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第三章 魔女の町
5.浦島太郎
しおりを挟む「私にできることはしてあげたいと思ってる」
「じゅうぶん、世話になっている。おかげで野宿もせずに済んだ」
「そうじゃなくて。……まぁ、いいや、それは。なんとなくでいいから聞いてて。大事な話だから。……浦島太郎って、わかる? わかるわけないか」
ミンネが答えるより先に、リノは一人で結論を出し、紙になにかを書き始めた。
「まったくわからん。呪文か?」
ミンネは、むくりと身体を起こした。
卓の上の紙を見る。リノは「人の名前。浦島太郎。こう書くの」と言ってなにかを紙に書いたが、ミンネは読めない。
「昔、浦島太郎っていう人がいて、いじめられてる亀を助けたら、海の底の竜宮城に連れていってもらって、乙姫様に歓迎されるの」
「ふむ。海の底の異郷でもてなしを受ける話は、トトリにもある」
ミンネの知る伝承では、助けたイルカに海の国へと招かれる。きっと似たような話だろう。
「でね、太郎は、家に帰るんだけど……帰ってみると、もう何百年も経ってたの。つまり竜宮城の数日は、地上での何百年だったって話」
リノは、紙の上に線を引きはじめた。
横の一本線を、たてにいくつか線を引いて分けていく。
「数日が何百年になるのか……」
「ただの昔話ではあるけどね。でも、そこ、まず確認したいわけ。――明日の昼までっていうのが、どうも引っかかるんだよね」
魔女の街と、蒼の国では、時間の流れ方が違うのではないか――とリノは言っているのだ。そこでミンネは、あることに気づいた。
(臼山で会った時、リノは『明日は休み』と言っていたが、翌日会った時には『休みは昨日だった』と言っていたな)
時間の流れが違う。それは決してあり得ない話ではない。
ミンネは卓に向かって、話をしっかりと聞く姿勢をとった。
「たしかに、その通りだ。私も多少のひっかかりは感じていた。明日の昼までに戻らねば、と思っていたが、必ずしもそうとは限らないわけだな」
「ミンネの国では、数字、どう書くの? こっちは、こう。十までね」
「こうだ」
ミンネは、リノが書いた数字の下に、蒼の国で使われている数字を書いた。
これを見れば、お互いが書く数字がひと目で理解できる。
「OK。じゃ、はじめるね」
「リノは賢い子供だな。驚かされる」
感心して言うと、リノは肩をすくめて「それはどうも」と子供らしくない仕草をしたあと「ミンネだって子供じゃない」とちょっと唇をとがらせた。
「で、この間、ミンネが私と会ったって場所、なんていったっけ?」
「臼山だ」
「そうだ。臼山。そこで会ったのって何時くらい? ミンネがこっち来たのは? できるだけ詳しく。私がなにを言ってたのかも。覚えてること全部教えて」
「リノに会ったのは、山に入った日の翌日の朝だ。朝食を終え、あたりを探しているうちに会った」
ミンネは線の二日目にあたる部分に、丸をつけた。
「とても急いでいた。塾がある。テストがある、とも言っていたな。あとは……明日は休み。カキコウシュウがもうすぐ始まる――と。それから、扉を見つけないと戻れない、と必死に扉を探し、見つけるとその扉の向こうに消えた。一緒にいた時間は、四半刻に満たない」
「四半刻……えぇと、ってことは三十分? くらいってことか。昼寝してた時間から考えたら、そんなもんかな。うん、それで?」
「リノが扉に消えてから、私は二度目の夜を臼山で過ごしている。朝の身支度を終えて、それほど時間も経たぬうちに、扉をこじ開けてここに来た」
ミンネも筆を手に取り、日の区切りの他に太陽と月の形を書いた。
「こっちでは、ミンネがベッドに突然現れたのが、お昼食べ終わったあとなんだよね。今日は終業式だったから、十一時には家についてた。で、お昼を食べて、そのあと一時に家を出るまでの時間に、ウトウトしちゃってた。だから、こっちの時間は昼」
「……時間にも差があるな」
「うん。それに問題は、日付。私、夢のこと覚えてないんだけど、夢の中で、私、塾に行くって言ってたんでしょ?」
「あぁ、ジュクに遅刻する、と。テスト、だとも言っていた」
リノは、うーん、とうなった。
「昨日、塾はなかったの。で、一昨日が塾でテストだった。ミンネにとって『昨日の話』が、私にとっては『一昨日の話』だってこと」
「つまり……蒼の国の一日が、魔女の街の二日」
「時間のズレ方からいって、ちょうどこっちの半分っていうか……えぇと、だから、蒼の国の一時間が、日本の二時間、って感じ。つまり……」
リノは、蒼の国における期限の『四日目の昼』の部分と、魔女の街の『明後日の夜』をつなげた。
「では、期限は魔女の街でいう、明後日の夜ということか」
「うん。そうだと思う。期限は日曜の夜。……そうじゃなきゃ、おかしいもの」
リノの言葉に違和感を覚え、ミンネは首を傾げた。
「なにか、心当りでもあるのか?」
「あ、うぅん、ひとりごと。気にしないで。とにかく、それまでになんとかしないと」
ミンネは頭を抱え「帰らねば」と呟いた。
期限が伸びたとはいえ、帰る方法がわからなければ意味がない。
「うん。帰る方法を探そう。私は、その扉を出入りしてたんだよね? どんなの?」
「あぁ。リノはその扉を、夢をみている間に往復しているそうだ。毎回、すぐには見つからず、近くを探す必要がある、と。扉はトーブテの紋章が刻まれた、身体がやっと入るほどの小さなものだ」
ミンネは手ぶりで大きさを説明した。
リノは腕を組んで考え込んでいる。扉に心当りはなさそうだ。
「しかし、臼山にいるのは、寝ている間だけだ、とも言っていたのだ。存外、私がここで寝れば、うまく戻ることができるかもしれない」
「そっかぁ。そうだといいけど。そしたら、期限にも余裕あるもんね。よし、じゃあ、さっそく寝なよ。私、宿題やるから」
リノは卓をしまい、窓際にある机に向かった。厚い紙を束ねたものをドン、と置いてぺラペラとめくりだす。
「今からか? もう夜だ」
「塾の宿題あるの。いいから、寝てってば」
「魔女の世界も大変だな」
「まぁね。でも別に、好きでやってるから」
リノは背を向けたまま「かわいそうとか言わないでよ」とややとがった声で言った。
かわいそう、とは思わない。ミンネはリノの背に言った。
「優秀であることは、人よりも多くのものを背負うということだ。多くを背負い、多くを守り、多くを得る。私が弓を引く事を、娘らしくないと言う者はいるが、憐れまれたことはない。私も自分を憐れだと思ったことはないぞ」
ミンネが言い終えると、リノは顔だけこちらを見て「ありがと」と小さく笑った。その笑顔は、少し幼く見えた。
眠れない。
布団に入ったが、気持ちがたかぶって、まったく眠れない。
ガバッとミンネは身体を起こした。
「眠れない」
「目閉じてたら、そのうち寝れるって」
「ダメだ。眠れない。少し、身体を動かしてくる」
ミンネはパジャマという名の寝間着を脱ぎ、借りていた服に着替えた。
「え? ダメだって、危ないよ」
「オオカミも出ないのだろう?」
「出ないけど。怖い人とか、変質者とか。オオカミより怖いものはいるよ」
「魔女は武器を持たぬのだ。問題ない。それに、身体能力は総じて低い」
「今はミンネだって武器もってないじゃない」
「多少強くともクマには劣るだろう」
「比較するものおかしくない?」
リノは、ミンネがどれだけ強いかを知らない。
だから止めるのだろうと思ったし、止まる必要もない、と判断した。
ミンネは一度下に下り、サンダルを手に持って部屋に戻った。
「だから、ちょっと……! え?」
「問題ない。すぐ戻る」
窓を開け、サンダルをはき、ミンネはひらりと飛び降りる。
「サルなの?」
見上げるとリノがあきれ顔でこちらを見ていた。
「サルではないから、野宿はしない」
涼しい風が火照った頬に心地いい。
ミンネは窓に向かって手をふり、夜道を歩き出した。
夜だというのに、あたりは灯りのおかげで明るい。
ミンネは歩きながら、蒼の国に帰ったあとのことを考えていた。
今回の騒乱は、二度と繰り返されぬようにしなくてはならない。
元凶は、ドラドの孤立だったように思う。
北部だけ、南部だけでなく、蒼の国すべての長が集まる機会をもうけたい。
情報を共有することは、共に栄え、助け合うために必要なことだ。
(だが、まずは臼山をどう乗り切るか)
未来の展望も、命あってのことである。
考えろ。あきらめるな。
魔女から宝玉を授かることはできなかったが、あきらめてはいけない。ミンネを信じて待つ人がいるのだ。
きっと、オラーテでも、エンジュでも、あきらめはしないだろう。
なぜならば、彼らは勇者だから。多くのものを背負うことを知っている。
ミンネが麓に戻るまでに、南部の長たちが集まっていれば勝機はある。
ドラドは、長のみが村の意志を決定する集団だ。
長の地位にあのヘビのような男がいる限り、なにも変わらないだろう。
だが、孤立は彼らも望むところではないはずだ。
パチュイの呼びかけで臼山に長たちが集まれば、エンジュの名誉を回復し、この暴挙を糾弾することも可能だと思っている。
南部の長たちには、まだ蒼き血への敬意が残っているはずだ。
(その後……どうするべきか)
炎竜の怒りを鎮めぬことには、根本的な問題は解決しない。
オラーテの体調に不安がある以上、長となる資格を得る二十歳を待たずに、ミンネが果たさす役割は今後多くなっていくことだろう。
考え事をしながら明るい夜道を歩くうち、ミンネはふと丘を見上げていた。
(神社か)
小さな灯りが、いくつかついていた。
階段にそって外灯が設置されているようだ。
この時、ミンネが丘を上ったのは、単純な好奇心だった。魔女がオオカミよりも恐れるものとはなんだろうか、と思ったのだ。
階段は使わず、丘の森を静かに上っていく。
「悪いと思うなら、金出せって言ってんだろ! 人の車にぶつかっといて、ごめんなさい、じゃすまねぇぞ!」
「それともなにか? そんなガッコ―に連絡してほしいわけ? 受験とかに響いちゃったりしない?」
「オカーサンにも言っちゃうよ?」
三人の男たちの声が聞こえる。木の陰からのぞいてみると、男が三人対一人で向かい合っている。
「す、すみません。でも、俺、金なんて……」
三人組はたいそう派手な服を着て、風体からして柄が悪い。
一人は手に太いこん棒のようなものを持っていた。
対する一人は、いかにも真面目そうな青年で、灰色の地味な服を着て、うつむいている。
(なるほど。山賊か)
ミンネは、リノが警戒していたものを理解した。
たしかにオオカミよりも恐ろしい。
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