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四、妖狐、遊びをせんとや戯れるの語
(三)
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「明日、都に戻るよ」
その日の夜、桜花さまの元を訪れた安積さまが言った。
「中将どのは、このまま予定通り居てもいいとおっしゃってくださったけど、ご厚情に甘え続けるわけにはいかないからね」
日中、お母さまがお呼びだとかで、都に戻られた中将さま。
安積さまと桜花さまには、このまま予定通り宇治に滞在していいとおっしゃってくださったけど、安積さまはそれを良しとしなかった。
「わかりましたわ、兄さま」
ガッカリするでもなく、桜花さまが受け入れた。
代わりにガッカリしてるのは、先輩女房方。中将さまがお帰りになったことでも残念がってたのに、さらに宇治旅行が短縮されるとなると。
「そういうことだから、命婦。支度を頼むよ」
「承知いたしました」
ガックリ肩を落としながら、先輩方が立ち上がる。「帰る」と言われたら、それに従うしかないのが宮勤め。「支度を頼む」と言われたら、そのように整えるのが女房というもの。
まあ、本音は、「まだ見ぬわたくしの公達さまはどこぉっ!」「来るなら今夜しかないのよぉっ!」ってところかな? 支度なんてサッサと終えて、「公達、いらっしゃい」の準備を始めるのかもしれない。
室に残ったのは、安積さまと桜花さまと。それと「女房が全く居ないのはダメ」ってことで置いていかれたわたし。
「その代わりと言ってはなんだけど。――真成」
先輩たちが去って、静かになった頃。安積さまが、簀子の縁で控えてた帯刀を身近に呼び寄せた。
「……まあ、猫?」
その帯刀の懐からモゾモゾと這い出してきたもの。白い猫。
「〝コノハナ〟でごさいます、宮さま」
「この子が?」
「はい。安積さまより、コハクに会わせるよい機会だと伺いまして、こちらに連れてまいりました」
かしこまる帯刀の懐から飛び出したコノハナ。そのまま桜花さまの膝の上にいたコハクに近づいていく。
二匹の白い猫。互いに匂いを嗅いだり、体をこすりつけたり。コハクもコノハナも同じ毛並み、同じ目の色だから、そのうちどっちがどっちかわからなくなりそう。体格も似てるし。
「コノハナはね、コハクとともに生まれた妹なんだよ。真成の里、木幡はここの近くだから、今日だけ特別に連れてきてもらったんだ」
安積さまが教えてくれた。
「二匹とも、真成の家で生まれた兄妹なんだけどね。その話を聞いた桜花がどうしてもってグズって、一匹貰い受けたんだ」
「グズってって。ヒドいですわ、兄さま」
プンッと怒った桜花さま。
「でも、本当のことだろう? 真成の家の猫が欲しいってダダをこねたじゃないか」
え? それは具体的にどんな風に?
桜花さまが「ダダをこねる」「グズる」って想像できない。でも、きっと愛らしいダダこねなんだろうな。今だって、怒ってらしてもかわいらしいし。
コハクとコノハナ。
二匹は互いが兄妹であるとわかったのか、そのままじゃれ合い続けて、桜花さまの膝から転げ落ちる。興奮してるのか、上になり下になり、手を出し足を出し、じゃれ合いなのかケンカなのかわからに様相になってくる。
「こら、コノハナ」
「だめよ、コハク」
それぞれの紐を持つ、桜花さまと帯刀がクイッと引っ張って呼び戻す。でも、二匹はそんなのお構いなしにじゃれついて離れない。
「仲いいよね、あの二匹」
「そうですね」
安積さまの言葉に頷く。
わたし、都に来て初めて猫ってものを見たけど、複数いるとこんなに面白い、微笑ましものなんだって思った。猫を欲しがった桜花さまのお気持ち、わかる気がするなあ。見てて飽きないもん。
そして、じゃれ合う猫と困ってる桜花さま。なぜか桜花さまの頬がいつもより桜色で、愛らしさが加増されてる。困ってるけど楽しいってとこなのかな。
「そういえば、菫野は、コハクの名前の意味は知ってる?」
「え? あ、いえっ!」
蝙蝠で顔を隠した安積さまに、コッソリ囁かれた。ってか、いつの間にこんな近くに座ってらしたのっ!? 距離近すぎて、心臓バクバク。
「あ、でも目の色から名付けられたのでは?」
少しだけ心臓を落ち着けて答える。
コハクの目の色は、透き通ったべっ甲のような琥珀色。だから〝コハク〟なんだと思ったんだけど。
「うーん。それは表向きかな」
軽く上目遣いした安積さま。
「表向き?」
「あの真成の幼名はね、〝王虎丸〟って言うんだよ」
「オウコマル?」
「寅年の始めに生まれたからだって」
「へえ……」
それはまたなんて強そうな幼名。
だけど、なぜ帯刀の幼名を? 猫の名前の裏の意味を教えてくれるんじゃあ――って、ん? オウコマル?
オウコマルって、文字にすると「王」と「虎」に「丸」、「王虎丸」よね。
コハクは文字にすると「琥珀」。偏とかバラバラにすると、「王」と「虎」と「王」と「白」って――え? ええっ!?
「あの、まさか、そういう由来だったりするんですか?」
コハクの本当の名前の由来。コハクは、王虎丸からもじったもの? 桜花さまは、あの帯刀の幼名からコハクの名前をつけたの?
まあ、帯刀がくれた猫なんだから、そこにあやかって名前をつけることはあるだろうけど。
「それと、真成の猫の名前も、桜花がつけたんだ。コハクを大事にするから、コノハナも大事にしてくれってね」
「ってことはコノハナにも意味が?」
「桜の女神」
桜の、――女神?
「あっ!」
木花咲耶姫命。
桜をご神木とされた女神さまで、天孫である皇祖さまのお后さま。
桜は、桜花さまご自身。その名をつけた猫を大事にしてくれって、それは、えっと、だとしたら――。
よくわからないドキドキに、思わず胸を押さえる。
「真成は、まったく気づいてないけどね」
二匹の兄妹猫とその飼い主たち。
兄猫に相手の名を、妹猫に自分の名を。それぞれがそれぞれの猫を大事にする。
帯刀は気づいてないっていうけど、桜花さまは、そういうつもりで、そういう名をおつけになったのよね。
(うわあ……)
まさか、そんなところに胸ときめくような出来事が隠されていたなんて。
――女二の宮と、帯刀の恋。
「あの、宮さまはそれでよろしいのですか?」
片や帝の娘。片や兄宮の乳兄弟。
親しく育ったとしても、その先の人生をともに歩むことはできない。恋を叶えるにも身分が違いすぎる。どれだけ帯刀が出世したとしても、生まれの差は埋められるもんじゃない。
こういうのは、真っ先に親兄弟が反対するものだろう。頭ごなしに反対しなくても、それとなく諌めたり、諭したりする。
「僕は、それでいいと思ってるんだ。桜花の想いが通じたらいいってね」
真っ先に反対するべき人が賛成してた。
「竹芝の男みたいにね、攫っていけばいいって思ってる。瀬田の橋を壊して、遠く東の武蔵国まで。そうしたら、誰にも追いかけさせたりしないよ」
かつて、皇女さまが、内裏で召し使ってた身分の低い東男と出会い、都から二人で逃げたという伝説がある。武蔵にたどり着いた皇女は、追いかけてきた者たちに「いみじくここありよくおぼゆ」、ここってすっごく住心地がいいから、帰りたくないの――みたいなことを言って、追い返したんだとか。皇女さまと男の間には子も生まれて、幸せいっぱいメデタシめでたしな伝説。それが「竹芝」。
「まあ、真成に竹芝の男みたいな度胸があるかどうか。そもそも、桜花の想いに気づいてないのだから、どうにもならないけどね」
実直、朴念仁ってかんじの帯刀。今だって、猫たちを見て笑ってる桜花さまを前に、表情一つ崩さずに、真っ直ぐに猫だけを見て座ってる。
「桜花には、幸せになって欲しいんだ」
その光景を眺めながら、ポツリとつぶやかれた安積さま。
――桜花には。
その言葉に、「安積さまご自身は?」って疑問が頭をもたげる。幸せになるのは、桜花さまだけでいいの?
「だから、菫野。桜花のこと、よろしく頼むよ。妹は、きみのこともとても気に入ってるんだ」
そう言って笑ってくださった安積さま。優しげな、妹思いな笑み。
だけど。
なぜだろう。とても心がざわつく。
その日の夜、桜花さまの元を訪れた安積さまが言った。
「中将どのは、このまま予定通り居てもいいとおっしゃってくださったけど、ご厚情に甘え続けるわけにはいかないからね」
日中、お母さまがお呼びだとかで、都に戻られた中将さま。
安積さまと桜花さまには、このまま予定通り宇治に滞在していいとおっしゃってくださったけど、安積さまはそれを良しとしなかった。
「わかりましたわ、兄さま」
ガッカリするでもなく、桜花さまが受け入れた。
代わりにガッカリしてるのは、先輩女房方。中将さまがお帰りになったことでも残念がってたのに、さらに宇治旅行が短縮されるとなると。
「そういうことだから、命婦。支度を頼むよ」
「承知いたしました」
ガックリ肩を落としながら、先輩方が立ち上がる。「帰る」と言われたら、それに従うしかないのが宮勤め。「支度を頼む」と言われたら、そのように整えるのが女房というもの。
まあ、本音は、「まだ見ぬわたくしの公達さまはどこぉっ!」「来るなら今夜しかないのよぉっ!」ってところかな? 支度なんてサッサと終えて、「公達、いらっしゃい」の準備を始めるのかもしれない。
室に残ったのは、安積さまと桜花さまと。それと「女房が全く居ないのはダメ」ってことで置いていかれたわたし。
「その代わりと言ってはなんだけど。――真成」
先輩たちが去って、静かになった頃。安積さまが、簀子の縁で控えてた帯刀を身近に呼び寄せた。
「……まあ、猫?」
その帯刀の懐からモゾモゾと這い出してきたもの。白い猫。
「〝コノハナ〟でごさいます、宮さま」
「この子が?」
「はい。安積さまより、コハクに会わせるよい機会だと伺いまして、こちらに連れてまいりました」
かしこまる帯刀の懐から飛び出したコノハナ。そのまま桜花さまの膝の上にいたコハクに近づいていく。
二匹の白い猫。互いに匂いを嗅いだり、体をこすりつけたり。コハクもコノハナも同じ毛並み、同じ目の色だから、そのうちどっちがどっちかわからなくなりそう。体格も似てるし。
「コノハナはね、コハクとともに生まれた妹なんだよ。真成の里、木幡はここの近くだから、今日だけ特別に連れてきてもらったんだ」
安積さまが教えてくれた。
「二匹とも、真成の家で生まれた兄妹なんだけどね。その話を聞いた桜花がどうしてもってグズって、一匹貰い受けたんだ」
「グズってって。ヒドいですわ、兄さま」
プンッと怒った桜花さま。
「でも、本当のことだろう? 真成の家の猫が欲しいってダダをこねたじゃないか」
え? それは具体的にどんな風に?
桜花さまが「ダダをこねる」「グズる」って想像できない。でも、きっと愛らしいダダこねなんだろうな。今だって、怒ってらしてもかわいらしいし。
コハクとコノハナ。
二匹は互いが兄妹であるとわかったのか、そのままじゃれ合い続けて、桜花さまの膝から転げ落ちる。興奮してるのか、上になり下になり、手を出し足を出し、じゃれ合いなのかケンカなのかわからに様相になってくる。
「こら、コノハナ」
「だめよ、コハク」
それぞれの紐を持つ、桜花さまと帯刀がクイッと引っ張って呼び戻す。でも、二匹はそんなのお構いなしにじゃれついて離れない。
「仲いいよね、あの二匹」
「そうですね」
安積さまの言葉に頷く。
わたし、都に来て初めて猫ってものを見たけど、複数いるとこんなに面白い、微笑ましものなんだって思った。猫を欲しがった桜花さまのお気持ち、わかる気がするなあ。見てて飽きないもん。
そして、じゃれ合う猫と困ってる桜花さま。なぜか桜花さまの頬がいつもより桜色で、愛らしさが加増されてる。困ってるけど楽しいってとこなのかな。
「そういえば、菫野は、コハクの名前の意味は知ってる?」
「え? あ、いえっ!」
蝙蝠で顔を隠した安積さまに、コッソリ囁かれた。ってか、いつの間にこんな近くに座ってらしたのっ!? 距離近すぎて、心臓バクバク。
「あ、でも目の色から名付けられたのでは?」
少しだけ心臓を落ち着けて答える。
コハクの目の色は、透き通ったべっ甲のような琥珀色。だから〝コハク〟なんだと思ったんだけど。
「うーん。それは表向きかな」
軽く上目遣いした安積さま。
「表向き?」
「あの真成の幼名はね、〝王虎丸〟って言うんだよ」
「オウコマル?」
「寅年の始めに生まれたからだって」
「へえ……」
それはまたなんて強そうな幼名。
だけど、なぜ帯刀の幼名を? 猫の名前の裏の意味を教えてくれるんじゃあ――って、ん? オウコマル?
オウコマルって、文字にすると「王」と「虎」に「丸」、「王虎丸」よね。
コハクは文字にすると「琥珀」。偏とかバラバラにすると、「王」と「虎」と「王」と「白」って――え? ええっ!?
「あの、まさか、そういう由来だったりするんですか?」
コハクの本当の名前の由来。コハクは、王虎丸からもじったもの? 桜花さまは、あの帯刀の幼名からコハクの名前をつけたの?
まあ、帯刀がくれた猫なんだから、そこにあやかって名前をつけることはあるだろうけど。
「それと、真成の猫の名前も、桜花がつけたんだ。コハクを大事にするから、コノハナも大事にしてくれってね」
「ってことはコノハナにも意味が?」
「桜の女神」
桜の、――女神?
「あっ!」
木花咲耶姫命。
桜をご神木とされた女神さまで、天孫である皇祖さまのお后さま。
桜は、桜花さまご自身。その名をつけた猫を大事にしてくれって、それは、えっと、だとしたら――。
よくわからないドキドキに、思わず胸を押さえる。
「真成は、まったく気づいてないけどね」
二匹の兄妹猫とその飼い主たち。
兄猫に相手の名を、妹猫に自分の名を。それぞれがそれぞれの猫を大事にする。
帯刀は気づいてないっていうけど、桜花さまは、そういうつもりで、そういう名をおつけになったのよね。
(うわあ……)
まさか、そんなところに胸ときめくような出来事が隠されていたなんて。
――女二の宮と、帯刀の恋。
「あの、宮さまはそれでよろしいのですか?」
片や帝の娘。片や兄宮の乳兄弟。
親しく育ったとしても、その先の人生をともに歩むことはできない。恋を叶えるにも身分が違いすぎる。どれだけ帯刀が出世したとしても、生まれの差は埋められるもんじゃない。
こういうのは、真っ先に親兄弟が反対するものだろう。頭ごなしに反対しなくても、それとなく諌めたり、諭したりする。
「僕は、それでいいと思ってるんだ。桜花の想いが通じたらいいってね」
真っ先に反対するべき人が賛成してた。
「竹芝の男みたいにね、攫っていけばいいって思ってる。瀬田の橋を壊して、遠く東の武蔵国まで。そうしたら、誰にも追いかけさせたりしないよ」
かつて、皇女さまが、内裏で召し使ってた身分の低い東男と出会い、都から二人で逃げたという伝説がある。武蔵にたどり着いた皇女は、追いかけてきた者たちに「いみじくここありよくおぼゆ」、ここってすっごく住心地がいいから、帰りたくないの――みたいなことを言って、追い返したんだとか。皇女さまと男の間には子も生まれて、幸せいっぱいメデタシめでたしな伝説。それが「竹芝」。
「まあ、真成に竹芝の男みたいな度胸があるかどうか。そもそも、桜花の想いに気づいてないのだから、どうにもならないけどね」
実直、朴念仁ってかんじの帯刀。今だって、猫たちを見て笑ってる桜花さまを前に、表情一つ崩さずに、真っ直ぐに猫だけを見て座ってる。
「桜花には、幸せになって欲しいんだ」
その光景を眺めながら、ポツリとつぶやかれた安積さま。
――桜花には。
その言葉に、「安積さまご自身は?」って疑問が頭をもたげる。幸せになるのは、桜花さまだけでいいの?
「だから、菫野。桜花のこと、よろしく頼むよ。妹は、きみのこともとても気に入ってるんだ」
そう言って笑ってくださった安積さま。優しげな、妹思いな笑み。
だけど。
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