性か、詠唱が気恥ずかしくなってしまった私。そこで、詠唱を短くしたり、いっそなくしたりできないかと頑張った。
……その結果、なんと「守れ」の一言で〈風鎧〉を使えるようになった。しかも、声に出す必要もない。
(無詠唱……っていうんだっけ?)
私は声に出さず魔法を発動する技術を、四日ほどでマスターした。
だけど詠唱をしない、もしくは短縮して魔法を使うのは、かなりの高等技術だとエリーが教えてくれた。
……ナディお姉さんに目の前で見せたら、石のように固まってたなぁ。
私としては、そこまで苦労した気はしないんだけど。【魔力視】も【空間把握】も詠唱はいらないから、今さらだとばかり思っていたし。
魔法と【魔力視】との同時使用だってなんのその。
私の目には、他の人が見えないはずの魔力の流れが視える。魔法も、ひとつの魔力の塊として捉えることができて、属性はもちろん、形までわかるようになった。
さらに、ずっと【魔力視】を使い続けたからなのか、いつの間にか近くにいる相手の感情を読み取れるようになっていた。嬉しい、悲しい、楽しい、苦しい……そんな感情が、なんとなくわかる。特に、自分に対しての悪意や不快感はわかりやすい。
そういう感情を持っている人には、なるべく近づかないようにしようと決めている。
(……〈散れ〉)
考え事をしながらでも余裕で魔法を維持できるようになったし、ずいぶんスムーズにオンオフも切り替えられるようになった。
魔法の持続時間もかなり長い。正確な時間はわからないけど、エリーが心配して止めてくれるまでは、ずっと使っていても問題なかったよ。
そのとき、ずっと使いっぱなしだった【魔力視】が、部屋に近づいてくる反応を捉えた。
(お、誰か来る? 視たことない反応だ……)
誰だろう、この人。エリーやナディお姉さんなら絶対に間違えないし、そもそもこの屋敷にいる人はここに近づいてこない。
「え……リードさま!? どうしてここに……」
部屋の外から、エリーの驚いた声が聞こえてくる。エリーは知っている人物らしい。声色から、あんまりよく思ってなさそうなのは伝わってきたけど。
(リード……リード? なんだろう……)
訪問者の名前を聞いた瞬間、私の記憶がざわついた。でも、頭に靄がかかったように、はっきりと思い出せない。
「相変わらず、薄汚いところだな!」
……と、そのリードは、私の部屋の前に着くなり、いきなり乱暴に扉を開け放った。
前世の記憶を思い出す前に何かイヤなことでもあったのか、意思とは関係なく体が震えて、鼓動も速くなって息が乱れてきた。
エリーが、慌ててリードを追って部屋に入ってくる。
「せ、せめてノックをなさってください! 淑女のお部屋ですよ!?」
「うっせぇな。別にいいだろ、ガキだし、見えてねぇんだから」
「そういう問題ではありません!」
私を部屋の外に連れ出してほしいと言ったりとか、誰がこの家にいるのかを聞いたりとか。
【空間把握】ができるようになって、私は一人でも歩けるようになった。
でも、いきなり盲目の幼女がうろちょろし出したら怪しいと思って、しばらくエリーを頼っていた。
(でも、おかげでエリーと仲良くなれたから、結果オーライ)
仲良くなるうちに判明したけど、エリーは十四歳とメイドの中では一番若く、半ば押しつけられるように私の専属になったらしい。
最近まで、貧乏くじを引いたと思ってたって、申し訳なさそうに教えてくれた。でも今は、ナディお姉さんの影響もあって、一緒にいるのが楽しいって。
まぁ、明らかに家の当主から好かれていない子供のお世話なんて、面倒だと思っても不思議じゃない。私もそれはわかってるから、そんなことを思ってたって怒らない。むしろ、いろいろ手伝ってくれて感謝してる。
私は、エリーが淹れてくれたお茶を口に運んだ。
「おいしい」
「それはよかったです!」
今じゃエリーは、私が苦もなくカップを手に取っても驚かなくなった。最初のうちは、飛び上がるくらいびっくりしてたんだけどね。
……と、私の普段の【魔力視】の感知範囲に、高速で移動する魔力が映った。どんどん近づいてくるコレは、間違いなくナディお姉さんだね。
「ん、ねぇさまがくる……」
「へ? わ、わかるのですか?」
「うん」
不思議そうなエリーに、私は頷いた。
ナディお姉さんの魔力は、この家の中でも特に濃い青色をしている。前にエリーに聞いたんだけど、魔力の色は属性を、濃淡は量を表しているんだって。
この家には、私以外はなぜか青系の色……水属性の魔力を持った人しかいない。その中で、ナディお姉さんは一番強い。だから、離れていてもすぐわかる。
そんなことを考えていると、バァン! と勢いよくドアが開いた。
「フィーちゃんがお茶してる気配がするわ! ……ほらやっぱり!」
……ナディお姉さんには、何か特別なセンサーでもついているのかな?
なんで私がお茶してるのがわかったんだろう。私の部屋、お屋敷の端っこなんだけど。
エリーは、私がナディお姉さんの接近を当てたことに驚いているみたい。
「すごい……本当にいらっしゃいました」
「でしょ」
【魔力視】に壁や障害物は関係ないから、感知範囲にいればすぐわかる。
(それに、【魔力視】がなくても、ナディお姉さんはわかる気がする……)
ナディお姉さんの足音には特徴があるし、そもそも私の部屋に来るのはエリーとナディお姉さんだけだし。
ナディお姉さんは私たちに近づいてきた。
「私も交ぜて?」
「すぐに用意いたします」
「ありがとう、エリー!」
ナディお姉さんが来ること自体は想定内だったのか、エリーが新しくお茶を用意している。
ナディお姉さん用のカップがあらかじめ用意されているとか……エリーも慣れてるね。
普通にカップを持っている私を見たのか、ナディお姉さんがほぅ……とため息をついた。
「んん、フィーちゃんは本当に器用よねぇ」
ナディお姉さんは、私が【魔力視】や【空間把握】を使っていることには気付いていないらしい。だから、私が見えないのにカップを持てるようになったと思っているみたい。
「あぁ……どんどん手がかからなくなるわ。嬉しいはずなのに、私の心は複雑だわ……もっと頼ってほしいのよぅ!」
「「……」」
べしっべしっと、テーブルを叩くナディお姉さんに、私もエリーも絶句する。お行儀が悪いですよ。……と思ったら、今度は私のほうににじり寄ってきた。
「ということで、フィーちゃん! 何かしてほしいことはないかしら!?」
フンスフンスと、ナディお姉さんの荒い息遣いが聞こえてくる。
【魔力視】では、手をワキワキしてるのも視えるんだけど……なに、その怪しい手つき。
(……ちょっと鬱陶しいけど……でも、嫌いじゃないなぁ)
何気ない日常も、ナディお姉さんがいなければとたんに寂しくなる。私はナディお姉さんのことが好きなんだ。
……してほしいことかぁ。どうせなら、自分じゃできないことがいいよね。
「じゃあ、かみ、きれいにして?」
鏡を見ることができない私には、自分で髪のお手入れをすることができない。
エリーもまだ不慣れなのか、結んだり切ったりするのは苦手らしくて……私の長い髪はいつも、ちょっとだけボサボサしている。
ナディお姉さんは髪のお手入れが得意なのか、私のお願いに即答してくれた。
「えぇ、えぇ! いいわよ! フィーちゃんにはどんな髪形が似合うかしら。うーん……最近の流行り? 縦に巻くんだったかしら」
(縦ロール!? 待って待って! ソレは勘弁して!)
「ふ、ふつうがいい……」
「あら、残念ねぇ」
危なかった……もうちょっとで縦ロールにされるところだった。
いくら自分じゃ見えないからとはいえ、五歳で縦ロールはちょっとね。
というか、今のトレンドって縦ロールなの? 確かに、前世でやったゲームには、そんな髪形のキャラクターがたくさん出てくるものがあったような……それはどうでもいいか。
【魔力視】で視たナディお姉さんは、いつもストレートの髪を頭の後ろでまとめている。流行りには乗らない主義なのか、縦ロールじゃない。
自分がやらないことを、妹で実験しようとしないでよ。
私が思わずため息をついていると、ナディお姉さんが髪を梳き始める。
「櫛が引っかかるわね……フィーちゃん、せっかくきれいな銀髪なんだから、ちゃんとエリーにお手入れさせないとだめよ?」
いつも、「まぁいっか」みたいな感じで適当にお手入れしているのがバレたみたい。
(それにしても……私って銀髪なんだ。珍しいのかな?)
銀髪なんて、前世じゃ聞いたことがない。私は尋ねてみることにした。
「ぎんって……めずらしい?」
「いえ。ナディさまも銀髪ですよ。フィリスさまは白に近く、ナディさまは青みがかっていますが」
(あ、普通の色なんだ)
「他のご家族は、皆様、青に近いお色ですね。お屋敷の外には、赤や緑など、様々な髪色の方がいます」
「ふぅん」
私は、ていねいに質問に答えてくれたエリーに頷く。せっかくファンタジーっぽい色なのに、【魔力視】はものの色自体は視ることができないから、残念で仕方がない。
「あっ!? 枝毛! こっちにも! んもぅ、フィーちゃんったら。……うん! どうせなら徹底的にやっちゃいましょう! エリー、お手入れする道具を持ってきてくれるかしら?」
「わかりました」
私の髪を梳きながら騒ぐナディお姉さんに、エリーが返事をする。
「もちろん、エリーも覚えるのよ」
「……はい」
……あれ、いつの間にか髪のお手入れの講習会が始まった。エリーが嫌そうな声を出している。
エリーはあんまり器用じゃないから、こういうのを覚えるのは苦手みたいだね。
……私には、頑張ってとしか言えない。
それからしばらくして、私の髪は驚くほどサラサラに生まれ変わった。
使った道具を片付けるためなのか、ナディお姉さんとエリーが私から少し離れる。すると、ナディお姉さんがエリーに小さな声で話しかけた。
「……そういえば。フィーちゃんって、定期的に魔力を放出しているわよね? あ、ほらまた」
「え、そうなのですか? 私は気付きませんでしたが……」
「あら、そう? うーん、確かにわかりにくいかもしれないわ。かなり少ない量だけど、わざとやっているみたいなのよね」
……ひそひそ話でも、耳がいい私には全部聞こえているんだよ。この部屋の中での会話なら、漏らさず聞き取る自信がある。
(……ナディお姉さんは、私の魔力を感じ取れる?)
私が魔力を放出しているってナディお姉さんが言ったタイミングは、ちょうど私が【空間把握】を使ったときと重なる。エリーにはわからなかったみたいだけど、ナディお姉さんが魔力を感知しているのは間違いなさそう。
「……もしかして、魔力を反射させて、物の位置を感知しているのかしら?」
(当てた! ナディお姉さんすごい!)
なんのヒントもなく、ナディお姉さんは私がしていることを当ててみせた。
ちょっとおバカさんだとか思ってたけど、実はナディお姉さんってすごい人なのかもしれない。
「反射させて感知……そのような魔法があるのですか?」
「魔法というよりは、魔力を使った小技、かしらね。属性に関係なく、魔法が使えるか否かにも関係なく、魔力を感じ取れる人ならできるはずよ。フィーちゃんの風属性は、他の属性よりも感知に向いているの。それでも、あんな難しい技術をもう使えるなんて、驚いたわ」
「なるほど……」
エリーの問いにも、ナディお姉さんはすらすら答えた。エリーも理解できたらしい。
【空間把握】が珍しい技術じゃないのにはちょっと安心したけど、これ、そんなに難しいかな?
なんとなくで使えるんだけど。これも風属性の魔力のおかげ……っていうことなのかな。
【魔力視】でエリーたちを視続けていると、ないはずの視線に気が付いたかのように、ナディお姉さんがこっちを向いた。
「でも、それだけじゃなさそうね。フィーちゃんは、他にも何かしているわ。目の辺りに魔力を集めているみたいなのだけれど……よくわからないわね」
(【魔力視】のことも気付いてる?)
近づいてきたナディお姉さんが、私のわきの下に手を入れて、向かい合うように抱き上げた。
目の前の、吐息を感じるくらいの距離にナディお姉さんの顔がある。残念ながら、表情は全くわからないけど。
「やっぱり目は合わないわねぇ。実は見えるようになっていた、というわけではないのかしら」
視えてはいるけど、見えてないよ。【魔力視】では目や口の位置はわからない。だから当然、人と目を合わせるなんて不可能。というか、眼球を動かしている感覚すらないんだもん。自分がどこを見ているのかもわからないよ。
「そうだわ! フィーちゃん、魔法を覚えてみない?」
「……ほぇ?」
ナディお姉さんからの突然の提案に、私は間の抜けた声をあげてしまう。
私を下ろしたお姉さんは、深ーいため息をついた。魔力がゆらっと、一瞬だけブレたように視えたんだけど……なんだろう、今の。
「お父様は、フィーちゃんに家庭教師をつけるつもりがないようだし……私がフィーちゃんの先生になるわ!」
「よろしいのですか? ゲランテさまは、その……」
「いいのよ。でも、見つかると面倒だからお父様には内緒よ? 秘密の特訓ね」
戸惑うエリーに答えたナディお姉さんの声が、少し冷たくなった気がした。
どうやら、父親とナディお姉さんの仲は、良好とは言えないみたい。
「大体、フィーちゃんに会おうともしないような人に、とやかく言われる筋合いはないわ。もし難癖をつけられても、私の判断だと言えば、文句は言えないでしょうし」
……ナディお姉さんって、家の中でどれくらいの強さを持っているのかな。当主ですら文句を言えないんだ。
それにしても、会いに来ようともしないってことは、私は父親に相当嫌われているらしい。確かに、エリーと一緒に屋敷探索をしているときですら、出会うことはなかった。
声も聞いた覚えがないくらい、私に父親の記憶はない。
「ねぇさま……」
「あぁ、ごめんなさい! 変なこと聞かせちゃったわね!」
ナディお姉さんは、私が声をかけたとたん、声のトーンを明るくした。溺愛する私に余計な心配はかけたくない、ってことなんだと思う。
声で相手の感情を判断する私への気遣いもするなんて、ナディお姉さんは本当に優しい人だね。
ナディお姉さんは話を切り替えるように、楽しげに言う。
「さぁ! 気を取り直して、魔法をさくっと覚えちゃいましょう! フィーちゃんならすぐできるわ! さ、危ないからお庭に行きましょうか」
……そんなさくっと覚えられるものなのかな?
ナディお姉さんは、私のことを過大評価している節があるからなぁ。本当に簡単ならいいんだけど。とはいえ、魔法に興味があるのは事実。ここはお姉さんの言葉を信じてみよう。
場所を屋外へと移して、ナディお姉さんによる魔法の授業が始まった。
「フィーちゃんはね、魔力の操作がもうできているの! だから難しいことはないわ。まずは、魔力を手に集めてみましょう。集中して……そう、深呼吸」
魔力を手に集めるのは、魔力の流れを意識することで簡単にできた。【魔力視】と一緒に使おうとすると混乱しちゃうけど、ひたすら練習して慣れるしかないかな。
「そうそう! 流石ね、フィーちゃん!」
安定して魔力を集められるようになったところで、ナディお姉さんが突然パンッと手を叩いた。思わずびくっとしてしまったけど、魔力はそのまま保持できた。
「驚いても霧散しない……うん、いいわね! じゃあフィーちゃん、私に続いて唱えて。〈風よ、我が身を守れ――風鎧〉、はい!」
「〈かぜよ、わがみをまもれ――かぜよろい〉」
若干たどたどしくも、ナディお姉さんの言葉をなぞる。
ちゃんと言えたかな? と思った瞬間、私を包むように風がゴゥッ! と渦を巻いた。
「ぅわ!?」
私の周りで魔力が薄く光り、陽炎のようになって歪んで視える。
恐る恐るそれに触れてみると、柔らかく押し返されるような感覚があった。
「……驚いた。フィーちゃんは天才かしら?」
「た、たった一度で……私、三年勉強してやっと魔法を使えるようになったのですが……」
ナディお姉さんが本気で驚いているような気がする。
エリーはなんだか落ち込んでいるみたいだけど、風がうるさくてよく聞き取れない。
一瞬、五歳の幼女が詠唱を完璧に復唱したのは不自然だったかな、と思ったけど、今のところ怪しまれてはいないっぽい。
「すごいわ、フィーちゃ……ぅぐっ!?」
私に近づいてきたナディお姉さんが、硬いもので殴られたみたいに吹っ飛んでいった。
「……ねぇさま?」
何、今の……っていうか、結構飛んだけど大丈夫かな?
何が起こったのかよくわからずにいると、はぁ、とエリーのため息が聞こえた。
「〈風鎧〉を教えたのは、ナディさまではないですか……」
「な、なかなか強力だったわね……フィーちゃん恐るべし」
(あぁ……ナディお姉さん、風に吹き飛ばされたんだ)
どうやらこの〈風鎧〉とかいう魔法は、その名前の通り風の鎧を生み出すものらしい。
渦を巻く風に何かが当たると、さっきのナディお姉さんのように弾く仕組みになっているみたい。
吹き飛ばされたナディお姉さんはピンピンしているから、ダメージを与えるほどの魔法ではないのかもしれないけど。
(魔法……なんだか楽しいな)
魔力を多く消費している感覚はない。【空間把握】より、ちょっと多いくらいかな? コスパもよくて、自分の身を守れる魔法を教えてくれるなんて……ナディお姉さんは、私のことをよく考えてくれている。
ナディお姉さんは立ち上がると、再び私の近くに来て教えてくれる。
「ずっと使い続けていると、魔力がなくなって倒れてしまうから、魔法は解除しましょう。フィーちゃん、〈風よ散れ〉って言ってね」
「〈かぜよちれ〉!」
「うんうん、解除詠唱も完璧ね!」
私が詠唱すると、風が一瞬で霧散した。なるほど、使うときと解除するときで、それぞれ詠唱するんだね。
あのまま使い続けても、魔力が切れるような気配はなかったけど……ナディお姉さんのことだから、余裕をもって解除させたのかも。私も、いきなり倒れるのはいやだ。
「さ、続けましょう!」
それからしばらく練習し続けて、魔法の実践はおしまいになった。
結局あのあと、〈風弾〉と〈風塵〉っていう魔法を教わったけど、〈風鎧〉とは違って何回やっても発動させることはできなかった。
実践練習の次は、部屋に戻ってナディお姉さんに魔法の基本を教えてもらう。魔法の知識があまりないというエリーも、一緒に授業を受けることになった。
「エリーはもう知っていると思うけれど、魔法には型というものが存在しているの。型には、攻撃型と防御型の二種類あって、それぞれ魔法の使い方が微妙に違うのよ。普通は、適性がある型の魔法しか使えないけれど、例外も存在するわ。まぁ、それについてはあとで教えるわね。エリー、あなたは防御型よね?」
「はい」
エリーが答えるのを聞いて、ナディお姉さんは続ける。
「フィーちゃんの適性も、エリーと同じ防御型になるわね。〈風鎧〉は防御型の初歩の魔法なの。とはいえ、たった一回で、あれだけ強力な魔法を使えたフィーちゃんは天才ね!」
ナディお姉さんが、ぐりぐりと私を撫でまわす。
「ぼーぎょ……」
私はぼんやりと呟いた。失敗した〈風弾〉や〈風塵〉は攻撃型の魔法だそうで、ナディお姉さんも失敗する前提で教えていたみたい。
私には魔法の才能がないのかと思っていたけど、どうやらそういうわけではないらしい。
それならそうと、先に教えてほしかった……思いっきり落ち込んでたのに。
「ねぇさまは、どっち?」
……ふと気になって、私はナディお姉さんに聞いてみた。ナディお姉さんは自分の属性以外についても詳しいけど、どんな魔法を使えるのか全く知らないからね。
「私は攻撃型よ。でも、防御型も使えるわ。威力は落ちてしまうのだけれど。さっき言っていた、適性の例外が私よ。学園でも有名だったんだから!」
「えぇぇぇっ!?」
さらりと言ってのけたナディお姉さんに、エリーがかなり驚いている。私だってびっくりした。
攻撃も防御も使えるナディお姉さんだけど、凄まじいのはそれだけじゃない。
なんと魔法の威力もとんでもないらしく、学園では卒業までトップの成績を維持し続けて、歴代最強とまで言われたというから、さらに驚き。
で、その魔法を使って校舎を半壊させたとか、婚約者が気に食わなかったから魔法で吹っ飛ばしたら破談したとか……笑って話すような内容じゃないと思うんだけど、ナディお姉さんは楽しげに教えてくれた。
すごすぎるエピソードを聞き終えたあと、エリーが恐る恐る質問する。
「ナディさまは十八歳なのに、未だに独身なのって、もしかして……」
「そうよ? ……三回くらい婚約破棄されてからは、ぱったりとお誘いが来なくなったのよねぇ。独り身のほうが気楽だから、かえって都合がよかったのだけれど」
「それでいいのですか……」
エリーが、少々呆れたように呟いた。十代前半で結婚することも珍しくないという貴族社会では、もう婚期が過ぎかけているナディお姉さん。三回も婚約破棄されているのに、それを気にしたそぶりもない。……ナディお姉さんは、かなり破天荒な性格をしているらしい。
「ま、それはそうとして……」
突然、ナディお姉さんがまとう空気が重くなった……ような気がした。
魔力が、ちりちりと弾けるように膨らんでいく。
私の肩に置かれたナディお姉さんの手に、ぎゅうっと力がこもった。
「『選定の儀』だけは、なんとしてもフィーちゃんに受けさせないといけないわ。お父様に邪魔はさせないわよ!」
……『選定の儀』ってなんだろう? 受けるのは私っぽいけど、初めて聞いたなぁ。
ナディお姉さんの口ぶりからも、かなり重要そうなのは伝わってきたけど……まぁ、私にできることはただ待つだけ。そのうちナディお姉さんが教えてくれるはずだし。
私がそんなことを考えていると、エリーがため息をつきながら言った。
「魔法はお使いにならないでくださいね……お屋敷が半壊します」
「わ、わかっているわよぅ……」
……これは、魔法を使うつもりだったね、ナディお姉さん。
ナディお姉さんが父親を説得すると息巻くのはいいけど、どうか平和的に解決しますように。お家が半壊するなんていやだ。
第二章 くずれた幸せ
ナディお姉さんの魔法の授業を受けてから、あっという間に二週間が経った。
その間、私はナディお姉さんに教わった〈風鎧〉をひたすら練習していた。私が教わった魔法の中で、発動させることができたのはこれだけだから。
他の防御型の魔法は、発動させるために魔法陣というものを使うらしいんだけど、私はそれを見ることができないから、あれこれ試しても結局覚えることはできなかった。
まぁ、ひとつに集中できるって、なかなか悪くないんだけどね。
(〈守れ――風鎧〉)
ベッドに座って心の中で唱えると、ゴゥッと風が渦を巻く。
魔法を教わったはいいものの、元日本人の性か、詠唱が気恥ずかしくなってしまった私。そこで、詠唱を短くしたり、いっそなくしたりできないかと頑張った。
……その結果、なんと「守れ」の一言で〈風鎧〉を使えるようになった。しかも、声に出す必要もない。
(無詠唱……っていうんだっけ?)
私は声に出さず魔法を発動する技術を、四日ほどでマスターした。
だけど詠唱をしない、もしくは短縮して魔法を使うのは、かなりの高等技術だとエリーが教えてくれた。
……ナディお姉さんに目の前で見せたら、石のように固まってたなぁ。
私としては、そこまで苦労した気はしないんだけど。【魔力視】も【空間把握】も詠唱はいらないから、今さらだとばかり思っていたし。
魔法と【魔力視】との同時使用だってなんのその。
私の目には、他の人が見えないはずの魔力の流れが視える。魔法も、ひとつの魔力の塊として捉えることができて、属性はもちろん、形までわかるようになった。
さらに、ずっと【魔力視】を使い続けたからなのか、いつの間にか近くにいる相手の感情を読み取れるようになっていた。嬉しい、悲しい、楽しい、苦しい……そんな感情が、なんとなくわかる。特に、自分に対しての悪意や不快感はわかりやすい。
そういう感情を持っている人には、なるべく近づかないようにしようと決めている。
(……〈散れ〉)
考え事をしながらでも余裕で魔法を維持できるようになったし、ずいぶんスムーズにオンオフも切り替えられるようになった。
魔法の持続時間もかなり長い。正確な時間はわからないけど、エリーが心配して止めてくれるまでは、ずっと使っていても問題なかったよ。
そのとき、ずっと使いっぱなしだった【魔力視】が、部屋に近づいてくる反応を捉えた。
(お、誰か来る? 視たことない反応だ……)
誰だろう、この人。エリーやナディお姉さんなら絶対に間違えないし、そもそもこの屋敷にいる人はここに近づいてこない。
「え……リードさま!? どうしてここに……」
部屋の外から、エリーの驚いた声が聞こえてくる。エリーは知っている人物らしい。声色から、あんまりよく思ってなさそうなのは伝わってきたけど。
(リード……リード? なんだろう……)
訪問者の名前を聞いた瞬間、私の記憶がざわついた。でも、頭に靄がかかったように、はっきりと思い出せない。
「相変わらず、薄汚いところだな!」
……と、そのリードは、私の部屋の前に着くなり、いきなり乱暴に扉を開け放った。
前世の記憶を思い出す前に何かイヤなことでもあったのか、意思とは関係なく体が震えて、鼓動も速くなって息が乱れてきた。
エリーが、慌ててリードを追って部屋に入ってくる。
「せ、せめてノックをなさってください! 淑女のお部屋ですよ!?」
「うっせぇな。別にいいだろ、ガキだし、見えてねぇんだから」
「そういう問題ではありません!」
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