黎明の守護騎士

月代 雪花菜

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南の辺境ヘルハーフェン

26.何かしらの弱みがある者は、何事にも過敏になるものだ

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 菓子作りを始めようと気合いを入れたのは良いのだが、ルナティエラ嬢が妙なところに反応した。
 腕まくりをした時に見える、腕の筋や筋肉のつき具合が良いらしい。
 それだけならば悪い気はしなかったが、『落としたい女性がいたときは、その姿を是非っ!』という思考が流れてきたので、呆れかえってしまう。
 全く……何を考えているのやら。
 私の思考が流れ込んでしまったのか、何となく察したらしい彼女は、慌てた様子で口を開いた。

『まずは、ショートブレッドを……ベオルフ様の方は、焼き菓子を砕いてください。方法はいろいろありますが、オーソドックスな方法だと、器にできるだけ細かくした物を入れて、棒で衝くなどですね』

 なるほどな。
 粉状にすれば良いのか……ふむ。
 一緒に作ることになった宿屋の主人にボウルと棒を渡して砕くように告げ、私の方は指先で菓子を潰していく。
 幸い、硬いだけで水分をあまり多く持たないソレは、簡単に細かく砕けていった。
 面白いくらい容易く砕ける菓子を、次から次へと砕いていたのだが……

『……え、素手だけで細かくしているとか、どういう握力ですかっ!?』

 と、奇妙なぐらい大げさに驚かれた。
 ルナティエラ嬢にとっては難しいことだろうが、私にとって容易いことである。
 そこまで驚くことでは無い。
 普通だと告げたら、基準がおかしいという返答を貰ったが、男女の差もあるだろうし、鍛え方が違うだけだ。
 そうしていると、ノエルも一緒になって潰そうとしはじめたので、菓子を数個渡して様子を見ることにした。
 まあ……どうにかなるだろう。

 マテオさんは宿屋の女将たちと一緒に、作業工程をメモに取り、時々何かを思い出しては少年に語りかけていた。
 好奇心旺盛な部類にはいるだろうマテオさんにとって、この菓子作りは刺激されることが多いのかもしれない。
 とても良い笑顔で作業工程を見守っていて、そんな彼にノエルは自分が砕いた菓子を得意げに見せていた。
 主神オーディナルの御使いであるノエルに失礼がないように、細心の注意を払いながら接している周囲とは違い、マテオさんは何か感じるものでもあったのだろうか、自分の子供に接するように優しく穏やかな対応である。
 ノエルは寂しがり屋で、他人行儀を好まない。
 そういうところをしっかり見極めているのだから、さすがだと感じた。

 主神オーディナルは、あちらの世界にいる娘や息子と話をしているのか、楽しげに微笑んでいる。
 完全に父親の顔つきだ。
 とりあえず、こんなものかとボウルで粉々になっている菓子であった物を見つめていると、ルナティエラ嬢から新たな指示が出た。

『粉状になったら溶かしバターと牛乳を加えてなじませます。一塊になるくらいが目安です。水分が少ないようでしたら、牛乳を少量加えて様子を見てくださいね』

 彼女の頭の中には、どれだけのレシピが詰まっているのだろう。
 ハルキもそうだったが、基礎が出来ているだけに、様々な状況に合わせて思い浮かぶ物があるのかもしれない。
 頼もしい限りである。
 彼女が言うように作業をしていると、どうやらルナティエラ嬢は、新たに加わった弟子の女性について考えていたらしく、思考が流れ込んできた。
 新たに弟子入りした女性は癒やしの力を持つが故に、被災地へ赴くことが多いようだ。
 そのため、できるだけ便利な道具に頼ることをなく、あたたかく美味しい、体にも良い料理を作ろうと努力中である───ということらしい。

 なるほど……そういう話であれば、ルナティエラ嬢を師と仰ぐのは最良の選択だと言えるだろう。
 彼女の知識は、どちらの世界にも無い知識だ。
 ニホンという、我々の世界とは違う文化と技術を持つ世界である。
 その中でも、医療に関しての知識は、我が国の医者をも凌ぐ分野だってあるだろう。
 食事と人の関係について知りたいなら、彼女以上に知識を持つ者は居ないはずだ。

 熱心にメモを取り、ルナティエラ嬢の言葉を聞く少女の姿を見つめ、類は友を呼ぶという言葉の通りだと感じた。
 マリアベルと呼ばれた女性は、どことなくルナティエラ嬢と似ている。
 基本的に自分のことは後回しで、目の前の困っている人たちを助けてしまうタイプだろう。
 悪いことでは無いのだが、大切に思う相手がそれをしていると、不安になるし、心配もする。
 しかし、わかっていないのだろうな……
 ルナティエラ嬢もそうだが、彼女の新たな弟子を大切に想う者も大変だろう。
 リュートのように周囲を把握し、フォローができる者がそばにいれば問題はないだろうが、彼のような人物は希有である。
 そういう相手と巡り会うことを祈るばかりだ。

『では、型や深皿に生地を入れて、スプーンで押しつけながら器の形に整えていきましょう』

 ボウルの粉に溶かしバターや牛乳を加えて、ルナティエラ嬢が作業をしている生地に近づけつつ、さて……何に押しつけようかと周囲を見渡していると、鞄からノエルが型を数個出してきたのには驚いた。
 こっそり「オーディナル様からだよー」と耳打ちをされ視線を向けると、主神オーディナルは悪戯が成功したかのような喜びをにじませた表情をして、片目をつむって見せたのである。
 ありがたいことだ。
 
 見本として何個か置いていけば、宿屋の主人も助かるのではないだろうか。
 この型を増やしたいときは、コレを持って鍛冶屋へ相談しに行けば良いだろう。
 一つはマテオさんに渡しておけば、タルトのレシピが広まった時に、型が欲しいという人たちも購入できるに違いない。

 主神オーディナルが準備してくれた、円形で側面が波打つように加工された鉄製の型に、生地を押しつけて整えていく。
 できるだけ均等に、多少の厚みを持たせるのがコツのようだ。
 作業に集中していると、ルナティエラ嬢が……「あ、そうだ」と呟く声が聞こえてきた。
 何だろうと意識を傾けると、彼女は貴族令嬢の時に見せたような感情を読ませない表情で微笑んでいる。
 あ……これは……マズイな。

『ベオルフ様。多分ですが、このタルト生地について尋ねられると思いますので、そのときには、私の言葉を添えていただけませんでしょうか』
「何だろうか」
『このように、手を加えなければ美味しくいただけないお菓子ですから、お口に合わずとも致し方ございません。このような悪知恵ばかり働く方で、申し訳ございません……と』

 刺激しないように返答したはずだが、どうやら無駄であったようだ。
 漂ってくる冷気から、本気で怒っていることがわかる。
 彼女は、上品で作られた仮面か人形のようにピクリとも動かない、見事な微笑みを浮かべている時ほど怒っているのだ。
 だいたい、目を見ればわかる。
 全然笑っていないのだから……

「そちらの方々が怯えているから、それくらいにしておけ」
『私は何も変なことを言っておりません』
「それに、あの馬鹿のことで貴女が謝る必要は、もう無いのだ」

 その言葉に、ルナティエラ嬢はピクリと反応してくれた。
 どうやら、未だにセルフィス殿下が起こした事件を全て自分が解決しなくてはならないと考えているようである。
 私の知らないところで、ルナティエラ嬢はセルフィス殿下が起こす問題を、一人で黙々と片付けていたのだろう。
 しかも、それを当たり前だと感じるくらいの精神汚染を受けていた。
 正常に戻りつつある現在は、その時に本来は感じていたはずの怒りを覚えたのかもしれない。
 私と二人の時だったら、好きなだけ怒って暴れると良いだろうが、彼女の周囲の者たちには刺激が強すぎる。

 本当なら、ここで宥めるところなのだが、彼女がこれほど含んだ言い方をするということは、何らかの問題があったのだろう。
 その真相を知っておく必要があると判断し、ルナティエラ嬢に尋ねる。

「この菓子はどこが作っているのだ」
『ヘルハーフェンより北西に連なる山岳地帯の麓にある、山と森に囲まれた領地を治めるパクリアーノ伯爵が出資する商会です』
「……聞かない名前だな」
『二年ほど前に爵位をお金で買ったようで、もとは商人です。多分、お隣の方に聞いた方が詳しい情報を得られるのでは無いでしょうか』

 マテオさんに視線を移し、「パクリアーノ伯爵を知っているだろうか」と尋ねると、彼は目を丸くしたあと、苦笑を浮かべながらコクリと頷いた。
 なるほど……あまり良くない手合いということか。

「もしかして、セルフィス殿下が懇意にしているのか?」
『はい。セルフィス殿下の散財が公にならないのは、彼がお金を融通していたからだという噂もあります』

 なるほど……
 急に金回りが良くなったように感じるという情報も報告書に記載されていたな。
 パクリアーノ伯爵が裏で手を回していると知る者も多いのだろう。

『ですから、その焼き菓子を扱っている商会は、フルーネフェルト卿にとって、印象が良くないのです。食べたベオルフ様ならわかると思いますが、質を悪くした模倣品なのですもの』

 そういう話もあったから、この菓子は突き返されたのか……
 私とこの菓子の存在で、南の辺境伯は警戒心を抱いてしまった。
 悪手が重なったな……

『ベオルフ様は本当に勢力図を理解していらっしゃいませんよね。今後のために、しっかりと学ばれた方が良いですよ?』

 全くもって、その通りである。
 返す言葉も無い。

 しかし、警戒心を強めた彼の心を、この菓子で開くことができるのだろうか……
 いや、ルナティエラ嬢の作る菓子だ。
 絶対に大丈夫だと、自信を持って言える。
 ルナティエラ嬢とハルキの手から生み出される料理は、本当に凄い物だからな。
 食えば力になり、心があたたかくなるのだ。

 しかし、タイミングが悪かったな。
 現在、彼が様々なことに対し過敏になっていると理解しておくべきであった……

 今のところ町には活気があり、不満の声は聞こえてこない。
 だが、それは南の辺境伯が努力した結果だと言える。
 南の辺境伯は武具関連の調達と作物の収穫量が思わしくない時期が重なり、資金不足ではないだろうかと、こういうことには疎いはずの父が珍しく心配していた。
 国から南の辺境だけに資金援助をすることは出来ず、他にも不作が続く領地を調べ、国が資金援助をしたのだが、金額は微々たる物であったという。
 それだけ、昨年の食糧問題は深刻であったのだ。
 足りない分の援助に、潤沢な資金を所持するパクリアーノ伯爵が一枚噛んでいたとしたら……かなり複雑だろう。
 
 そんな辛い状況を常日頃から送っていた北の辺境は、ルナティエラ嬢がアドバイスしてくれた畝のおかげ、例年に無いくらいの豊作であったと、村長が笑顔で報告してくれたくらいである。
 現在、我が国で食糧難に見舞われていないのは、北の辺境と私の家が預かっている領地とルナティエラ嬢の家が預かっている領地くらいではないだろうか。
 クロイツェル侯爵の領地は元々肥沃な大地が広がっているのだから、当たり前と言えばそうなのかもしれない。
 主神オーディナルが何かしら手を加えているとは考えられな……いや、やっぱり、少し手を加えている可能性も否定できない。
 過保護な方であるから、「飢えることが無いように先手を打っておいた」なんてことを平気で言い出しそうである。

『南の辺境を治める者は、昨年よりも武具の質が落ちていて数も揃っていないことを、他の者に知られたくはないのだろう』

 不意に聞こえた主神オーディナルの声に驚き見れば、どうやら南の辺境伯周辺を調べてくださったようだ。
 愛しい娘と息子との会話を楽しみながらも、私のことを気にかけてくれていることに感謝しか無い。

『あとは、資金繰りも難しいようで、かなり切迫しているな。何かしらの弱みがある者は、何事にも過敏になるものだ』

 武具の調達……か。
 国境を守る要である領地が、資金不足のために守りを固められないというのは大問題だ。
 表向きは良好な関係を築き上げているから、油断しているところがあるのかもしれない。
 しかし、ルナティエラ嬢たちからもたらされた情報により、戦争はいつ起きてもおかしく無いことがわかっているのだ。
 油断は出来ない。
 口実を与えないことが重要だが、軍備を整えておく必要がある場所が手薄など、お話にもならないだろう。

『ここで生きてくるのが、ベオルフの領地にある鉱石ではないのか?』

 ハッとした。
 そうだ……我が領地から産出されるシルヴェス鉱で作る武具ならば、領地へ戻れば職人が多く意欲的に制作しているために、数をそろえることも可能では無いだろうか。
 父の許可さえあれば、懐に余裕がある当家が職人から購入した後、徐々に返済してもらう形も取れるだろう。

 鉄で作った武具のように錆びないだけではなく、とても軽くて丈夫である。
 状況次第では、支援しなくてはならないだろうが……交渉材料にもなる可能性があるので、南の辺境伯に詳しく交渉術にも長けているマテオさんに相談するのが良いかもしれない。
 まあ、全ては父から許可が出たら───という話ではあるが……

 作業をする手は止めずに、そんなことを考えていたら、ルナティエラ嬢の方がやけに騒がしい。
 どうやら、彼女が静かに怒っていたことに驚いた者たちと彼女が、賑やかなやり取りをしているようである。
 なんとも仲が良いことだ。
 幼い女神が、昨晩ルナティエラ嬢にリュートが叱られたことを暴露してしまい、みんなに知られてガックリ肩を落としている彼の様子は笑いを誘う。

「まあ、ルナティエラ嬢は怒ってもすぐ忘れるから、さほど問題はなかろう」

 私の言葉を聞いた彼女は、むっと唇を突き出して怒ったようであるが、これも長続きしないことを知っている。
 ルナティエラ嬢は、怒りが持続しないタイプであることに間違いは無い。
 それに……

「口に出さず、静かに怒っている方が長く続く気はするな」

 私が何気なく言った言葉に、ルナティエラ嬢だけではなく主神オーディナルとノエルがビクリと震えたのは何故だったのか……不思議だと感じながらも、タルト生地の出来映えを確認して、私は満足げに口元を緩めた。

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