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舞踏会の喧騒は、まだ遠い大広間に満ちていた。
煌びやかなシャンデリアが天井に輝き、金銀の装飾が壁を飾る。遠目に見るその美しい光景が今の私にはひどく遠く、どこか別の世界のもののように思えた。まるで手の届かない星を見ているようだ。あの輝きは、空に輝くものよりもより明るく、ギラギラしてはいるが。
そんなくだらないことを考えながら、私はさっきあの庭で見た光景を頭の中で繰り返し、そしてただ立ち尽くしていた。
——どうすればいいのだろう。
私は侯爵令嬢であり、そして王太子の婚約者だ。
これまではそれを当然のこととして受け入れてきた。いつか王妃になる。そのために相応しい振る舞いを学び、教養を身につけ、誰よりも慎ましく、そして品位を守って生きてきた。苦しみながら、それを体現してきたのだ。
けれど。
カイデンの裏切りを目の当たりにした今、私はもう何を支えにすればいいのかわからなくなっていた。
彼がいたから、頑張れた。
彼がいたから、この立場を受け入れることができた。
それなのに、どうして。
婚約は貴族の力関係によって決まったものだ。
けれど、私は彼を愛していた。彼も私のことをきっと愛してくれている。そう信じていた。
でもそんな気持ちなど、彼にはなかった。私のこともどうでもよかったのかもしれない。私はただ、王族と侯爵家の均衡を保つための存在でしかなかったのだ。馬鹿な女だと思って、実は影では笑っていたのかもしれないとさえ今は思ってしまう。
このままここで何事もなかったかのように婚約者でい続けるなんて、到底できるはずがない。
王妃になるなんて、無理だ。
裏切られた心の痛みが、体の奥まで蝕んでいく。
ならば、どうすればいいのだろう。
婚約を解消する? 最初に浮かんだが、それは無理だ。王族であるカイデンが相手では、どれほど私の家が力を持っていようと、彼の行動は庇われて終わる。だって王族は私たちよりも力があるから。この国の実質トップだ。私の方が軽んじられ、口を閉ざすよう強要されるだろう。王太子の婚約者という立場は、私を守る盾にもなりえたが、同時に逃れられぬ鎖でもあった。
それじゃあ実家に戻る?だが、それもできないという結論にすぐに至った。
私が戻れば、父は必ず事態の収拾を図るだろう。しかし、父がどれほど尽力したとしても、この婚約は政治的なものだ。私の意志だけでなく、家の未来さえも絡んでいる。それに両親が共に味方してくれるビジョンも見えなかった。私はこの国のために王妃という贄として差し出されているのだ。既にあの家には見限られているのだろう。嫌なことばかり考えてしまう。私はカイデンがいてくれなければ、結局一人だった。
私は、どこにも行き場がない。
このまま何もできず、ただ王太子の婚約者であり続けるしかないのだろうか?
……いいえ。ここにいることは、できない。
私はふと、手元に視線を落とした。
長年、私は王太子の婚約者として振る舞ってきた。慎ましく、大人しく、そして何より目立たぬように。それが求められる姿だったから。
でも、そのおかげで、最近になってようやく、私に対する監視の目が緩み始めていた。
——それなら。私は、この場から逃げる。一世一代の大博打。
侯爵家の娘として生まれ、王太子の婚約者として生きてきた。支援も後ろ盾もない。でも、今夜は多くの貴族が集う大規模な舞踏会。ほとんどの兵達がその警備に追われている。皮肉なことに、この場は私にとって最高の逃走の機会だった。
私は静かに息を吸い込み、そして決意する。
ここから出る。今のこの立場と場所を捨てる。誰にも気づかれないうちに——私は、消えるのだ。
煌びやかなシャンデリアが天井に輝き、金銀の装飾が壁を飾る。遠目に見るその美しい光景が今の私にはひどく遠く、どこか別の世界のもののように思えた。まるで手の届かない星を見ているようだ。あの輝きは、空に輝くものよりもより明るく、ギラギラしてはいるが。
そんなくだらないことを考えながら、私はさっきあの庭で見た光景を頭の中で繰り返し、そしてただ立ち尽くしていた。
——どうすればいいのだろう。
私は侯爵令嬢であり、そして王太子の婚約者だ。
これまではそれを当然のこととして受け入れてきた。いつか王妃になる。そのために相応しい振る舞いを学び、教養を身につけ、誰よりも慎ましく、そして品位を守って生きてきた。苦しみながら、それを体現してきたのだ。
けれど。
カイデンの裏切りを目の当たりにした今、私はもう何を支えにすればいいのかわからなくなっていた。
彼がいたから、頑張れた。
彼がいたから、この立場を受け入れることができた。
それなのに、どうして。
婚約は貴族の力関係によって決まったものだ。
けれど、私は彼を愛していた。彼も私のことをきっと愛してくれている。そう信じていた。
でもそんな気持ちなど、彼にはなかった。私のこともどうでもよかったのかもしれない。私はただ、王族と侯爵家の均衡を保つための存在でしかなかったのだ。馬鹿な女だと思って、実は影では笑っていたのかもしれないとさえ今は思ってしまう。
このままここで何事もなかったかのように婚約者でい続けるなんて、到底できるはずがない。
王妃になるなんて、無理だ。
裏切られた心の痛みが、体の奥まで蝕んでいく。
ならば、どうすればいいのだろう。
婚約を解消する? 最初に浮かんだが、それは無理だ。王族であるカイデンが相手では、どれほど私の家が力を持っていようと、彼の行動は庇われて終わる。だって王族は私たちよりも力があるから。この国の実質トップだ。私の方が軽んじられ、口を閉ざすよう強要されるだろう。王太子の婚約者という立場は、私を守る盾にもなりえたが、同時に逃れられぬ鎖でもあった。
それじゃあ実家に戻る?だが、それもできないという結論にすぐに至った。
私が戻れば、父は必ず事態の収拾を図るだろう。しかし、父がどれほど尽力したとしても、この婚約は政治的なものだ。私の意志だけでなく、家の未来さえも絡んでいる。それに両親が共に味方してくれるビジョンも見えなかった。私はこの国のために王妃という贄として差し出されているのだ。既にあの家には見限られているのだろう。嫌なことばかり考えてしまう。私はカイデンがいてくれなければ、結局一人だった。
私は、どこにも行き場がない。
このまま何もできず、ただ王太子の婚約者であり続けるしかないのだろうか?
……いいえ。ここにいることは、できない。
私はふと、手元に視線を落とした。
長年、私は王太子の婚約者として振る舞ってきた。慎ましく、大人しく、そして何より目立たぬように。それが求められる姿だったから。
でも、そのおかげで、最近になってようやく、私に対する監視の目が緩み始めていた。
——それなら。私は、この場から逃げる。一世一代の大博打。
侯爵家の娘として生まれ、王太子の婚約者として生きてきた。支援も後ろ盾もない。でも、今夜は多くの貴族が集う大規模な舞踏会。ほとんどの兵達がその警備に追われている。皮肉なことに、この場は私にとって最高の逃走の機会だった。
私は静かに息を吸い込み、そして決意する。
ここから出る。今のこの立場と場所を捨てる。誰にも気づかれないうちに——私は、消えるのだ。
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