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第88話 最愛のあなたへ
しおりを挟む「――ッ!!」
金属音が、絶叫のように回廊に響き渡った。
カレンの双剣と、セレスの持つ魔導杖が正面から衝突する。
魔力を纏った杖は鋼鉄以上の硬度を持ち、
剣と打ち合うたびに激しい火花と衝撃波を撒き散らす。
「くっ……重いッ!」
カレンは歯を食いしばり、手首を返して杖の軌道を逸らす。
だが、セレスは止まらない。杖の石突きでカレンの腹部を狙い、
カレンがそれを回避すると、流れるような動作で杖の先端を向けた。
「――爆炎」
無詠唱。至近距離からの爆発魔法。
「カレンさん、右です!!」
後方からしずくの鋭い指示が飛ぶ。
カレンは思考するより早く、反射的に体を右へと投げ出した。
ドオォォォン!!
カレンがいた空間が紅蓮の炎に包まれる。 熱波が髪を焦がすが、直撃は免れた。
「――氷礫」
セレスは追撃の手を緩めない。
杖を振るう動作そのものが魔法のトリガーとなり、
無数の氷の散弾がカレンを襲う。
「させないッ!」
しずくが割り込む。
盾を構え、カレンの前に立ちはだかる。
ガガガガガッ!!
氷の礫が盾に弾かれ、砕け散る。
しずくはその衝撃に耐えながら、その背後からカレンが剣を振るう。
「ハァッ!!」
セレスの足元を狙う鋭い一閃。
だが、セレスは表情一つ変えず、最小限のバックステップでそれを躱す。
そして、空いた左手で虚空を掴むような動作をした。
「しずく、上だ!」
カレンが叫ぶ。 しずくの頭上に、重力魔法の黒い球体が生成されていた。
「ぐぅッ……!?」
ズンッ! 見えない巨人の手が押し潰すような圧力。
しずくの膝が折れそうになるが、彼女は魔力を爆発させて無理やり弾き飛ばした。
「ま、だ……ッ!」
二対一。 それでもなお、セレスが圧倒している。
近接戦闘の技術と、魔法の同時運用。
戦う魔導師としての完成形がそこにあった。
「はぁ、はぁ、はぁ……ッ」
一度距離を取り、二人は呼吸を整える。
しずくの盾は凹み、カレンの双剣は刃こぼれしている。
だが、二人の瞳に絶望の色はなかった。
「カレンさん。……見えますか?」
しずくが右目の魔眼を輝かせながら問う。
「ああ。動きのパターンは変わっていない。 ……やっぱり、セレス様だ」
カレンが汗を拭う。 猛攻の中、彼女はセレスの動きを観察し続けていた。
踏み込みの深さ、呼吸の間合い、杖を回す癖。
すべてが、カレンが憧れ、模倣し、追い続けてきた背中そのものだ。
「一人じゃ勝てない。……でも」
カレンがしずくを見る。
「しずく。きみがいれば、隙を作れる」
「はい。私が攻撃を誘導します。 カレンさんは……決定打を」
「分かった」
言葉は短くていい。 二人の間に、戦場での信頼関係が構築されていた。
リサのような圧倒的なパワーはない。
けれど、ここにあるのは№10の盾と副官の双剣という、緻密な連携。
「行きますッ!」
しずくが駆け出す。 正面からではない。ジグザグに動き、セレスの照準を撹乱する。
セレスの杖が唸る。
雷撃、風刃、岩塊。
あらゆる属性魔法が機関銃のように放たれるが、
しずくは魔眼で魔力の予兆を読み切り、紙一重で盾受け、
あるいは回避していく。
「そこッ!」
しずくが懐に飛び込み、シールド・バッシュを放つ。
セレスは杖で受け止めるが、その瞬間、カレンがセレスの死角から滑り込んだ。
「ハァァァァッ!!」
双剣の乱舞。 上段、下段、刺突。 目にも止まらぬ連撃がセレスを襲う。
セレスは魔法を使う暇を与えられず、杖での防御に追われる。
しずくが退路を断ち、カレンが攻める。
完璧なコンビネーション。
徐々に、セレスの動きが遅れ始めた。
(行ける……! 押し込める!)
カレンの脳裏に、かつてのセレスの言葉が蘇る。
「いい、カレン。魔法を扱うのは、精神力を極限まで削るの」
「大きな魔法を使う直前、ほんの一瞬だけ……踏み込むから隙ができる。
それが私の悪い癖」
その言葉が、勝利への鍵。
「……!」
しずくが叫ぶ。
「魔力収束反応! 最大出力、来ます!」
セレスがカレンを弾き飛ばし、杖を高く掲げた。
天井付近に巨大な魔法陣が展開される。
広範囲殲滅魔法、聖殲光。
これを撃たれれば、回廊ごと消し飛ぶ。
「下がってくださいカレンさん! 私が防ぎます!」
しずくが盾を構え、魔法陣の直下へ入ろうとする。
「いいや、違う!」
カレンは退かなかった。 逆に、地を蹴ってセレスへと突っ込んだ。
「カレンさん!?」
「今だ……ッ!!」
カレンの瞳が捉えていた。
魔法発動の瞬間、セレスの左足がわずかに浮き、
重心が右足に深く沈み込んだのを。
それは、理性を失い、マガツの人形となった今も、
肉体の記憶として刻まれていたのだ。
その一瞬の隙、そこが、唯一にして最大の勝機。
「おおおおおおおッ!!」
光の奔流が放たれる寸前、カレンはセレスの懐深くへと潜り込んだ。
頭上で魔力がスパークし、肌が焼ける匂いがする。
それでも、カレンは止まらない。
「そこだあぁッ!!」
カレンの双剣が閃いた。 狙うは、重心が乗っている右足の腱。
ザシュッ!!
「――ッ!?」
セレスの体がガクンと崩れた。
右足を斬られ、体勢が崩れる。
杖の照準が大きくズレる。 放たれた、聖殲光は、
二人の頭上を通過し、背後の壁を消し飛ばした。
ズドォォォォォォン!!!!!
爆風が吹き荒れるが、カレンは揺るがない。
「やった……!」
しずくが確信する。 セレスの体勢が完全に崩れた。
杖は大きく跳ね上がり、胴体はがら空き。
魔力使用直後の硬直時間。
絶好の、そして唯一の勝機。
(超えた……!)
カレンの中で、何かが弾けた。
セレスを超えた。
あの完璧な連撃の隙を見切り、二人で協力して、ついにその懐に入った。
あとは、この双剣を突き入れるだけ。 心臓を破壊し、
彼女を永遠の眠りにつかせるだけ。
「終わりです……セレス様ッ!!」
カレンは右手の剣を振りかぶり、セレスの胸へと切っ先を向けた。
スローモーションになる世界。
この一撃が決まれば、終わる。
呪われた師を、解放してあげられる。
そう思った、その瞬間だった。
ふと、崩れ落ちるセレスと目が合った。
「あ……」
カレンの手が、空中でピタリと止まった。
セレスの赤い瞳。
虚ろで、殺意に満ちたその瞳が、
一瞬だけ――本当に瞬きするほどの刹那だけ、潤んだように見えたのだ。
そして、その唇が、音もなく動いた。
「……つよく、なったわね」
かつて、訓練で初めて一本取った時に撫でてくれた、
あの優しい笑顔が重なった。
幻聴かもしれない。 自分の願望が見せた幻覚かもしれない。
けれど。
「――――」
カレンの指先から、力が抜けた。 斬れない。 殺せない。
だって、こんなにも愛しい人が、目の前にいる。
私を褒めてくれている。 私を守ってくれた、大好きな人が――
「カレンさんッ! ダメェェェッ!!!」
しずくの絶叫が、鼓膜を破らんばかりに響いた。
ハッとなる。 違う。これは戦場だ。
目の前にいるのは敵だ。 情けをかければ、死ぬのは私たちだ。
カレンは歯を食いしばり、無理やり剣を突き出そうとした。
だが、遅かった。 あまりにも、遅すぎた。
戦場において、コンマ一秒の慈悲は、死と同義である。
「――――」
セレスの瞳から、人間らしい光が消え失せた。
彼女は崩れた体勢のまま、空いていた左手をカレンの腹部に密着させていた。
詠唱はない。 杖を使う必要もない。
ただ、純粋な殺傷力を持った魔力の刃を、掌から形成する。
「……しまっ!!」
カレンが息を呑む。
ドスッ。
鈍く、生々しい音がした。
「……ぁ……」
カレンの動きが止まる。 手から剣が滑り落ちる。
ゆっくりと視線を落とす。
自分の腹部に、セレスの手が手首までめり込んでいた。
青白い魔力の刃が、内臓を食い破り、背中まで貫通している。
「が、はッ……」
カレンの口から、大量の血が溢れ出した。
「カレンさぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!!」
しずくの悲鳴。
セレスは無表情のまま、刺し込んだ腕を引き抜いた。
内臓の破片と鮮血が飛び散り、床を赤く染める。
「……ごめ……なさ……い……しず……く……」
カレンの体から力が失われる。
彼女は糸が切れた人形のように崩れ落ち、自身の血の海へと沈んでいった。
その瞳には、最期まで師への思いと、致命的な甘さへの後悔の色が焼き付いていた。
「―――沈黙」
セレスは、血に濡れた手を一振りして汚れを払うと、
邪魔な障害物が排除されたことを確認し、無機質に次なる標的へと向き直った。
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