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第98話 最期の抱擁
しおりを挟む緋色の閃光が、瑠璃の胸を貫いた。
しずくの盾の先端が、ドス黒い核を粉々に砕き、
その背中まで貫通している。
時間は、そこで止まったかのようだった。
「……ぁ……」
瑠璃の手から、巨大な鎌が滑り落ち、
カランと乾いた音を立てて転がる。
支えを失った彼女の体が、ガクンと崩れる。
「……っ、ぐ……ぅ……」
しずくは動けなかった。 盾を引き抜くことができない。
手が震えて、力が抜けない。
目の前で力が抜けていく姉の体を、盾ごと支える形になっている。
(……来る)
しずくの本能が警鐘を鳴らす。 致命傷を負った獣は、最期に最も凶暴になる。
もし姉の意識がまだマガツに支配されているなら、
この距離からの反撃は防げない。
瑠璃の手が、ゆらりと動いた。 血に濡れたその手が、しずくの背中へと回る。
(――ッ!?)
しずくが身を硬くする。 首を折られるか、背中を引き裂かれるか。
だが。
ギュッ……。
予想された痛みはなかった。
代わりに、しずくを包み込んだのは、
優しく、そしてどこか懐かしい抱擁の力だった。
「……え?」
しずくが目を見開く。 瑠璃は、しずくを道連れにするためではなく、
愛しい妹を抱きしめるために、その腕を回したのだ。
「……しず、く……」
耳元で、囁くような声がした。 ノイズはもうない。
あの頃と同じ、澄んだ鈴のような姉の声。
「……お姉、ちゃん……?」
しずくがおそるおそる顔を上げる。
そこには、マガツの赤黒い瞳ではなく、
涙に濡れた美しい碧眼があった。
呪いの泥がサラサラと光になって剥がれ落ち、本来の瑠璃の顔が戻っている。
「……ありがとう」
瑠璃が、聖母のような微笑みを浮かべた。
「わたしを……解放してくれて……」
「う、あ……ぁぁ……」
しずくの目から、堰を切ったように涙が溢れ出した。
盾から手を離し、しずくもまた、姉の背中に腕を回して強く抱きしめ返す。
「お姉ちゃんッ!お姉ちゃんッ!! ごめんね……!ごめんねぇ……ッ!!」
「謝らないで……。あなたは……わたしを救ってくれたんだよ……」
瑠璃の手が、しずくの頭を優しく撫でる。
幼い頃、雷を怖がるしずくをあやしてくれた、あの優しいリズム。
「暗くて……冷たくて……ずっと苦しかった。
自分の手で、あなたを傷つけるのが……死ぬよりも怖かった」
瑠璃が、しずくの頬についた血を指先で拭う。
「でも、あなたが呼んでくれたから。あなたが……諦めずに届いてくれたから。 だから私は、最後にお姉ちゃんに戻れたの」
「うぅ……ッ、ぐすっ……」
しずくは子供のように泣きじゃくった。
温かい。
貫かれた傷口からは冷たい死の気配が漂っているのに、
抱き合う体温だけは、どこまでも温かい。
「強くなったね……しずく」
瑠璃が、しずくの背中に背負われた盾を見つめる。
「昔は……私の後ろをついてくるだけの、泣き虫さんだったのに。
魔法少女になっちゃって。こんなに立派な……誰にも砕けない盾になった。」
「違うよ……っ。私は……お姉ちゃんみたいになりたくて……。
お姉ちゃんみたいになりたくて……」
「ううん。あなたは私を超えたよ」
瑠璃は首を横に振った。
そして、自分の胸を貫いた傷跡――しずくの盾が放った一撃の跡に手を添えた。
「あなたの盾は……ただ守るだけじゃない。
愛するもののために、前に進む勇気を持っている」
瑠璃の体が、足元から徐々に光の粒子へと変わり始める。
別れの時が迫っていた。
魂が浄化され、彼女は本来還るべき場所へと旅立とうとしている。
「行かないで……! やっと会えたのに……!置いていかないでよぉッ!」
しずくが必死にすがりつく。
この腕を離したら、もう二度と会えない。 それが痛いほど分かるから。
「泣かないで、しずく」
瑠璃は、消えゆく自分の額を、しずくの額にコツンと合わせた。
「私は消えない。体はなくなっても……魂はずっと、あなたの傍にいる」
「お姉ちゃん……」
瑠璃が、しずくの右手に――盾を握るその手に、自分の手を重ねた。
瑠璃の瞳に、かつての天才魔法少女としての鋭い光が宿る。
「だから……私をあげる」
「え……?」
「私の全てを……魔力も、技術も、想いも。全部、あなたにあげる」
カッ……!
瑠璃の手から、眩い碧色の光が流れ出し、
しずくの右腕、そして彼女の盾へと吸い込まれていく。
それは温かく、そして力強い奔流。
姉の魂そのものが、妹の力となって溶け込んでいく。
「ここぞという時…… 私の名前を呼んで」
瑠璃がウィンクする。
「私が……あなたの「矛」になるから」
「お姉、ちゃん……ッ」
「さあ……もう行かなくちゃ」
光の粒子が、瑠璃の顔まで覆い始める。 彼女の輪郭が薄れていく。
「愛してるよ、しずく。 世界で一番の……自慢の妹」
「私も……! 私も愛してる!大好きだよお姉ちゃんッ!!」
しずくの叫びと共に、瑠璃の体が弾けた。
パァァァァァァァン……。
無数の光の羽となって、玉座の間に舞い上がる。
それはキラキラと輝きながら、
しずくの周りを優しく旋回し、やがて天高く昇っていった。
「…………」
腕の中が空っぽになる。 残されたのは、静寂。
そして、右手に残る確かな熱量と、姉から託された「最後の力」。
しずくは空を見上げ、涙を拭った。
悲しみは尽きない。 でも、もう弱音は吐かない。
お姉ちゃんは、私の中にいる。 私の一部となって、一緒に戦ってくれる。
「……ありがとう、お姉ちゃん」
しずくはゆっくりと立ち上がった。
その瞳は、涙で濡れてはいたが、決して折れない鋼の強さを宿していた。
そして、彼女は向き直る。 全ての悲劇の元凶。
最後の敵へと。
「待たせたわね……セラフィナ」
姉妹の絆は、死をも超えて繋がった。 ここからが、本当の最終決戦。
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