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第2話 フィドル弾きと踊り子 Violinista e Ballerina
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しおりを挟む「あんたの話はさ、支離滅裂なんだよ、じいさん」
踊り子がビールジョッキをフィドル弾きに突きつけながら、憎々しげにそう云った。
目が据わっている。
そう云えば、彼女は店に現れてからこちら、ほぼ二時間余り、ずっとビールだけを飲み続けていた。
「戦争に従軍してヴァイオリンを弾いていたって? そりゃ、いつの戦争よ?」
「そりゃあさ、例の戦争さね」
フィドル弾きが、うんうん、と頷いて見せた。
「その『例の』ってのが何かって訊いてるのよ! っと、ビールがないわね。マスター、ビール!」
踊り子がビールを要求するが、マスターは微動だにしない。
彼は酔っ払いには、特に冷たい。
『酒は飲んでも酒に飲まれるな』
そんなありきたりの標語を壁に掲げているくらいなのである。
代わりにバイトの娘がビールを運んで来る。
こう云う輩を相手にするために雇われているのではないか、と、思われるくらいに、この手の客の相手はいつも彼女の役回りだ。
本人もわかっているのか、彼女は何の文句も云わずに新しいビールジョッキをテーブル席に運んで行った。
「おまちどーさま。……ねえ、踊り子さん、飲みすぎじゃない?」
バイトの娘が馴染み客である踊り子に、少しだけ注意する。
しかし踊り子はそれに対して、殺気さえ孕んだような視線で彼女を睨みつけた。
「大きなお世話よ。私の勝手でしょ?」
バイトの娘は、肩を竦めただけでカウンターの中に戻って行った。
カウンターにへばりついている絵描きと目が合い、仕方ない人だよね、とでも云うように目配せをして笑った。
「だからよ、例のってのは……」と、フィドル弾き。
「我が国が最後にした戦争じゃよ」
「最後にした戦争? そんなの七十年も前じゃない? じいさん、あんた、いくつよ? その頃従軍していたって、そうしたら九〇歳じゃ利かないじゃない」
「ん? そうだったか? それじゃあれは何だったんだろうのう」
「まったく、ボケてるんだから」
踊り子は吐き捨てると、ぐいっとビールジョッキをあおった。
その前の席にちょこんと座ったフィドル弾きは、こちらはウオッカをちびちびと飲んでいる。
「ってかさ、あんたって、そもそもこの国出身じゃなかったわよね?」
「じゃの」
「じゃの、じゃないでしょ? 今、我が国が最後にした戦争って云ったでしょ?」
「この国が、とは、云っとらんぞ」
「……口が減らないじじいだね、本当。じゃ、あんたの国って何処よ?」
「ああ……、忘れてしもうたの」
「クソじじい!」
踊り子がテーブルに身を乗り出し、フィドル弾きの襟首を掴んで揺さぶった。
その拍子に踊り子の肘が、テーブルに置いたビールジョッキを押し倒した。
今、注文したばかりでほとんど飲んでいないビールが、テーブルと床の上にぶちまけられる。
「ああ、やっちまったのう。おい、嬢さんや台拭きをくれんかの」
「あ、は~い」
バイト娘が返事をして、台拭きと雑巾を持って来ると、フィドル弾きが台拭きを受け取り、テーブルの上を片付ける。
バイト娘は足許にこぼれたビールを雑巾で掃除した。
その横で椅子の上に膝を抱えた姿勢で座っていた踊り子は憮然とした表情で、ジョッキの底にわずかに残っていたビールを飲み干した。
「小娘、ビール、おかわり」
「はいはい」
さらに追加されたビールジョッキを踊り子は、また豪快にあおって見せた。
「だいたい、じいさん、あんたが訳のわからないことを云うからこんなことになるんだよ。わかってる?」
「わしのせいか?」
「あったり前でしょ? ねえ、あんたもそう思うでしょ、絵描きさん?」
突然、お鉢が回ってきて、絵描きは思わずワインを吹き出しそうになった。
バイト娘が、あ~あ、巻き込まれちゃった、と、云うように、カウンターの中でくすくすと笑っている。
「ええと、あんまり聞いてなかったから」
「何よ、その返事は? 私の云うことには大人しく『はい』って答えればいいのよ」
無茶苦茶である。
「はい」
「ほ~ら」と、踊り子。
「絵描きさんも云ってるじゃないのよぉ」
「そうか。わしのせいだったか。それは悪いことをしたのう。うんうん」
真剣味なく、フィドル弾きは答えると、またウオッカに口をつけた。
「まったく、困ったじいさんよ」
しかし、端から見ていると困り者はどう見ても踊り子の方であった。
その様子に絵描きは苦笑した。
フィドル弾きの方は慣れたもので、何もなかったかのように酒を飲み続けている。
どうやらふたりは良いコンビのようであった。
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