5 / 8
4.南海の果たし状
しおりを挟む
「なんだこれは?」
烈風の掩体壕に着いた久遠少尉は声を上げた。
死屍累々だった。
10人以上の整備兵。いや、整備兵だけではない。警備の兵までそこでひっくり返っている。
しかも、全員がここでなにをやっていたか、丸わかりの状態のまま倒れている。
掩体の中に、それと分かる匂いもこもっている。
(この基地を全滅させる気か……)
久遠少尉は駆け寄って、倒れている整備兵を抱き起した。
なにが起きたのかは想像がついている。
「おい大丈夫か?」
久遠少尉は、パンパンと頬を叩いた。
まだ若い。おそらくは補充員として最近、島にやってきた兵だろう。
ここにいる兵の多くは、すでに二葉に食われまくり、その恐ろしさも知っている。
中には、何度も挑むバカもいたが、大半の男たちは逃げ腰になっている。
「す、吸い取られる…… カラカラに……」
その兵は、虚ろな目で少尉を見つめる。そして、かすれるような声で久遠少尉に訴えた。
彼はゆっくりと、その兵を地に置いた。
久遠少尉にできることは、軍医にこの惨状を伝えることだけだった。
◇◇◇◇◇◇
「緋川二飛曹――」
久遠少尉は、やっと見つけ出した緋川二葉二飛曹を、宿舎に連れて帰った。
見つけたときには、新たな獲物の上にまたがっている真っ最中だった。
白い肌と対照をなす長い黒髪が舞うように揺れていた。
哀れな、獲物は泡を吹いて、白目をむいていた。
この女を放置しておくと、本当にこの基地が機能停止しかねない。久遠少尉は確信する。
人員の入れ替わりがあったせいで、二葉二飛曹の恐怖を知らぬ兵が増えているのだ。
整備部門、警備部門、主計部門の方にも、改めて注意を促すように手配しなければと、彼は思う。
「突撃一番使っているから、病気とか孕む心配は無いと思うけど?」
長いまつ毛の下の大きな瞳を久遠少尉に向け「なにを気にしているの?」と言う表情で彼を見つめる。
罪悪感も羞恥心も全く欠落している。
ただ、彼女に過度の注意はできない。
彼女たちの異能は微妙な精神のバランスの上に立っている。
常識はずれの行為であるが、咎めることはできないのだ。
「とりあえず、ほどほどにしてくれないか。相手が気絶するまでやるのは……」
「え~、そんな加減出来ないと思うよ」
「そうかぁ……」
「そうだよ」
言葉に詰まる久遠少尉だった。
しかし、彼女は不思議と、久遠少尉には何も仕掛けてこない。
久遠少尉は日本人としては背が高い。180センチはないが、それに近い。
そして、落ちくぼんだ目は、多少相手に気難しいという印象を与えるが、二枚目といっていい顔をしている。
そんな彼に、二葉は一切手を出してこない。
久遠少尉自身は、自分が直接の上官だからだろうか、と理由を考えていた。
その理由を本人に訊く気は無い。藪蛇になってしまっては、エライことになってしまうからだ。
彼女は十分に魅力的だが、戦場で体を壊したら死んでしまう。彼はまだ死にたくはなかった。
「とにかく、なんとかするので、無差別襲撃はやめよう」
「ん~、少尉がそこまで言うなら、そうする」
屈託のない笑顔を向け、彼女は少尉に言った。
「まあ、そうしてくれると助かる」
黒く大きな瞳。そこに影ができるほどの長いまつ毛がスッと沈み込む。
本当に寒気がするほどの美少女だ。
この存在に誘われたら、そりゃ断るのは難しいだろうとは思う。
しかし、底なしの彼女に付き合える男など、ほとんどいないのだ。
この件は、主計、整備、警備の各人員から、「慰安夫」を順番に差し出すことで解決する。
ここに至っても志願者が多く、軍による強制性は一切無かった。
◇◇◇◇◇◇
年は1945年に変わろうとしていた。
ここ最近は、敵艦隊の活動が低調だった。
前回、久遠少尉の指揮する独立中隊の攻撃でエセックス級の空母が沈没。
続いて、ラバウル方面から出撃した陸上爆撃機銀河による薄暮攻撃で、敵の機動部隊は大きなダメージを受けたようだった。
当初はエンジンを「護」、そして「誉」。誉の不調から「火星」に変更。
現在は「誉改」ともいえる2250馬力を発揮する「魁」を2基搭載し、高速重爆として海軍の主力を担っている。
比較的平穏な日々の中、久遠少尉と独立中隊のメンバーは、司令部に呼び出しを食らった。
椅子に座っている桃園少佐。彼女は、ホマレを咥えたまま、こっちを見つめていた。
メガネの奥の鋭い視線に晒されている。
「これが、ラバウルの司令部から来た――」
コロンと巻物のようなものを、桃園少佐はテーブルの上に置いた。
現地の木材を伐採して、作った簡易なテーブルだ。
久遠少尉には、それは金属製の筒に見えた。
(通信筒か?)
彼は思う。
「ちょっと、読んでみろ。少尉」
そう言うと、桃園少佐は、吸っていたホマレをヤシの実の灰皿にグリグリと押し付けた。
「はい」
久遠少尉はその通信筒を手にとり、目を通す。
それは英語で書かれていた。
「少尉、読んで、読んでよ!」
背の低い一花が伸びあがるようにして覗きこんでいった。
「少尉、読め―― 声に出して読め。翻訳しろ」
久遠少尉は、英語の翻訳はあまり得意ではなかったが、なんとか読むことはできた。
--------------------------------------------
親愛なる、ジャップの牝犬の糞魔女の皆様
先日、ガダルカナル沖、空母艦隊上空の特殊飛行、私たちは素晴らしい時間を持っていたことは一つ感謝する。
しかし、私たちは行われていることをいつもまでも許さないでしょう。
私たちは、ジャップの牝犬の糞魔女をソロモンの空からはたきおとすために米国から来たところです。
それは、幸いなことに、ガダルカナルの飛行場で、戦闘機は私たちによって使われます。
私たちは、ジャップの雌犬の糞魔女にとっては強すぎるので、彼女たちは勝ことができません。
是非、ジャップの牝犬の糞魔女はガダルカナルに来なければなりません。
それは、死ぬためです。
アナタの愛する黒山羊隊より
----------------------------------------------
彼はその英文を翻訳して読み上げてほっとする。完ぺきな翻訳だった。我ならがら。
帝国大学出身の面目をほどこせたと思ったのだ。
久遠少尉の翻訳を聞いて、彼の部下たちの少女はポカーンとした顔をしている。
彼自身は頭が次第に冷静になり、この英文の内容を本当の意味で理解するにつれ、紙を持つ手が微妙に震えていた。
それは、先日の四織、二葉、三恵の敵艦上空でのアクロバット飛行披露が、バレたことを意味していた。
そして、その返答。
なんで、そんな余計なことをするのだ? 米軍は?
久遠少尉は馬鹿げた内容の書面を再び見つめた。
そして、目の前にいる上官を見た。抜身の刃物のような視線でこっちを見ていた。
その上官が口を開いた。
「久遠少尉」
「はい! 少佐」
直立不動の姿勢で返答する久遠少尉。
桃園少佐は、軍刀の柄で、クイッと久遠少佐の顎を持ち上げる。
彼女のメガネの奥の目がスッと細くなる。
「キサマ、帝大を出てるのだよな?」
「はい」
「その英語力でか……」
意外なところを突っ込まれ、とまどう久遠少尉。
自分としては完ぺきな訳のはずだったが?
「自分の専門は数学で語学が苦手なのです」という言葉が彼の喉元まで出かかる。
しかし、堪える。
そもそも、問題はそこではないからだ。
敵空母上空での、特殊飛行の実施。それは明らかに挑発行為だ。
絶対にそこを問題にしてくるはずなのだ。
久遠少尉は、自分の女性上官を見つめる。
メガネの奥の切れ長の目は寒気のするような光を湛えている。
まるで、顔の目以外の部分が漆黒に包まれ、目だけがその空間に存在しているような錯覚を覚えた。
「まあ、いい――」
すっと軍刀の柄を下ろしながら、桃園少佐は言った。
その唇がVの字を描く笑みの形になっている。
そして、椅子に座り背もたれに身をあずけた。
女性であることを必要以上に強調する胸。そのポケットからホマレを取り出し、火をつける。
そのまま、グッと吸い口を噛んで、久遠少尉を見つめた。
「え~、どういうことなんですか?」
一花が「私は、全然分からない」という顔で少尉を見つめる。
「あ~、あれか? 私たちの特殊飛行が素晴らしかったという、感謝の手紙か? アメ公から」
長い黒髪の頭に手を突っ込みながら、二葉が言った。
その動作一つが、男の本能を刺激するように出来ているとしか思えない存在だ。
空では、敵戦闘機を地獄に叩きこみ、地上では味方の公序良俗をカオスに叩きこむ存在。
それが、緋川二葉二飛曹という者だった。
「そんなわけないでしょう」
黒城四織飛曹長が、冷静な声で言った。
それは正しいと久遠少尉も思う。
「そうだな。そんなわけがない――」
紫煙を吐きながら、桃園少佐が言った。
「ふーん、そうなんだぁ~」
二葉が「じゃあなんだろ?」と考えているような表情で言う。
彼女の場合は、なにも考えていない可能性もあることを、久遠少尉は知ってはいたが。
通信筒の文章を、三恵がチラッと見た。
「挑戦状じゃないの? これ? デブのアメ公の分際で、挑戦? はは? 笑っちゃう」
日独ハーフの三恵が言うように、これは挑戦状だった。
「えー、そうなの? 少尉の翻訳じゃ全然分からなかった。で、どうするの?」
一花が声を上げる。もう、お前にはキャラメル分けてやらんと久遠少尉は思った。
「そう、挑戦状、果たし状とも言うがな―― 久遠……」
再び立ち上がる桃園少佐。
トン、と軍刀の柄の先で床を叩く。
そして、ゆっくりと刀を抜いた。
濡れたような光を刃が放っていいた。
「少尉、なぜこうなった? んん~」
軍刀の鋭い切っ先が、完全に久遠少尉の目の前にあった。
「はい! 私の責任です!」
久遠少尉は直立不動で叫ぶ。それしか言いようがない。
視界の隅にいる部下たちは「関係ない」「私は知らない」と言う顔をしている。
一花は、なにが起きているのか、理解ができてないようだ。
二葉は、長い髪の毛を白い指で弄っている。
三恵は、「アメ公なんで返り討ちにすればいい」というような顔をしている。
四織は、本当に我、関せずという態度だ。一応、小隊長なのに……
彼女たちは貴重な異能者だ。戦闘行動以外で、煩わしい目に合せないのが、少尉の役目でもあった。
その点、この少尉は割り切っていた。
「我が軍は戦(いくさ)をしてるんだ。いいか? 1人でも多くのアメ公を叩き落せ。遊んでる暇なんかないんだよ――」
「今後、注意します!」
「よし、叩き潰せ――」
「はい、叩き潰します」
久遠少尉は復唱する。皇国海軍では上官命令は絶対だ。
「え~、なにを叩き潰すの? また空母?」
一花が言った。
女学生のような、まだ可憐と言っていい外見であるが、この飛行隊の中では、とびきりの異能者だ。
歌声で電子兵装をお釈迦にし、凄まじい演算能力で反跳爆撃の弾道計算も行う。
運動神経は凡人以下なので、偵察員であるが、それでも皇国切り札とも言っていい存在だ。
「この、黒山羊隊ってやつでしょう。一花」
「三恵ちゃん、なにそれ? 山羊?」
「さあ?」
日独ハーフ娘が、久遠少尉を見つめた。
久遠少尉が口を開こうとした瞬間、別の声がその答えを発した。
「米海兵隊、その航空隊のチーム名でしょうね。ちょっと聞いたことがありませんが」
ここが戦場であることを忘れてしまうような上品、涼やかな声。四織の声だ。
「そうだろうな」
久遠少尉は辛うじてそう口にする。
つッ、と桃園少佐が移動する。黒板がある。その黒板の脇に大きなソロモン方面の地図が貼ってある。
ドンと拳で、その地図を叩いた。
その場所は、ガダルカナルだ。今や、アメリカ機が山のようにいる。ソロモンの大拠点となっている島。
「その、生意気な黒山羊を潰せ。奴らを生贄の山羊にしてやれ――」
桃園少佐は獰猛な笑みを浮かべ、久遠少尉、そして異能の飛行少女たちを見つめた。
ソロモンの空で果し合いが行われようとしていた。
烈風の掩体壕に着いた久遠少尉は声を上げた。
死屍累々だった。
10人以上の整備兵。いや、整備兵だけではない。警備の兵までそこでひっくり返っている。
しかも、全員がここでなにをやっていたか、丸わかりの状態のまま倒れている。
掩体の中に、それと分かる匂いもこもっている。
(この基地を全滅させる気か……)
久遠少尉は駆け寄って、倒れている整備兵を抱き起した。
なにが起きたのかは想像がついている。
「おい大丈夫か?」
久遠少尉は、パンパンと頬を叩いた。
まだ若い。おそらくは補充員として最近、島にやってきた兵だろう。
ここにいる兵の多くは、すでに二葉に食われまくり、その恐ろしさも知っている。
中には、何度も挑むバカもいたが、大半の男たちは逃げ腰になっている。
「す、吸い取られる…… カラカラに……」
その兵は、虚ろな目で少尉を見つめる。そして、かすれるような声で久遠少尉に訴えた。
彼はゆっくりと、その兵を地に置いた。
久遠少尉にできることは、軍医にこの惨状を伝えることだけだった。
◇◇◇◇◇◇
「緋川二飛曹――」
久遠少尉は、やっと見つけ出した緋川二葉二飛曹を、宿舎に連れて帰った。
見つけたときには、新たな獲物の上にまたがっている真っ最中だった。
白い肌と対照をなす長い黒髪が舞うように揺れていた。
哀れな、獲物は泡を吹いて、白目をむいていた。
この女を放置しておくと、本当にこの基地が機能停止しかねない。久遠少尉は確信する。
人員の入れ替わりがあったせいで、二葉二飛曹の恐怖を知らぬ兵が増えているのだ。
整備部門、警備部門、主計部門の方にも、改めて注意を促すように手配しなければと、彼は思う。
「突撃一番使っているから、病気とか孕む心配は無いと思うけど?」
長いまつ毛の下の大きな瞳を久遠少尉に向け「なにを気にしているの?」と言う表情で彼を見つめる。
罪悪感も羞恥心も全く欠落している。
ただ、彼女に過度の注意はできない。
彼女たちの異能は微妙な精神のバランスの上に立っている。
常識はずれの行為であるが、咎めることはできないのだ。
「とりあえず、ほどほどにしてくれないか。相手が気絶するまでやるのは……」
「え~、そんな加減出来ないと思うよ」
「そうかぁ……」
「そうだよ」
言葉に詰まる久遠少尉だった。
しかし、彼女は不思議と、久遠少尉には何も仕掛けてこない。
久遠少尉は日本人としては背が高い。180センチはないが、それに近い。
そして、落ちくぼんだ目は、多少相手に気難しいという印象を与えるが、二枚目といっていい顔をしている。
そんな彼に、二葉は一切手を出してこない。
久遠少尉自身は、自分が直接の上官だからだろうか、と理由を考えていた。
その理由を本人に訊く気は無い。藪蛇になってしまっては、エライことになってしまうからだ。
彼女は十分に魅力的だが、戦場で体を壊したら死んでしまう。彼はまだ死にたくはなかった。
「とにかく、なんとかするので、無差別襲撃はやめよう」
「ん~、少尉がそこまで言うなら、そうする」
屈託のない笑顔を向け、彼女は少尉に言った。
「まあ、そうしてくれると助かる」
黒く大きな瞳。そこに影ができるほどの長いまつ毛がスッと沈み込む。
本当に寒気がするほどの美少女だ。
この存在に誘われたら、そりゃ断るのは難しいだろうとは思う。
しかし、底なしの彼女に付き合える男など、ほとんどいないのだ。
この件は、主計、整備、警備の各人員から、「慰安夫」を順番に差し出すことで解決する。
ここに至っても志願者が多く、軍による強制性は一切無かった。
◇◇◇◇◇◇
年は1945年に変わろうとしていた。
ここ最近は、敵艦隊の活動が低調だった。
前回、久遠少尉の指揮する独立中隊の攻撃でエセックス級の空母が沈没。
続いて、ラバウル方面から出撃した陸上爆撃機銀河による薄暮攻撃で、敵の機動部隊は大きなダメージを受けたようだった。
当初はエンジンを「護」、そして「誉」。誉の不調から「火星」に変更。
現在は「誉改」ともいえる2250馬力を発揮する「魁」を2基搭載し、高速重爆として海軍の主力を担っている。
比較的平穏な日々の中、久遠少尉と独立中隊のメンバーは、司令部に呼び出しを食らった。
椅子に座っている桃園少佐。彼女は、ホマレを咥えたまま、こっちを見つめていた。
メガネの奥の鋭い視線に晒されている。
「これが、ラバウルの司令部から来た――」
コロンと巻物のようなものを、桃園少佐はテーブルの上に置いた。
現地の木材を伐採して、作った簡易なテーブルだ。
久遠少尉には、それは金属製の筒に見えた。
(通信筒か?)
彼は思う。
「ちょっと、読んでみろ。少尉」
そう言うと、桃園少佐は、吸っていたホマレをヤシの実の灰皿にグリグリと押し付けた。
「はい」
久遠少尉はその通信筒を手にとり、目を通す。
それは英語で書かれていた。
「少尉、読んで、読んでよ!」
背の低い一花が伸びあがるようにして覗きこんでいった。
「少尉、読め―― 声に出して読め。翻訳しろ」
久遠少尉は、英語の翻訳はあまり得意ではなかったが、なんとか読むことはできた。
--------------------------------------------
親愛なる、ジャップの牝犬の糞魔女の皆様
先日、ガダルカナル沖、空母艦隊上空の特殊飛行、私たちは素晴らしい時間を持っていたことは一つ感謝する。
しかし、私たちは行われていることをいつもまでも許さないでしょう。
私たちは、ジャップの牝犬の糞魔女をソロモンの空からはたきおとすために米国から来たところです。
それは、幸いなことに、ガダルカナルの飛行場で、戦闘機は私たちによって使われます。
私たちは、ジャップの雌犬の糞魔女にとっては強すぎるので、彼女たちは勝ことができません。
是非、ジャップの牝犬の糞魔女はガダルカナルに来なければなりません。
それは、死ぬためです。
アナタの愛する黒山羊隊より
----------------------------------------------
彼はその英文を翻訳して読み上げてほっとする。完ぺきな翻訳だった。我ならがら。
帝国大学出身の面目をほどこせたと思ったのだ。
久遠少尉の翻訳を聞いて、彼の部下たちの少女はポカーンとした顔をしている。
彼自身は頭が次第に冷静になり、この英文の内容を本当の意味で理解するにつれ、紙を持つ手が微妙に震えていた。
それは、先日の四織、二葉、三恵の敵艦上空でのアクロバット飛行披露が、バレたことを意味していた。
そして、その返答。
なんで、そんな余計なことをするのだ? 米軍は?
久遠少尉は馬鹿げた内容の書面を再び見つめた。
そして、目の前にいる上官を見た。抜身の刃物のような視線でこっちを見ていた。
その上官が口を開いた。
「久遠少尉」
「はい! 少佐」
直立不動の姿勢で返答する久遠少尉。
桃園少佐は、軍刀の柄で、クイッと久遠少佐の顎を持ち上げる。
彼女のメガネの奥の目がスッと細くなる。
「キサマ、帝大を出てるのだよな?」
「はい」
「その英語力でか……」
意外なところを突っ込まれ、とまどう久遠少尉。
自分としては完ぺきな訳のはずだったが?
「自分の専門は数学で語学が苦手なのです」という言葉が彼の喉元まで出かかる。
しかし、堪える。
そもそも、問題はそこではないからだ。
敵空母上空での、特殊飛行の実施。それは明らかに挑発行為だ。
絶対にそこを問題にしてくるはずなのだ。
久遠少尉は、自分の女性上官を見つめる。
メガネの奥の切れ長の目は寒気のするような光を湛えている。
まるで、顔の目以外の部分が漆黒に包まれ、目だけがその空間に存在しているような錯覚を覚えた。
「まあ、いい――」
すっと軍刀の柄を下ろしながら、桃園少佐は言った。
その唇がVの字を描く笑みの形になっている。
そして、椅子に座り背もたれに身をあずけた。
女性であることを必要以上に強調する胸。そのポケットからホマレを取り出し、火をつける。
そのまま、グッと吸い口を噛んで、久遠少尉を見つめた。
「え~、どういうことなんですか?」
一花が「私は、全然分からない」という顔で少尉を見つめる。
「あ~、あれか? 私たちの特殊飛行が素晴らしかったという、感謝の手紙か? アメ公から」
長い黒髪の頭に手を突っ込みながら、二葉が言った。
その動作一つが、男の本能を刺激するように出来ているとしか思えない存在だ。
空では、敵戦闘機を地獄に叩きこみ、地上では味方の公序良俗をカオスに叩きこむ存在。
それが、緋川二葉二飛曹という者だった。
「そんなわけないでしょう」
黒城四織飛曹長が、冷静な声で言った。
それは正しいと久遠少尉も思う。
「そうだな。そんなわけがない――」
紫煙を吐きながら、桃園少佐が言った。
「ふーん、そうなんだぁ~」
二葉が「じゃあなんだろ?」と考えているような表情で言う。
彼女の場合は、なにも考えていない可能性もあることを、久遠少尉は知ってはいたが。
通信筒の文章を、三恵がチラッと見た。
「挑戦状じゃないの? これ? デブのアメ公の分際で、挑戦? はは? 笑っちゃう」
日独ハーフの三恵が言うように、これは挑戦状だった。
「えー、そうなの? 少尉の翻訳じゃ全然分からなかった。で、どうするの?」
一花が声を上げる。もう、お前にはキャラメル分けてやらんと久遠少尉は思った。
「そう、挑戦状、果たし状とも言うがな―― 久遠……」
再び立ち上がる桃園少佐。
トン、と軍刀の柄の先で床を叩く。
そして、ゆっくりと刀を抜いた。
濡れたような光を刃が放っていいた。
「少尉、なぜこうなった? んん~」
軍刀の鋭い切っ先が、完全に久遠少尉の目の前にあった。
「はい! 私の責任です!」
久遠少尉は直立不動で叫ぶ。それしか言いようがない。
視界の隅にいる部下たちは「関係ない」「私は知らない」と言う顔をしている。
一花は、なにが起きているのか、理解ができてないようだ。
二葉は、長い髪の毛を白い指で弄っている。
三恵は、「アメ公なんで返り討ちにすればいい」というような顔をしている。
四織は、本当に我、関せずという態度だ。一応、小隊長なのに……
彼女たちは貴重な異能者だ。戦闘行動以外で、煩わしい目に合せないのが、少尉の役目でもあった。
その点、この少尉は割り切っていた。
「我が軍は戦(いくさ)をしてるんだ。いいか? 1人でも多くのアメ公を叩き落せ。遊んでる暇なんかないんだよ――」
「今後、注意します!」
「よし、叩き潰せ――」
「はい、叩き潰します」
久遠少尉は復唱する。皇国海軍では上官命令は絶対だ。
「え~、なにを叩き潰すの? また空母?」
一花が言った。
女学生のような、まだ可憐と言っていい外見であるが、この飛行隊の中では、とびきりの異能者だ。
歌声で電子兵装をお釈迦にし、凄まじい演算能力で反跳爆撃の弾道計算も行う。
運動神経は凡人以下なので、偵察員であるが、それでも皇国切り札とも言っていい存在だ。
「この、黒山羊隊ってやつでしょう。一花」
「三恵ちゃん、なにそれ? 山羊?」
「さあ?」
日独ハーフ娘が、久遠少尉を見つめた。
久遠少尉が口を開こうとした瞬間、別の声がその答えを発した。
「米海兵隊、その航空隊のチーム名でしょうね。ちょっと聞いたことがありませんが」
ここが戦場であることを忘れてしまうような上品、涼やかな声。四織の声だ。
「そうだろうな」
久遠少尉は辛うじてそう口にする。
つッ、と桃園少佐が移動する。黒板がある。その黒板の脇に大きなソロモン方面の地図が貼ってある。
ドンと拳で、その地図を叩いた。
その場所は、ガダルカナルだ。今や、アメリカ機が山のようにいる。ソロモンの大拠点となっている島。
「その、生意気な黒山羊を潰せ。奴らを生贄の山羊にしてやれ――」
桃園少佐は獰猛な笑みを浮かべ、久遠少尉、そして異能の飛行少女たちを見つめた。
ソロモンの空で果し合いが行われようとしていた。
0
あなたにおすすめの小説
改造空母機動艦隊
蒼 飛雲
歴史・時代
兵棋演習の結果、洋上航空戦における空母の大量損耗は避け得ないと悟った帝国海軍は高価な正規空母の新造をあきらめ、旧式戦艦や特務艦を改造することで数を揃える方向に舵を切る。
そして、昭和一六年一二月。
日本の前途に暗雲が立ち込める中、祖国防衛のために改造空母艦隊は出撃する。
「瑞鳳」「祥鳳」「龍鳳」が、さらに「千歳」「千代田」「瑞穂」がその数を頼みに太平洋艦隊を迎え撃つ。
【架空戦記】狂気の空母「浅間丸」逆境戦記
糸冬
歴史・時代
開戦劈頭の真珠湾攻撃にて、日本海軍は第三次攻撃によって港湾施設と燃料タンクを破壊し、さらには米空母「エンタープライズ」を撃沈する上々の滑り出しを見せた。
それから半年が経った昭和十七年(一九四二年)六月。三菱長崎造船所第三ドックに、一隻のフネが傷ついた船体を横たえていた。
かつて、「太平洋の女王」と称された、海軍輸送船「浅間丸」である。
ドーリットル空襲によってディーゼル機関を損傷した「浅間丸」は、史実においては船体が旧式化したため凍結された計画を復活させ、特設航空母艦として蘇ろうとしていたのだった。
※過去作「炎立つ真珠湾」と世界観を共有した内容となります。
大日本帝国、アラスカを購入して無双する
雨宮 徹
歴史・時代
1853年、ロシア帝国はクリミア戦争で敗戦し、財政難に悩んでいた。友好国アメリカにアラスカ購入を打診するも、失敗に終わる。1867年、すでに大日本帝国へと生まれ変わっていた日本がアラスカを購入すると金鉱や油田が発見されて……。
大日本帝国VS全世界、ここに開幕!
※架空の日本史・世界史です。
※分かりやすくするように、領土や登場人物など世界情勢を大きく変えています。
※ツッコミどころ満載ですが、ご勘弁を。
征空決戦艦隊 ~多載空母打撃群 出撃!~
蒼 飛雲
歴史・時代
ワシントン軍縮条約、さらにそれに続くロンドン軍縮条約によって帝国海軍は米英に対して砲戦力ならびに水雷戦力において、決定的とも言える劣勢に立たされてしまう。
その差を補うため、帝国海軍は航空戦力にその活路を見出す。
そして、昭和一六年一二月八日。
日本は米英蘭に対して宣戦を布告。
未曾有の国難を救うべく、帝国海軍の艨艟たちは抜錨。
多数の艦上機を搭載した新鋭空母群もまた、強大な敵に立ち向かっていく。
札束艦隊
蒼 飛雲
歴史・時代
生まれついての勝負師。
あるいは、根っからのギャンブラー。
札田場敏太(さつたば・びんた)はそんな自身の本能に引きずられるようにして魑魅魍魎が跋扈する、世界のマーケットにその身を投じる。
時は流れ、世界はその混沌の度を増していく。
そのような中、敏太は将来の日米関係に危惧を抱くようになる。
亡国を回避すべく、彼は金の力で帝国海軍の強化に乗り出す。
戦艦の高速化、ついでに出来の悪い四姉妹は四一センチ砲搭載戦艦に改装。
マル三計画で「翔鶴」型空母三番艦それに四番艦の追加建造。
マル四計画では戦時急造型空母を三隻新造。
高オクタン価ガソリン製造プラントもまるごと買い取り。
科学技術の低さもそれに工業力の貧弱さも、金さえあればどうにか出来る!
もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら
俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。
赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。
史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。
もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。
クロワッサン物語
コダーマ
歴史・時代
1683年、城塞都市ウィーンはオスマン帝国の大軍に包囲されていた。
第二次ウィーン包囲である。
戦況厳しいウィーンからは皇帝も逃げ出し、市壁の中には守備隊の兵士と市民軍、避難できなかった市民ら一万人弱が立て籠もった。
彼らをまとめ、指揮するウィーン防衛司令官、その名をシュターレンベルクという。
敵の数は三十万。
戦況は絶望的に想えるものの、シュターレンベルクには策があった。
ドナウ河の水運に恵まれたウィーンは、ドナウ艦隊を蔵している。
内陸に位置するオーストリア唯一の海軍だ。
彼らをウィーンの切り札とするのだ。
戦闘には参加させず、外界との唯一の道として、連絡も補給も彼等に依る。
そのうち、ウィーンには厳しい冬が訪れる。
オスマン帝国軍は野営には耐えられまい。
そんなシュターレンベルクの元に届いた報は『ドナウ艦隊の全滅』であった。
もはや、市壁の中にこもって救援を待つしかないウィーンだが、敵軍のシャーヒー砲は、連日、市に降り注いだ。
戦闘、策略、裏切り、絶望──。
シュターレンベルクはウィーンを守り抜けるのか。
第二次ウィーン包囲の二か月間を描いた歴史小説です。
御稜威の光 =天地に響け、無辜の咆吼=
エトーのねこ(略称:えねこ)
歴史・時代
そこにある列強は、もはや列強ではなかった。大日本帝国という王道国家のみが覇権国など鼻で笑う王道を敷く形で存在し、多くの白人種はその罪を問われ、この世から放逐された。
いわゆる、「日月神判」である。
結果的にドイツ第三帝国やイタリア王国といった諸同盟国家――すなわち枢軸国欧州本部――の全てが、大日本帝国が戦勝国となる前に降伏してしまったから起きたことであるが、それは結果的に大日本帝国による平和――それはすなわち読者世界における偽りの差別撤廃ではなく、人種等の差別が本当に存在しない世界といえた――へ、すなわち白人種を断罪して世界を作り直す、否、世界を作り始める作業を完遂するために必須の条件であったと言える。
そして、大日本帝国はその作業を、決して覇権国などという驕慢な概念ではなく、王道を敷き、楽園を作り、五族協和の理念の元、本当に金城湯池をこの世に出現させるための、すなわち義務として行った。無論、その最大の障害は白人種と、それを支援していた亜細亜の裏切り者共であったが、それはもはや亡い。
人類史最大の総決算が終結した今、大日本帝国を筆頭国家とした金城湯池の遊星は遂に、その端緒に立った。
本日は、その「総決算」を大日本帝国が如何にして完遂し、諸民族に平和を振る舞ったかを記述したいと思う。
城闕崇華研究所所長
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる