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月と華
6.コメと味噌……?
しおりを挟む船が陸を離れてどれくらい時間が経ったのかはわからないが、随分と海を眺めていたようだ。
青と一言にいっても、言葉に現すことが難しいほどの些細な色合いの変化しかないのだが、その全てが美しく感じた。
この海を、ルナティエラ嬢にも見せてやりたいな……
貴女の生まれ育ったこの世界にも、美しい場所が沢山あるのだと伝えたくなる。
暗く冷たい部屋に閉じこもるしか無かった記憶を、こうした光あるもので満たしたいと思うのは私のエゴであろうか。
セルフィス殿下との結婚が彼女の幸せに繋がると信じていた。
しかし、それはあの黒狼の主が作り上げた幻想なのではないだろうか。
現に、今のセルフィス殿下を見てもそうは思えない。
黒狼の主の術だけではなく、周囲の貴族たちが巧妙に隠していたことと、私自身がセルフィス殿下から遠ざけられ、その事実を知ることができなかった。
まさか、一年であの体たらくとは……
何事にも楽な方へ流れやすい方だとは思っていたが、あれほどの不義理を働く馬鹿……いや、考えなしだとは思いもよらなかったのである。
国王陛下と王太子殿下直々に説教されたのか、今は随分と大人しくしているようだ。
今日から家庭教師がつき、学園で学んできたことを復習するよう国王陛下に命じられたらしいので、今度会うときには、もう少しまともになっていることを願う。
「先程はありがとうございました。海を眺めていらっしゃったのですね。こんなに天気の良い日が続けば、嵐に合うこともなく無事にヘルハーフェンまで到着することでしょう」
人の良さが声ににじみ出ている男の声に振り返ると、出港の時に転けそうになっていた商人の男が背負っていた大荷物は部屋へ置いてきたのか、随分と身軽になった様子でこちらへ歩いてくる。
「怪我がなくて良かった」
「本当に助かりました。大荷物を抱えた私を余裕を持って支えるほどの腕っぷしといい、旅慣れていらっしゃる様子といい、只者ではありませんな」
これが貴族や他の者であったなら警戒するところであるが、彼の人柄なのだろうか、全くそんな考えは浮かんでこない。
交易商人は、曲者揃いだというが……この人からは、あたたかな気配しか感じなかったのだ。
「……船旅ははじめてです」
「そうは見えませんな。私など、はじめて船に乗ったときには、船酔いがひどくて大変でした」
「今は平気なのですか?」
「これも慣れですなぁ。グレンドルグ王国とエスターテ王国の間を行ったり来たりしておりますからね」
「エスターテ王国ですか、遠いところから……」
「あの国は、少々暑いのが難点ですが、良い品が手に入りますからなぁ。両国間の関係が冷え込んだときは、本当に困りましたよ。仕方なく、ジャンポーネまで足を運んだものです」
ジャンポーネは国交が盛んではないが、彼のように遠くから訪ねてくる交易商人には親切にしてくれたらしい。
人見知りだが、一度仲良くなるととても親切なのだと教えてくれた。
「そうか……私の母がジャンポーネの出身で、時間が出来たら一度は行ってみようと考えているのです」
「それはいいですな。あの国は過ごしやすい上に、珍しい物も多い。特に、主食のコメと味噌というスープはあの地域でしか味わえない物で、時々恋しくなるのですよ」
「コメと味噌……?」
確か……ルナティエラ嬢がそんな言葉を口にしていなかっただろうか。
しまったな。
母上に確認すれば良かったか。
ルナティエラ嬢が探している食材などが、もしかしたらジャンポーネに揃っているかもしれない。
しかし……揃っていたところで、彼女に届けることなどできるのか?
夢を通じて品物を送ることなどできない……と、考えたが、不意に神石のクローバーの欠片を思い出した。
夢から覚めたら、手元にあった物である。
だが、これは神々の品だ。
同列に考えていいとも思えない。
「味噌は好き嫌いが分かれる可能性がありますが、私は好きですなぁ。海の幸をふんだんに使った味噌スープは、海の恵みをいただいている感じがして、とても贅沢なのです」
「それほど旨いのなら、一度は口にしてみたいものです」
ルナティエラ嬢にも食べさせてやりたいな。
彼女が求める味なのだろうから、きっと喜ぶだろう。
いや、悔しがるか?
それはそれで面白いのだが、できることなら喜ばせてやりたいものだ。
「そろそろ良い時期になりますから、エスターテ王国で胡椒を仕入れ、我が国のワインや織物を持っていこうかと思います。その際に味噌を仕入れられないか交渉してみましょう。いつかグレンドルグ王国でも、普通に手に入るようになれば良いですなぁ」
「商人のたゆまぬ努力が、皆の暮らしを豊かにする。いつも感謝しております」
「そうおっしゃっていただけると、商人冥利に尽きますな!」
本当に嬉しそうに笑った彼は、懐から何かを取り出し、私の方へと差し出す。
鷹が浮き彫りにされている凝った意匠のメダルで、どうやら彼が営む商会の紋章らしい。
「王都の東門の近くで店を営んでいるピエドラ商会の会長で、マテオ・ピエドラと申します。もしかしたら、お母様が懐かしむような品が店にあるかもしれません。ここで会ったのもなにかの縁。こちらをお持ちいただけたら、お安くさせていただきます」
商売上手というかなんというか……いや、彼の場合は完全に善意だろう。
私達のやり取りを見ていたのか、主神オーディナルが笑っている気配がする。
彼が悪意ある者であるなら、穏やかな笑みを浮かべているイメージなど浮かぶはずもない。
「お気遣い無用でお願いします。少しでも貴方の労をねぎらいたい」
「で、では、せめてお名前を!味噌が手に入ったら、必ずご連絡させていただきますので!」
「ベオルフ・アルベニーリと申します」
「え……えっと……では、貴方が黎明の守護騎士の再来と言われる騎士様ですか!なるほど……やはり、主神オーディナル様の加護を持つ方。よく出来たお人柄……納得ですなぁ」
お会いできて光栄です!と、私の手を取り握手してくる彼の喜びに満ちた表情に、言葉など出てくるはずもない。
何だと?
私が黎明の守護騎士の再来?
まさか、母上がおっしゃっていた噂が、貴族のみならず民衆にまで広まっているというのだろうか。
人の噂とは恐ろしいものだと、改めて実感してしまう。
しかも、私が母上から聞いた噂とは違い、『黎明の守護騎士』まで追加されているとは……
「慈しみ守ってきた聖女ルナティエラ様は神の花嫁に選ばれてしまったけれども、未だに思い続け守り続けていらっしゃる。そして、神の花嫁であるルナティエラ様も、貴方のピンチに天より駆けつけたと聞きます。なんという尊い関係なのでしょう……!」
感極まった彼が涙ながらに大きな声で語るエピソードは、いろいろな噂が混じった結果の産物なのだろう。
しかも、真実が紛れており全否定できない。
タチが悪いというかなんというか……
「私はベオルフ様を応援いたします!主神オーディナル様も、貴方の心を無碍にはなさらないはず!きっと、想いはいつか報われます」
「主神オーディナル様は寛容な方ですから、届かずとも想い守り続けることを許してくださるはずです!」
「頑張ってください、ベオルフ様。我々も応援しております!」
いつの間にか集まってきた他の客や、船員が口々にそんなことを言ってくる。
どうやら、彼らの中での私は『神に嫁いだ聖女を想い続ける悲恋の騎士』という立場であるようだ。
私の背後で主神オーディナルがたまらず笑い転げ、「そうかそうか、それは仕方ないな!僕の愛し子を心から愛し、守り続けることを認めるぞ?」と意地の悪い言葉をくださった。
この方は……
図らずしも大騒ぎになってしまった甲板で、私は途方に暮れ、背後の主神オーディナルを殴り飛ばしたい気持ちになったのは言うまでもない。
応援ありがとうございます!
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