第一章完結【強引な略奪婚】冷徹な次期帝は、婚姻間近の姫を夜ごと甘く溶かす

小木楓

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第1章 風の悪戯、運命の始まり

第9話 最後の夜

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外では、明日から始まる「入内」の支度のために、侍女たちが忙しなく動き回る音が聞こえる。 それは、香子の恋の葬列の音のようでもあった。母・可乃子は、震える手で文を抱きしめる香子の肩をそっと抱き寄せた。 本来ならば、不敬の証拠となるこのような文は、今すぐにでも火にくべるべきものである。だが、娘の絶望を目の当たりにした母の情が、それを許さなかった。

「香子、その文は……お捨てにならなくても良いのですよ。誰の目にも触れぬよう、お守りの中にでも忍ばせておきなさい。……東宮様に見つかりさえしなければ、それは貴女の心の中だけの自由なのですから」

母の悲しげな微笑みに、香子はさらに涙を零しながら、何度も、何度も頷いた。それが、彼女がかつての自分と繋がっていられる唯一の細い糸となった。

しかし、感傷に浸る時間は残酷なほどに短かった。 翌朝からは、まるで怒涛のような日々が始まった。

大納言家の屋敷は、ひっくり返したような騒ぎとなった。入内までのスケジュール調整、最高級の織物を用いた調度品の用意、さらには香子と共に内裏へ上がる侍女や使用人の選定。父・大納言は、自らの出世の階段を一段ずつ確かめるような足取りで、邸中を怒鳴り散らして歩いている。

そんな喧騒の中、香子はただ、人形のように座らされていた。 自分の運命が、自分の手の届かないところで、これほどまでに猛烈な速さで書き換えられていく。その事実が、ただただ恐ろしかった。

そして、その恐怖を煽るように、東宮からは毎日、熱烈な恋文が届けられた。

『夜の静寂(しじま)に、お前の肌の白さを思い出す。早くその身を、私の褥(しとね)に横たえよ』 『明日の朝(あした)を待つのが、これほどに長く感じられるのは、すべてお前のせいだ』

届けられる文は、どれもが香子の心臓を直接掴み上げるような、生々しく、激情に満ちたものばかり。 「香子、早く返歌を認めるのだ! 東宮様をお待たせするなど、あってはならんことだぞ!」 父は焦れたように香子の背を急かす。だが、香子の筆は、一向に紙の上を滑ろうとはしなかった。

「……父上様、私には、このような立派な歌に応える言葉が見つかりませぬ。……いっそ、侍女の誰かに代筆を……」

「馬鹿を申せ!」

大納言は香子の言葉を即座に撥ね退けた。

「東宮様は、、『まだ見ぬお前の筆跡(ふでもじ)から、その人となりを知るのを楽しみにしておいでだ』と仰せなのだ! 影武者のような真似をして、万が一見破られたらどうする。不敬だぞ! 下手でも構わぬ、お前自身の指先で、殿下の独占欲を満足させる言葉を綴るのだ!」

父との言い争いに疲れ果て、香子は力なく筆を握り直す。 視線の先には、母に隠してもらった頼嗣の、あの静かな月のような文がある。 それに対し、目の前にあるのは、自分を飲み込もうとする紅蓮の炎のような東宮の恋文。

(書けない……。何を書いても、嘘になってしまう……)

香子の瞳からこぼれ落ちた一滴の雫が、真っ白な料紙を無惨に歪ませた。 彼女が綴るべきは、喜びの歌か、それとも救いを求める悲鳴か。

入内を翌日に控えた最後の晩。大納言家の奥御殿では、家族水入らずの別れの盃が交わされていた。

父・大納言は、すでに幾分か酒が入っているのか、顔を上気させ、香子の細い手を力任せに握りしめた。その掌は熱く、娘を誇る気持ちに溢れている。

「香子、よくやってくれた。お前を中将ごときに嫁がせず、こうして東宮様に捧げられる日が来るとは……。次に会う時は、私もお前を『女御様』と呼ばねばならぬな」

父は満足げに、自らの目元を拭った。そこに嘘偽りのない、親としての「愛」があることを香子は知っている。けれど、その愛はどこまでも家勢の繁栄と結びついた、あまりに一方的なものだった。

「あなた、香子が怯えております。そのような言い方はおやめなさい」

傍らで控える母・可乃子が、低く鋭い声で夫を制し、冷ややかな視線を浴びせる。しかし、大納言はどこ吹く風で、さらに無神経な言葉を重ねた。

「何を言う。これからは国の母となる身だ。香子、東宮様のお心をしっかりと繋ぎ止め、一日も早く御子を授かるよう励むのだぞ。男児であれば、我が家は安泰。それこそが、お前の最大の務めだ」

「……っ……」

御子。 その一言が、鋭い刃のように香子の胸を刺した。あの東宮の、嵐のような口づけと、飢えた獣のような眼差しが脳裏をよぎる。香子は真っ青な顔で俯き、ただ膝の上で拳を握りしめることしかできなかった。

父が退出した後、部屋には母と、古参の侍女だけが残された。 行灯の火が小さく揺れ、重苦しい沈黙が流れる。やがて母は、意を決したように香子の傍らに座り直した。

「香子。明日の儀式の後……貴女は、東宮様と初めての夜を迎えます。……
その時に、何が起こるのか。貴女はまだ、何も知らぬのでしょう?」

母の、そして侍女の、淀みのない、しかし生々しい「男女の理(ことわり)」の説明が始まった。

肌を合わせること。 男の熱を受け入れること。 逃げ場のない褥の中で、清らかな体がどのように暴かれ、どのように「女」へと変えられていくのか。

「……痛みに、声を上げてはなりません。ただ、東宮様のなすがままに、お心を預けるのです」

侍女の淡々とした言葉が、呪文のように香子の耳にこびりつく。 恐怖で指先が氷のように冷たくなっていく。

(あの方が、私の中に、入ってくる……?)

それは、頼嗣との穏やかな夢の中には、一度も出てこなかった光景だった。 暴力的なまでの独占欲を持つ、あの若き太陽。彼にすべてを奪われる瞬間が、刻一刻と近づいている。

その晩、香子は一睡もできぬまま、懐の中に隠した頼嗣の文を握りしめ、震えながら夜明けを待った。

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