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月と華
10.なんていう名前だと思う?
しおりを挟むあのあと、大騒ぎになったのは言うまでもない。
何せ、人の言葉を話すカーバンクルが現れ、私の持つ武具は主神オーディナルの加護であると言いふらしてしまったからだ。
人々が私を崇めるように膝をつき祈りだした時には、さすがの私も慌ててしまったが
彼らにしてみれば、私が身につけている武具が神の力の結晶なのだ、客観的に見ておかしい反応ではない。
しかし、その対象が私だという事実は遠慮したかった。
「やはり、主神オーディナル様は何もかもお見通しで、ベオルフ様にも加護をお与えになられたのだ……」
「王族との婚約が決まっていたことを考え、一時的に神の花嫁ということにして、時期が来れば……ということか」
「お二人を応援してくださっているのか……なんという……」
「さすがは、我らの神!唯一で至高の創造神オーディナル様じゃ!」
おい、待て。
話がそれ始めたぞ……いや、その前に、どうしてそういう筋書きになっている?
それはお前たちの考えすぎだと口を開こうとした瞬間、カーバンクルがぴょんっと樽の上に乗り胸を張った。
「そりゃそうだよ。ルナとベオはすっごーく仲が良くて、オーディナル様はよく二人を見守っていたんだもん!」
「いらんことを言うな」
慌ててカーバンクルの口を手で塞ぐが、出てしまった言葉を回収することは叶わず、周囲に集まった人々が目をキラキラさせて私を見つめてくる。
ああ……またこれで誤解が深まってしまった。
ルナティエラ嬢、本当にすまない。
頬を膨らませて「ベオルフ様!これはいったいどういうことですか!」と怒る姿が目に浮かぶ。
まあ、それはそれで可愛らしいから良いのだが、泣かれでもしたら……どうすれば良いだろう。
彼女が好きだった蜂蜜を可愛らしい瓶に入れて常備しておくか?
何故そんなものを私が持っているのかというと、学園に入って一年も経っていない頃、彼女が食べた食事に毒が盛られるという事件が起こった。
毒に関しては知識を持っておけという父の助言通り、幼い頃から学んでいたし、数種類の解毒剤も持っていたからスムーズに処置は出来たのだが、体内に一度取り込んだ事により彼女の体には良くない影響を及ぼしたようで、暫く熱が続き手にも痺れが残ったのだ。
犯人はすぐに捕まり、国王陛下直々に腕の良い医者を遣わしてくださったので、後遺症にも効く薬を処方されたのだが……
いくら体が良くなると言われても、あの苦さは強烈であったと記憶している。
涙目で飲む彼女に「そんなにヒドイのか」と尋ねたら、無言で薬が包まれていた紙を差し出されたので、ほんの少し残っている粉を舐めてみると、こちらのほうが毒物じゃないか?と思えるほどヒドイ味だった。
さすがに可哀想になり学園長に相談したところ、知り合いの雑貨店を紹介してもらい、格安で蜂蜜を仕入れることに成功したのだ。
その後、薬を飲めば蜂蜜を舐めても良いぞという取り決めをして、彼女が薬を飲む際には小さな瓶に蜂蜜を入れて渡した。
だが、そんな日々を一月ほど続けていた彼女が、とても残念そうに「もうお薬は必要ないそうです」と言ったことを覚えている。
そんなに気に入っていたのか、あの蜂蜜……と思わなくもなかったが、治って良かったと祝も兼ねて、大きな壺に入った蜂蜜を全て彼女に渡した。
セルフィス殿下は見舞いの品として花を届けさせていたようだが、それよりも嬉しいと飛び上がらんばかりに喜んでいたのが印象的だった。
まあ、あまり花に詳しくない私でも『見舞いの品』というには、あまりにも貧相だとわかるくらいであったため、セルフィス殿下がケチったのか、頼まれた者の横領であるかはわからなかったが、彼女が軽んじられていると見て取れ、ルナティエラ嬢を大事に思う者からしたら、花に罪が無いとわかっていても気分は良くないだろう。
正直に言うと、不愉快極まりない。
贈り物の値段よりも心を大事にする彼女が、全く気にしていない様子であったのが救いだ。
しかし、目を楽しませる花より、何の変哲もない壺に入った黄金の蜂蜜を喜ぶ彼女を見て、ルナティエラ嬢は色気より食い気か……と思ったのは内緒である。
今思えば、あの時から彼女の食は、細くなってしまったのかもしれない。
寮に居た頃は他の令嬢と同じくらい食べていたはずだが、私が居ないところではどうだったのだろう。
誰も気に留めていなかったのかと思うと、胸が痛かった。
人々の騒ぎも「皆様の主神オーディナル様への気持ちはわかりますが、ベオルフ様の傷の手当と休息を優先しませんか」と言ってくれたマテオさんのおかげで長引くこともなく治まり、彼には感謝しか無い。
その後、船長の好意で船の上では貴重である水を使わせて貰えることになり、海水を落として傷の手当をしたほうが良いと私が悠々と入れるほど大きな桶と、たくさんの湯を持ってきてくれたのだ。
水ではなく湯にしてくれた心遣いに感謝し、体に付着してベタベタしはじめていた海水を、湯に浸した布で拭い清めていく。
さすがに全部の湯を使っては、この船の水が心配になる。
必要な分だけ使えばいい。
それを興味深げに見ていたカーバンクルは、「お湯が必要なんだ?」と言って、私を大きな桶の中に入るよう促し、何をするのかと待っていると、頭上から湯が落ちてきて驚いた。
まさか、沸かした湯を使っているのかと思ったのだが、そうではないとすぐに気づく。
なんの湯かわからないが、少し白濁していて、とても良い香りがしたからである。
「お前は……こんなこともできるのか」
「うん!凄いでしょ!」
「凄いが……これは?ただの湯では無いようだな」
「コレも忘れちゃったの?発見したのはルナで、二人ですっごく気に入ってたじゃない。あたたかくて気持ちよくて傷に効くから治りが早いねーって」
何の話だ?
全く覚えのないことを言われ記憶を探ってみるのだが、欠片すら思い出せない。
だが、この湯の肌触りを体が覚えているような気がした。
湯の肌当たりが滑らかでしっとりとし、先程までビリビリと痛かった傷もマシになっている。
「そっか……あの頃の記憶が全くないんだ。だから、ボクの名前も呼んでくれないんだ……」
そう言って、カーバンクルは耳と尻尾をペタリと下げてしまった。
先程までの元気はどこへやら、シュンッとしてしまった様子は痛々しく、とても申し訳ないことをしているような気がして焦ってしまう。
「すまない。名前は何という?」
「なんていう名前だと思う?」
質問に質問を返すんじゃない。
そう思ったが、問われて考え込んでしまう。
何故か、この質問が初めてではないような気がした。
それと同時に、ふっと頭に浮かんだ言葉を口にする。
「カー」
「ぷっ……アハハッ!やっぱりベオは変わってなーい!またルナに『省略しただけじゃないですか、本当に考えましたかっ!?』って怒られちゃうよ?」
「カーバンクルのカーで、何が悪い」
「うんうん、そう言ってた!ルナはぷんぷん怒ってたよ」
耳と尻尾をピーンッと立てたカーバンクルは、面白い、楽しいというように、床の上をゴロゴロ転げ回っているが、お前も汚れるぞ。
それよりも、そろそろ桶から湯が溢れるから何とかしてくれ。
あ、遅かったか……
溢れた湯にマズイと思った矢先に、その湯が消失していく。
これも、コイツの力か。
他のカーバンクルとは比べ物にならん力の持ち主だな。
「で?ルナティエラ嬢は何と名付けたのだ」
「ノエルだよ。ボクの名はノエル!」
「そうか……ノエル……か」
口に馴染む言葉というものがあるとするなら、コレもそうだ。
他にも、リュートという名も口に馴染んでいたな……と、思い出す。
そうだ、馴染んでいた。
どこかで口にしたことがある名であったのだろうか……私が取り戻せていない記憶に関することかもしれない。
霞がかかって見えない先、取り戻せない記憶の住人たちは、元気にしているだろうか。
それだけが気がかりであった。
「お前も床で転げ回って真っ黒だ。洗ってやる」
「うわっぷ!わーっ!ルナー!ベオがいじめるよーっ!ゴシゴシしないで!痛いって!ベオの不器用っ!ルナに触れるときと全然違うなんて詐欺だーっ!」
「うるさい」
ぎゃーぎゃー喚くカーバンクルであるノエルを引っ掴み桶の中に入れると、降り注ぐ湯の中へ叩き込む。
まあ、確かにルナティエラ嬢が憑依している状態であったらやらないだろう。
黒くなっている毛並みを洗いながら、何が楽しいのかケタケタ笑っているノエルを見て、何故か懐かしく、とても愉快な気持ちになった。
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