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04.宿場でチンピラゴロツキと遭遇した件
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「忍者なぞ…… 果たして役に立つのか?」
甲州街道をとぼとぼ歩きながら、鎖々木究は独りごちる。
自分も公儀御庭番なのであるが、裏方の書類仕事が専門だ。
「忍者」という存在は幕末の侍の感覚でもどこか浮世離れしたものだった。
江戸時代も幕末となると道路はかなり整備されている。
主要街道だけでなく、かなりの田舎まで道が出来上がっていた。
街道には一里塚があり、日が沈むまでにどこの宿までいけるかどうかも分かりやすくなっていた。
現代で治安の良さを喧伝される江戸時代。
が、それも昨今はいき過ぎな感がある。
また、幕末は江戸時代の中でも治安的には最も乱れた時代であっただろう。
要するに、夜の移動などは出来ないのである。
だからこそ、各地に「宿」が栄えた。
そして、鎖々木究は八王子宿に到着。現在の八王子。
当時は八王子横山十五宿とも呼ばれる宿場町であった。
◇◇◇◇◇◇
「おやめくださいお侍様」
「良いではないか、良いではないか、げひひひひひ」
最悪だった。
鎖々木は後悔していた。
二階で宿屋をやっている飯屋に入った。
飯は川魚も美味いし悪くは無かった。
が、最悪であったのだ。
――チンピラゴロツキがッ。
と、思う。その心象通りの絵に書いたような輩が店に入ってきたのだ。
そして、いきなりの傍若無人。
他の客はそそくさと出て行った。
それは極めて正しい判断であろう。
店主も鎖々木に対し目で「お侍さんも早く出て行きなさされ」と言っている。
その好意はありがたいと思う。
しかしだ。
――なんか、店を出て行ったら負けた気がする。
このような思いに染まった鎖々木究は意地でも出て行かないと決めていた。
(なにが尊皇だ、勤皇だ、攘夷だ。クソバエどもが)
せっかくの飯がまずくなっていく。
店は出ない。
決めた。確かに決めたのだが……
かといって、面倒なことになってはたまらんという思いもあった。
正直なところ。
傍若無人な狼藉をするようなならず者、失う物がないアホウを相手にして面倒なことになりたくはない。
鎖々木は基本的に正義感が強いのであるが、今は重大なお役目中だった。
万が一のことがあれば、江戸が火の海になってしまう。
ハゲ異人のカツラのせいで。
鎖々木は「拙者には関係ないことであり、拙者は泰然としているのである。こんなことには動じないのである」
――と、いう態度を見せ、傍若無人なゴロツキに対し精神的優位を確保しようとしたのである。
鎖々木は苦笑した。
そんな思いが、苦笑となって浮かび上がった。己自身への。
が、ゴロツキのひとりと眼が合ってしまったのだ。
その苦笑を浮かべた瞬間だ。
「てめぇ! 今、笑いやがったな! なんか文句でもあるのか! えぇ! 殺すぞ!」
「てめぇ、勤番侍か? 幕府の狗か? ぎゃはははは」
「腰抜けが、ワシらが好き放題やっているのを笑って見ているだけか! え?」
好き放題やっている自覚があるなら、止めろよと思うが、そんな理屈など通用しない愚者であることは明白であった。
目は座っており、焦点がどこに合っているのか分からない。
ある種の狂気を感じさせる。アホウどもだ。
「ええ? 笑ったよな、なんかあるのか? 笑うだけか? ワシらを虚仮にしただけか?」
ゴロツキのひとりが鎖々木の方に詰め寄ってきた。
臭い息がかかるまでの距離。
鎖々木の頭の中で「ブチッ」と何かが切れた。
「いい加減にしろよ――」
重く低い声で鎖々木は言った。
「なんだと、この金壷目玉の勤番侍が!」
彫りの深い彼の顔は、眼が落ち窪んでいるともいえた。
金壷目玉は聞きなれた悪口だ。
が、聞きなれているから、頭に来ないというわけでもない。
ヒュッ――
風を切る音に気づいた瞬間。
ゴロツキの男の眉間に、箸の先端が向いていた。
髪の毛一本分の間だけが空いている。
ひりひりするような殺気がそこから男に流れ込んでいた。
鎖々木が箸を男の眉間に向けたのだ。
一瞬にも満たない時間。
全くの予備動作もなくだ。
「て、てめぇ!! なにしやがる!」
「え? なんで? 俺の腕とか、分からないの? 今ので、だって眉間に箸だよ。死んでるよね。これ刃物とかだったら死んでるよ。ここは『けッ白けちまったぜ』とかいって、店を出て行く流れじゃないの? なんで? なんでそうなるの?」
鎖々木の計算がずれた。
「なに言ってやがる! てめぇ、面に出ろ! やってやろうじゃねぇか!」
「「「おおッ!」」」
鎖々木の目論見は半分成功。
予定外だったのは、自分も外へ出ざるを得なくなったこと。
そして、事態がより面倒くさくなったことだけだった。
甲州街道をとぼとぼ歩きながら、鎖々木究は独りごちる。
自分も公儀御庭番なのであるが、裏方の書類仕事が専門だ。
「忍者」という存在は幕末の侍の感覚でもどこか浮世離れしたものだった。
江戸時代も幕末となると道路はかなり整備されている。
主要街道だけでなく、かなりの田舎まで道が出来上がっていた。
街道には一里塚があり、日が沈むまでにどこの宿までいけるかどうかも分かりやすくなっていた。
現代で治安の良さを喧伝される江戸時代。
が、それも昨今はいき過ぎな感がある。
また、幕末は江戸時代の中でも治安的には最も乱れた時代であっただろう。
要するに、夜の移動などは出来ないのである。
だからこそ、各地に「宿」が栄えた。
そして、鎖々木究は八王子宿に到着。現在の八王子。
当時は八王子横山十五宿とも呼ばれる宿場町であった。
◇◇◇◇◇◇
「おやめくださいお侍様」
「良いではないか、良いではないか、げひひひひひ」
最悪だった。
鎖々木は後悔していた。
二階で宿屋をやっている飯屋に入った。
飯は川魚も美味いし悪くは無かった。
が、最悪であったのだ。
――チンピラゴロツキがッ。
と、思う。その心象通りの絵に書いたような輩が店に入ってきたのだ。
そして、いきなりの傍若無人。
他の客はそそくさと出て行った。
それは極めて正しい判断であろう。
店主も鎖々木に対し目で「お侍さんも早く出て行きなさされ」と言っている。
その好意はありがたいと思う。
しかしだ。
――なんか、店を出て行ったら負けた気がする。
このような思いに染まった鎖々木究は意地でも出て行かないと決めていた。
(なにが尊皇だ、勤皇だ、攘夷だ。クソバエどもが)
せっかくの飯がまずくなっていく。
店は出ない。
決めた。確かに決めたのだが……
かといって、面倒なことになってはたまらんという思いもあった。
正直なところ。
傍若無人な狼藉をするようなならず者、失う物がないアホウを相手にして面倒なことになりたくはない。
鎖々木は基本的に正義感が強いのであるが、今は重大なお役目中だった。
万が一のことがあれば、江戸が火の海になってしまう。
ハゲ異人のカツラのせいで。
鎖々木は「拙者には関係ないことであり、拙者は泰然としているのである。こんなことには動じないのである」
――と、いう態度を見せ、傍若無人なゴロツキに対し精神的優位を確保しようとしたのである。
鎖々木は苦笑した。
そんな思いが、苦笑となって浮かび上がった。己自身への。
が、ゴロツキのひとりと眼が合ってしまったのだ。
その苦笑を浮かべた瞬間だ。
「てめぇ! 今、笑いやがったな! なんか文句でもあるのか! えぇ! 殺すぞ!」
「てめぇ、勤番侍か? 幕府の狗か? ぎゃはははは」
「腰抜けが、ワシらが好き放題やっているのを笑って見ているだけか! え?」
好き放題やっている自覚があるなら、止めろよと思うが、そんな理屈など通用しない愚者であることは明白であった。
目は座っており、焦点がどこに合っているのか分からない。
ある種の狂気を感じさせる。アホウどもだ。
「ええ? 笑ったよな、なんかあるのか? 笑うだけか? ワシらを虚仮にしただけか?」
ゴロツキのひとりが鎖々木の方に詰め寄ってきた。
臭い息がかかるまでの距離。
鎖々木の頭の中で「ブチッ」と何かが切れた。
「いい加減にしろよ――」
重く低い声で鎖々木は言った。
「なんだと、この金壷目玉の勤番侍が!」
彫りの深い彼の顔は、眼が落ち窪んでいるともいえた。
金壷目玉は聞きなれた悪口だ。
が、聞きなれているから、頭に来ないというわけでもない。
ヒュッ――
風を切る音に気づいた瞬間。
ゴロツキの男の眉間に、箸の先端が向いていた。
髪の毛一本分の間だけが空いている。
ひりひりするような殺気がそこから男に流れ込んでいた。
鎖々木が箸を男の眉間に向けたのだ。
一瞬にも満たない時間。
全くの予備動作もなくだ。
「て、てめぇ!! なにしやがる!」
「え? なんで? 俺の腕とか、分からないの? 今ので、だって眉間に箸だよ。死んでるよね。これ刃物とかだったら死んでるよ。ここは『けッ白けちまったぜ』とかいって、店を出て行く流れじゃないの? なんで? なんでそうなるの?」
鎖々木の計算がずれた。
「なに言ってやがる! てめぇ、面に出ろ! やってやろうじゃねぇか!」
「「「おおッ!」」」
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そして、事態がより面倒くさくなったことだけだった。
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