102 / 229
南の辺境ヘルハーフェン
45.顔が赤いが……湯あたりか?
しおりを挟む神石のクローバーの欠片が封じた黒狼の主の使い魔は3体。
その中でも、一番使い勝手の良かった様子である黒狼を仕留められたのは僥倖であった。
しかし、主神オーディナルが言うように少し無理をしたのか、時間が経つにつれ自覚が出来るくらいの疲労感が出てきたのである。
それに気づいたノエルが私にまとわりつき、ナルジェス卿は良い機会だからと私に風呂を勧めてきた。
大浴場で汚れと疲れを洗い流して眠ると、明日は元気になるだろうと言われたら興味も湧いてくる。
白い大理石に覆われた風呂場は、自然に湧き出た温泉を引いているようで、豊かな湯がなみなみと注がれているらしい。
グレンドルグ王国では珍しい大浴場であるが、この地方にはよくあるものだということであった。
もともと、グレンドルグ王国には湯船につかるという概念が貴族にしかなく、惜しむこと無く温かな湯を使えるということは豊かさの象徴でもある。
それ故に、民は皆、井戸や川で体を洗うか、固く絞った布で体を拭くことが当たり前になっていた。
しかし、この南の辺境であるヘルハーフェンは違う。
エスターテ王国に近いこの地域では、隣国の良い文化を取り入れることに抵抗がなかった。
そこかしこに異国情緒溢れる物が存在し、生活の一部として溶け込んでいる。
それは、気をつけて見ていないとわからないくらい、小さい物から大きな物まで様々だ。
その中でも、領民が一番気に入っているのは大衆浴場なのだと、ナルジェス卿は誇らしげに教えてくれたのである。
古くて保守的な王都では無理だろうが、この地域は自由で寛容なところがあるために、実現が可能だったのだろう。
ナルジェス卿自慢の大衆風呂は領民に絶大な人気があり利用者も多い。
それ故に、衛生面にも気をつけていると熱く語ってくれたのだが、ノエルは自分の湯を召喚しようと考えていたのか思惑が外れたことが残念だったようで、ナルジェス卿の説明を聞きながら耳と尻尾を下げていた。
しかし、ナルジェス卿の説明で『磨かれた大理石が美しい、とても広い場所だ』と聞くやいなや目を輝かせ、私の足元で「早く行こうよ」と急かし始めたのである。
どうフォローを入れようか考えあぐねていた私が馬鹿みたいではあるが、まあ、元気になったのなら良いだろう。
足元をぐるぐる回るノエルの要望に応えたいが、すぐというワケにはいかないと説得し、黒狼の主が焼いた場所の状況確認や、何か他にも仕掛けていないか確認をすることにしたのである。
アイツのことだ、油断をすれば寝首をかかれるかもしれない。
それはノエルにもわかっていたのか、真剣な表情で頷き、手分けして周囲を探索したのである。
その考えは正しかったようで、奇妙な気配を放つ球体を幾つか発見し、主神オーディナルから授かった武器で砕いて回ったのだ。
その球体に不用意に触れた者は、意識を乗っ取られてしまったようで、力なく地面に座り込んでいたのだが、術にかかってから時間が経過していないことから、ノエルが浄化を行い事なきを得ていた。
ルナティエラ嬢ほど時間が経ち、力の強い呪いのような術にかかったのとはワケが違うから、大丈夫だよーと笑うノエルの言葉を聞き、意識を取り戻した者たちは、揃ってルナティエラ嬢の精神力の強さに驚いたようである。
「あ、あんな暗くて冷たくて苦しい感覚を……ずっと? 普通の人間なら発狂していますよ……」
彼らのそんな言葉を聞き、私は更に悔しさを感じてしまう。
ルナティエラ嬢は、ずっと耐えてきたのだ。
その痛みと苦しみを───
絶対に許さん……
「ベオー、皆が怖がってるよー」
「ん? ああ、いや、黒狼の主だけは許さんと改めて思っただけだ」
一応説明しておくが、震える彼らには「何にでも不用意に触れないように」とだけ、注意しておいた。
そういう点で言うと、マテオさんとアーヤリシュカ第一王女殿下の対応は、完璧だと言える。
問題がありそうな奇妙な物を見つけたら、目印をつけて報告をしにきてくれたのだ。
頭の回転が速い人たちだという印象を受ける2人には、感謝しか無い。
周辺を探索し終えたあと、街の様子を見に行っていた主神オーディナルが「問題無い」と笑う様子を見て、ようやくナルジェス卿が勧める風呂場へ移動したのである。
扉を開き入ったナルジェス卿の館にある浴場は、彼が自慢したくなる理由がわかるほど広くて素晴らしい物であった。
目の前に豊かな湯が張られている湯船に、ノエルは体を洗ってもいないのに飛び込もうとしたので、慌てて尻尾を掴みひっ捕まえる。
さすがに汚れているので、それは容認できない。
尻尾を掴まれぷらんぷらんとぶら下がりながらも、ぶーぶー文句を言うノエルの体を洗浄石で綺麗にして解放すると、喜び勇んで湯船に飛び込むのを見送り、周囲が先ほどよりも綺麗になっていることが気になって見回してみる。
どうやら、洗浄石の効果が周囲にも影響したらしく、入ってきたときよりも床や壁の落としきれない汚れが無くなっていることに気がついた。
『力が溢れているような状態だな。やはり、僕の愛し子に直接リンクしたのが影響しているのだろう』
「そのおかげで、封印の力も使えたということですか?」
『そういうことだ。お前たちは相性が良いからな』
いつの間にか、衣類を脱ぎ綺麗に四角の形に折ったタオルを頭に乗せて湯船につかっていた主神オーディナルは、ふぅ……と息を吐く。
アレは、何かの儀式か流儀なのだろうか。
少々疑問を覚えたのだが、湯を楽しんでいるようであったので、深く突っ込まないことにした。
『お前たちが小さいころは、一緒に入っていたのだが……懐かしいものだ』
「一緒に……ですか?」
『そうだ。お前の怪我がなかなかよくならなかったから、僕の愛し子が心配して、よく頭や体を洗ってやっていた。お前は気恥ずかしくて嫌がっていたが、僕の愛し子はかいがいしく世話をしていたものだ』
……できれば、それは他言無用でお願いしたい。
幼かった頃とは言え誤解を招く恐れがあるし、それを知ったルナティエラ嬢も居たたまれなくなる。
現に私も、なんと言って良いかわからないのだから間違いは無いだろう。
「やあ、ゆっくりしているかい? おや? 顔が赤いが……湯あたりか?」
そのタイミングで入ってきたナルジェス卿は、良いのか悪いのか、私の表情から何かを読み取ったようで首を傾げていた。
ナルジェス卿の後ろには、マテオさんとアーヤリシュカ第一王女殿下の護衛の姿も見える。
「いえ、大丈夫です。みんな揃って風呂ですか?」
「ここでは全員丸腰だから、こういう裸の付き合いも良い物だと思ってな」
だから、タイミング───
私の心境が理解できたのか、主神オーディナルがくくっと笑い、ノエルは気にせずぷかぷかと湯船に浮いていた。
コホンと咳払いをしてから「そうですか」と頷くのだが、何かあったのだろうかと顔を見合わせている一同に構わず、頭から湯をかぶる。
出来ることなら気にしないで欲しい。
「さすがだな、鍛え方が違うのが体つきからも見て取れる。このしなやかだが機能的な筋肉の付き方が素晴らしい! どうやったら、これだけ無駄なく鍛え上げられるのか教えて欲しいものだ! 異様に発達したという感じでは無く、全体的に無駄が無い。左右のバランスも取れているところに努力の跡が垣間見える。私の鍛え方はまだまだなのだと教えられるほど、美しく弾力もあり、素晴らしい体つきだっ」
病気はいきなりスイッチが入るのだな……
しかも、私の体に触れながら言うのをやめていただきたい。
スレイブと同類だとは思っていないが、前例があるので全力で遠慮したい。
あと、うっとりと体つきを見るのも、出来ればやめていただけないだろうか。
それは、嫌な記憶の引き金になるので……
───というように、言いたいことは山ほどあったが、突っ込まれて説明するほうが面倒だったから、黙ってやり過ごすことにした。
「しかし、この体つきだと貴族の子女には敬遠されそうだな」
「逆にそれが助かります」
「ルナティエラ嬢は気にしなかったのか?」
「彼女はどちらかと言えば、こういう体つきの方が好みですね」
「なるほど、そういうことであればセルフィス殿下では物足りなかっただろうな」
愉快だとでも言うように笑うナルジェス卿に対し、何と返答して良いかわからずにいると、高い壁の向こうから声がした。
「グレンドルグ王国の女性が持つ男性の好みは、正直言って理解できないわー。いざっていう時に戦えない男に、どんな魅力があるっていうの? 観賞用として置いておけってことかしら」
「王太子殿下も、鍛えていらっしゃいますからね」
「そこまで筋肉質じゃないけど、他の兄弟と比べて貧弱そうな体つきとは違うわよね。ほどよい筋肉っていうの?」
どうやら、隣は女性が使う風呂場のようで、互いの会話は筒抜け状態である。
アーヤリシュカ第一王女殿下の声は、高い塀越しに此方へ響いてくるのだが、その内容に苦笑が浮かんでしまいそうになった。
セルフィス殿下もオブセシオン殿下も、あまり武術が得意では無い。
オブセシオン殿下に至っては、馬術も苦手だというから驚きだ。
そんな男がルナティエラ嬢を守れるのだろうか、甚だ疑問である。
それに比べてリュートは、よく鍛えられた体つきをしていた。
無駄が無く隙も無い。
何よりも、彼のそばにいるルナティエラ嬢は、よく笑ってくれた。
それが何よりも嬉しいのだ。
「殿下、のろけはそれくらいにしておいてください……」
ナルジェス卿がうんざりとした様子で、未だ王太子殿下の賞賛を続けているアーヤリシュカ第一王女殿下を止める。
「ねーねー、ベオー、ボクの温泉をここに召喚しても良いー? さっきの怪我、治ってないよー?」
「ん? 怪我?」
「気づいてないの? 背中に傷があるよーっ」
「ああ……ピリピリすると思った」
「い、いえ、ベオルフ様。ピリピリというレベルではないかと……」
「血は止まっていますが……やはり、あれだけの攻撃を身一つで受けたのですから、他に具合の悪いところがないか調べた方が良いのではありませんか?」
「ヤウムの言う通り! コレはマズイっしょ。パックリいってんじゃん」
「ヨルン、言葉遣い……」
「あ、やべっ」
ノエルに続き、マテオさんとアーヤリシュカ第一王女殿下の護衛二人も傷の具合を見て顔をしかめていた。
私からは見えないが、どうやら先ほどの戦闘で赤黒い光を攻撃した反動で負った傷のようだ。
かなりの衝撃だったから、傷の一つや二つ負っていても不思議では無いだろう。
脱いだ服に血がついていたのは、このせいか……と、暢気に考えていると、ノエルがジトリとした視線を投げかけてくる。
「ルナが聞いたら泣いちゃうよー? それでもいいのー?」
「それは困る。ノエル、頼んだ」
「ベオって、ルナが泣くかどうかが基準なんだもんね……本当に困っちゃうよ」
ブツブツ文句を言っているノエルに対し、ねぎらいの言葉をかけるマテオさんとナルジェス卿に気分を良くしたのか、ノエルが大量の湯を召喚しすぎて、その場の全員が溺れかけたのは───主神オーディナルの助けもあったので、多分……些細なことである。
107
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
魔王を倒した手柄を横取りされたけど、俺を処刑するのは無理じゃないかな
七辻ゆゆ
ファンタジー
「では罪人よ。おまえはあくまで自分が勇者であり、魔王を倒したと言うのだな?」
「そうそう」
茶番にも飽きてきた。処刑できるというのなら、ぜひやってみてほしい。
無理だと思うけど。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します
namisan
ファンタジー
バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。
マイルズが10歳となった「洗礼式」の日。
その儀式の最中、領地で謎の疫病が発生したとの凶報が届く。
「呪いだ」「悪霊の仕業だ」と混乱する大人たち。
しかしマイルズだけは、元医師の知識から即座に「病」の正体と、放置すれば領地を崩壊させる「災害」であることを看破していた。
「父上、お待ちください。それは呪いではありませぬ。……対処法がわかります」
公衆衛生の確立を皮切りに、マイルズは領地に潜む様々な「病巣」――非効率な農業、停滞する経済、旧態依然としたインフラ――に気づいていく。
前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。
これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。
最難関ダンジョンをクリアした成功報酬は勇者パーティーの裏切りでした
新緑あらた
ファンタジー
最難関であるS級ダンジョン最深部の隠し部屋。金銀財宝を前に告げられた言葉は労いでも喜びでもなく、解雇通告だった。
「もうオマエはいらん」
勇者アレクサンダー、癒し手エリーゼ、赤魔道士フェルノに、自身の黒髪黒目を忌避しないことから期待していた俺は大きなショックを受ける。
ヤツらは俺の外見を受け入れていたわけじゃない。ただ仲間と思っていなかっただけ、眼中になかっただけなのだ。
転生者は曾祖父だけどチートは隔世遺伝した「俺」にも受け継がれています。
勇者達は大富豪スタートで貧民窟の住人がゴールです(笑)
娼館で元夫と再会しました
無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。
しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。
連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。
「シーク様…」
どうして貴方がここに?
元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる