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月と華
35.すまないが一つ頼まれてくれないか
しおりを挟む「そういえば、僕の愛し子は『パン』に着手したのだったな」
「これでマーテルの件は落ち着くと思いますよ。あの子もやっと前へ進めるかもしれません」
そうか……と、陰りのある表情でため息をつく主神オーディナルを心配そうにノエルが見上げる。
大丈夫だと撫でてやると「もっと撫でて」と体を手にこすりつけてくるので、その要望に応えていると強い視線を感じ、そちらへ顔を向けたのは間違いだったかもしれない。
「……何か御用でしょうか、主神オーディナル」
「ベオルフはパンを作ったことがあるか?」
「ありません」
騎士である私にそんな経験があるわけないでしょうと心のなかで付け加えて返答すると、明らかに「残念だ」という顔をされた。
パンを食べてみたかったのだろうか。
「ゼルディアス、すまないが一つ頼まれてくれないか」
「……ろくな頼みごとではないと俺の勘が訴えますが、話を聞きましょう」
どうやら頼まれ事の内容が大体予想できているのか、時空神の表情と声には呆れの色が混じっている。
この父親を本当にどうにかして……と言わんばかりに遠くを見ている彼が、少しだけ可哀想になってしまう。
よく出来る方なのだが、何か気になることがあると突き進んでしまう性質は、どこかの誰かとソックリだ。
父娘は似るものだな。
「僕の愛し子が使っている発酵石の器の改良と複製を頼めるか」
「複製は予想しておりましたが、改良……ですか?」
「そろそろ、僕の愛し子にも魔力の使い方を覚えてもらわなければ困る。魔力術式制御魔法を使えないあの子でも訓練が出来るようにしてくれ」
「あー……そういう意味ですか」
それなら……と言葉を続けようとした時空神に向かい、主神オーディナルは更に言葉を付け加える。
「時間もさらなる短縮を要求する。アレでは僕の愛し子が作りたい物を作るのに、日数がかかりすぎるだろう。全てに適用しろとは言わない。現在所持している物だけでいい」
「……父上、万が一それで歪が出来たら、父上が対処してくださいね」
「勿論わかっている。それに、それくらいでは問題など起こらん。僕はどちらの世界も土台を創造したのだからな」
主神オーディナルの言葉に私は奇妙な違和感を覚えた。
どちらも土台を……?
今の言い方だと、世界の理などは創造したがほかは違うのだと聞こえてしまう。
いや、いまルナティエラ嬢がいる世界はそうであっても不思議ではない。
夫である主神オーディナルが世界のルールを創り、妻である女神が命を吹き込んだ。
そう考えるなら、不自然ではないように感じる。
「とりあえず、複製を一つ作ってきて欲しい」
「わかりました。これから苦労しそうなベオルフのためを考えて応じましょう。父上のためではありませんからね」
……苦労?
先程の時空神の言葉から察するに、そのパンを作るのは私なのか?
恐る恐る主神オーディナルへ視線を向けると、上機嫌の満面の笑みを返されてしまい、これは決定事項だと諦めの境地に至る。
『柔らかなパンというものが食べてみたいから頑張ってくれ』
脳裏に響いた声を聞いた私は、コレも試練だと己に言い聞かせるしかない。
しかし、主神オーディナルの願いを叶えるために、食事方面でも手を抜くことを許されないとは……ルナティエラ嬢が知ったら安心するのか呆れるのか───
「ねーねー、さっき見たようなパンがこっちでも出来るの?」
あの小さな女神様が美味しそうに食べていたよねぇとノエルが言うので、そういえば我々の知るパンとは違う丸い形状のものを食べていたなと思い出す。
ノエルも「美味しいのかな、まるかったよねー」と興味津々である。
「ベオルフの世界のパンってどういうものなの?」
「見てもらったほうが早いだろう」
そう告げた後、一般的に食されている平たく日持ちのする固いパンを出すと、彼は「そういうタイプかぁ」と苦笑を浮かべた。
つまり、彼の世界のパンとは違うということなのだろう。
食文化が発達した世界のパンというものに興味をひかれるが、ここでソレを前面に出せば主神オーディナルが暴走した時に止める者がいなくなる可能性があるので、ぐっと堪える。
「無発酵タイプのパンだから、発酵させる手間を考えたら大変かもね。ドライイーストなんてないだろうし、天然酵母から作らないといけないから難しいんだよ」
安定して作ることが出来ないし失敗することも多いんだよと言うのだが、ハルキでもそれほど失敗する物を、素人の私が作れるとは到底思えない。
ここは主神オーディナルに断念していただくほかはないだろう。
むしろ、時間を置いて……もっと、私が作る料理の腕前が上がってからでも遅くはないはずだ。
「いや、それについては俺に考えがあるんだよ」
何故か主神オーディナルではなく時空神が「秘策があるのだ」と告げるのだが、主神オーディナルには心当たりがなかったようで首を傾げている。
こういう突発的な思いつきは、時空神のほうが得意なのかも知れない。
「父上が以前にマーテルから頼まれて創った物がありますよね」
「あー、パンの実か……」
思い出したくないとでも言いたげな表情を浮かべた主神オーディナルは、珍しく口を不機嫌そうに歪めてしまった。
気分を害しているのは傍目からでも一目瞭然であるが、何がそんなに気に入らないのだろうか。
「アレはパンではないとマーテルが落ち込み、お前は大笑いしてくれたな」
「あのときは失礼しました。でも、父上でもわからないことがあるのだなって安心したくらいですよ。しかし、時間が経過した現在になってアレが使えるかもしれません」
「……ほう?」
これがパンの実なんだけどねと時空神が取り出した物は、この世界で知らない者はいないだろうというくらい見慣れている、子供の頭くらいの大きさがある薄紫色の厚手の皮に包まれた木の実であった。
中身は独特の香りがするベットリとした果肉が詰まっており、中身はだらりと垂れるくらい柔らかく伸びる上に無味であり、そのまま食べると腹痛を起こすので誰も食べない。
獣ですら食べ物が無い時の非常食という扱いにしていることから、たわわに実っていても見向きもされなかった果樹である。
「もちもちして、しっとりして、弾力があると言ったではないか」
「ふんわりを忘れていたから変な果実になったんでしょう?割ったらパンが出てくるような仕様にするはずが、別物になっちゃいましたからね」
「むぅ……」
どうやら創り出す時に抜け落ちた情報があったために、失敗してしまった代物のようだ。
神々の興味から主神オーディナルが創造した産物は、意外とこの世界にも多いのだろうか。
本来なら我々人間が知る必要のない裏事情である。
「まあ、そのおかげでパンそのものを実らせることを断念し、地球の大地の女神の助言から麦を創って人々に任せたのですから、食文化を育てるという点から見たら良かったのかも知れません」
「そのものを与えることは良くないと言いたいのか?」
「いいえ、そうではなく……日本に住んでいて感じたのですが、何でも使い方次第なのだと思います」
使い方次第……か、と主神オーディナルは興味をひかれたのか、時空神の言葉に耳を傾けた。
当時は使えないと判断したものが、未来にはとても貴重なものとなっていることだってある。
我が領の特産品で、鉄をも凌ぐと言われるシルヴェス鉱石もその一つだ。
海水に浸しておくと変化する鉱石だと知るまで、全く使えないクズ石だと言われていたのが嘘のようである。
つまりは、パンの実もその一種であるということなのだろう。
「ハルキの料理を見ていて思いついたのですが、そのパンの実を使えば、この世界はパンを簡単に作ることが出来るのではないかと考えたんです」
全く意味がわからないとノエルは私の目を見て「わかるー?」と問いかけてきたのだが、料理に関して素人である上に、そこまで詳しくもない。
説明してやれるほどの知識が無いので「わからん、すまないな」と告げて喉元を撫でてやると、それが嬉しかったのかコロリと腹を上にして転がるので真っ白な毛並みが見事なお腹も撫でてやる。
なんとも言えない幸せそうな表情で目を閉じて伸び切っている体を見ると、それなりに気持ちが良いのだろう。
私達がそんなやり取りをしている対面の席に座っていたハルキは、どうやら話の内容が理解できたのかパンの実を割って中を確認していた。
「なるほど、これを中種代わりにしようっていう魂胆だね」
「パンのなり損ないだから出来るんじゃないかって考えたんだけど、どう?」
「出来るかもしれない。これをそのまま焼いても味は無いんだよね」
「うん、無味なんだ」
「あー……これ……イースト臭に似ているけど、こちらのほうが良い香りだね」
中身を取り出したハルキは、果肉を手に取って様子を見ていたのだが、やはりベットリとした果肉は美味しそうに見えない。
何よりも無味なのがいけないのだろう。
「このまま食べても大丈夫?」
「それは人間には消化ができない成分が多いからやめておいたほうが良いよ。火を通したら大丈夫だけどね」
そうなんだねと言いながら、ハルキは果肉を小さく切りフライパンで焼いてからパクリと食べるのだが……だ、大丈夫なのか?
こういうところは、やはりルナティエラ嬢の兄だった人なのだと強く感じてしまった。
「あー、これは見事なくらいに味がないね」
「でも、この新機能搭載最新型の時空神のルーペには、『パンの中種と同等の効果が期待できる』という一文があったりするんだよ!」
「……なんだ、ただルーペを使って見つけただけか」
「え、いや、思いついたから確認したんだよっ!?」
ハルキには「えー?」と言われている時空神ではあるが、その柔軟な発想があるからこそ様々な世界でもやっていけるように思える。
時空神の思いつきから発見した事実により、失敗だと思われた主神オーディナルのパンの実は、今後、私達の世界に食文化革命を起こす一手となるのだろう。
どうやら自らが創り出したものが失敗作ではなかったのだと理解した主神オーディナルは、とても嬉しそうにパンの実を見て微笑んでいる。
もしかして愛着があったのだろうか……
娘にせがまれて創った物なのだし、役に立つとわかっただけでも嬉しいのかもしれない。
どうやら『獣たちの非常食』という立場から『主神オーディナルの恵み』として格上げされるに違いないパンの実は、これから大活躍してくれそうな予感がする。
主に、私の料理の腕前を向上させて主神オーディナルとノエルの腹を満たしてくれるという点で……
「中種代わりになる木の実か、面白いよね。でも、コレを結月が知ったら『ズルイ!』って言い出しそう」
「ああ、これもその類なのか……」
どうやら暫くは、ルナティエラ嬢から「ズルイのですーっ!」ペチペチ攻撃を食らうようだ。
可愛いから良いのだが、涙目になってしょんぼりされたら困るので、パンだけではなく料理を彼女からシッカリ教わっておこう。
きっと、料理の話をしたら元気になって簡単なものから考えて教えてくれるだろうからな。
「ベオルフにはパンを捏ねる方法から覚えてもらわないといけないな。父上のためにごめんね」
「いえ、ルナティエラ嬢からもちゃんと食べるように言われておりますので、気にしないでください」
「心配しなくてもいいよ。初心者のベオルフには、ほったらかしで出来るパンを覚えてもらおうと考えているから」
うん?
ほったらかしておけばパンは出来るのか?
ハルキは「大丈夫!簡単に出来るからね」と笑うのだが、彼らのいう簡単は素人にとって簡単ではないということは多々ある。
しかし、自信満々なハルキを見ていると、それも杞憂であるような気がした。
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