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1巻
1-3
リードは人の部屋に入ってくるなり、トゲトゲした雰囲気で吐き捨てる。ずいぶん横柄……というか、マナーがなってない。
エリーはかなり怒っているようで、魔力がゆらゆらと不穏な様子で揺れている。
……女の子の部屋に、ノックもなしに侵入したらそうなるか。私だっていやな気分だし。
「おい、この俺が来てやったというのに、挨拶のひとつもなしか? 出来損ない」
(出来損ない……私のことか)
いきなり幼女を罵るリード。これで挨拶をしろって言われても、絶対にいやだ。
「リードさま! それ以上は見過ごせません!」
エリーが私とリードの間に立って、両手を広げる。
(落ち着いて……大丈夫、怖くない)
リードが声を荒らげるたびに、私はびくりと震えてしまう。私の知らない過去があるようだけど、今はもう怖くない。そう幼い自分に言い聞かせて、震える体を落ち着かせる。
「……はっ、ついに口も利けなくなったか、出来損ない!」
一言もしゃべらない私に業を煮やしたのか、リードが声を張り上げる。
そして、リードが突き出した右腕に、魔力が急速に集まっていくのが視えた。どうやら魔法を使おうとしているらしい。
「っ!? いけません!」
一拍遅れて、エリーの腕にも魔力が集まっていく。
二人とも属性は水……リードのほうが、ちょっとだけ強いかもしれない。
「〈水よ、岩をも穿つ牙となれ――水牙〉!」
「〈水よ集え! 悪しき牙を断て――水壁〉!」
対になるような、リードとエリーの詠唱。詠唱が終わってから魔法が発動するまでは、微妙なタイムラグがあるんだね。
もちろん、私だってただぼーっとしていたわけじゃない。
(〈守れ――風鎧〉)
エリーが詠唱を終える直前、口の中で呟くようにして〈風鎧〉を発動させる。
そして、私の前に、グンッ! と大きな壁のようなものが現れた……と思った瞬間、それが激しい音を立てて弾け飛んだ。
「きゃぁぁっ!?」
エリーが悲鳴をあげて後ろに飛ばされて、〈風鎧〉で防ぎきれなかった水が、バシャバシャと私にもかかった。
魔法を解除して、急いでエリーのところに駆け寄る。【空間把握】を使っていなかったせいで、ベッドから勢いよく落ちてしまったけど、これくらいどうってことない。
「エリー、エリー……だいじょうぶ?」
「は、はい……フィリスさまは、痛いところなどありませんか?」
「へいき。エリーがまもってくれたから」
エリーもびしょびしょだけど、幸いけがはしていないみたいだった。私もエリーの〈水壁〉に守ってもらったおかげで、傷ひとつ負っていない。
一方のリードはといえば、エリーに魔法を防がれたのが気に食わなかったのか地団太を踏んでいた。
「俺の〈水牙〉を相殺する魔法だと!? 出来損ないの分際で、面倒なメイドを付けやがって……それにお前、魔法を使っていなかったか!? 出来損ないのくせに! くそっ!」
(出来損ない出来損ないって、さっきからなんなのこの人!?)
いい加減イライラしてきた。なんでいきなり、こんなに罵倒されなきゃいけないの。
さっきまでの恐怖はもうなくなって、代わりにふつふつと怒りがこみあげてくる。
「次は手加減しねぇからなぁ!」
リードの腕に、さっきよりも強く魔力が集まっていく。
より強い魔法を使うつもりなんだとしたら、多分私は直撃すると耐えられない。
万事休すか……と思った瞬間。後ろから抱きしめられるような感覚があって、ふっと体から力が抜けた。よく知っている魔力に全身が包まれているみたい。
(あぁ……来た。来てくれた!)
私の【魔力視】が、感知範囲ギリギリから、とんでもない速度で接近する巨大な反応を捉えた。
ゴゴゴゴゴ……と、魔力が揺らいでいる。リードなんかよりも、もっとずっと強く重いプレッシャー。だけど、私にとっては頼れる魔力。
間違いない。どうやって私たちのピンチを察知したのかは知らないけど、ナディお姉さんがここに向かってる!
「フィィィィィちゃぁぁぁぁん!」
「この声……ナディさま!?」
建物全体を震わせるかのような咆哮。その声で、エリーも誰が来ているのかわかったらしい。
「くっ……!」
リードが呻いて、発動しかけていた魔法は不発に終わる。ナディお姉さんの魔力が、リードに絡みつくように邪魔していたように視えた……そんなこともできるんだ。
「はぁ……やっと着いたわ……あら、お兄様。これはいったいどういうことでしょうか? まぁ、答える必要はないのですけれど」
……お兄様? この人が?
息を切らしながらやってきたナディお姉さんが、リードと対面するなり信じられないことを言った。
この、いきなり女の子の部屋に侵入して、あげく魔法までぶっ放したリードは、なんと私の兄だというから驚き。冗談じゃない。
「……〈逆巻け――水渦〉」
低く唸るナディお姉さんの周囲に、うねる柱のようなものが現れた。ナディお姉さんの魔法は初めて視たけど、なんてきれいなんだろう。魔力の流れに全く無駄がない。
短い詠唱から、ごく自然に、でも圧倒的な技量で魔法を発動させている。
「弁明は聞かないわよ!」
「ま、待てナディ! 話せばわか……」
「吹っ飛びなさい! こんの、おバカぁぁぁ!!」
リードが何か言いかけたけど、ナディお姉さんが腕を一振りした瞬間、その姿が消えた。正確には、ナディお姉さんの魔法が直撃して、とんでもない勢いで吹っ飛ばされたみたい。
そして、私のすぐ横をリードが通り過ぎて、そのまま窓から落ちていった……死んでないよね?
(ここ、二階だけど……)
大量の水に押し出されて、窓から落ちても大丈夫なの? ……この部屋が殺人現場になってないといいな。
「フィーちゃん! エリー! 大丈夫かしら?」
「……うん、へいき」
「大丈夫です、ありがとうございます、ナディさま」
リードを吹っ飛ばしたナディお姉さんは、もう知らないとばかりに私たちに駆け寄ってきた。
私がリードが飛んでいったほうに顔を向けているのが気になったのか、ナディお姉さんはため息をついて私を優しく抱きしめた。
「フィーちゃん、アレは気にしなくてもいいわよ。……一応、生かしておいたから。もうひとつ魔法を使って、外にクッションを作ったの。その上に落ちているはずよ」
(一応!? いや、死んでないのはよかったけど……)
あの一瞬でそんな精密なことができるなんて……やっぱりナディお姉さんはすごい。
「さて、フィーちゃんもエリーも着替えなさいな……と言いたいところなのだけれど」
ナディお姉さんがまたため息をつく。エリーは察したように言った。
「フィリスさまのお召し物は、全て濡れてしまいました。サイズの合う服を探してこないといけませんね……」
「それなら私のお部屋にあるわ! 赤い衣装箪笥の中よ。入っていいから取ってきてちょうだい」
「わかりました」
……なんで私のサイズの服を、ナディお姉さんが持ってるんだろう。私が今着ている服は、ナディお姉さんのおさがりだって聞いたことはあるけど、まだ残ってたのかな?
なんにせよ、今はとてもありがたい。濡れた衣服は、冷たくて気持ち悪い。
「さ、フィーちゃんは髪を乾かしましょうか」
「うん」
自分が濡れることも厭わず、私の髪を乾かすナディお姉さん。
私はエリーが持ってきた服に着替えて、空き部屋に移動した。
なんで空き部屋なのかと聞いたら、ナディお姉さんの部屋はものが溢れかえっていて、盲目の私を連れていくのは危険だから……ということらしい。
(誰も使っていないとはいえ、テーブルや椅子はある。そこまで不便じゃない、かな)
しばらく放置されていたのか少し埃っぽかったけど、エリーが手早く掃除した。
【空間把握】では、積みあがったテーブルや椅子を感知できた。元は余った家具置き場だったのかもしれないね。
「はぁ……ごめんね、フィーちゃん。驚いたでしょう?」
「だいじょうぶ」
「ふふ、フィーちゃんは強いわねぇ」
ナディお姉さんが、もっちもっちと私の頬をもてあそぶ。口調は優しいけど、魔力が不安定に揺れているから、ナディお姉さんの怒りはまだ収まっていないらしい。
(私の頬で気が紛れるなら、存分にどうぞ)
私にできるのは、ナディお姉さんを癒してあげることだけ。なんだかおもちゃにされているような気分になるけど、ナディお姉さんが落ち着くのならそれでもいい。
「それで、なぜリードさまはここに……」
エリーの呟きに、ナディお姉さんは、はぁぁ……と深いため息をついた。
「……フィーちゃんが『選定の儀』に行くのを、阻止したかったのよ。お父様もお兄様も、フィーちゃんのことが嫌いなようだし。けがでもさせて、出歩けないようにするつもりだったんじゃないかしら?」
「そんな……」
呆然とするエリーの声を聞いて、ナディお姉さんが続ける。
「今日だって、どうにか私を屋敷から遠ざけたかったようね。わざわざ偽物の招待状まで作って、パーティーへ向かわされたの。おかしいと思って、途中で引き返してきて正解だったわ」
なるほど。いつもは私の行動を予測しているみたいに現れるナディお姉さんが、今日は遅れて到着したのはそういう理由か。
(リードにとって、ナディお姉さんは天敵……)
私を襲撃するには、私にべったりなナディお姉さんが邪魔になる。だから、偽物の招待状を用意してまで引き離そうとしたんだね。
……ナディお姉さんの、勘の鋭さと私愛を甘く見ていたみたいだけど。
ナディお姉さんは、呆れたように言う。
「お兄様は登城しているはずなのに……わざわざ王都から出向くなんてよっぽどね。そんなにフィーちゃんが嫌いなのかしら」
「そういえば以前、『汚れた血』という呼び名を聞いた覚えが……」
エリーがそう言葉を発した瞬間、ナディお姉さんの魔力がぶわっと膨れ上がった。
「そう……まだ言っていたのね。全く、自分勝手で困るわ。フィーちゃんは何も悪くないのに」
『汚れた血』という言葉が私を指したものだというのは理解したけど、どういう意味なのかわからない。
「ねぇさま……どういういみ?」
私の問いに、ナディお姉さんは一瞬言葉を詰まらせる。それでも、ゆっくりと話してくれた。
「……フィーちゃんのお母様はね、私やお兄様のお母様とは違うのよ」
「アリアさま……でしたか?」
ナディお姉さんは、エリーの言葉に「えぇ」と答えた。
「優しくて強い、美しい人だったわ」
(だった? もういないの?)
ナディお姉さんは、とても柔らかく、そして悲しそうな声で、私に事情を話してくれた。
水の魔力に特化したアシュターレ家で、私だけ魔力属性が違うのは、異母兄妹だからだということ。
そして、ナディお姉さんが過去形で話しているのは……私の母であるアリアという人が、すでに他界しているからだということ。
ナディお姉さんたちアシュターレ兄弟は、父ゲランテと母ベルディの子。もちろん、このベルディという人物にも、私は会ったことがない。
私は、父ゲランテが手を出した街娘の子。子を孕んだことで、父が屋敷に連れてきた人がアリアさんだった。当然、正妻ベルディとの仲は最悪。それどころか、屋敷にいるほとんどの人からも邪険にされていたんだとか。
ゲランテは、アリアさんを屋敷に連れてきたあとは一切興味を持たず、一度も顔を見せることはなかった。ナディお姉さんだけは例外で、年齢の近かったアリアさんを、本当の姉のように慕っていたらしい。
「虐められて、蔑まれて……それでも気丈に振る舞っていたの。けど、体はどんどん弱っていったわ。最期は起き上がることもできなくなっていたのよ……」
アリアさんは元々体が弱かったうえに、最悪な環境で衰弱した体では、出産に耐えられるかどうかわからなかった。
子供を産めば、アリアさんが死んでしまう予感がしていたというナディお姉さん。
アリアさんに出産を諦めさせるべきかどうか、かなり悩んだという。
「でもね。『生まれてくる子に罪はない。わたしが死んでも、この子だけは絶対に死なせない』って……毎日のように、そう言われたのよ」
それでナディお姉さんは説得を諦め、代わりに最大限のサポートをすることにしたんだって。
ところが、悪い予感は現実になってしまった。
衰弱しきったアリアさんは、私を産むと同時に……「フィリス」という名前だけを残して、十六歳という若さでこの世を去った。
(思ったよりも重い……)
「フィーちゃんの名前と髪の色は、アリア姉さんの遺した贈り物よ」
ナディお姉さんはそう言って、優しく私の頭を撫でた。
ナディお姉さんは産婆を呼び、出産にも立ち会い、アリアさんの最期を見届けた。私への愛情は、アリアさんのぶんも含んでいるのかもしれない。
……一目だけでも、お母さんを見てみたかったな。声を聴いてみたかったな。もう会うことは、できないけれど。
それにしても、遊びのつもりで街娘に手を出し、産まれた子供もほったらかしなんて。
(ゲランテ……父親失格!)
私は正式な子供ではないうえに、盲目で魔力の属性も違うせいで扱いは最底辺。
ナディお姉さんがいなければ、私は今ここにはいなかったはず。
(でもはっきりした。これが、私の知らない私の過去……)
五歳の子供が聞くような内容ではなかったけど、ナディお姉さんもすごく苦しかったに違いない。
ゲランテのことを話すときや、アリアさんのことを話すとき……ナディお姉さんの魔力はひどく歪んでいた。これはもう、ゲランテのことが嫌いとか、そんなレベルじゃない。憎んでいるといってもいいくらいだった。
「あら、いけない。暗いお話になっちゃったわね。ごめんなさい、フィーちゃん」
「ううん、ありがと」
謝るナディお姉さんに、私は首を横に振る。
ナディお姉さんのおかげで、引っかかっていたものが取れたみたいに頭がすっきりしている。
母親のこと、家族との関係……どれもあまりいいものではなかったけど、それでも知ることができた。よかったと思った、そのとき。
(……げっ。せっかくいい雰囲気になってきたのに……)
使いっぱなしの【魔力視】に、さっき視たリードの魔力が映った。一度視たら忘れないよ、あんな不快感の塊みたいな反応。話が一段落して、ようやくナディお姉さんが元通りになったと思ったのに。
「リード、くるよ」
「!!」
【魔力視】を会得してから、私はナディお姉さんたちに聴覚で人の接近を察知していると説明してる。魔力を感知してるっていうよりは信憑性が高いと思ってね。
だから、ナディお姉さんもエリーも、さっと気配を鋭くした。
……ついリードを呼び捨てにしてしまったけど、特にお咎めもなかったなぁ。
「エリー、下がりなさい。フィーちゃんをよろしくね」
「はい!」
(おぉう……すごい重圧。津波みたい)
リードが近づくにつれて、ナディお姉さんの魔力がすごいことになっていく。
それはまるで、荒れ狂う海のよう。嵐のど真ん中にいるみたいに、魔力がうねる。魔力に質量なんてないはずなのに、気を抜くと押しつぶされてしまいそう。
これ以上、ナディお姉さんの魔力の奔流を視続けるのは危ない。【魔力視】は使わないほうがいいかなぁ。
臨戦態勢になって、魔王もかくやという雰囲気をまとうナディお姉さん。だけど、魔力を感知できないらしいリードは、躊躇いなく入ってきた。
「ここか! ……うぉ!? ナディ!?」
「懲りないわね、お兄様。フィーちゃんに手を出すというのなら、私が代わりにお相手して差し上げますわよ?」
「ぐ……」
まさに一触即発。リードが少しでも怪しい動きを見せたら、即座にナディお姉さんの制裁が下るはず。
「よせ、リード。お前ではナディには勝てん」
そのとき、聞いたことのない声が響いた。低い声……大人の男性かな?
「父上!」
リードに声をかけた人物は、ついさっきも話題に出ていた父、ゲランテだった。あんな話を聞いたあとだからか、チリッと胸が痛む。
まさかこんな形の初対面になるなんて、思ってもいなかったよ。
「あら、お父様。ずいぶんと手荒なことをするのね?」
ナディお姉さんは、ゲランテに冷たい声を向ける。
「はて、なんのことやら」
(うそつくの、下手くそか。私でもわかったよ)
ゲランテは言葉ではとぼけているけど、声が少し震えていた。
恐る恐る【魔力視】を使ってみると、ナディお姉さんの重圧はもう収まっていた。
これなら、ゲランテの言葉がうそかどうか、よりわかるようになる。
私の目は……見えないけど、誤魔化せないよ。
「まぁいい。ソレを『選定の儀』に連れていく。二日後だ」
自分の娘をソレ呼ばわり……こんなのを父親だとは思いたくない。
ゲランテの発言に、リードは驚いたような声をあげる。
「なに!? 父上、本気か!?」
「ああ、本気だとも」
ゲランテは平然と答えている。ゲランテとリードは同じ考えなんだろうと思っていたけど、実際は違うのかな? それとも、意見が食い違ったふりをしているだけ?
まぁどっちでもいいか。私が聞いたところで、答えてはくれないだろうし。
……それにしても、この違和感はなんだろう。
(ちくちく刺さるみたいな不快感……)
ナディお姉さんと話す……というか言い争うゲランテの言葉には、どこかにうそが混じっている。だけど、それがどこなのかがわからない。
「……私も同道するわよ」
「ふ、好きにしろ。護衛はもう雇っている。お前の出番はないだろうがな」
口調は普通だけれど、ナディお姉さんが一緒に行くと宣言した瞬間、ゲランテの魔力が大きくブレた。ナディお姉さんについてこられると、何か困ることがあるらしい。
(これだ……その『護衛』に何かある)
ゲランテが雇ったという護衛は、多分普通の護衛じゃない。
私が考えているうちに、ゲランテは私たちに背を向ける。
「行くぞ、リード……ナディ、それとエリー。屋内で魔法を使ったことは不問にする」
「あら、それはどうもありがとう。濡れたお部屋はどうするのかしら?」
「……メイドを手配する」
ゲランテはナディお姉さんの冷たい問いに短く答え、長居は無用とばかりにリードを連れて去っていった。……私の部屋を掃除してくれるメイドは、エリーしかいないんだけどね。
ゲランテがいなくなったとたん、ナディお姉さんが深いため息をつく。
「それにしても、急に連れていく気になったと思ったら……準備させないつもりかしら」
「お掃除を終え次第、すぐに出発の準備に取りかかります!」
力強いエリーの言葉に、ナディお姉様の雰囲気が少し和らぐ。
「そうね。フィーちゃんも、お部屋に行きましょうか」
ナディお姉さんが、私を抱っこしたまま歩き出した。自力で歩けるんだけどなぁ。
(あぁ、『選定の儀』について聞くのを忘れてた……)
そこでふと思い出した。私には『選定の儀』とやらの知識がまるでなく、いまだにどんなものなのかわかっていない。
何かの式典なのか、儀式みたいなものなのか……何も知らずに出かけるのは、ちょっと怖いな。
「ねぇさま。『せんていのぎ』ってなに?」
「……あらやだ、私、教えていなかったかしら?」
私が質問した瞬間、ナディお姉さんが動きを止めた。私が普通に聞いているから、もう知っていると思っていたらしい。
「『選定の儀』はね、神様から《ギフト》をいただく儀式のことよ。貴族は五歳の誕生日に受けるのが慣例なのだけれど……フィーちゃんは、ちょっと遅れてしまったわね」
「ふぅん」
「ちょっと難しかったかしら? まぁでも、行けばわかるわよね」
ごめんなさいナディお姉さん、ばっちり理解しています。
私はとっくに五歳の誕生日を迎えているから、本来ならもう『選定の儀』は終わっているはずだけど、ゲランテが参加を拒否し続けたせいで、遅れに遅れていたというわけね。
ついでに、もうひとつ聞いてみよう。
「ねぇさま。ぎふとって?」
「《ギフト》は、個人ごとの特殊な能力のことよ。基本的に、一人につきひとつ、神様から与えられるの。稀に、私みたいに複数持っている人もいるようだけれど」
(……もう、ナディお姉さんに常識は通用しないんじゃ……)
魔法の適性といい、《ギフト》の数といい……ナディお姉さんはやっぱりすごい。
私がナディお姉さんの規格外っぷりに驚いていると、エリーが「あれ?」と声を漏らした。
「ナディさまは《加護》もお持ちですよね? 《加護》と《ギフト》は同じなのですか?」
「違うわよ? 《加護》というのは、ギフトとは違って、魔法の威力や精度を底上げするもので、神様に気に入られた証。私は《水神の加護》の他に、《ギフト》を二つ持っているのよ。《ギフト》は、《水辺の舞踏》と《覇気》の二つ。制限もそれなりにあるけれど、便利な能力ね。言ってなかったかしら」
「は、初耳ですよぅ!」
ナディお姉さんがさらりととんでもないカミングアウトをして、エリーが激しく驚いてる。
「ねぇさま、すごい」
「あら、ありがとう。フィーちゃんはどんな《ギフト》をいただけるかしらね? 《ギフト》は得意なことや強く望んだことが反映されることが多いのよ。私の《水辺の舞踏》は、水のあるところで身体能力の大幅な強化ができる能力。《覇気》は、威圧することで、魔力量が少ない相手を一時的に封じ込めることができるの」
なるほど、リードの魔法が発動しなかった理由は、《覇気》だったんだ。
それにしても、私の能力かぁ。私の《ギフト》も、便利なやつだといいな。
「さてと。フィーちゃんのお部屋は、お片付けに時間がかかるでしょうから、私のお部屋にいらっしゃい! ちょっとだけ散らかっているけれど……」
そう言われて連れていかれたナディお姉さんの部屋は、【空間把握】では捉えきれないほどのもので溢れかえっていた。まず、床がどこだかわからない。
空き部屋に私を置いておくよりは安全だと判断したらしいけど……人はこの惨状を、「ちょっとだけ散らかってる」とは言わない。それでも、私には見えていないと思っているナディお姉さんは、片付けようとは思っていないみたい。
「あてっ!? 何か踏んじゃったわ」
(足の踏み場もないとは、まさにこのこと……)
私はナディお姉さんの言葉を聞いて、心の中で呆れた。
「私はエリーの掃除を手伝ってくるけれど、フィーちゃんは危ないから、ベッドから動いちゃだめよ?」
「うん」
私をベッドに下ろしたナディお姉さんは、私の部屋を片付けるために出ていった。動くなと言われたからには動かないけど、せめて手の届く範囲に何があるのかだけは知りたい。
あちこちに手を伸ばして、【空間把握】も使って確かめていく。
(クッション? ……ぬいぐるみかな? こっちは硬いビン? 香水かな)
ベッドの上だけでもこの散らかりよう……確かに、私がうろうろするのは危険すぎる。
(おとなしくしておこう……)
結局、この日はナディお姉さんが戻ってくるまで、私はベッドから一歩も動けなかった。
そして二日後。
あっという間に、私が『選定の儀』のために出発する日がやってきた。『選定の儀』はこの近所ではなく、王都というところで行うらしい。ほぼ一日かけて移動するんだとか。
エリーはかなり怒っているようで、魔力がゆらゆらと不穏な様子で揺れている。
……女の子の部屋に、ノックもなしに侵入したらそうなるか。私だっていやな気分だし。
「おい、この俺が来てやったというのに、挨拶のひとつもなしか? 出来損ない」
(出来損ない……私のことか)
いきなり幼女を罵るリード。これで挨拶をしろって言われても、絶対にいやだ。
「リードさま! それ以上は見過ごせません!」
エリーが私とリードの間に立って、両手を広げる。
(落ち着いて……大丈夫、怖くない)
リードが声を荒らげるたびに、私はびくりと震えてしまう。私の知らない過去があるようだけど、今はもう怖くない。そう幼い自分に言い聞かせて、震える体を落ち着かせる。
「……はっ、ついに口も利けなくなったか、出来損ない!」
一言もしゃべらない私に業を煮やしたのか、リードが声を張り上げる。
そして、リードが突き出した右腕に、魔力が急速に集まっていくのが視えた。どうやら魔法を使おうとしているらしい。
「っ!? いけません!」
一拍遅れて、エリーの腕にも魔力が集まっていく。
二人とも属性は水……リードのほうが、ちょっとだけ強いかもしれない。
「〈水よ、岩をも穿つ牙となれ――水牙〉!」
「〈水よ集え! 悪しき牙を断て――水壁〉!」
対になるような、リードとエリーの詠唱。詠唱が終わってから魔法が発動するまでは、微妙なタイムラグがあるんだね。
もちろん、私だってただぼーっとしていたわけじゃない。
(〈守れ――風鎧〉)
エリーが詠唱を終える直前、口の中で呟くようにして〈風鎧〉を発動させる。
そして、私の前に、グンッ! と大きな壁のようなものが現れた……と思った瞬間、それが激しい音を立てて弾け飛んだ。
「きゃぁぁっ!?」
エリーが悲鳴をあげて後ろに飛ばされて、〈風鎧〉で防ぎきれなかった水が、バシャバシャと私にもかかった。
魔法を解除して、急いでエリーのところに駆け寄る。【空間把握】を使っていなかったせいで、ベッドから勢いよく落ちてしまったけど、これくらいどうってことない。
「エリー、エリー……だいじょうぶ?」
「は、はい……フィリスさまは、痛いところなどありませんか?」
「へいき。エリーがまもってくれたから」
エリーもびしょびしょだけど、幸いけがはしていないみたいだった。私もエリーの〈水壁〉に守ってもらったおかげで、傷ひとつ負っていない。
一方のリードはといえば、エリーに魔法を防がれたのが気に食わなかったのか地団太を踏んでいた。
「俺の〈水牙〉を相殺する魔法だと!? 出来損ないの分際で、面倒なメイドを付けやがって……それにお前、魔法を使っていなかったか!? 出来損ないのくせに! くそっ!」
(出来損ない出来損ないって、さっきからなんなのこの人!?)
いい加減イライラしてきた。なんでいきなり、こんなに罵倒されなきゃいけないの。
さっきまでの恐怖はもうなくなって、代わりにふつふつと怒りがこみあげてくる。
「次は手加減しねぇからなぁ!」
リードの腕に、さっきよりも強く魔力が集まっていく。
より強い魔法を使うつもりなんだとしたら、多分私は直撃すると耐えられない。
万事休すか……と思った瞬間。後ろから抱きしめられるような感覚があって、ふっと体から力が抜けた。よく知っている魔力に全身が包まれているみたい。
(あぁ……来た。来てくれた!)
私の【魔力視】が、感知範囲ギリギリから、とんでもない速度で接近する巨大な反応を捉えた。
ゴゴゴゴゴ……と、魔力が揺らいでいる。リードなんかよりも、もっとずっと強く重いプレッシャー。だけど、私にとっては頼れる魔力。
間違いない。どうやって私たちのピンチを察知したのかは知らないけど、ナディお姉さんがここに向かってる!
「フィィィィィちゃぁぁぁぁん!」
「この声……ナディさま!?」
建物全体を震わせるかのような咆哮。その声で、エリーも誰が来ているのかわかったらしい。
「くっ……!」
リードが呻いて、発動しかけていた魔法は不発に終わる。ナディお姉さんの魔力が、リードに絡みつくように邪魔していたように視えた……そんなこともできるんだ。
「はぁ……やっと着いたわ……あら、お兄様。これはいったいどういうことでしょうか? まぁ、答える必要はないのですけれど」
……お兄様? この人が?
息を切らしながらやってきたナディお姉さんが、リードと対面するなり信じられないことを言った。
この、いきなり女の子の部屋に侵入して、あげく魔法までぶっ放したリードは、なんと私の兄だというから驚き。冗談じゃない。
「……〈逆巻け――水渦〉」
低く唸るナディお姉さんの周囲に、うねる柱のようなものが現れた。ナディお姉さんの魔法は初めて視たけど、なんてきれいなんだろう。魔力の流れに全く無駄がない。
短い詠唱から、ごく自然に、でも圧倒的な技量で魔法を発動させている。
「弁明は聞かないわよ!」
「ま、待てナディ! 話せばわか……」
「吹っ飛びなさい! こんの、おバカぁぁぁ!!」
リードが何か言いかけたけど、ナディお姉さんが腕を一振りした瞬間、その姿が消えた。正確には、ナディお姉さんの魔法が直撃して、とんでもない勢いで吹っ飛ばされたみたい。
そして、私のすぐ横をリードが通り過ぎて、そのまま窓から落ちていった……死んでないよね?
(ここ、二階だけど……)
大量の水に押し出されて、窓から落ちても大丈夫なの? ……この部屋が殺人現場になってないといいな。
「フィーちゃん! エリー! 大丈夫かしら?」
「……うん、へいき」
「大丈夫です、ありがとうございます、ナディさま」
リードを吹っ飛ばしたナディお姉さんは、もう知らないとばかりに私たちに駆け寄ってきた。
私がリードが飛んでいったほうに顔を向けているのが気になったのか、ナディお姉さんはため息をついて私を優しく抱きしめた。
「フィーちゃん、アレは気にしなくてもいいわよ。……一応、生かしておいたから。もうひとつ魔法を使って、外にクッションを作ったの。その上に落ちているはずよ」
(一応!? いや、死んでないのはよかったけど……)
あの一瞬でそんな精密なことができるなんて……やっぱりナディお姉さんはすごい。
「さて、フィーちゃんもエリーも着替えなさいな……と言いたいところなのだけれど」
ナディお姉さんがまたため息をつく。エリーは察したように言った。
「フィリスさまのお召し物は、全て濡れてしまいました。サイズの合う服を探してこないといけませんね……」
「それなら私のお部屋にあるわ! 赤い衣装箪笥の中よ。入っていいから取ってきてちょうだい」
「わかりました」
……なんで私のサイズの服を、ナディお姉さんが持ってるんだろう。私が今着ている服は、ナディお姉さんのおさがりだって聞いたことはあるけど、まだ残ってたのかな?
なんにせよ、今はとてもありがたい。濡れた衣服は、冷たくて気持ち悪い。
「さ、フィーちゃんは髪を乾かしましょうか」
「うん」
自分が濡れることも厭わず、私の髪を乾かすナディお姉さん。
私はエリーが持ってきた服に着替えて、空き部屋に移動した。
なんで空き部屋なのかと聞いたら、ナディお姉さんの部屋はものが溢れかえっていて、盲目の私を連れていくのは危険だから……ということらしい。
(誰も使っていないとはいえ、テーブルや椅子はある。そこまで不便じゃない、かな)
しばらく放置されていたのか少し埃っぽかったけど、エリーが手早く掃除した。
【空間把握】では、積みあがったテーブルや椅子を感知できた。元は余った家具置き場だったのかもしれないね。
「はぁ……ごめんね、フィーちゃん。驚いたでしょう?」
「だいじょうぶ」
「ふふ、フィーちゃんは強いわねぇ」
ナディお姉さんが、もっちもっちと私の頬をもてあそぶ。口調は優しいけど、魔力が不安定に揺れているから、ナディお姉さんの怒りはまだ収まっていないらしい。
(私の頬で気が紛れるなら、存分にどうぞ)
私にできるのは、ナディお姉さんを癒してあげることだけ。なんだかおもちゃにされているような気分になるけど、ナディお姉さんが落ち着くのならそれでもいい。
「それで、なぜリードさまはここに……」
エリーの呟きに、ナディお姉さんは、はぁぁ……と深いため息をついた。
「……フィーちゃんが『選定の儀』に行くのを、阻止したかったのよ。お父様もお兄様も、フィーちゃんのことが嫌いなようだし。けがでもさせて、出歩けないようにするつもりだったんじゃないかしら?」
「そんな……」
呆然とするエリーの声を聞いて、ナディお姉さんが続ける。
「今日だって、どうにか私を屋敷から遠ざけたかったようね。わざわざ偽物の招待状まで作って、パーティーへ向かわされたの。おかしいと思って、途中で引き返してきて正解だったわ」
なるほど。いつもは私の行動を予測しているみたいに現れるナディお姉さんが、今日は遅れて到着したのはそういう理由か。
(リードにとって、ナディお姉さんは天敵……)
私を襲撃するには、私にべったりなナディお姉さんが邪魔になる。だから、偽物の招待状を用意してまで引き離そうとしたんだね。
……ナディお姉さんの、勘の鋭さと私愛を甘く見ていたみたいだけど。
ナディお姉さんは、呆れたように言う。
「お兄様は登城しているはずなのに……わざわざ王都から出向くなんてよっぽどね。そんなにフィーちゃんが嫌いなのかしら」
「そういえば以前、『汚れた血』という呼び名を聞いた覚えが……」
エリーがそう言葉を発した瞬間、ナディお姉さんの魔力がぶわっと膨れ上がった。
「そう……まだ言っていたのね。全く、自分勝手で困るわ。フィーちゃんは何も悪くないのに」
『汚れた血』という言葉が私を指したものだというのは理解したけど、どういう意味なのかわからない。
「ねぇさま……どういういみ?」
私の問いに、ナディお姉さんは一瞬言葉を詰まらせる。それでも、ゆっくりと話してくれた。
「……フィーちゃんのお母様はね、私やお兄様のお母様とは違うのよ」
「アリアさま……でしたか?」
ナディお姉さんは、エリーの言葉に「えぇ」と答えた。
「優しくて強い、美しい人だったわ」
(だった? もういないの?)
ナディお姉さんは、とても柔らかく、そして悲しそうな声で、私に事情を話してくれた。
水の魔力に特化したアシュターレ家で、私だけ魔力属性が違うのは、異母兄妹だからだということ。
そして、ナディお姉さんが過去形で話しているのは……私の母であるアリアという人が、すでに他界しているからだということ。
ナディお姉さんたちアシュターレ兄弟は、父ゲランテと母ベルディの子。もちろん、このベルディという人物にも、私は会ったことがない。
私は、父ゲランテが手を出した街娘の子。子を孕んだことで、父が屋敷に連れてきた人がアリアさんだった。当然、正妻ベルディとの仲は最悪。それどころか、屋敷にいるほとんどの人からも邪険にされていたんだとか。
ゲランテは、アリアさんを屋敷に連れてきたあとは一切興味を持たず、一度も顔を見せることはなかった。ナディお姉さんだけは例外で、年齢の近かったアリアさんを、本当の姉のように慕っていたらしい。
「虐められて、蔑まれて……それでも気丈に振る舞っていたの。けど、体はどんどん弱っていったわ。最期は起き上がることもできなくなっていたのよ……」
アリアさんは元々体が弱かったうえに、最悪な環境で衰弱した体では、出産に耐えられるかどうかわからなかった。
子供を産めば、アリアさんが死んでしまう予感がしていたというナディお姉さん。
アリアさんに出産を諦めさせるべきかどうか、かなり悩んだという。
「でもね。『生まれてくる子に罪はない。わたしが死んでも、この子だけは絶対に死なせない』って……毎日のように、そう言われたのよ」
それでナディお姉さんは説得を諦め、代わりに最大限のサポートをすることにしたんだって。
ところが、悪い予感は現実になってしまった。
衰弱しきったアリアさんは、私を産むと同時に……「フィリス」という名前だけを残して、十六歳という若さでこの世を去った。
(思ったよりも重い……)
「フィーちゃんの名前と髪の色は、アリア姉さんの遺した贈り物よ」
ナディお姉さんはそう言って、優しく私の頭を撫でた。
ナディお姉さんは産婆を呼び、出産にも立ち会い、アリアさんの最期を見届けた。私への愛情は、アリアさんのぶんも含んでいるのかもしれない。
……一目だけでも、お母さんを見てみたかったな。声を聴いてみたかったな。もう会うことは、できないけれど。
それにしても、遊びのつもりで街娘に手を出し、産まれた子供もほったらかしなんて。
(ゲランテ……父親失格!)
私は正式な子供ではないうえに、盲目で魔力の属性も違うせいで扱いは最底辺。
ナディお姉さんがいなければ、私は今ここにはいなかったはず。
(でもはっきりした。これが、私の知らない私の過去……)
五歳の子供が聞くような内容ではなかったけど、ナディお姉さんもすごく苦しかったに違いない。
ゲランテのことを話すときや、アリアさんのことを話すとき……ナディお姉さんの魔力はひどく歪んでいた。これはもう、ゲランテのことが嫌いとか、そんなレベルじゃない。憎んでいるといってもいいくらいだった。
「あら、いけない。暗いお話になっちゃったわね。ごめんなさい、フィーちゃん」
「ううん、ありがと」
謝るナディお姉さんに、私は首を横に振る。
ナディお姉さんのおかげで、引っかかっていたものが取れたみたいに頭がすっきりしている。
母親のこと、家族との関係……どれもあまりいいものではなかったけど、それでも知ることができた。よかったと思った、そのとき。
(……げっ。せっかくいい雰囲気になってきたのに……)
使いっぱなしの【魔力視】に、さっき視たリードの魔力が映った。一度視たら忘れないよ、あんな不快感の塊みたいな反応。話が一段落して、ようやくナディお姉さんが元通りになったと思ったのに。
「リード、くるよ」
「!!」
【魔力視】を会得してから、私はナディお姉さんたちに聴覚で人の接近を察知していると説明してる。魔力を感知してるっていうよりは信憑性が高いと思ってね。
だから、ナディお姉さんもエリーも、さっと気配を鋭くした。
……ついリードを呼び捨てにしてしまったけど、特にお咎めもなかったなぁ。
「エリー、下がりなさい。フィーちゃんをよろしくね」
「はい!」
(おぉう……すごい重圧。津波みたい)
リードが近づくにつれて、ナディお姉さんの魔力がすごいことになっていく。
それはまるで、荒れ狂う海のよう。嵐のど真ん中にいるみたいに、魔力がうねる。魔力に質量なんてないはずなのに、気を抜くと押しつぶされてしまいそう。
これ以上、ナディお姉さんの魔力の奔流を視続けるのは危ない。【魔力視】は使わないほうがいいかなぁ。
臨戦態勢になって、魔王もかくやという雰囲気をまとうナディお姉さん。だけど、魔力を感知できないらしいリードは、躊躇いなく入ってきた。
「ここか! ……うぉ!? ナディ!?」
「懲りないわね、お兄様。フィーちゃんに手を出すというのなら、私が代わりにお相手して差し上げますわよ?」
「ぐ……」
まさに一触即発。リードが少しでも怪しい動きを見せたら、即座にナディお姉さんの制裁が下るはず。
「よせ、リード。お前ではナディには勝てん」
そのとき、聞いたことのない声が響いた。低い声……大人の男性かな?
「父上!」
リードに声をかけた人物は、ついさっきも話題に出ていた父、ゲランテだった。あんな話を聞いたあとだからか、チリッと胸が痛む。
まさかこんな形の初対面になるなんて、思ってもいなかったよ。
「あら、お父様。ずいぶんと手荒なことをするのね?」
ナディお姉さんは、ゲランテに冷たい声を向ける。
「はて、なんのことやら」
(うそつくの、下手くそか。私でもわかったよ)
ゲランテは言葉ではとぼけているけど、声が少し震えていた。
恐る恐る【魔力視】を使ってみると、ナディお姉さんの重圧はもう収まっていた。
これなら、ゲランテの言葉がうそかどうか、よりわかるようになる。
私の目は……見えないけど、誤魔化せないよ。
「まぁいい。ソレを『選定の儀』に連れていく。二日後だ」
自分の娘をソレ呼ばわり……こんなのを父親だとは思いたくない。
ゲランテの発言に、リードは驚いたような声をあげる。
「なに!? 父上、本気か!?」
「ああ、本気だとも」
ゲランテは平然と答えている。ゲランテとリードは同じ考えなんだろうと思っていたけど、実際は違うのかな? それとも、意見が食い違ったふりをしているだけ?
まぁどっちでもいいか。私が聞いたところで、答えてはくれないだろうし。
……それにしても、この違和感はなんだろう。
(ちくちく刺さるみたいな不快感……)
ナディお姉さんと話す……というか言い争うゲランテの言葉には、どこかにうそが混じっている。だけど、それがどこなのかがわからない。
「……私も同道するわよ」
「ふ、好きにしろ。護衛はもう雇っている。お前の出番はないだろうがな」
口調は普通だけれど、ナディお姉さんが一緒に行くと宣言した瞬間、ゲランテの魔力が大きくブレた。ナディお姉さんについてこられると、何か困ることがあるらしい。
(これだ……その『護衛』に何かある)
ゲランテが雇ったという護衛は、多分普通の護衛じゃない。
私が考えているうちに、ゲランテは私たちに背を向ける。
「行くぞ、リード……ナディ、それとエリー。屋内で魔法を使ったことは不問にする」
「あら、それはどうもありがとう。濡れたお部屋はどうするのかしら?」
「……メイドを手配する」
ゲランテはナディお姉さんの冷たい問いに短く答え、長居は無用とばかりにリードを連れて去っていった。……私の部屋を掃除してくれるメイドは、エリーしかいないんだけどね。
ゲランテがいなくなったとたん、ナディお姉さんが深いため息をつく。
「それにしても、急に連れていく気になったと思ったら……準備させないつもりかしら」
「お掃除を終え次第、すぐに出発の準備に取りかかります!」
力強いエリーの言葉に、ナディお姉様の雰囲気が少し和らぐ。
「そうね。フィーちゃんも、お部屋に行きましょうか」
ナディお姉さんが、私を抱っこしたまま歩き出した。自力で歩けるんだけどなぁ。
(あぁ、『選定の儀』について聞くのを忘れてた……)
そこでふと思い出した。私には『選定の儀』とやらの知識がまるでなく、いまだにどんなものなのかわかっていない。
何かの式典なのか、儀式みたいなものなのか……何も知らずに出かけるのは、ちょっと怖いな。
「ねぇさま。『せんていのぎ』ってなに?」
「……あらやだ、私、教えていなかったかしら?」
私が質問した瞬間、ナディお姉さんが動きを止めた。私が普通に聞いているから、もう知っていると思っていたらしい。
「『選定の儀』はね、神様から《ギフト》をいただく儀式のことよ。貴族は五歳の誕生日に受けるのが慣例なのだけれど……フィーちゃんは、ちょっと遅れてしまったわね」
「ふぅん」
「ちょっと難しかったかしら? まぁでも、行けばわかるわよね」
ごめんなさいナディお姉さん、ばっちり理解しています。
私はとっくに五歳の誕生日を迎えているから、本来ならもう『選定の儀』は終わっているはずだけど、ゲランテが参加を拒否し続けたせいで、遅れに遅れていたというわけね。
ついでに、もうひとつ聞いてみよう。
「ねぇさま。ぎふとって?」
「《ギフト》は、個人ごとの特殊な能力のことよ。基本的に、一人につきひとつ、神様から与えられるの。稀に、私みたいに複数持っている人もいるようだけれど」
(……もう、ナディお姉さんに常識は通用しないんじゃ……)
魔法の適性といい、《ギフト》の数といい……ナディお姉さんはやっぱりすごい。
私がナディお姉さんの規格外っぷりに驚いていると、エリーが「あれ?」と声を漏らした。
「ナディさまは《加護》もお持ちですよね? 《加護》と《ギフト》は同じなのですか?」
「違うわよ? 《加護》というのは、ギフトとは違って、魔法の威力や精度を底上げするもので、神様に気に入られた証。私は《水神の加護》の他に、《ギフト》を二つ持っているのよ。《ギフト》は、《水辺の舞踏》と《覇気》の二つ。制限もそれなりにあるけれど、便利な能力ね。言ってなかったかしら」
「は、初耳ですよぅ!」
ナディお姉さんがさらりととんでもないカミングアウトをして、エリーが激しく驚いてる。
「ねぇさま、すごい」
「あら、ありがとう。フィーちゃんはどんな《ギフト》をいただけるかしらね? 《ギフト》は得意なことや強く望んだことが反映されることが多いのよ。私の《水辺の舞踏》は、水のあるところで身体能力の大幅な強化ができる能力。《覇気》は、威圧することで、魔力量が少ない相手を一時的に封じ込めることができるの」
なるほど、リードの魔法が発動しなかった理由は、《覇気》だったんだ。
それにしても、私の能力かぁ。私の《ギフト》も、便利なやつだといいな。
「さてと。フィーちゃんのお部屋は、お片付けに時間がかかるでしょうから、私のお部屋にいらっしゃい! ちょっとだけ散らかっているけれど……」
そう言われて連れていかれたナディお姉さんの部屋は、【空間把握】では捉えきれないほどのもので溢れかえっていた。まず、床がどこだかわからない。
空き部屋に私を置いておくよりは安全だと判断したらしいけど……人はこの惨状を、「ちょっとだけ散らかってる」とは言わない。それでも、私には見えていないと思っているナディお姉さんは、片付けようとは思っていないみたい。
「あてっ!? 何か踏んじゃったわ」
(足の踏み場もないとは、まさにこのこと……)
私はナディお姉さんの言葉を聞いて、心の中で呆れた。
「私はエリーの掃除を手伝ってくるけれど、フィーちゃんは危ないから、ベッドから動いちゃだめよ?」
「うん」
私をベッドに下ろしたナディお姉さんは、私の部屋を片付けるために出ていった。動くなと言われたからには動かないけど、せめて手の届く範囲に何があるのかだけは知りたい。
あちこちに手を伸ばして、【空間把握】も使って確かめていく。
(クッション? ……ぬいぐるみかな? こっちは硬いビン? 香水かな)
ベッドの上だけでもこの散らかりよう……確かに、私がうろうろするのは危険すぎる。
(おとなしくしておこう……)
結局、この日はナディお姉さんが戻ってくるまで、私はベッドから一歩も動けなかった。
そして二日後。
あっという間に、私が『選定の儀』のために出発する日がやってきた。『選定の儀』はこの近所ではなく、王都というところで行うらしい。ほぼ一日かけて移動するんだとか。
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