翼をもった旭日の魔女 ~ソロモンの空に舞う~

中七七三

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4.南海の果たし状

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「なんだこれは?」

 烈風の掩体壕に着いた久遠少尉は声を上げた。
 死屍累々だった。
 10人以上の整備兵。いや、整備兵だけではない。警備の兵までそこでひっくり返っている。
 しかも、全員がここでなにをやっていたか、丸わかりの状態のまま倒れている。
 掩体の中に、それと分かる匂いもこもっている。

(この基地を全滅させる気か……)

 久遠少尉は駆け寄って、倒れている整備兵を抱き起した。
 なにが起きたのかは想像がついている。

「おい大丈夫か?」

 久遠少尉は、パンパンと頬を叩いた。
 まだ若い。おそらくは補充員として最近、島にやってきた兵だろう。
 ここにいる兵の多くは、すでに二葉に食われまくり、その恐ろしさも知っている。
 中には、何度も挑むバカもいたが、大半の男たちは逃げ腰になっている。

「す、吸い取られる…… カラカラに……」
 
 その兵は、虚ろな目で少尉を見つめる。そして、かすれるような声で久遠少尉に訴えた。
 彼はゆっくりと、その兵を地に置いた。

 久遠少尉にできることは、軍医にこの惨状を伝えることだけだった。 

        ◇◇◇◇◇◇

「緋川二飛曹――」

 久遠少尉は、やっと見つけ出した緋川二葉二飛曹を、宿舎に連れて帰った。
 見つけたときには、新たな獲物の上にまたがっている真っ最中だった。
 白い肌と対照をなす長い黒髪が舞うように揺れていた。
 哀れな、獲物は泡を吹いて、白目をむいていた。

 この女を放置しておくと、本当にこの基地が機能停止しかねない。久遠少尉は確信する。
 人員の入れ替わりがあったせいで、二葉二飛曹の恐怖を知らぬ兵が増えているのだ。
 整備部門、警備部門、主計部門の方にも、改めて注意を促すように手配しなければと、彼は思う。

「突撃一番使っているから、病気とか孕む心配は無いと思うけど?」

 長いまつ毛の下の大きな瞳を久遠少尉に向け「なにを気にしているの?」と言う表情で彼を見つめる。
 罪悪感も羞恥心も全く欠落している。
 
 ただ、彼女に過度の注意はできない。
 彼女たちの異能は微妙な精神のバランスの上に立っている。
 常識はずれの行為であるが、咎めることはできないのだ。

「とりあえず、ほどほどにしてくれないか。相手が気絶するまでやるのは……」

「え~、そんな加減出来ないと思うよ」

「そうかぁ……」

「そうだよ」

 言葉に詰まる久遠少尉だった。
 しかし、彼女は不思議と、久遠少尉には何も仕掛けてこない。
 久遠少尉は日本人としては背が高い。180センチはないが、それに近い。
 そして、落ちくぼんだ目は、多少相手に気難しいという印象を与えるが、二枚目といっていい顔をしている。
 そんな彼に、二葉は一切手を出してこない。
 久遠少尉自身は、自分が直接の上官だからだろうか、と理由を考えていた。
 その理由を本人に訊く気は無い。藪蛇になってしまっては、エライことになってしまうからだ。

 彼女は十分に魅力的だが、戦場で体を壊したら死んでしまう。彼はまだ死にたくはなかった。

「とにかく、なんとかするので、無差別襲撃はやめよう」

「ん~、少尉がそこまで言うなら、そうする」

 屈託のない笑顔を向け、彼女は少尉に言った。

「まあ、そうしてくれると助かる」

 黒く大きな瞳。そこに影ができるほどの長いまつ毛がスッと沈み込む。
 本当に寒気がするほどの美少女だ。
 この存在に誘われたら、そりゃ断るのは難しいだろうとは思う。
 しかし、底なしの彼女に付き合える男など、ほとんどいないのだ。 

 この件は、主計、整備、警備の各人員から、「慰安夫」を順番に差し出すことで解決する。
 ここに至っても志願者が多く、軍による強制性は一切無かった。

        ◇◇◇◇◇◇

 年は1945年に変わろうとしていた。
 ここ最近は、敵艦隊の活動が低調だった。

 前回、久遠少尉の指揮する独立中隊の攻撃でエセックス級の空母が沈没。
 続いて、ラバウル方面から出撃した陸上爆撃機銀河による薄暮攻撃で、敵の機動部隊は大きなダメージを受けたようだった。
 当初はエンジンを「護」、そして「誉」。誉の不調から「火星」に変更。
 現在は「誉改」ともいえる2250馬力を発揮する「魁」を2基搭載し、高速重爆として海軍の主力を担っている。
 
 比較的平穏な日々の中、久遠少尉と独立中隊のメンバーは、司令部に呼び出しを食らった。

 椅子に座っている桃園少佐。彼女は、ホマレを咥えたまま、こっちを見つめていた。
 メガネの奥の鋭い視線に晒されている。

「これが、ラバウルの司令部から来た――」

 コロンと巻物のようなものを、桃園少佐はテーブルの上に置いた。
 現地の木材を伐採して、作った簡易なテーブルだ。
 久遠少尉には、それは金属製の筒に見えた。

(通信筒か?)

 彼は思う。

「ちょっと、読んでみろ。少尉」

 そう言うと、桃園少佐は、吸っていたホマレをヤシの実の灰皿にグリグリと押し付けた。

「はい」

 久遠少尉はその通信筒を手にとり、目を通す。
 それは英語で書かれていた。

「少尉、読んで、読んでよ!」
 
 背の低い一花が伸びあがるようにして覗きこんでいった。

「少尉、読め―― 声に出して読め。翻訳しろ」

 久遠少尉は、英語の翻訳はあまり得意ではなかったが、なんとか読むことはできた。
 
--------------------------------------------
 親愛なる、ジャップの牝犬の糞魔女の皆様

 先日、ガダルカナル沖、空母艦隊上空の特殊飛行、私たちは素晴らしい時間を持っていたことは一つ感謝する。
 しかし、私たちは行われていることをいつもまでも許さないでしょう。

 私たちは、ジャップの牝犬の糞魔女をソロモンの空からはたきおとすために米国から来たところです。
 それは、幸いなことに、ガダルカナルの飛行場で、戦闘機は私たちによって使われます。
 私たちは、ジャップの雌犬の糞魔女にとっては強すぎるので、彼女たちは勝ことができません。
 是非、ジャップの牝犬の糞魔女はガダルカナルに来なければなりません。
 それは、死ぬためです。

 アナタの愛する黒山羊隊より
----------------------------------------------
 彼はその英文を翻訳して読み上げてほっとする。完ぺきな翻訳だった。我ならがら。
 帝国大学出身の面目をほどこせたと思ったのだ。

 久遠少尉の翻訳を聞いて、彼の部下たちの少女はポカーンとした顔をしている。

 彼自身は頭が次第に冷静になり、この英文の内容を本当の意味で理解するにつれ、紙を持つ手が微妙に震えていた。
 それは、先日の四織、二葉、三恵の敵艦上空でのアクロバット飛行披露が、バレたことを意味していた。

 そして、その返答。

 なんで、そんな余計なことをするのだ? 米軍は?
 久遠少尉は馬鹿げた内容の書面を再び見つめた。
 そして、目の前にいる上官を見た。抜身の刃物のような視線でこっちを見ていた。

 その上官が口を開いた。

「久遠少尉」

「はい! 少佐」

 直立不動の姿勢で返答する久遠少尉。
 
 桃園少佐は、軍刀の柄で、クイッと久遠少佐の顎を持ち上げる。
 彼女のメガネの奥の目がスッと細くなる。

「キサマ、帝大を出てるのだよな?」

「はい」

「その英語力でか……」

 意外なところを突っ込まれ、とまどう久遠少尉。
 自分としては完ぺきな訳のはずだったが?
 
「自分の専門は数学で語学が苦手なのです」という言葉が彼の喉元まで出かかる。
 しかし、堪える。
 そもそも、問題はそこではないからだ。
 敵空母上空での、特殊飛行の実施。それは明らかに挑発行為だ。
 絶対にそこを問題にしてくるはずなのだ。 

 久遠少尉は、自分の女性上官を見つめる。
 メガネの奥の切れ長の目は寒気のするような光を湛えている。
 まるで、顔の目以外の部分が漆黒に包まれ、目だけがその空間に存在しているような錯覚を覚えた。 

「まあ、いい――」

 すっと軍刀の柄を下ろしながら、桃園少佐は言った。
 その唇がVの字を描く笑みの形になっている。
 そして、椅子に座り背もたれに身をあずけた。
 女性であることを必要以上に強調する胸。そのポケットからホマレを取り出し、火をつける。
 そのまま、グッと吸い口を噛んで、久遠少尉を見つめた。

「え~、どういうことなんですか?」
 
 一花が「私は、全然分からない」という顔で少尉を見つめる。
 
「あ~、あれか? 私たちの特殊飛行が素晴らしかったという、感謝の手紙か? アメ公から」

 長い黒髪の頭に手を突っ込みながら、二葉が言った。
 その動作一つが、男の本能を刺激するように出来ているとしか思えない存在だ。
 
 空では、敵戦闘機を地獄に叩きこみ、地上では味方の公序良俗をカオスに叩きこむ存在。
 それが、緋川二葉二飛曹という者だった。

「そんなわけないでしょう」

 黒城四織飛曹長が、冷静な声で言った。
 それは正しいと久遠少尉も思う。
 
「そうだな。そんなわけがない――」

 紫煙を吐きながら、桃園少佐が言った。

「ふーん、そうなんだぁ~」

 二葉が「じゃあなんだろ?」と考えているような表情で言う。
 彼女の場合は、なにも考えていない可能性もあることを、久遠少尉は知ってはいたが。

 通信筒の文章を、三恵がチラッと見た。

「挑戦状じゃないの? これ? デブのアメ公の分際で、挑戦? はは? 笑っちゃう」

 日独ハーフの三恵が言うように、これは挑戦状だった。
 
「えー、そうなの? 少尉の翻訳じゃ全然分からなかった。で、どうするの?」
 
 一花が声を上げる。もう、お前にはキャラメル分けてやらんと久遠少尉は思った。

「そう、挑戦状、果たし状とも言うがな―― 久遠……」

 再び立ち上がる桃園少佐。
 トン、と軍刀の柄の先で床を叩く。
 そして、ゆっくりと刀を抜いた。
 濡れたような光を刃が放っていいた。
 
「少尉、なぜこうなった? んん~」
 
 軍刀の鋭い切っ先が、完全に久遠少尉の目の前にあった。

「はい! 私の責任です!」

 久遠少尉は直立不動で叫ぶ。それしか言いようがない。
 視界の隅にいる部下たちは「関係ない」「私は知らない」と言う顔をしている。 
 一花は、なにが起きているのか、理解ができてないようだ。
 二葉は、長い髪の毛を白い指で弄っている。
 三恵は、「アメ公なんで返り討ちにすればいい」というような顔をしている。
 四織は、本当に我、関せずという態度だ。一応、小隊長なのに……

 彼女たちは貴重な異能者だ。戦闘行動以外で、煩わしい目に合せないのが、少尉の役目でもあった。
 その点、この少尉は割り切っていた。
 
「我が軍は戦(いくさ)をしてるんだ。いいか? 1人でも多くのアメ公を叩き落せ。遊んでる暇なんかないんだよ――」

「今後、注意します!」

「よし、叩き潰せ――」

「はい、叩き潰します」

 久遠少尉は復唱する。皇国海軍では上官命令は絶対だ。

「え~、なにを叩き潰すの? また空母?」
 
 一花が言った。
 女学生のような、まだ可憐と言っていい外見であるが、この飛行隊の中では、とびきりの異能者だ。
 歌声で電子兵装をお釈迦にし、凄まじい演算能力で反跳爆撃の弾道計算も行う。
 運動神経は凡人以下なので、偵察員であるが、それでも皇国切り札とも言っていい存在だ。

「この、黒山羊隊ってやつでしょう。一花」

「三恵ちゃん、なにそれ? 山羊?」

「さあ?」

 日独ハーフ娘が、久遠少尉を見つめた。
 久遠少尉が口を開こうとした瞬間、別の声がその答えを発した。

「米海兵隊、その航空隊のチーム名でしょうね。ちょっと聞いたことがありませんが」

 ここが戦場であることを忘れてしまうような上品、涼やかな声。四織の声だ。

「そうだろうな」

 久遠少尉は辛うじてそう口にする。

 つッ、と桃園少佐が移動する。黒板がある。その黒板の脇に大きなソロモン方面の地図が貼ってある。
 ドンと拳で、その地図を叩いた。
 その場所は、ガダルカナルだ。今や、アメリカ機が山のようにいる。ソロモンの大拠点となっている島。

「その、生意気な黒山羊を潰せ。奴らを生贄の山羊にしてやれ――」

 桃園少佐は獰猛な笑みを浮かべ、久遠少尉、そして異能の飛行少女たちを見つめた。

 ソロモンの空で果し合いが行われようとしていた。
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