黎明の守護騎士

月代 雪花菜

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彼女が去ったあと

10.いつものベオルフ様に戻りましたね

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 震える体を腕で抑え込み、いまにも力が抜けて地に伏してしまいそうになる足を無理やり前へ進めて戻った屋敷では、私のただならぬ様子に驚いた母と弟が駆けつけ、部屋まで連れて行ってくれたことは覚えているが、そこからの記憶が見事に途絶えていた。
 薄暗い部屋の中、すでに夜半過ぎだろうか……周囲の静けさから考えると、全ての者が就寝についている時間なのだろう。

 体を少し動かしてみるが、いつものようにスムーズにはいかず頭痛も酷い。
 これは随分とマズイ状態が続いている。
 母や弟には心配をかけてしまっただろう。
 しかし、それでも守らなくてはならないものがあるのだ。

 何とか明日の朝までには回復しておいて欲しいが、現状を見ても楽観視出来ない状況であった。

 決定的な何かが足りない。
 これを補わない限り回復は絶望的なのだろうと理解はできるが、それが何なのかわからず手詰まり状態だ。
 栄養……そうだ、昼食をとっただけで、ほかは何も食べていないな。
 こういう時は、無理にでも食事を取ったほうがいいのだろうかと考えるのだが、体が受け付けてくれるだろうか。
 食欲などあるはずもなく、渇きを覚える喉を潤すために水を飲む気も起こらないのだから、固形物はなおさら難しいだろう。
 そうなると、寝て回復するしか無い。
 目を閉じ眠る努力をしているのに、体の震えと頭痛がそれを邪魔をする。

 本格的にマズイ。
 アレを相手にするのだから、万全を期しておいたほうが良いというのに……これでは、ヤツの思うがままになってしまう。

 それでは、ルナティエラ嬢を守れないではないか───

 あんな孤独を抱えて戦っていた彼女を、再び邪なる黒狼の餌食にするなど、考えるだけで虫酸が走る。
 守りたい……もう、二度とあんな孤独の闇に囚われぬよう、ただ独りで戦わなくても良いように……

 固く目を閉じ、震える体を抑え込むように両腕で掻き抱き、体を丸めて全ての感覚を研ぎ澄ます。
 内なる何かが足りない、補いたい、これは……何が足りないのだ?

 自らの内側を探っていた私の額に、ほんのりあたたかい何かが乗せられた。
 なんだ?

「あ、やっと気づきましたね。大丈夫ですか?」

 ベッドの傍らに立つ彼女……ルナティエラ嬢の姿に驚いていると、彼女は私を覗き込んで眉根を寄せる。

「意識が混濁しているようでしたが、今はしっかりと理解できていますか?」
「……ルナティエラ嬢?」
「はい。ちゃんと理解しているようでなによりです。ちょっと待ってくださいね」

 そう言うと彼女はベッドの傍らに椅子を寄せて座り、私の額に右手を乗せた。
 柔らかくあたたかな手が、激しい頭痛を和らげてくれるようでホッとする。

「右手を出してください」

 言われた通りに右手を差し出すと、彼女の左手が指を絡ませ握ってきたので驚いてしまったが、額に乗せられた手から何かがじわりとしみこむように流れてくる感覚を覚え、問いかける視線を投げかけた。
 しかし、彼女は意識を集中させているようで気づかないようだ。

 その間にも、彼女から分け与えられるあたたかいものは私の体に流れ込み続け、失われていた何かが確実に満たされていく。
 乾いた大地が水を吸い込むように、ルナティエラ嬢から流れ込んでくるものを貪欲に求める。
 もっと欲しい……これが足りない。
 本能に近い思いが強まりルナティエラ嬢の手を強く握るが、彼女は少しだけ驚いたように目を見開いてから、嬉しそうに柔らかな笑みを浮かべた。

「これでいいと思うのですが……リュート様のようにうまくいきませんね。それでも、少しずつ回復しているようで安心しました」

 彼女から流れ込んでくる、じんわりとあたたかいものが体の隅々まで行き渡る感覚が次第に強くなり、それと同時に体の震えが治まっていく。
 手足がしびれるほど冷え切っていた体も、ようやくぬくもりを感じられるようになってきた。
 少しずつであるが、本来の感覚が戻ってくる。

「本当は密着している面積が多いほうが良いようなのですが、さすがにベオルフ様のベッドに潜り込むわけにもいきませんものね」
「当たり前だ……」

 何を言い出すのやらと呆れた視線を投げかければ、彼女は楽しそうにクスクス笑い出した。

「ふふ、いつものベオルフ様に戻りましたね。先程まではうなされておりましたもの。とっても心配したのですよ?」
「……どうしてここにいる」

 そうだ、それが一番の疑問だ。
 流れ込んでくるあたたかいものも気になるが、それよりも神の世界に行ったはずの彼女が、どうして舞い戻ってきたのか……しかも、この短期間である。
 今戻るのは、タイミング的にマズイ。
 神の花嫁の話が広まっているだけではなく、神殿も後継者争いで面倒なことになっている。
 そこに彼女が帰ってきたら、どちらもが彼女の威光を得ようと躍起になるだろう。

「そうですね。戻った……とは言えないと思います。私の本体は別の世界にありますし、ここはベオルフ様の夢の中ですもの」
「……は?」

 夢の中?
 こんなに現実味を帯びた夢などあるのだろうかと疑問視していると、彼女は得意げに夢の世界について説明してくれた。
 時間も空間も世界の境界線も関係ない、神々でさえ縛ることが出来ない世界。
 夢は、誰にでも等しく訪れる。
 魂の器であるマナというものが作り出す、自分だけの小さな世界なのだそうだ。

「面白い考え方をする」
「神々の知識ですから、世界の真理ですよ」
「では、なおさら軽々しく口にしていい話ではない」

 得意げに話してくれたのは良いが、この話を私にするのは良くないだろう。
 神々の世界にいる彼女ならば良いだろうが、違う世界にいる私にあってはならない知識のはずだ。

「大丈夫です。ベオルフ様は言いふらしたりしませんでしょう?それに、言ったところで……誰も理解しない上に、信用もしないでしょう」

 彼女の判断は、どちらも正しいと言えた。
 私は無闇に言いふらしたりしないし、こちらの世界の者は、彼女の言葉を誰も理解しないだろう。
 
 まず、マナという物がなにかという話からになってしまうが、興味を持つ者が果たしてどれほどいるというのか……
 国王陛下や王太子殿下は興味を持つかもしれないが、日々生きるだけで精一杯の世界では、糧にもならない過ぎた知識と言えた。

「それにしても、ベオルフ様のこの症状……見様見真似の魔力譲渡で震えが止まったことと、体温が少しずつ上ってきていることを考えても『魔力欠乏症』ですよね……まさか、ベオルフ様に魔力があったなんて驚きです」

 私に……魔力?
 彼女からは馴染みのない言葉が次々と飛び出してくるが、問えば丁寧に説明してくれるので困ることはなかった。
 しかし、どこか覚えたての知識を得意げに披露している子供のように見えてしまい笑いを誘うのだが、今笑えば確実に機嫌を損ねてしまうだろうと、こらえるのに必死だ。
 表情がコロコロ変わり、いろんな説明をしてくれているのに耳に入ってきた情報は微々たるものであった。
 今日は随分と大変な目にあったからか、ひどく癒やしを求めていたことを思い出す。
 だからだろうか、彼女の愛らしい仕草ばかりに目がいってしまうのだ。
 彼女の一つ一つに癒やされ、和んでしまう。

「そういえば、どうして魔力が大量に失われてしまったのでしょう。意識して使えるのですか?」
「今はじめて魔力というものを知った私が、どうして使えるのだ」
「そうですよね……では、命が危険にさらされた……とか?」

 それなら覚えがある。
 本日だけで2回ほど……私の微妙な表情の変化を的確に読み取る彼女は、すぐさま「あっ!」という声を出して柳眉を逆立てた。

「ベオルフ様!」
「仕方がないのだ。守りたいものを守るための戦いなのだからな」
「何と戦っているのです。狼討伐でも無傷で帰ってくる貴方が、何と敵対したというのです?」

 こういうところが妙に鋭い。
 適当に誤魔化そうと考えていた私の目を覗き込むように見つめた彼女は、本当に私の考えを読んでしまったのか、低く唸ったあと頬をぷっくりと膨らませる。

「誤魔化そうと考えてましたね」
「鋭いな」
「ベオルフ様!」
「貴女に、どこまで話していいかわからんのだ」

 主に黒狼関連のことは、彼女がどこまで把握しているのかわからない。
 下手に話せば、奇妙な誤解を招く恐れがある。
 それでなくても、彼女は斜め上の思考を持っているのだから……

 必要のないことを教えて、不安を煽りたくない。

「……もしかして、黒狼に出会ったのですか?」

 なに……?
 彼女から不意に告げられた一言は、私の思考を止めるには十分であった。
 完全に動きを止めてしまった私の様子を見て、正解だったのだと確信した彼女は一度瞑目したのち、様々な感情を含んだ深い息を吐く。

「私に奇妙な呪いをかけた主と、対峙しているのですね」
「なんの話だ」
「……ベオルフ様」

 知らないで良い。
 あんな厄介な者と関わらなくていい。
 ただ、貴女は平穏であればいい。

 そんな願いから口にした言葉であったが、彼女は緩やかに首を振り「話してください」と真剣な表情で語りかける。
 こうなった彼女が頑なであるとは知っているが、ここは譲れない。

「守りたいのだ」

 嘘偽りない言葉を告げる。
 外聞など気にしたことはない。
 しかし、ここが夢の世界であるなら……素直な気持ちを吐露したところで、誰に咎められることもないだろう。

「何故、一言いってくれなかった……『寂しい』と……何故、頼ってくれなかった……私では……貴女を守れなかったのか?」

 守りたかった、独りにしたくはなかった。
 ただ一言そういってくれたら、できるだけそばにいて孤独な戦いなどさせなかっただろう。

 いや……そうではない。
 ここで彼女を責めるのは、お門違いもいいところだ。

「違うな……何故、私は気づかなかったのだろう……すまない。貴女を守れなかった……本当にすまない」

 一番伝えたかった想いは、謝罪の言葉だったのだろうか。
 彼女の安否も、現状も、全てが気になっていた。
 だが、まずは……謝りたかったのだろう。
 あんな薄暗い部屋の中で、独り孤独と戦っていた彼女の心を垣間見た瞬間に感じた衝撃は、未だこの胸に深く刻まれている。

 黒狼の主も、ルナティエラ嬢が置かれていた環境も……今日だけで、どれだけ何も知らずに生きてきたのか思い知らされた。
 見えているようで見えていなかったものばかりを知り、己の不甲斐なさに怒りを覚え自らを殴ってやりたいくらいだ。

 彼女がこの地から去って良かったと思う反面、自分はなにも出来なかった事実が悔しい。
 だから、せめて今は黙って守らせて欲しいと考えてしまうのは、私の我儘以外の何物でもないだろう。

 様々な感情が胸の中を渦巻き、それ全てを言葉として紡ぎ伝えるのは難しいが……彼女を守りたいという気持ちは、罪悪感から生まれるものなのだろうか。
 学園で共に過ごした日々を思い出し、その考えを即座に否定する。
 いや……そうではないだろう?
 目の前の彼女の笑顔を……ただ、守りたかった。
 たくさんの表情を見せ、屈託なく笑う彼女を見ていたかったのだ。

「私は……貴女に笑っていて欲しい。もう、あんなモノに煩わされることなく、幸せで居て欲しいのだ」

 そう伝えた私の手を彼女が強く握り、持ち上げられた手に感じる柔らかくも甘やかな熱に驚き視線を向けると、ルナティエラ嬢が頬を寄せて祈るように目を閉じ、瞼を彩る長い睫毛を震わせた。

「ごめんなさい。私はベオルフ様を傷つけてしまったのですね……」

 痛みを含んだ彼女の言葉を聞き、そうじゃないと声をあげたいのに伝わる熱と憂いを含んだ表情があまりにも綺麗で、言葉が喉の奥で引っかかったように出てこない。
 これでは誤解させてしまうと、今度は気合を入れて言葉を紡ごうとするのだが、それより早く彼女は瞼を開き、蜂蜜色の瞳で私を見つめる。
 それだけで、今までの彼女とは何かが違うと感じた。

 過去に何度か目にしたことがあったと記憶している蜂蜜色の瞳に宿る力強い煌めきは、人を惹きつける魅力に溢れ、彼女が『オーディナルの愛し子』であることを唐突に思い出す。

「ベオルフ様は、誤解しております。『守れなかった』なんてことはありませんもの……私はベオルフ様にたくさん助けられておりました。私は、貴方がいたから『私』でいられたのです」

 柔らかな笑みと共に告げられた言葉は、同情や気遣いから生まれたものではなく事実だと、彼女の声のトーンや視線が伝えてくれるのだが、にわかには信じられず……ただ、彼女を見つめていた。
 ここが夢で作り上げられた世界だというのなら、この現状も『私の都合のいい世界』なのだろうかという疑念を抱きながら───


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