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神の花嫁
1.まだその時ではない
しおりを挟む「ベオルフ、ギリギリであったな!」
卒業パーティーに出席するための準備を考えると、本当にギリギリの時間帯に自宅に到着した私は、急ぎ支度を手伝ってもらい何とか礼装に身を包む。
父が嬉しそうに私の肩を叩いているが、今は辺境より馬に乗り強行軍で戻ってきた我が身を休めていたかった。
「申し訳ありません。辺境の状況は思ったより酷く……」
「ああ、報告は受けている。狼がこれほどの数で人を襲うなど、前代未聞だ。何らかの要因があるようにしか思えん」
「その辺りも調査したいのですが、何分人手が足りません。卒業パーティーが終わり次第、再びあちらへ戻ろうと思います」
慌ただしい男だと苦笑する父に一礼し、婚約者を持たない私はエスコートする令嬢がいるはずもなく、会場へと向かう。
無理を言って、婚約者を持たずにここまで来てしまったが、それでよかったのだと心から思えた。
学園はおろか辺境に行ってしまったら、中々帰ってこないだろう婚約者など持っても、不安にさせてしまうだけだとわかっていたからだ。
「やあ、ベオルフ」
会場にはいってそうそう声をかけてきたのは、アルバーノ・コルテーゼであった。
あまり親しいという間柄ではないが、彼が持ってくる有益な情報のおかげで、辺境の被害は最小限に食い止められている。
まあ、私が出向くしか無い状況で報告が入るから、贅沢を言うならば、もう少し早くどうにかならなかったのかと問いたい。
最近では、知り合いや家族に業務連絡のようなことをして、形式上になってしまってはいたが、セルフィス殿下に挨拶をして出ていくということを続けていた。
アルバーノの口から出てくる言葉は自慢が多いので、軽く聞き流しながら出席者が揃うのを待つ。
こういう時、やんわりと止めてくれるはずの彼の婚約者がいないことが悔やまれる。
病に倒れたと聞くが、快復に向かってくれることを切に願う。
この男の手綱だけは、しっかりと握っておいてほしいものだ。
よくもまあ、それほど自慢する事柄があり、止まらず口が動くものであると呆れ返っていたときであった。
会場の入口が一際騒がしくなり、どうやらセルフィス殿下がいらっしゃったようだと視線を向け、言葉を失う。
本来なら、セルフィス殿下と婚約者であるルナティエラ・クロイツェル嬢の姿がそこにあるはずであるのに、何故かミュリア・セルシア男爵令嬢が殿下の隣にいるのである。
何だ?どういうことだ……?
さすがに、周囲もこれには驚いたようでざわついている。
だが、よく見れば、学友たちに驚きの様子は見られない。
つまり……これが日常だということなのか?
ルナティエラ嬢はどうしたのだろうかと視線を巡らせてみれば、彼女は殿下たちより遠く離れた場所で、その光景を眺めているようであった。
遠目でもわかるほど、顔色が悪い。
それはそうだろう……それよりも、何故周囲の者たちは何も言わないのだ?
「どうしたんだい、ベオルフ」
「アルバーノ、アレはどういうことだ。ルナティエラ嬢は……何故1人なのだ」
「彼女は、裁かれる身だからね」
何を言っている……?
裁かれる?誰がだ……そんな馬鹿なことがあるはずがないだろう!
「君にだけ言っておくよ。彼女には、ミュリア・セルシア嬢の誘拐未遂容疑がかかっている」
「……本気で言っているのか」
「勿論。セルフィス殿下もご存知だよ。だから、君は黙って見ているといい」
とても嫌な予感がした……なにかいい知れぬ物を感じ、良からぬことが起こる前触れだと、勘が訴えてくるのだが、相手の出方がわからない内に手を出すのは良い手とはいえない。
私に今できることは、これから起こることを目をそらさずに見ること。
そして、その対策を練ることであると言い聞かせ、胸に広がる不安と共に、軽い頭痛を覚えたのである。
そして、はじまったのが愚かしいとも言える断罪であった。
セルフィス殿下がおっしゃる「誘拐未遂容疑」は、本来、父の所属する騎士団預かりの案件だ。
それを、セルフィス殿下の名のもとに裁決を下す……国王陛下にしか認められない権限を、第二王子という立場で執り行うなど言語道断である。
なんと愚かなことをしてくださったのだ!
怒りともつかない激情を堪え、何より目の前のルナティエラ嬢が気がかりでならない。
気丈に振る舞ってはいるが、今にも倒れてしまいそうに震え、顔色も悪い。
これは……いつ倒れてもおかしくないな……私が何とか対処できればいいが……
セルフィス殿下の慈悲にすがらず、罪を認めないと宣言した彼女は、たった1人で戦うことを選んだのか、誰にも助けを求めることはなかった。
一時的に殿下の慈悲に縋り、その間に騎士団が調べを進めるという手もある。
だから、問うたのだ。
「本当に、それでいいのか」
その言葉に彼女は答えなかった。
いや、答えられなかったのだろう。
震える手を必死に隠し、立っているのもやっとだ。
彼女がアルバーノやミュリア・セルシア男爵令嬢の言うような罪を犯すとは、到底考えられなかった。
殿下が兵に彼女を捕らえよと声を上げたのを皮切りに、自然と体が前に出そうになったのだが、わざわざ私の視野に入る位置に来た父が首を振ったのを見て眉根を寄せる。
こちらに向かってきているのは、全て父の配下だった。
なるほど……父もこの件に関して懐疑的だということなのだな。
ならば、今ここで私が前へ出る必要はない。
まだその時ではない───
まるで、獲物に食らいつく瞬間を待っている獰猛な獣のようだと、自分の心の動きを冷静に判断して苦笑すら浮かぶ。
こんなバカげたことを仕掛けたのは、アルバーノだろうか。
それとも、殿下の隣で勝利を確信したような醜い笑みを浮かべる、あの一見可憐に見える男爵令嬢だろうか……どちらにしろ、無実の罪で人を貶めるような輩をほうっておくつもりはない。
暫く辛い思いをさせてしまうな……と、申し訳なさと何もできない不甲斐なさに胸が痛くなる。
しかし、その時だった。
ふわりと何かが目の前を横切る……ふわり、ふわりと金色の小さな光が横切り、その発生源を探してみれば、目の前のルナティエラ嬢の足元に、信じられない物が広がっていたのである。
それは、金色の輪、びっしりと描かれた見たこともない文字……その輪は広がり、どんどん光を強めていく。
「ルナティエラ嬢!」
黄金の光の中央にいる彼女の身がどういう状況であるのかわからず、声を上げて駆けつけようとしたのだが、足が一歩出ただけで、それ以上動くことはなかった。
なんだこれは……こんな力など聞いたことがない!
金色の光の柱は、ルナティエラ嬢を完全に包み込んでいた。
助けることも難しい状態ではあるが、もし危害を加えるというのなら、全力で阻止しようと握りこぶしに力を入れる。
金色の光の中、漆黒の髪の青年が見えた。
見たことのない顔立ちの青年は、とても美しく整った顔をしており、凛々しく力ある瞳は、只者ではないと告げている。
ルナティエラ嬢に差し出された手……そして、それを戸惑いと共に見つめる彼女。
今のままでは捕らわれるだけだが、その手を取れば彼女はどうなるのだろう……苦しみは癒やされ、ここにいるよりは幸せになれるのだろうか。
誰かが『主神オーディナル様だ!』と叫ぶが、神々しいとはどこか違う、人としての強い力を感じる。
そう……例えるなら、神々のような絶対者ではなく、荒削りではあれど強い精神と力を兼ね備えた人間だけが持つプレッシャーだ。
長年鍛えた戦士であっても、これほどの素養を持つことは難しい。
チラリと視線が合ったような気がした。
茶色の瞳……いや、あの色はなんだ?
青……だけど複雑な色が沢山混じった美しいと感じる強い瞳。
黒い髪も、濡れたように艷やかで……見えている姿と、視線を合わせて頭に浮かんだ姿の違いに戸惑う。
『大丈夫だ』
一言聞こえた。
大丈夫……そうか、彼女は大丈夫なのだな。
任せても平気なのか……ならば、連れて行ってやってくれ。
その傷ついた心を癒し、どうか健やかに日々を過ごさせてやってくれないか。
心の中でそう語りかけ、彼女が彼の手を取り光の中へ消えていく姿を見送る。
溢れんばかりの光が消え、ルナティエラ嬢の姿も消えていた。
どうやら、ちゃんと連れて行ってくれたようだと安堵する。
「ベオルフ!何故止めなかった!」
一番彼女の近くにいた私に、セルフィス殿下の叱責が飛ぶ。
何を仰ると、このときばかりは呆れながらセルフィス殿下を見るが、彼の顔色は青を通り越して白に近い。
「神の力に、人が抗えると思われるのですか?」
そうだ、この場ではその『主神オーディナル』の名を最大限に使わせていただこう。
あの現象は、神の力といえば通るほど超常的なものであったのだから……
「ルナティエラが……ルナが……私のルナがっ!」
本当に何を言い出すのだ、この方は先程婚約破棄を言い渡していなかったか?
世迷い言を……と、鼻で笑いそうになるのを堪え、感情のこもらない平坦な声を出した。
「殿下、落ち着いてください。それに、先程婚約破棄された令嬢を呼び捨てや愛称で呼ぶことは……」
「したくなどなかった!だが、勝手に……私の意思ではない!」
とち狂ったか?
殿下に対して失礼とは重々承知だが、さすがの私もこんな言葉しか浮かんでこない。
呆れ果てて次の言葉など出てこなかったが、狼狽える殿下の姿をこの場に晒すのは憚られた。
どうにか落ち着くよう声をかけようとした瞬間、違うところから声が上がる。
「わ、私の娘が……娘がっ!」
「ルナ……どうして……ああ……っ」
今度は何だと視線を向ければ、クロイツェル侯爵夫妻が取り乱したように光があった場所まで走ってきて床を叩きはじめ……その異様な光景に先程のセルフィス殿下の醜態など霞んでしまう程の、空恐ろしいものを感じた。
なんだ……?
これは……なんだ?
「この手で慈しんで、可愛がって育てて……貴女は私達の可愛い子なのよって……伝えたかったのに、どうしてなのっ!」
「何故……どうして……愛していたのに、どうしてこんな……離れたくなどなかったのに!」
夫人が貴婦人とは思えぬほど取り乱して叫び、顔を覆って泣き始め、侯爵は両拳を床に叩きつけて慟哭している。
まるで、何かの呪いが解けて解放された後のような……
「まさか、あの金色の光か……」
世界全体に広がったのではないかと思えるほどの清浄な金色の光に、何らかの作用があったと考えても不思議ではない。
そして、居なくなったルナティエラ嬢を必死に探し求めるクロイツェル侯爵夫妻と、セルフィス殿下の様子に、誰もが次の言葉など見い出せずにいた。
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