彼女(寵姫)以外は要らないと、後宮をお払い箱にされましたが、幼馴染の猛虎将軍が溺愛してくれるので問題ありません

若松だんご

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巻の二十三、簪の意味

 (遅いなあ……)

 室にある牀に一人腰掛け、放りだした足をプラプラさせる。
 皇太子に呼ばれ、明順ミンジュンが出ていってから、かなり経つ。
 途中、飲み物を持ってきてくれた女官以外、特に変化のない部屋。飲み物以外の変化は、窓の外の色が薄い水色と茜の混じったものだったのから、真っ赤に燃えるような色になったっていうこと。もう少し時が経てば、外は真っ暗になって、室に明かりが必要になるだろう。
 寂しいとかなんとかというより、暇でどうにかなりそう。
 
 (書でも持ってくればよかったかなあ……)

 そうしたら、時間も潰せるし、気も紛れるし。
 でも、さすがに皇宮に呼び出されて、書を読んでるってのも。
 仕方ないから、用意された飲み物を手にする。
 甘い果汁。口に後味残るからあんまり好きじゃないけど、これを飲むぐらいしか時間の潰しようがない。

 コンコン。

 (あれ? 帰ってきた?)

 宦官の叩扉じゃない。叩くなり、すぐに開いた扉。

 (――って、誰?)

 てっきり明順ミンジュンが戻ってきたのかと思ったのに。入ってきたのは、全く知らない若い男。ってまさか。

 「なんだ。将軍はおらぬのか」

 (いや、アンタが呼び出したんでしょうがっ!)

 心のなかでツッコむ。
 明順ミンジュンと同じくらいの年格好。
 けど彼よりずっといい仕立ての袍をまとってる。腰に下げた玉環は、高価な翡翠。
 官吏じゃない。この人は皇太子殿下。
 顔なんて、遠くからチラッと見ただけだから、知らないけど、明順ミンジュンを下に見たような呼び方に、そうなんだと直感する。

 「してお主は?」

 「はい。楊礼部侍郎の娘、呉明順ミンジュンの妻でございます」

 「礼部侍郎の。後宮にいた娘だな」

 「はい」

 皇太子が現れたのに、ホケッと牀に座ってるわけにはいかない。
 石床に膝をつき、拱手の礼をとる。
 それを見た皇太子が、フムと鼻を鳴らして、ツルッとした顎を撫でる。そして。

 「俺は、こんな愛い花を見逃していたのか?」

 ――は?

 クイッと顎を掬われ、目をパチクリ。
 「愛い花」? ナニソレ?

 「もったいないことをした。しかし――」

 「キャアッ!」

 グッと持ち上げられた体。ドシッと牀に投げ出される。

 「お前も俺が恋しかったのだろう? だからここに来た」

 ――は?

 なぜ舌なめずり?
 というか、この状況はなに?

 「安心しろ。将軍はここに戻ってこない。戻ってこれぬよう、呼び出しておいたからな」

 ――は?

 これって、アンタの作戦?
 わたしと明順ミンジュンにかけた、離間の計?

 「って、ちょっ、何をなさるのですかっ!?」

 「暴れるな。すぐに気持ちよくしてやる」

 勝手に人の帯攻略に取り掛かった皇太子。わたしがバッタンバッタン暴れることもお構いなしに、シュルっと帯を解いた。

 「お前の味が良ければ。そうだな、俺の妃にしてやろう」

 「はあっ!?」

 「将軍とは離縁させてやる。喜べ。望み通り皇太子妃になれるのだぞ?」

 (なれるのだぞ――じゃないわ!)

 勝手に胸元に忍び込んできた手。
 その手に、ゾワッと全身が震えた。
 明順ミンジュンに触れられれば、「ゾクッ」と震える胸。もっと触ってほしくて背を反らしちゃうのに。
 今は気持ち悪くて、「ゾワッ」と総毛立つ。背を丸めて、腕でその体を押しのけて、足をバタバタさせて。必死の抵抗。

 「暴れるな。嫌がるフリはそそられるが、やり過ぎは興が冷める」

 冷めてよ! 凍りつくほど冷めてよ!
 フリじゃないんだから、ちゃんと理解しなさいよ、クソ皇太子っ!

 「玲麗リンリーさまは、どうなさるのですっ!」
 
 ――私は、この玲麗リンリーのみを妻とし、愛しぬく!
 
 そう宣言したのはアンタでしょっ!
 
 ――後宮に残りたい者は残ってもよいが、私からの寵愛を望むなら無駄なことだ!

 とかなんとか。
 彼女を溺愛して、淑華シュウファさまをはじめ、みんなの人生を狂わせたんでしょうが!

 「アレの話はするな」

 ブチュっと強引に押しつけられた唇。

 「ンーッ! ンーッ、ンーッ!」
 
 絶対開けない。なんとしても受け入れない。受け入れたくなんてない。
 唇を引き絞って抵抗。

 「強情な女だな」

 口づけを諦めた(?)皇太子。

 「だが、そこまで頑ななままだと、どうなるか、わかっているのか?」

 どうなるか……って。

 「まさか、アンタ、明順ミンジュンに……」

 権力のままに、明順ミンジュンをどうにかするっていうの?

 「フム。それは考えてなかったが。――それも面白そうだ」

 ギラついた欲望と、嗜虐に満ちた眼差し。
 誰? こんなヤツの妃候補となったのは? 
 家のためとは言え、こんなヤツの妃になりそうだった過去が恐ろしい。

 「皇太子の寵姫を奪った罪。諒州の反乱を鎮圧しなかった罪。それか……、ああ、そうだ。アレと不義密通したのは、将軍だったとすればよかったな」

 「ナニ……言ってるの?」

 「勝手に反乱軍と和睦して、鎮圧したと報告してきた。兵を戦に用いるのではなく、許可もなく土木に従事させた。立派な服命違反だ」

 は?

 「アレは、もう少し生かしておいて、こっちで利用すればよかったな。激情のままに判断すると、ロクなことがない」

 だから、ナニ言ってるの?

 「せっかくだから教えておいてやる」

 皇太子の顔が近づく。

 「あの女、玲麗リンリーはな、俺を裏切ってたんだ」

 「――え?」

 「俺に近づき、俺を誑かし。皇太子妃になったとたん、男を床に招き入れた。知り合いの宦官だと言って、男を咥えこんだ」

 「なん……ですって?」
 
 「なかなか面白い余興だったぞ。アレが宦官だという男の陰茎を咥えこんでよがってる姿はな! 面白いから、拘束した男の陰茎を切り取ってやったわ! アレの目の前でな! 本当の宦官にしてやった!」

 ハハハハッ!

 わたしに跨ったまま、皇太子が狂ったような高笑いをした。

 「切り取った陰茎は、アレの孔に突き立ててやったわ。これが好きなら、いくらでも咥え込めとな」

 グッ。

 聞いてるだけなのに。聞かされてるだけなのに。
 胃の腑から、酸いものがこみ上げてくる。

 「だが、俺は慈悲深い男だからな。アレらを二人まとめて抱き合うように縛りつけ、そのまま火にくべてやったわ。火のなかでももがき蠢く姿は、なかなか面白い余興だったぞ。死ぬ間際まで、互いを求めて蠢くのだからな」

 狂ってる。
 狂ってるわ、この人。 
 こんな人が皇太子でいいの? こんな人が次の皇帝なの?

 「お前も、アレみたいな末路をたどりたくなければ、大人しくしろ」
 
 暴れたり抵抗すれば、わたしも玲麗リンリーさまと同じ運命になる。でも――

 「ふざけないでっ!」

 グイッと全力でその体を押しのける。
 牀から立ち上がると、シュルっと髪を解いて簪を抜き取る。

 「来ないでっ! 来たら、――死ぬわ」

 簪の切っ先は、わたしの喉。
 もしこれ以上凌辱するなら、このまま喉を刺して自害する。

 (明順ミンジュン、父さま、兄さま……)

 ここで自害したら、彼らに迷惑をかけるかもしれない。
 でも、自分の矜持にかけて、このまま犯されるわけにはいかない。ここで死んで貞操を守れば、彼らだって「よくやった」って褒めてくれるわよ。

 「明順ミンジュン……」

 できれば、最期に一目彼に会いたかったけど。
 死ぬのなら、彼の腕のなかで死にたかったけど。どっちかというと、ともに白髪になるまで、彼と添い遂げたかったし、彼の子をポコポコ産んでみたかったけど。
 まだまだずっと長く彼と生きたかったけど。
 考えるだけで、目が熱くなってくる。簪を持つ手が震える。

 妻が髪を結い、簪を挿すのは、装いを整えるためだけじゃない。

 こうして貞操の危機に、自決できるように。死んで夫への操を守るために。刀もなにもない状況でも命を断てるように、簪を髪に挿す。

 (明順ミンジュン……)

 わたしが死ぬこと。よくやったって褒めてよね。
 寂しがりの弱虫だから、泣くかもしれないけど。悲しむかもしれないけど。
 でも。でも、いつかは立ち直って、新しい奥さんを見つけてね。わたしより美人で、優しくて、アナタをいたわって、わたしよりいっぱい愛してくれる、そんな人を。

 グッと、柔らかい喉元に簪の先を押し当てる。

 「――梨花リファっ!」

 バァンと乱暴に開いた扉。そして。

 ヒュッ。

 簪を持つ手が荒々しく弾かれた。一拍置いて、ガラガラと石床で簪が重い音を立てる。

 「……明順ミンジュン
 
 驚き、息を切らした彼を見上げる。
 どうして? 助けに来てくれたの? 夢じゃなくて? わたし、彼に会えたの?

 「明順ミンジュンっ!」

 感情のままに、彼に抱きつく。

 「……間に合ってよかった」

 その腕の力強さと、彼の熱と匂いと、体から伝わってきた声と。広がる安心感と。
 すべてに抱きとめられ、わたしは、我慢できなかった涙を溢れさせた。
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