イエス伝・底辺からの救世主! -底辺で童貞の俺に神様が奇跡の力をくれたんだが-

中七七三

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28話:シカリ派のバラバ

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 荒野を沈黙が支配している。深夜だ。
 天空には降るような星が瞬いていた。満月に近い月が青く光を放っている。
 野宿している俺たちを、焚き火と青い月明かりだけが照らす。どこか深い場所に沈み込んでいくような錯覚を感じるような時間。

 当然、弟子たちは寝ている。マリアちゃんもスースと可愛い寝息を立てている。
 こうして見ると、閨(ねや)であんなことやこんなこと―― あまつさえ「戒律的にどうなの?」的なことまでやってくれる少女には見えない。
 ただ美しく、そこに存在する花のような感じだ。

 俺はその純金で創造されたかのような髪を撫でた。
 すこし、心の中のムカつきというか、ささくれが癒された気がしたのだ。

 そのとき、もぞりと誰かが動く気配を感じた。

「あれ? ユダどこへ行く?」

 ユダ。イスカリオテのユダが起きあがっていた。

「これです――」

 ユダは手に持ったスコップを持ち上げた。
 旅の必需品。自分の出す物を埋める穴を掘って、埋める道具だ。

「そうかい。クソかよ」

「そういうことです」

「ま、ゆっくりやってきな」

 一礼をし、立ち去るユダ。

 他の弟子たちとは明らかに違う。所作ひとつとっても、なんというか上品なのだ。野卑なとこがねぇ。
 おまけに、インテリだ。俺の弟子の中ではかなりのインテリと言うか、唯一のインテリだろう。
 ダビデ王が神殿の供物を食った話をしたとき、一瞬、律法学者の何人かの顔色が変わったのを俺は見ている。
 あれは、結構痛いところをついたのかもしれない。頭も相当に切れるのだろう。

「不思議な奴だ……」

 俺は月明かりに照らされるユダの背中をみてつぶやいていた。

        ◇◇◇◇◇◇

 そこにいる男は、青い月光がとどかぬ闇の中に立っているようだった。
 いや、むしろその男の出す気配。体にまとった気配が、深い闇の色をしていると言った方がいいのだろう。

「来たかよ。ユダ」

「アナタの気はよく分かります。まるで闇で造った刃です」

 ユダは立ち止まり、そして言った。

「もう少し、近くにくればよかろうよ」

「いえ、ここで十分でしょう」

「これは、ずいぶんと警戒されたものよ――」

 男との距離は遠い。まだ数歩は歩まねば会話する距離ではない。
 ただ、それ以上近づくのは危険であるかのようにユダは足を止めていた。

「シカリ派にその人ありと言われたバラバ様相手に警戒しすぎることはないでしょう」

「まあ、いいだろうよ――」

 バラバと呼ばれた男は、その顔に笑みを浮かべる。ゾッとするような笑みだった。
 時間すらその動きを止めてしまったかのような静けさの中、ふたりの声だけが夜気の中に流れ出していた。

 シカリ派――
 ローマの支配に対抗するユダヤ人のテロ組織。
 簡単に言ってしまえばそのような集団である。
 シカリとは短剣を意味する。

「動くかよ? イエスは」

 バラバと呼ばれた男はユダに問う。

「さあ、どうでしょうか…… 中々読めぬところのある人です」

「ユダヤの王となり、虐げられしユダヤの民を救う『キリスト(救世主)』たる者―― イエスはそうなのであろう?」

「メシア、キリスト、ユダヤの王―― おそらく、そのようなことを彼は考えていないでしょう」

 ふと優しげな笑みを浮かべユダはそう口にしていた。
 その表情は、バラバから見えなかったようであった。
 バラバは、会話を続ける。

「奇蹟は、本物なのだろうよ?」

「本物です。パン屑を無限に増やし、病人を癒し、そして、死者さえも復活させました」

「死者の復活かよ…… そいつ大祭司カヤパに伝えたのかい?」

「はい。既にエルサレムへの使者に書を渡しました」

 その言葉を聞き、低く濁ったような声が聞こえてくる。
 ある種のカエルの鳴き声に似た音。
 笑い声だった。バラバが不気味な声で笑っていたのだった。

「カヤパの真っ青な顔を見てみたいものだな」

「それには、同感です」

 不意に空気が変わる。
 バラバと呼ばれた男がまとった空気。
 それがまるで血の匂いを放つかのように変わっていた。

「奴らには何もできん。ローマにユダヤの聖地を穢され、なすがままとなっている狗どもにはな」

「それを言えば、私は狗の狗ということになります」

「なんとも、忠実な狗であるがな……」

 ユダは大祭司カヤパに命じられ、キリストの弟子となった。
 そして、今ここで話をしているのは、明らかにローマ・大祭司に敵対する組織の男なのである。

「ユダよ…… 正直なところどうなのだ?」

「さて? なにをおっしゃっているのですか」

「オマエの目的さ。二重スパイとして動くこと。金持ちの御曹司がなぜそのようなことをしている?」

「どうでしょう。それは、言えません」

「言えぬかよ」

「バラバ様に嘘をつくのは嫌ですから。怖いです」

 そよぐ風のようにユダの言葉が流れていく。

「だから言えぬか―― まあ、いいだろうさ。オマエは有能だ」

 すっとバラバから血の気配が消える。
 そこに、ぽっかりと闇の穴が空いたかのような気配だけが残った。

「ただ、カヤパは私の味方ではないのです。そして、バラバ様のシカリ派は私の敵ではありません」

 ユダの言葉は、なにも言っていないのと同じだった。
 そのことを、バラバも理解する。それ以上は問うてこなかった。

「ダニエルの書の預言。その成就の日は近い。それは全ユダヤの解放。剣無き民草の救済―― 全ては預言の通りよ」

「聖地が汚され2年…… ですか」

 それはエルサレムの神殿にローマの旗が立ったことを言っていた。
 それを許したのは、ユダヤ教の最高権威ともいえる大祭司だった。

「預言成就の日までには十分だろうさ」

 バラバは言った。漆黒の呼気がその言葉にまとわりついているかのようだった。

「では、このくらいで。あまり長くは…… イエス様はかなり勘の良い人なのです」

「そうかい。なあ、ユダよ」

「なんでしょうか?」

「オマエ、イエスが好きなのかい?」

 バラバが不意に問うてきた。
 ユダは眉目秀麗といっていい顔に、微かな笑みを浮かべる。
 沈黙。彼の口は開かれなかった。
 ユダは沈黙をもってその言葉に応えた。

「そうかい…… まあ、いいだろうさ」

 バラバは何か納得したかのように、すっと下がった。
 そのまま、月明かりの届かぬ闇の中に姿を消していった。

        ◇◇◇◇◇◇

「よう、長かったな。腹でも壊したか?」

 俺が、中々寝付けないでいたら、ユダがトコトコと帰ってきた。
 結構、長い時間だなと思った。だから、俺は言ったのである。弟子の身体を気づかうのだ。
 
「まあ、そんなところです」

「なあ、治してやろうか? 一発だぜ。俺なら」

「いえ、勿体ない。イエス先生の奇蹟の力を、こんなことに使うべきではありません」

「う~ん。ま、そう言われればそうかもなぁ」

 弟子がハラを壊した程度で使っていると、なんというか「奇蹟の価値」っていうか、そんなもんが下がる気もする。
 奇蹟がデフレスパイラルに落ち込んでしまっては、俺も困る。

「先生はお休みにならないのですか?」

 パチパチと音をたて、燃える焚き火。
 それに、枝をくべながら、ユダは言った。
 用を足しにいったときに、焚き火用の枯れ枝を拾ってきていたようだった。

「色々、考えることがあるんだよ。ま、俺としてはさ」
 
 俺は、かなり有名になった。ガリラヤでは最高の預言者という地位を確保したと思う。
 しかし、ガリラヤもユダヤの大地全体からみれば、一地方にすぎないのだ。
 主の計画する「人類救済計画」を遂行するのに、いつまでもここに留まっているのはどうかとも思う。

 かといって、次はどうするかだ。
 故郷への凱旋を行い、それに失敗した俺。その後はどうする?

 だいたいが「人類救済計画」も主に名前を聞かされただけで、何をどうするとか、その目的とか、細かいとこは一切聞いてない。
 つーか、俺に丸投げ状態だ。最近は、主との通信もつながらなくなっている。
 まあ、連絡ないのは、道を外して無いからだと思う。いい加減なことすると、すぐ介入してくることは間違いないのだ。
 あの主の性格からしてだ。

「行くのですか?」

「行く? ああ、エルサレムかぁ……」

 俺はそれを一度考え、決意した。しかし、なんか時期尚早な気もするのだ。
 なんだろうかね。その辺りはよー分からん。

「まあ、一度、聖地へ行くのも悪くはないかなと思うぜ」

 俺は言った。どうせ、ガリラヤで出来ることはもうあまりない。
 となれば、やはりよりメジャーな方向を目指すしかないのかもしれんし。
 そういえば、一度サタンのアホウのせいで、神殿の屋上には行ったことがあったな。
 まあ、アレはカウント外だ。

「エルサレム―― 我らユダヤの聖地」

 ユダがポツリと口にした。

「行くかよ。エルサレム。ま、弟子たちが起きたら、言うかぁ。目指すはエルサレムだってな」

「イエス様の、望まれるままに――」

 ユダは静かにそう言った。
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