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第4話 殺し屋 Sicario
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殺し屋は体が弱かった。
殺し屋風に見える外見は、実は躍動感やら闊達さから縁遠い生活を子供の頃から送って来たことで自然と身についたもので、それは他人に死を与えるためのものではなく、自分が死と隣り合わせの生活を送っていたからかも知れない、と、彼はそう云った。
「そう云う意味では、あんたたちがおれを殺し屋と呼ぶのは、的外れかも知れないな。むしろおれが殺し屋、あるいは、死神に狙われているようなものだったからな」
彼は苦笑した。そして、話を続ける。
彼はほんの幼い子供の頃から虚弱な体質で、いつ死んでもおかしくない、と、医者に云われて育ったのだが、その医者の言葉が彼と彼の家族にとっては逆に良かったのか、過保護なほどに健康を考えて生活する習慣が浸みついていた。
だから彼はその後も、ときおり寝込むことはあったものの、重篤な状況に陥るようなこともなく、健常者と同じように平凡に時を過ごすことができていた。
やがて、無事成人を迎える。
そして彼は恋をした。
しばらくは健康に過ごしてはいたものの、しかし、彼の体は普通の人間よりはずっと虚弱であったから、恋をしても最初はその気持ちに従うことに躊躇い、その気持ちを押し殺していた。
だがそんな気持ちは簡単に抑えることが出来るものではない。
日増しに彼女への思いは募って行き、彼は決心した。
彼はついにその相手に自分の気持ちを伝え、それからしばらくは様々な紆余曲折はあったものの、数年後には無事に彼女と結婚した。
ふたりの間には娘が生まれ、彼の人生は医者の言葉とは裏腹に、それからも普通に、ごく普通に過ぎて行った。
妻となった女性は彼とは違い、活発で、陽気な女性だった。
ちょうど、君のようにね、と、彼はマギカに微笑して見せた。
妻はいつも陽気に彼を励まし、家で引っ込んでいては気が滅入るから、と、彼にも外へ出ることを勧めた。
そのため週末には家族揃ってハイキングに出ることもしばしばであり、それで彼の健康への不安もかなり紛らわされてはいた。
だが、だからと云って、それで彼の体調が好転していくと云うこともなかった。
彼は妻と娘を愛していて、自分の体が虚弱でありその健康が回復して行く気配がないことを、ひどく気にかけていた。
そしてその思いは年々増して行った。
この溺愛している家族を残して自分が先に逝くことを、ひどく恐れていた。
ちょっとした風邪をひいても、転んで怪我をしても、それが原因で自分が死んでしまうのではないか、と、そんな思いに過敏に囚われるような日々が、歳とともに多くなって行った。
そもそも、自分は子供の頃から、一五歳まで生きられない、二〇歳まで生きられない、三〇歳を迎えるのは無理だろう、などと、常に医者から脅かされて生きて来たのだし、それがトラウマになっていてもこれは仕方がないことだろう。
殺し屋は自嘲的にそう云った。
けれども少なくとも家族と生活している間、彼は幸福であった。
と、同時に、ずっと三人でいる生活を続けて行きたいと、切に願い続けていた。
そのために自分の体には注意を怠らず、酒も煙草もやらず、節制に節制を重ねたひとくストイックな義務を自分に課して過ごしていた。
「今では、こうして毎日のようにバーボンを飲んでいるし、食事もロクに摂っていない堕落した生活だがね」
彼はそう云って笑った。
悲しそうに笑った。
ともあれその頃、そんな風にストイックに過ごす彼に対して、神様は彼が生き長らえることを許してくれていたようだった。
娘が二〇歳を迎えるまで、自分が壮年に届く年齢まで、神様は彼が生きていくことを許してくれた。
それについてはいくら感謝しても足りない、と、彼はいつも思っていた。
だから毎週日曜日のミサには必ず教会に訪れて、神に感謝の祈りを捧げる、そんな風に日々を送っていた。
ところが、世の中はそんなに甘くない、と云うよりは、皮肉なものだった。
虚弱の彼がずっと生き永らえていたにも関わらず――。
ある日、妻が死んだ。
あっけなく。
若い頃からずっと陽気で健康だったはずの妻が、ほんの些細な病気のために、あっさりと彼の前からいなくなってしまった。
自分が先に死ぬはずである、と、彼は思っていたのに。
ずっと、そう信じていたのに。
妻の死と云う現実は、彼にとってはまさしく青天の霹靂であった。
彼はその事実を受け止められないままに、しばらく茫然として日々を過ごした。
ミサに通うこともなくなり、神に感謝の祈りを捧げることもなくなり、ただ妻を奪って行った神を呪うことがなかったのが、せめてもの救いではあった。
娘はそんな彼を必死に元気づけてくれていたが、正直彼女の言葉も彼の耳にはあまり入っては来なかったし、だから本当に長いこと、彼は抜け殻のような無為な生活を送っていただけだった。
それでも妻の若い頃と瓜二つの娘の励ましの言葉は、彼の心を少しずつ癒してくれていたらしい。
それについては娘に感謝しなければならないことはよくわかっていた。
そして妻の死から数ヶ月が経った頃、葬式以来、妻の実家に顔を出していなかったことが突然気になり始めたのも、あるいは娘があきらめずに自分を元気づけ続けていてくれたおかげだったのかも知れない。
その頃の彼は妻の死の影響もあって体調も思わしくなく、また、精神的にも安定しているとは云えなかったが、改めて妻の実家に報告に行かなければならない、と、何故か強くそう思った。
彼はそのことを娘に話したが、娘は彼の体を慮って、それには反対だった。
彼が元気になることは、外へ出ようと考えたことは、彼女にとっても喜ばしいことではあったのだが、妻の実家は列車で二日ほどかかる場所にあったし、今の彼ではその旅には耐えられまい、と、娘は思ったのだ。
「お母さんが亡くなって、お父さんまで体調を崩してしまって、もしものことがあれば、私は耐えられない」
娘はそう云って彼の旅を止めた。
その願いに、彼は止む無く妻の実家への旅をあきらめた。
少なくとも、娘の前では。
だが彼の身裡に起こった衝動は止められなかった。
今、妻の実家に行かなければ、今後、二度と行けることはないかも知れない、と、そんな切羽詰った思いが彼を縛りつけていた。
そして娘が当時通っていた学校に出た隙に、彼は旅に出た。
娘が心配することはわかっているが、それに余りある衝動が彼を駆り立てていた。
外の風に当たると涙が出た。
それがどんな感情からだったのかは、その時も、今も、彼にはわからなかった。
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