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二、女一の宮、新な女房と猫を愛でるの語

(二)

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 「ホンット、宮さまって愛らしいのよね~」

 夜、自分の曹司に戻って孤太に報告。
 報告? 違うかな。誰かに喋ることで共感してほしい。自慢したい。なんでもいいから話したい。
 そのために、わざわざお菓子まで用意して孤太を呼び寄せた。

 「わたしといっぱいお喋りしたかったから、命婦さまたちを遠ざけておいたのですって」

 かわいらしいっていうのか、いじらしいってのか。
 命婦さまたちが控えてたら、あんなふうに簀子の縁に出ることもできないし、わたしのことを「菫野」なんて呼ぶことも出来ないだろうし。

 「というかさ、人不足なだけなんじゃねえの?」

 用意した餅菓子を、孤太がつまむ。

 「あの桐壷って、絶対人不足だと思うぞ。女房とか、ほとんどいねえし」

 「うん、まあ、それはそうなんだけど……」

 宮さまの住まわれる、淑景舎しげいしゃ。別名、桐壷。
 庭に桐の木が植わってるから桐壺。
 内裏の北東、主上のお暮らしになってる清涼殿から遠く離れているせいか、人も寂しく、お仕えする女房も少ない。
 元々桐壺は、中宮さまや女御さまたちより身分の低い更衣さま方が暮らす場所だし、尚侍さまたちのように、バリバリ仕事をこなす方のいらっしゃる場所でもない。
 遠くてハッキリしないけど、中宮さまや異母姉さまである女一の宮さまのお暮らしになってる弘徽殿こきでんや梅壺に比べて、とっても静か。静かすぎてかなり寂しい。
 今、桐壺に務めてる女房は、紀命婦さまと、あと二人。それと新参者のわたしの四人。腰を痛めて里下がりしてる、衛門さんを合わせても五人しかいない。普通、姫様と言ったら、ゾロゾロと(デキる)女房をいっぱい従えてるのが当たり前なんだから、宮さまの周りは、その身分から考えても少なすぎると思う。それに、全員、わたしの母親かってぐらい年配だし。数も少なきゃ、華も乏しい。
 
 「でもその分、自由だわ」

 今日みたいに宮さまが簀子の縁に出られても、誰にも見咎められない。気を張らなくていいのはちょっと楽。

 「だけどその分、オレがこき使われるんだぜ?」

 「使われてるの?」

 「おう。女の童と違って、貴重な男手だからって、鑓水まわりの掃除をさせられた」

 「それはご苦労さま。でもアンタのことだから、ちゃちゃっと妖力でも使ったんじゃないの?」

 「まあな。めんどくさかったし」

 そんなことだと思った。
 大変だ~、大変だ~って言っても、いざとなったら、妖力でちゃちゃっと終わらせちゃうのよね。

 「というか、こんな暑いなか、真面目に掃除なんてやってられっかよ。サッサと終わらせて、休むに限る」

 そこは、わからないでもないけど。

 「どうせまた、あの桐の木にでも登ってたんでしょ」

 「おっ、よくわかってるじゃん。あの木、程よく葉が茂ってて心地いいんだよなあ」

 やっぱり。
 宮さまが眺めていらしたあの桐の木。コハクもだけど、宮さまに見つからなくて、ホント良かったと思う。
 宮さま、自由で広いお心をお持ちのようだけど、だからって、木の上に小舎人童がいたら、驚くわよね、きっと。そして、その小舎人童の主として、わたしが命婦さまたちから叱られるのよ。躾がなってないって。
 木を蹴っ飛ばしたことも、あの後で散々叱られたし。わたしの小舎人童が木に登ってました~なんてバレたら、散々どころじゃないぐらい叱られるんだろうな。

 「――アンタ、絶対バレないようにしててよ」

 わたしの平穏な女房生活のために。

 「わかってるって」

 どうだか。初っ端にコハクに見つかりかけたくせに。

 「それよりさ、あの宮さま、ホントにかわいいよな」

 「あ、わかる?」

 「おう。オレも木の上から見てたけどさ、ありゃあ将来、とんでもない美人になるぞ。匂うように花咲くっての? さすが宮さま、帝の子だな。そんじょそこらの姫さまとは格が違うよ」

 「悪かったわね、そんじょそこらにゴロゴロいるような姫さまで」

 思わず、ムッ。
 宮さまを褒めるのは「そうよね、そうよね!」って同意したいけど、こっちに向けられた「そんじょそこらの姫さま」を見る目線はいただけない。

 「そ、そっ、そういうんじゃないって。落ち着けよ。また扇を折るつもりか?」

 言われて手に込めてた力を抜く。
 あぶない。二本めの扇をダメにするところだった。

 「アンタのことじゃなくって、オレが言いたいのは、梅壺? とかいうとこにいる姉ちゃんより、ずっとか美人な宮さまだなってことだよ。大人になったら温明殿? とかにいるヤツよりも美人になるね、絶対」

 ウンウンと一人頷く孤太。けど。

 「――ちょっと待って。アンタ、梅壺とか、温明殿に行ったの?」

 「おう。なんなら弘徽殿こきでんも覗いてきたぞ」

 梅壺は、女東宮、宮さまの異母姉さまがいらっしゃる所。弘徽殿こきでんは女東宮の母君、中宮さまが。温明殿には帝にお仕えする、尚侍さまがいらっしゃる。
 そんなのところに、コイツは出歩いてたっていうの?

 「バレたらどうすんのよ! そんな危険なとこ、二度と遊びに行っちゃダメ!」

 ここで、木の上に登ってることがバレるより、何倍もマズいじゃない! なに、誇らしげに報告してんのよ、このバカ!

 「隠形おんぎょうを使っても?」

 「ダメに決まってんでしょ!」 

 バレたら、わたしだけじゃなく、宮さままで叱られることになるんだからね?

 「まあ、もう二度と行かねえよ。だってあそこ、陰陽師がいたし」

 「え?」

 「弘徽殿こきでんの隣の屋根から見てただけなんだけどさ。もう少しでバレるとこだったんだ。実は」

 いやあ、まいった、まいった。
 アッハッハと、孤太は頭を掻いて笑い話にするけど。

 「冗談じゃないわよぉぉっ!」

 わたしはそれどころじゃない。血の気が一気に引いて、手足が冷たくなる。
 
 「――アンタ、今すぐ荷物をまとめて美濃に帰りなさい」

 「は? なんでだよ」

 「『なんで』じゃないわよ、『なんで』じゃ! アンタ、わたしの強力を心配してついてきた~みたいなこと言ってたけど、そんなフラフラしてるんなら、迷惑でしかないからね? 見つかんないうちに、トットと美濃に帰りなさいよ」
 
 心配されるはずが、こっちが心配しなくちゃいけないなんて。ついてきてる意味ないじゃない。

 「嫌だよ。美濃に帰ったら、狐に戻らなきゃならねえし。そしたら、こんなうめえ菓子、食えなくなるじゃん」

 菓子? って、あ!
 
 「ごちそうさま。なかなか美味かったぜ。さすが都だよなぁ」

 ペロリと平らげられたお菓子。あんなにあったはずなのに、高坏たかつきの上には、お菓子の粉しか残ってない。

 「ちょっ、わたしも食べたかったのにっ!」

 話しに夢中になってる間に、全部孤太に食べられた!

 「あんまり怒ると、また扇を圧し折っちまうぞ? じゃなっ!」

 軽口だけ残して、サッと姿を隠した孤太。
 
 (逃げ足だけは一人前よね、アイツ)

 ……次からは、もうちょっと多めにお菓子用意しようかな。でもそんなことしたら台盤所で、「食いしん坊」の二つ名をもらっちゃう? 小舎人童と食べるなんて呆れられちゃうだろうから、わたし一人で食べるってことにしてあるんだし。でも。

 (食べたかった……)

 そこまで美味しいって評価されるんなら。都の、それも内裏で供されるお菓子なんだし。

 (孤太、アンタ、食べものの恨みは怖いんだからね? 覚悟なさいよ?)

 誰もいない暗い空間をにらみつける。そして――

 (……台盤所で、もうちょっとだけもらってこよう)

 二つ名よりも、グウッとなったお腹が辛い。
 ハアッとため息をこぼし、空になった高坏を持って立ち上がる。
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