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第四章 心を満たす魔法の手

時空神様が聞いたら泣いちゃいそうです……

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 悠然と歩いてきた愛の女神様が発酵石の器の前に立ち、シッカリ蓋が閉じられている器に触れます。
 バラの香りが濃くなり、愛の女神様の神力が強くなったのだと感じました。
 それって、みんなが苦しくなるのではないかと心配したのですが、そういうこともなく、周囲に漏れないように注意し、器だけに注がれているようで一安心です。

「妾の夫と姉が関わっていたのが良かったのぅ、ルナ、良い頃合いになったら教えておくれ」
「え……えっと?」
「妾の力は、妾を愛する者か妾が愛する者の力を増幅させるのじゃ」

 ということは、時空神様のお力と大地母神様のお力が増幅され……時間と発酵力……が……増幅って……まさかっ!?
 発酵に必要だと思っていた時間が短縮されていくということですよね。

「ただし、制約もある」
「勿論じゃ。その内容を教えるわけにはいかんが……リュートならば大まかにでも理解しておろう?」
「まーな……他言無用ってことだろ?」
「そうしてくれると助かる」
「わかっている。言わないよ」

 うふふと嬉しそうに微笑んだ愛の女神様は、器のほうをチラリと見て少しだけ頬を膨らませました。

「愛が足りぬぞ、ゼル。時間がかかりすぎじゃ」

 ま、まだ3分も経っておりませんがっ!?
 本来なら、発酵石の器を使っても4時間は見ておきたいところですよ?
 こういう時はドライイーストのほうが良いな……って思います。
 発酵石の器が無くても、1時間程度で発酵しますもの。
 天然酵母は扱いが難しい上に、パン生地を発酵させる段階で酸味が出て酸味の強いパンが焼けることもありました。
 焼き上がって食べてみるまでは味がわかりませんから、私も最初はよく失敗して兄と一緒にしょんぼりしたものです。
 しかし、そんな扱いづらい天然酵母には良い面もあり、発酵したあとの生地の水分量と風味が段違いで、噛めば噛むほど味が出るとはこのことか……なんて、家族で笑い合っていた思い出が蘇りました。
 本当に手間ひまかけた甲斐があったねと笑い合い、父と母に褒めてもらったときの嬉しさといったらなかったです。
 懐かしいですね……あ、いけません、しんみりしている場合ではありませんでした。
 集中しておかなければ、愛の女神様が時空神様と大地母神様の力を増幅させているのですから、考えているよりも早くに発酵が終わりそうです。
 ほ、ほら!
 言っている間に、私の感覚に生地の発酵が終わったという知らせみたいなものが来ましたよ!

「愛の女神様、ストップです、出来ました、もう出来上がりました!」
「ほう。意外と遅かったのぅ。妾への愛情が足りぬではないか」
「い、いえ、5分程度で出来ておりますから、足らないとは言えないのではないかと……」

 4時間を5分へと大幅に短縮しておいて『愛が足りない』なんて言われたら、時空神様が泣いちゃいませんかっ!?
 ものすごーく、愛されていると思います。
 こんなに早く出来上がるなんて、考えられませんもの。

「もう少し時間短縮ができたと思うのじゃがな……1分もかかっては愛情が足りぬと言うても良かろう?」
「無茶言うなよ。だいたい、心にも思っていないくせに」
「ふふ、ゼルが聞いたらどういう反応をすると思う?楽しみじゃな」
「全く……いちゃつくならよそでやってくれ」
「そなたがソレを言うのか?」

 愛の女神様とリュート様のテンポ良い会話を聞きながら、要らない心配だったのだとわかり、思わず苦笑が溢れます。

「おかげさまで発酵時間が短縮できました、お手数をおかけして申し訳ございません」

 そう言って頭を下げたのですが、その頭をペチリと叩かれ「他人行儀すぎじゃ」と唇を尖らせ可愛らしい様子で拗ねられてしまいました。

「すみません……えっと……あ、ありがとうございます」

 喜びをそのままお礼の言葉にして伝えると、それで良いと微笑まれ、優しい手付きで頭を撫でてくださいます。
 神族だからと畏まってばかりではいけないとリュート様が示しているのに、これではいけませんよね。
 愛の女神様が妹みたいなものだとおっしゃってくださるのですから、私も頼りになる姉を得たつもりで接しても良い……かしら。
 礼を欠くこと無く、丁寧だけど他人行儀ではない……つまり、リュート様に接するような感じでしょうか。
 ベオルフ様にしているように……というのは気安いですよね。
 私的に一番何でも話せて、何を話したところで揺るがない信頼関係を築けていると思える方はそういらっしゃいませんもの。
 でも、これからはそういう信頼関係を、もっと沢山築けていけたら良いなって思います。
 ただ……その中でも、ベオルフ様は特別なのでしょう。
 私のお兄様ですもの!
 な、なんて心の中で言い切っちゃいましたけど、大丈夫でしょうか。
 私の心配をよそに、ベオルフ様が「何をいまさら……手のかかる妹で困る」と呟きそうだと考えながら発酵石の器の蓋を開いて中を見てみると……
 わわわっ!
 すごいです!綺麗にふくらんで……ベリリの良い香りもしますね。
 こねている時もそうでしたが、ベリリの香りがずーっと感じられるなんて、とっても幸せな気分になります。
 甘酸っぱい良い香り……
 チェリシュが上機嫌で歌っちゃう気持ちがわかります。
 
 1つ取り出してみると、みんながびっくりしたような顔をして、中身を見ていました。
 そうですよね、こんなに膨らむとは思っていませんでしたよね。
 大体、2~3倍に膨らみますもの。

「うわ……3倍位になったか……すげーな」
「まんまるぷくーっ!なのっ」

 自分のボウルを受け取って、リュート様とチェリシュも驚き生地を見つめていました。

「一応、全部良い感じで発酵していますが、フィンガーテストをしてください。方法は、人差し指に強力粉を軽くつけ、ふくらんだ生地の真ん中に差し込んで指を抜いても、少し戻るくらいの穴が残れば発酵終了の目安となります」

 全員に発酵済みのボウルが行き渡ったのを見てからそう言うと、みんな恐る恐るといった感じで生地に指を差し入れます。
 どの生地も問題ない様子ですから、安心しました。
 天然酵母はドライイーストなどの単一菌とは違うので心配しておりましたが、発酵石のおかげで、私が考えている以上に扱い方が簡単なのかもしれません。
 これなら、誰もが風味豊かなパンが焼けますね。
 ガス抜きをしたパン生地をカードで8等分にして、カットした面を底に集めるように表面を張るように意識して丸め、底をピッタリとくっつけて閉じます。
 分割した生地を手に取り「こうやって丸めていきましょう」とやり方を実践して見せてみると、みんなも分割した生地を手に取り器用に丸め始めました。
 私の作業ひとつひとつが目新しいのか、黒騎士様たちも真剣に作っていますし「これも遠征討伐に持っていけないかな」と考えている様子です。
 日持ちはしますし、それほどの重量もありませんから良いのではないでしょうか。
 ただ、ちょっぴりかさばるかもしれませんけど……

 形を整えたパン生地を台の上に並べてボウルをかぶせ、20分ほど休ませることにしました。
 愛の女神様が「またやろうか?」とおっしゃってくださったのですが、慣れない作業に疲れが見え始めていましたので、休憩には良い時間ではないでしょうかと提案すると、セバスさんがみんなのお茶を準備するために一度下がり、カフェたちもお手伝いしてくるとキッチンへ向かったようです。
 ボウルではなく、濡れ布巾をかぶせるのも有効ですよと説明したり、セバスさんたちが用意してくれたお茶をいただいたりしながら質問に答えていると、20分などあっという間に過ぎ去り、再び成形してオーブンの天板に並べました。
 こちらの世界にはクッキングシートなどの便利道具はありませんが、こびりつきづらい素材を天板に使っているようですし、念の為に薄く油を敷きましたので心配しなくても良いでしょう。
 さすがに二次発酵には50分~90分ほどかかりますから、愛の女神様のお力を借りようとしていたのですが、ロン兄様がにっこりと笑って「ひと訓練できるね」とおっしゃったので、通常発酵に切り替えです。
 黒騎士様たちが「鎧を脱いでいますし!」と抵抗を試みましたが、「それがなくても出来ることはあるよね」と爽やかな笑顔には有無言わさぬ迫力がありました。
 黒騎士様たちがガックリと肩を落として訓練を開始し、それを横目に私はチェリシュと愛の女神様とお母様とイーダ様と談笑し、リュート様はテオ兄様とサラ様とボリス様を交えて、ゴーレムの制作についての話し合いをしている中、セバスさんとカフェたちは再びキッチンへ向かったようです。
 キュステさんとアレン様はというと、何やら二人して真剣な表情で言葉を交わしているのですが、竜人族の言葉なのでしょう。
 いつもの特徴的なイントネーションがなくなっているキュステさんに、違和感しか覚えません。
 リュート様を通して言葉を理解できますが、聞かれたくない内容なのだと判断し、そちらへ集中することはありませんでした。
 黒騎士様たちがヘトヘトになってきた頃、二次発酵が終わった感覚がして、立ち上がって様子を見れば、2倍くらいの大きさに膨らんでおりますね。
 うわぁ……綺麗に丸くぷっくりとしております。

「まんまるなのっ!」
「お?できたか」

 話を中断してこちらへやってきたリュート様は、天板の上の生地を見て「まだ膨らむのか……」と驚いた様子でした。
 ロン兄様や黒騎士様たちも、自分が担当した生地を見て、まんまるに膨らんでいるパン生地に驚き、焼いたらどうなるのだろうねと興味津々です。
 お母様は、こねを途中でテオ兄様にお願いしただけで、あとはご自身でされていたので、とても嬉しそうに生地を凹まさないように気をつけながら突いて、満面の笑みを浮かべました。
 イーダ様とサラ様とレオ様は今回生地を作っていませんが、レシピができたら是非作りたいと、みんなのパン作りの様子を興味深げに観察していらっしゃいましたし、ボリス様はパンの生地を作る過程をゴーレムに覚えさせたら楽かもと提案して、リュート様もそれには同意見だったようです。

「てか、ホームベーカリー……」

 ボソリと呟くリュート様に、それがあったら楽はらくですけど、難しいでしょう?と小さな声で尋ねると、どうやらそうでもないらしく、意外と簡単にできそうだと笑っていらっしゃいました。

「やっぱり、自分で作ると工程がわかるから、大変なところを楽にする工夫を考えつきやすいよな」

 それはリュート様だけだと思います……なんて思っていたのは私だけでしょうか。
 キュステさんやアレン様にも聞こえていたのか、呆れた表情でこちらを見ておりました。
 そ、それよりも早く焼かないといけませんね。
 チェリシュが先程から、せっかく丸めた生地を押さえきれない好奇心から潰そうとジタバタしております。

「コラ、チェリシュ駄目だろ?」
「むー……コロコロしたいの。ぺんってしてみたいの」
「さっきやったろ?」

 どうやらガス抜きの時にパン生地をぺんっとした感触が気に入ったのか、もう一度したいと目をキラキラさせて訴えてきますが……さ、さすがに成形と二次発酵が終わったパンはやめてくださいね?
 リュート様が私の腕からチェリシュを抱き上げてたしなめておりますが、チェリシュの爛々とした目は、まん丸の生地に向けられており「コロコロしたいの、ぺんってしてみたいの」と再び訴えておりました。
 ベリリの甘酸っぱい香りが生地からしているので、いじりたくて仕方ないのでしょう。

「聞き分けの悪い子は、こうだっ」
「きゃーっ」

 リュート様がチェリシュのぷっくりほっぺを軽くムニムニしはじめ、それが気に入ったらしいチェリシュは愛らしい悲鳴を上げながらケタケタ笑いだしました。
 な、なんでしょう、あの可愛らしい父娘は……もう、パン生地をペンする!という目的を忘れ、リュート様と戯れるのに夢中です。
 そんな中、リュート様がチラリとこちらへ目配せしてきて……ハッ!二人のやり取りが微笑ましいと和んでいる暇はありません。
 リュート様が作ってくださったチャンスを無駄にしてはいけませんよねっ!
 私とキュステさんとセバスさんは顔を見合わせ頷き合うと、天板を持って急ぎキッチンの魔石オーブンレンジへと向かうのでした。

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