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1巻

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   プロローグ


「卒業パーティーのこの場を私的に借りることを、まずは皆に詫びたい」

 先程までのなごやかな様子から一転した雰囲気で、このグレンドルグ王国第二王子であり、私の婚約者のセルフィス殿下はそう言い放った。ついで私を睨みつけるが、その視線は婚約者に向けるものとは思えないほど冷たい。
『その時』が来る可能性があると理解はしていたものの信じたくなかった瞬間が訪れた絶望を、なんと言い表したらいいだろうか――

「ルナティエラ・クロイツェル嬢、前へ」

 常とは違う彼の硬い表情と声に、誰もが息をひそめて成り行きを見守っている。
 この場に来ている父と母が動揺することもなく此方こちらを見ている様子から察するに、事前になんらかの報せを受けていたのかもしれない。
 私を忌み嫌っているはずの両親が、卒業を祝うためのこの場所に来るなどおかしいと思っていたが、その理由を理解して唇を噛みしめた。
 やはり、この世界はミュリア様のためにあり、私は彼女にとって邪魔者――『悪役令嬢』であるということなのだろう。
「ああ、やっぱり」という諦めにも似た苦い思いが胸に広がる。ただ形容しがたい複雑な思いを抱きながらも、平静さを保つくらいの余裕はあった。
 普通の令嬢であればいつもとは違う婚約者の様子に狼狽うろたえ、ただ震えていたに違いない。
 心の内に広がる絶望を噛みしめ、ただ目の前の状況を見つめる。
 冷たく見下ろしてくるセルフィス殿下や感情の読めない暗い瞳で見つめてくるアルバーノ様、その後ろで守られるようにして立っているミュリア様を順々に見つめ、なんとも言えないむなしい気持ちがこみ上げてくる。
 そして私は、『結局はこうなってしまうのか』という気持ちとともに思い出す。
 すべての始まりである、あの日のことを――


 §§・✿・❀・✿・§§


 それは、去年のことだ。私たちの学生生活が最後の年になり、ようやくセルフィス殿下との婚約が本決まりになった頃、一人の少女が学園へ編入してきた。貴族たちの通うこの学園では編入の生徒は非常に少ない。
 物珍しさも手伝って、少女を一目見ようと、多くの生徒が彼女の元へ足を運んでいた。かくいう私も好奇心を抑えきれずに覗きに行った一人である。
 その日の天候は雨だった。令嬢として覗き見をするなんてはしたないけれど、こんな天気であれば他の学生たちは来ないだろうと高をくくり、くだんの少女がいる中庭をこっそりと物陰から覗き見た。
 少女は降り注ぐ雨をものともせず、可憐に美しく立っていた。
 小柄な体に春を連想させるふわふわとしたパステルピンクの長い髪、深緑の瞳は眩しいくらいに光り輝いている。
 なぜかそのかたわらにいた婚約者であるセルフィス殿下も、彼女のような愛らしい少女から笑顔で話しかけられて悪い気はしないのだろう。私には向けないような優しい笑みを浮かべ、とても親しげに話をしている。
 キラキラ輝く彼女とセルフィス殿下の様子を見ていると言葉にできない気持ちが湧き上がった。なんともいえない気持ちで視線を逸らすと、校舎の分厚い窓ガラスに映った己の姿が目に入り、さらにみじめになってしまう。
 濃い空色の長い髪の奥から、雨の中で黄金の瞳が自信なさそうに此方こちらを見ている。家でも両親からいとわれる見た目だ。少女のような華はじんもなく、外出をあまりせず暗い部屋の中にこもっていることが多いためか、肌は病的なまでに青白い。
 沈みそうな気持ちを誤魔化すように再び編入生へ視線を戻した瞬間、飛び込んできた光景に息を呑んだ。
 周囲に冷たい雨が降っているというのに、彼女の周りだけスポットライトが当たるかのごとく厚い雲の隙間から光が降り注いだのだ。
 なんて不可思議で神秘的なのでしょう――って、スポットライト?
 不意に浮かんだ言葉の意味を理解できない自分と、それが適切な表現であると考えている自分がいる。奇妙な違和感を覚えると同時に、激しい頭痛が襲ってきた。
 何かを警告するかのような痛みに耐え、なんとかこの場から離れようときびすを返す。
 その時だった。視界の端で少女が濡れた地面に足を取られたのか、バランスを崩した。それをセルフィス殿下が支え、きらきらと陽の光が美しく二人を照らす。
 このシーンを、私は知っている……そうだ、これは小説の中でセルフィス殿下と『ヒロイン』のミュリアが、お互いを意識し始めるきっかけとなったシーンだ――
 そんな言葉が頭に自然と浮かび、さらに頭痛が激しくなる。
 光が射す中で微笑み合う二人と対照的に、酷い痛みに吐き気すら感じ始め、私は部屋へ戻ろうと一歩を踏み出した。その瞬間グラリと意識が揺れる。
 闇にのまれる感覚に不安を覚えて助けを求めるように腕を伸ばす。
『主人公』のミュリア様とは違って、『かたきやく』の私を誰も助けてはくれないだろう。そんなことを考えたのを最後に、私は意識を失った。
 目覚めると寮内の自室にいた。聞くと、ベオルフ様――この国の騎士団長を務めるアルベリーニ家の長男が私を連れ帰ったそうだ。
 その後、医師からは過労と診断されたが、おそらく前世の記憶と現世の記憶の混濁が精神に大きな負担をかけたため、原因不明の発熱という症状が出たのだろう。しばらく起き上がることもできないまま、呼び起こされた記憶と現実が入り混じる酷い悪夢にうなされる日々が続いた。
 その療養期間に見舞いへ来てくれたのはベオルフ様だけで、セルフィス殿下は一度も姿を見せなかった。その噂はどこからともなく広がり、私は「お飾りの婚約者」だと今まで以上に周囲から軽んじられる存在になった。
 熱が微熱程度に下がった頃には記憶の統合も落ち着き、セルフィス殿下が選ぶのは私ではなくミュリア様だと理解したので、噂に落ち込むことはなかった。
 それよりも前世の記憶を一部取り戻したことにより、この先に訪れるだろう未来を知り、私は恐れおののいていたのである。
 前世の私は、この世界に酷似した『君のためにバラの花束を』という小説を親友に薦められて読んだことがあった。主人公のミュリアがセルフィスという王子と出会い、数々の苦難を乗り越えていくという王道ラブストーリーである。
 その中でルナティエラ・クロイツェルは、惹かれ合うミュリアとセルフィスを邪魔する、ちまたでは『悪役令嬢』と呼ばれる存在で、婚約者であるセルフィス殿下への愛ゆえに狂っていく役どころであった。
 一見、清楚で控えめな令嬢の風貌をしているのに、実は激情に駆られやすいキャラクターだったが、そのギャップがまたいい味を出しているのだと前世の親友は熱く語ってくれた。しかし、私は彼女とは真逆に、ルナティエラというキャラクターを恐ろしく感じた。
 セルフィス殿下を愛するが故に、ヒロインの彼女を陥れ、追い詰め、苦しめる。それこそ手段を選ばず、己の破滅すらもかえりみない。
 だから、自分こそがその悪役令嬢であるという記憶を取り戻してからは、セルフィス殿下やヒロインを避け、接触も最低限で済ませた。愛という感情に溺れ、破滅するほど狂いたくなどなかったから――


 §§・✿・❀・✿・§§


 そんな風に、この日が来るのを恐れていたというのに――と心の中で呟き、目の前で自分をきゅうだんするセルフィス殿下を見つめる。
『君のためにバラの花束を』の断罪シーンに酷似しているこの状況を、現実として受け入れるのは難しい。何しろ私はミュリア嬢に近付きもしたことがない。全員がお芝居でもしているのではと現実逃避をしたくなるが、どれほど否定しようとも、これは紛れもない現実だった。
 今更考えても意味がなく、後の祭りだと分かっていてもそんなことを考えてしまうのは、目の前に迫る破滅に恐怖を感じているからだ。すぐそこまで迫ってきている死の気配が怖くて仕方がない。
 しかし、物語にあったような狂わんばかりの愛情をセルフィス殿下に抱くことも、共に生涯を歩んでいきたいという気持ちを持つこともできなかった私には、何度考えても二人から距離を取るという選択肢しかなかった。
 これまでのことを振り返っている間、私がおこなったという罪が朗々と読み上げられていた。ミュリア様の持ち物を隠したという小さなことから彼女の誘拐まで、覚えのない多くの罪を私が犯したことになっている。
 どうしたらよいのだろうと考えても妙案が浮かぶはずもなく、目を伏せたまま立ちつくしていると、セルフィス殿下が私の前に進み出た。

「ルナティエラ・クロイツェル嬢。君がミュリア嬢をしいたげていたことについては、双方に認識の違いがあるやもしれない。しかし、最後に述べられた誘拐は未遂とはいえ重罪であり、証拠も揃っている。君の犯した罪を考えれば、私との婚約は破棄する以外にない。罪を悔い改め謝罪するならば温情をかけることもできるが」

 セルフィス殿下の青い瞳がわずかに揺れているのを見て、私は驚きで息を呑んだ。
 物語にはなかったセリフは、もしかすると彼が心から感じていることなのだろうか。
 そうだとしたら、私が幼いころから積み上げてきたものは無駄ではなかったのかもしれない。物語の中のセルフィス殿下は情など一切感じさせることはなく、ルナティエラを罪人として扱ったのだから……
 わずかに息を吸い込んで顔を上げる。

「……殿下のお心遣いには感謝いたします。ですが、わたくしには訴えられた罪を犯した覚えは一切ございません」

 折れそうな心を必死に支え、震えそうな声でなんとかそれだけは言うことができた。
 彼の『温情』にすがって偽りの罪を受け入れるよりも、恐ろしい現実を前にしても折れない心を抱き、最後まで無実を訴え続けよう。その果てに死が待っていようとも、最後の瞬間まで諦めたくない。
 なぜこんな強い思いが湧いてくるのかわからないが、自分の中の私が叫ぶのだ。
 私らしくあれ……と――
 私の言葉に、セルフィス殿下の顔が苦く歪んだ。

「ルナティエラ・クロイツェル嬢……残念だ……」
「犯した覚えのない罪を認めることはできません。己の命が惜しいばかりに、やってもいない罪を認めるなど愚か者のすることです。わたくしは、先程述べられたような罪を犯していない。それが真実です」

 侯爵令嬢として恥ずかしくない、ぜんとした態度で言えただろうか。
 セルフィス殿下の背で、ミュリア様の口元が歪んだのが見えた。恐らくは、彼女によって証拠や罪がでっちあげられたのだろう。すべてが彼女の計画通りということが悔しく、誰にも信じてもらえないことに心が痛むが、今更どうしようもない。
 しかし、罪状にあった『私がミュリア嬢をしいたげた』という言葉には思わず苦笑が浮かんでしまいそうになる。
 セルフィス殿下は双方に認識の違いが――と言っていたけれども、これまで両親からの愛情もなく冷遇され、ないものとして扱われてしいたげられる痛みを誰よりも知っている私が、どうして他者をしいたげられるのだろう。

「本当に、いいのか?」

 私にだけ聞こえるような小さな声でベオルフ様が問いかけてくれたが、それに返す言葉が見つからずにうつむくしかなかった。今、声を出せば泣いてしまいそうだ。心をふるい立たせても震えてしまう手を必死に隠していたのが、べオルフ様からは見えていたのかもしれない。
 覚えのない罪に、捏造ねつぞうされた証言と証拠が揃っているのだから逃れようがないし、誰一人として味方にはならない現状は誰よりも理解している。しかし目の前に死という道しか残されていないのだと分かっていても、命を永らえるために殿下にすがり、彼らの言う罪を認めたくはなかった。
 私の決意が変わらないと理解したのだろう。セルフィス殿下がわずかに首を振る。

「ルナティエラ・クロイツェル侯爵令嬢を、ミュリア・セルシア男爵令嬢の誘拐未遂容疑で捕らえよ」

 その言葉で騎士たちが動き出す。それにともない、背後にいたベオルフ様も距離をとったことが気配で分かった。
 結局、物語の結末は変わらなかった……という絶望がじわじわと胸の内に広がる。
 けっして小説にあったような悪事など働かなかったのに、覚えのない犯罪行為を捏造ねつぞうされた上に国外追放か死罪となるなんて。
 前世の親友がこの場にいたら「納得がいかない!」と怒鳴り込んできたかもしれない。そう考えたら、絶望的な状況下でも少しだけ笑うことができた。
 今世において彼女のような得がたい友を作ることはできなかったけれど、彼女はいつも私の心の支えだった。感謝してもしきれない。
 いや、他にも自分を支えてくれた人はいたような気がする。しかし、それを考えようとすると頭にかすみがかかったようにぼやけてしまう。頭を振り、今は考えても分からないことへ意識を向けるのをやめ、前世の親友の顔を思い出して自らを勇気付けた。

「ルナティエラ様……どうして……こんな……」

 嘆き悲しむミュリア様の声が聞こえるが、どう見ても嘘泣きだ。うっすらと浮かんだ笑みを隠すように手で顔を覆っている彼女は、私の目から見たら悪女にしか見えない。
 しかし、外見は可憐な乙女である彼女の泣く姿は男たちの心をかき乱すのか、セルフィス殿下は眉尻を下げて彼女の肩に手を回していた。しかし、もはやその姿を見ても心は痛まない。
 二人を眺めていると金属がぶつかり合うような重い音がした。武装した騎士が近くまで来たのだと理解し、捕らえられる瞬間を大人しく待つ。
 すべてが終わったのだと唇を噛みしめる。結末は変わらなかったが、覚えのない罪に絶望するよりはぜんとした姿でいようと、下がっていた視線を上げて前を見据えたのだが――いつまでたっても騎士たちが私を捕らえる気配がない。
 そればかりか周囲が私を見てざわめいていることに気づく。目の前で仲睦まじそうに寄り添っていたセルフィス殿下とミュリア様までもが、驚愕の面持ちで此方こちらを見ていたのだ。
 今更、何を驚くことがあるのだろうと周囲をうかがうと、自分の足元が光っていることに気が付いた。
 ――え? こんなシーンはなかったはず……
 ベオルフ様の鋭い声が、何かに遮断されているように遠く感じる。
 私の周囲には光の粒子がただよっていた。その発生源となっている私の足元にはいつの間にか金色の文字がびっしりと浮かんでおり、複雑な文様を描きながら広がっていく。そして、ふわふわと浮かぶ淡い輝きは数を増やしたかと思うと、数秒の後、はじけるように消えた。
 次の瞬間、黄金の光が床から天へ昇っていく――言葉も出ないほど不可思議な光景に思わず息を呑む。
 どうすればいいのか分からず混乱する頭をなんとか動かして、光から抜け出す方法を考えていると、目の前に一人の男性が現れた。
 その人は、艶のある漆黒の髪と茶色の瞳という懐かしい色合いを持った青年で、グレンドルグ王国に多い彫りの深い顔立ちではなく、東洋人らしい顔つきをしている。
 その場にいた全員に彼の姿が見えているのか、『主神オーディナル様だ!』と声が上がったが、その声もくぐもって聞こえた。
 前世の記憶を思い出した私にとって馴染み深い黒髪も、この世界の人間には特別な意味を持つ。
 この世界を創造した神オーディナルは、世界の繁栄を願い、特殊な力を持った使つかいをごく稀に誕生させる。そして、その者は例外なく、創造神オーディナルと同じ漆黒の髪色だったのだ。
 それ故に、人々はその使つかいを『創造神オーディナルの愛し子』と呼び、この地に降臨した神のようにあがたてまつったと書物には書き記されていた。
 しかし、私には目の前の彼がオーディナル様だとはどうしても思えなかった。此方こちらをまっすぐ見て凛々しくも優しく微笑む姿は、どちらかというと前世の親友の姿と重なって見える。
 どうしたらいいのかわからず、しばらく無言で見つめ合っていると、彼がまるで此方こちらへおいでと言うかのように私へ向かって手を差し出す。
 目の前に差し出された大きな手に、私は自然と自らの手を重ね合わせた。
 それと同時に黄金の輝きが増し、今まで見えていた景色が光とともに遠くなる。


 ――『悪役令嬢』のルナティエラは神々しい輝きに包まれ、その場から姿を消した。
 後にこの出来事が『神の花嫁』として広く人々に語り継がれ、新たな伝説となることを、この時の私はまだ知らなかった。


 §§・✿・❀・✿・§§


 最後にセルフィス殿下の呼ぶ声が聞こえた気がしたけれど、それすらもう遥か彼方。
 金色の光は私を包み込み、急速に浮き上がった。漆黒の空間に浮かぶ色鮮やかな星のきらめきを飛び越え、ひたすらに先へと突き進む。これはどこに向かっているのだろうか。
 まさか、ルナティエラになってジェットコースター気分を味わうとは思わず、三半規管が悲鳴を上げる。だんだん目眩がしてきて、乗り物酔いのように気持ちが悪くなる中、一際大きなきらめきが目の前ではじけた。
 その瞬間、長く続いた乱高下から解放され、地に足が着いたことに安堵する。そして、いつの間にか閉じていた瞼をゆっくり開くと、ばゆい光の中に一人の青年が立っていた。彼は驚いたように私を凝視している。
 ここは一体どこなのかも分からない状況なのに、なぜか私の視線は自然と彼に吸い込まれてしまう。
 最初は、あの時手を差し伸べてくれた青年かと思ったのだが、外見が違うので、どうやら別人のようだ。
 彼の濡れ羽色の髪は先程見た青年と同じ色合いだが、その瞳の色はまったく違う。虹彩は青く鮮やかで、瞳孔の周りを彩るように、明るい金色や黄色からオレンジのグラデーションがわずかに見える。その不可思議でいて地球を思い出させるような美しい色合いは――確か前世ではアースアイと呼ばれていたはずだ。いつまでも見ていたくなるほどの力ある輝きを放っている。
 ――でもやはり、先程見た男性にどことなく似ているような……?
 そこまで考えて、自分が奇妙なほど目の前の彼に興味を覚えていることに気が付いた。
 なんでしょうか……この感覚は――、そして、ここはどこなのでしょう。

「あ……あの……」

 私が考え込む間にも青年の視線は私に注がれていた。さすがに耐えきれなくなり声を出したが、その後の言葉が続かない。
 自然と彼の顔に向かってしまう視線を引きはがし、彼の服装や周囲に向ける。すると、服装からして、違和感があった。
 彼の服装は私のいたグレンドルグ王国の貴族たちが着ているものよりも装飾は少ないが、どこか武骨で未来的だ。それだけではなく彼の肩越しに見える真っ白な壁は、金属特有の光沢があり、歪みの一つもない。
 ここはどうやら呆れるほど広い室内――それも、金属壁に囲まれた何もない空間だと理解して目をみはる。石壁が当たり前だったグレンドルグ王国や、周辺諸国ではありえない光景だ。
 ま、まさか……ですよね?
 心臓が激しく脈打ち、一つの考えに行き着こうとしているのを阻止するように、ズキリと頭に痛みが走る。
 ……まさか……ここは違う世界……? いや、もしかしたら日本に戻ってきた……とか?

「あの……!」

 ありえそうでありえない考えを頭に浮かべながら声をかけると、目の前の青年がようやく動き出した。

「えっと……君は俺が召喚したん……だよな?」

 はて? 『召喚』とは? さらなる疑問が頭をよぎるが、そんな疑問は些細なことだと感じてしまうほど彼の声は不思議と耳に心地よく響く。次の言葉が見つからずただ呆然とお互いを見つめ合っていると、いきなり鋭い音が飛び込んできた。獣のえる声ともけたたましい鳥の鳴き声ともつかない音に驚き、はじかれたように視線を向けると、真っ赤な髪の男性が此方こちらへやってくる。
 彼は、私と青年を交互に見て目を輝かせたかと思うと、いきなり叫んだ。

「リュート・ラングレイ! どうやら貴様も召喚に成功したようだな。ちょうどいい。腕試しといこうかっ!」
「危ないっ」


 青年が私の体を横抱きにして、その場から大きく跳躍する。
 同時に爆音が耳をつんざいた。
 思いがけない熱風にドレスがあおられ、怖くて身を固くしていると、青年が低く「あの野郎」と呟く。

「悪い、本当は詳しく説明してやりたいが、どこかの馬鹿のせいで、それどころじゃなくなった。どう見てもアンタ、戦える見た目じゃないし……とりあえず、簡単に説明する。アンタは俺が召喚したから、現状『俺の召喚獣』ってことになる。もちろん嫌だというならすぐに元の世界へ帰すから、今だけ、ちょっとじっとしていてくれるか?」
「は、はい……!」

 青年に尋ねられ、訳が分からないながらも必死に頷くと、わずかに微笑まれた。それにほっとして、改めて周囲を見る。どうやら私と青年は複雑な文字や文様が刻み込まれている床から黄金の輝きが溢れている場所にいたようだ。
 今は黒く焦げてしまっている床に、先程まで立っていたと考えるだけで恐ろしくなり、彼の首筋にしがみつく。
 すると「そのまましっかり掴まっていてくれ」と頼まれた。
 手を離さないように力を込めたのを確認した彼は頷き、炎を繰り出す相手に向かって叫ぶ。

「やめろ、ガイアスッ! まだ彼女とは契約してねーんだよ! しかも、彼女はどう見ても戦える召喚獣じゃないから諦めろっ!」
たくはいい! 貴様自身が戦えばいい話だっ」
「アホか! オイ、ガーディアン! 未契約および非戦闘召喚獣に対する戦闘行為は、学園内だとしても召喚獣保護法に引っかかるはずだろうが! さっさと止めろ!」

 分からないことばかりだが、青年に戦う気はないのだろう。しかし、ガイアスと呼ばれた相手は全く聞く気がないようで、攻撃の手を止めない。何度か爆発音が鳴り響き、そのたびに青年が身をひるがえす。
 近くで炎が幾度となく炸裂したが、青年が何かをしたのか熱さは一切襲ってこなかった。

「人の話をちゃんと聞かねーで好き勝手しやがって……いい加減、イラついてきたな」

 唸るように呟かれた言葉は、物騒な色を宿して低く響く。
 苛立ちを募らせながらも彼の集中は途切れることなく、次々と襲い来る炎を軽やかな動きで右に左に上に下に避けている。
 先程のジェットコースターよりはマシですけれど、これが続くと酔いますよ⁉
 揺れる視界の中、真っ赤な髪の襲撃者の隣で火をまとったトカゲのような生き物が口から炎を吐き出すのが見える。
 これでこの世界が別世界なのが確定ですっ! こんな炎を吐く生物なんて、私の世界には存在しませんでした! グレンドルグ王国は日本と同じような生態系に加えてちょっぴり不思議な神の使つかいがいるくらいでしたもの!


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