終着駅 もしくは 希望(スペランツァ)の物語(2021)

ろんど087

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第3話 魔女 Maga

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     *** 
   

 絵描きに肩を抱かれたまま、マギカは泣いている。
 泣きじゃくっている。
 あたし、どうしてあんなバカなことしちゃったんだろう、と。
 絵描きには何も出来ない。
 ただ、そうして肩を抱いてやる以外に何も出来ないでいる自分が不甲斐ない、と、絵描きは苦渋に満ちた表情でそう思う他ない。

 しばらくふたりはそうして、時の過ぎるのを待っている。
 心が落ち着くのを待っている。
 記憶が薄らぐのを待っている。
 決してそうならないことを知りながら。

 やがて――。
 マギカの泣き声がすすり泣きに変わる。
 彼女は袖口で涙を拭うと、絵描きの顔をまっすぐに見つめる。

「あたしの話は……これでおしまい」

 笑顔を作るが、それが無理やり作った笑顔であることは明白だ。

 なぜ、そこまで、と、思った途端、絵描きは反射的に彼女を抱きしめる。
 そうしなくてはならない。そうやって抱きしめて、暖めてやらなければならない。
 彼女の心がそんなことで癒えるとは思えないが、そうすることだけが今の彼に出来ることだ。
 そんな思いで抱きしめる。
 しばらく彼女はそうして絵描きに抱かれていた後、そっと呟く。

「絵描きさん、苦しいよ」

 かぼそいマギカの声。
 その声に絵描きは、我に返る。

「あ……、すまない」
「ううん。苦しいけども……とっても嬉しいよ。もう少しこうしていて」
「ああ」
「絵描きさんの温もりって、本当にやさしいよ。何だか生き返るよ。ありがとう」

「ぼくには」と、絵描き。
「何も云えない。今、君にかける言葉がない」
「いいんだよ。ただこうしていてくれれば。何だか、あたしの中の悪いものが全部出て行くみたいな気がする」

 それからマギカはゆっくりと体を離すと、無理やり作った笑顔で絵描きを見上げる。
 その頬には涙の痕。
 よく笑う娘、と、それが絵描きのマギカに対する印象である。
 しかし今の笑顔は痛々しく、見ているだけで心が抉られるような悲しい笑顔だ。

「ね、絵描きさん」と、マギカ。
「こんなあたしだけど、絵にしてくれる? 汚れた……腐ったリンゴだけども、それでもいい?」
「腐ってなんか……いないさ」
「ありがとう」

 マギカは立ち上がると、ひとつ伸びをする。
 それから、ふーっ、と、ため息をついた後、絵描きに向き直る。

「あたしのお願いは、あたしのありのままを絵描きさんに描いて欲しい、ってことなの」
「ああ、わかってる」
「そう? ほんとにわかってるのかな?」

 彼女は笑う。
 そして、ゆっくりと服を脱ぎ始める。

「あ、おい、マギカ……」

 慌ててとめようとする絵描きに、マギカは微笑みかける。
 その視線に絵描きは、次の言葉を発することが出来ない。

「ありのまま、って云ったでしょ? あたしの生まれたままの姿を残しておきたいの。お願い、絵描きさん」

 彼女は躊躇いもせずに服を脱ぎ、最後の一枚もその場に脱ぎ捨てる。
 絵描きは、さすがに目を伏せる。

「ぼ、ぼくは……」
「お願い。ちゃんと見て」

 そうしてマギカは絵描きの手をとり、それから彼を見つめる。

「あたし、綺麗かな?」
「ああ。とても」
「うそばっかり。全然見てないじゃない?」
「いや、しかし……」

 どぎまぎする絵描きの様子に、マギカが吹き出す。
 それから、まるで堰を切ったように笑い出す。
 絵描きは彼女を眺めながら、いったいどうしたんだ、と云うように、茫然としてそこに立って裸で笑い転げる彼女を見つめる。

「ああ、可笑しい。ねぇ、絵描きさん、あなたって本当にチェリーじゃないの?」
「おい!」
「――って、云ったら失礼だよね。あたしに気を遣ってくれているんだと思うから」
「当たり前だ」
「じゃ、もうひとつ、気を遣ってくれないかな?」
「?」

「あたしを……抱いてくれる?」

「え?」
「お願いばっかりで申し訳ないんだけど……。今のあたしを描いてもらっても、あたしが納得できないの。あんな奴らに汚されたあたしを描いてもらっても。だから絵描きさんにあたしの体を綺麗にして欲しい。絵描きさんに抱かれた後のあたしを絵に残して欲しいんだよ」
「だけど……」

 マギカの過去の体験を聞いて衝撃を受け、そのマギカが目の前で裸になり、そして今度は、抱いてくれ、と云う。
 そんな次から次への展開に絵描きは混乱している。
 何をどうすればこの場にとって一番良いのか、それがわからなくなっている。

「それともこんな穢れた体はイヤ?」
「バカな。穢れてなんかいない」
「だったら」
「だからと云って……」

 ん、もう、と、マギカは云うと、彼女は絵描きの頭をぐいっと引寄せる。

「あ……」
「もう、まどろっこしい。覚悟しなさい、絵描きさん」

 彼女は唇を絵描きの唇に合わせたのだった。
  
   *****

 明かりとりの窓から月明かりが射し込んでいる。
 揺らめくランプの光。
 揺らめく影。
 ふたりは薄汚れたベッドの上で、毛布にくるまっている。

「ねえ、絵描きさん?」

 絵描きの裸の胸に頭を乗せて、マギカは囁くように云う。

「何だ?」
「怒ってる?」
「そんな訳、ないだろ」

 彼は自分の胸の上のマギカの髪を優しく撫でる。

「あのさ、絵描きさん、今日はもう絵は……無理かなあ?」
「ああ、そうだな。もう夜だし」
「じゃ、明日から、だね」
「うん」
「でもさ、明日もこんなに激しかったら、あたし、モデルなんて出来ないかも知れない。ううん、絵のたんびにこれじゃ、体がもたないよ」
「……激しいって」
「冗談だよ、チェリーちゃん」

 マギカは笑う。楽しそうに、嬉しそうに。

「真面目な話、ありがとう、絵描きさん。これであたし、少しは綺麗な体になれたような気がするよ」

 その言葉に絵描きは微笑すると、マギカの額にそっと口づけた。
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