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五、美濃の強力娘、牛車をかりて活躍するの語

(四)

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 「じゃあ、アンタが行った時には、もう何も残ってなかったってこと?」

 その日の夕方。
 わたしの所に帰ってきた孤太に、話を聞く。

 「そうだぜ。オレたちも、アイツらの残党がいるかもしれねえって、用心して侍も連れて行ったんだけどさ、鼠一匹残っちゃいなかった」

 「そう……」

 ってことは、あの連中、わたしのぶん投げた牛車とかで怪我しながらも、あそこから逃げ出したってことね。
 わたしたちが安積さまのもとで保護されたら、今度は自分たちに追手がかかる。そうしたら、マズいのは自分たちだ。それぐらいのことは考えることができたらしい。結構いろいろやったから、怪我や骨折ぐらいしてるだろうけど、それでも捕まる前に逃げ出した。

 「それでさ、あの辺りに住んでる連中にも聞き込みを入れたんだけどよ、あそこは、もう何年も前から誰も立ち寄らない、あばら家だったらしいぜ。都に住んでた持ち主が亡くなってから、相続もされずに捨て置かれてたとか」

 「へえ……」

 まあ、手入れはされてない、ボロい屋敷だったけど。そういう屋敷だったからこそ、アイツらの拠点にされていたんだろう。

 「でさ。あの屋敷の庭に、アンタがバラバラにした牛車が転がってただろ? ついでに、血の跡なんかもあってさ。それで案内してくれた樵がよ、『こりゃあ、鬼が出たに違いねえ~』って騒ぎ出してさ」

 え?

 「あの夜、バキバキと恐ろしい音がして、鬼が空を跳んでくのを見たってヤツもいてさ」

 は?

 「嫉妬い狂った女の鬼が、どこかの姫さまを攫っていったんだって。バキバキの牛車は姫さまの使っていらしたもので。血は、姫さまを守ろうとした侍のもので、鬼女に頭からバリバリ喰われたに違いないってさ。今、あの辺りじゃ、その噂で持ちきりだぜ」

 「ちょっ、ちょっと待ってよ! 全然違うじゃない! ってか、わたし、鬼女っ!?」

 「姫さまは、とても可憐でおかわいらしい方だったから、鬼女に襲われた、おかわいそうにって。姫さまのお可愛らしさは嘘じゃないから、あながち間違ってねえじゃん」

 「どこがよ!」

 そりゃあ、桜花さまは可憐でおかわいらしい方だけど!
 攫ったのは、アイツら侍で、わたしは桜花さまをお助けするのに牛車を壊しただけで、空を飛んだのだって、攫ったんじゃなくてお助けするためよ!

 「でたらめすぎるわよ、そんなの……」

 よりにもよって、鬼女。……鬼女。
 ズーンと肩のあたりが重くなる。その噂の元、樵を引っ捕まえて、正解を教えてやりたい。

 「ま、なんでもいいじゃん」

 「よくない!」

 こんなの、美濃の父さまと母さまが聞いたら。母さまだけじゃなく、父さまも泡吹いてぶっ倒れるわ、絶対。

*     *     *     *

 「あら、菫野。アナタはもう起きてもいいの?」

 「え、あ、はい。ご心配をおかけしました」

 「それを言ったら、わたくしのほうが心配をかけてるわ」

 クスクスと笑う桜花さま。
 受け答えはしっかりなさってるし、お元気そうではあるけど、わたしと違って、まだとこの上。単の衣姿で、肩に袿を一枚羽織っただけで座っていらっしゃる。多分、とこを離れることは難しい。それほど衰弱なさってるんだ。

 「あの……、申し訳ありませんでした!」

 その痛々しいお姿に、ガバッと額を床にこすりつけるほどの謝罪をする。

 「菫野?」

 「お助けするためとはいえ、あんな無茶なことを……!」

 牛車を壊したり、空を跳んだり。わたしや孤太にはなんでもないことだけど、桜花さまにしてみたら、胸潰れるほど恐ろしい体験だったに違いない。それでなくても誘拐っていう、とんでもない目に遭っていらっしゃるのだし。

 「顔を上げてちょうだい、菫野」

 優しい、桜花さまの声。

 「でも……」

 「わたくしね、怖くはあったけど、でも、楽しかったとも思ってるのよ」

 「へ?」

 楽しかった?

 「だって、あんなふうに空を跳ぶだなんて。初めての経験だったのですもの」

 そ、そりゃあ……。
 空をピョンピョン跳んでく経験なんて、誰の身の上にも起きることじゃない。

 「人攫いから逃げるのでなければ、もっと楽しめたのにって。残念に思ってるぐらいよ」

 「そ、そうですか……」

 「わたくしもね、もうとこを離れてもいいのだけど、兄さまが許してくださらないのよ。しっかり休んで体をいたわれって。もうすっかり元気なのにね」

 クスクス笑う桜花さま。
 そっか。もう、笑うだけの元気が戻っていらっしゃるのか。それなら、よかった。

 「床にいるのは退屈だけど……、でも少しだけいいこともあるのよ」

 「いいこと?」

 首をかしげるわたしに、微笑まれる桜花さま。
 しばらくすると、簀子の縁から、ハタハタと誰かが歩いてくる音がした。

 「宮さま。お薬湯をお持ちいたしました」

 「ありがとう、こちらへ」

 「いえ。女房どのがいらっしゃるのであれば、それがしは――」
 「命令よ、帯刀」

 「では……」

 遠慮することも辞退することも許されなかった帯刀が、膳を捧げ持ってこちらに近づいてくる。帯刀が遠慮気味に距離を置くと、そのたびに桜花さまが「もっと近くへ」と何度も命じる。

 (なるほど)

 最終的に、わたしよりも桜花さまの近くに寄った帯刀に納得。
 桜花さまは、この帯刀を好ましく思っていらっしゃる。だとすれば、こうして近くに寄ってもらう機会があるのは、「いいこと」かもしれない。

 「――苦い」

 少なくとも薬湯は、「いいこと」ではなさそうだけど。

 「では、口直しにこちらを。井戸水で冷やしておいた桃子ももでございます」

 「食べさせて」

 帯刀に甘えた桜花さまが、目を閉じ、唇を開く。
 ちょっと顔を突き出したようなそのお姿。メチャクチャかわいいのだけど、切り分けた桃子ももの器をもった帯刀は、どうしたらいいのか、あっちを見たりこっちを見たり。桜花さまと手元の桃子ももを交互に見て、かなり忙しそう。

 「で、では、失礼をして――」

 かなりの時間を要して、ようやく桜花さまの口に運ばれた桃子もも

 「――美味しい」

 「それはようございました」

 飲み込んだ桜花さまの笑顔に、帯刀がホッと肩の力を抜く。

 (うわぁぁぁ~~)

 その光景を見てるしかないわたしは、心のなかで感嘆をもらす。
 まるで絵巻物の一場面のような、恋の風景。
 桜花さまの珍しい、誰かに甘える姿はもちろんなんだけど、その「帯刀が好き!」って、はたで見ていてわかるぐらいのわがままがかわいくて、微笑ましくて、全力で応援してあげたくなる。
 帝の皇女と帯刀の恋が成就するなんて無理な話かもしれない。でもだからって、諦めさせるなんてできない。叶えてあげたい。

 (安積さまも、きっと同じお気持ちなんだろうなあ)

 「桜花の想いが通じたらいい」っておっしゃった安積さま。もしかすると、ここに薬湯を運ばせたのは、安積さまの指示なのかもしれない。内裏と違ってここでなら、桜花さまがわがままを言っても、帯刀を近くに寄せても、誰も何も言わないから。

 (お二人が、お幸せになれますように)

 妹思いの安積さまが。叶わぬ恋を抱えていらっしゃる桜花さまが。
 お二人が幸せになることを、強くつよく心のなかで願う。
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