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第四章 海石榴市
十三、海石榴市(二)
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少年は、“八尋”と名乗った。
美豆良髪や髷を結うわけではない、無造作に髪を束ねただけの姿。
あの舞の一座の仲間で、普段は舞を見ている客から報酬をもらう役を担っているという。自分より二、三年下だろうか。忍壁と、さほど変わらない歳だろう。
「タダで舞ってるわけじゃないからな~、貰うもんはキッチリ貰わねえと」
言いながら、八尋が胡桃の実を摘む。
先程、自分が買ってやったやつだ。舞を見た報酬とは別。胡桃はスリから懐を守ってやった礼なのだという。
市の外れにあった岩に腰掛け、胡桃を食べる八尋。
「アンタも食べるか?」
笹の葉の上に置かれた胡桃を八尋が差し出す。
「いや、買ったのは僕なんだが」
なぜ、分けて譲ってもらうような立場に?
「いいじゃん。ほら」
納得いかないまま、胡桃を手にする。真足が不服そうに身を乗り出したが、軽く制しておく。おそらく「皇子さまが召し上がるようなものではありませぬ」とか、「お毒見もせず」とかそういう理由だろうから。くだらない。
「本当はさ、蜂蜜つけて食べるのが一番なんだけどな~」
八尋が真足にチラッと視線を送る。「買ってこい」ということらしい。
「塩ではダメなのか?」
訊ねながら、真足に買いに行くよう顎で指示する。
自分から離れるのが嫌なのか。それともこんな少年の言うことを聞かなくてはいけないのが嫌なのか。仕方なく買いにいった真足の背中は、「不満!! 納得しかねる」と書かれているようだった。
「んー、ダメってわけじゃねえけどさ。胡桃には蜂蜜が一番だと思ってるわけよ。オレたちは塩なんて滅多に手に入んねえからな。普段食ってるやり方が一番旨い」
なるほど。
「じゃあ、きみたちは普段山野で暮らしているということか」
蜂蜜は海や里では採れない。採るとするなら野か山だ。
「ああ。オレたちは隠から来たんだ」
「隠?」
八尋が川の上流、初瀬道の方を指し示す。
「あっちにあるんだよ。今日は、里のみんなのために色々仕入れたくてな。それで出てきた」
「あっちというと、伊勢国か?」
「いや、確か伊賀だ。名前なんて詳しく知らねえけど」
「知らない? どうして?」
不思議に思った。
「だって、地面に『ここは伊賀です』って記されてるわけじゃないだろ。ここから伊賀って境目の線が引かれてるわけでもねえし」
よっと八尋が棒切れを拾うと、ガリガリと地面に線引した。
「こうなってれば、オレにだって、こっからが大和だ伊賀だってわかるけどさ。けど、山んなかにそんなもんねえし」
「確かに。そうだな」
大地に区切りなど存在しない。区切っているのは人。この国を治る者が勝手にやってるだけ。
「ま、書いてあってもオレには読めねえけどな」
ニシシッと八尋が笑う。
裏も表もない、屈託ない笑顔。
「オレたちはさ、こうして舞や歌を披露したり、山野で食べるものを得て暮らしてるんだ。アンタの言う伊勢国? とかにも行くことあるし、その先まで海を渡ってくこともある。ここにいる大君? スメラミコト? とか、そんなのあんまり興味ねえし、どうでもいいんだよなあ」
「それは……」
「だから、勝手に決められた“国”ってやつもわかんねえんだよ」
自分がそのスメラミコトの子だと言ったら、この八尋はどんな顔をするのだろう。
「まあ、オレたちはオレたちで勝手にやるからさ。そっちもそっちで勝手に決めてろって思うんだよな」
「それでいいのか?」
「ああ、決められたからって従わなきゃいけない理由もないし。オレたちはさ、一応今は隠の里で暮らしてるけど。なんかあったらどっかに行っちまうし。ずっと同じところで暮らしてねえんだよな」
「“まつろわぬ民”というやつか」
税も納めず、上に仕えず流浪する民。国に従わぬ民。
「そ。って、これ、坊っちゃんに言ってもよかったのか?」
八尋がまずいことを言ってしまった、調子に乗って喋りすぎたと口を押さえた。
おそらく、自分の身なりから察したのだろう。こちらが、そのような民を取り締まり、従える立場にあるということを。
「いいよ。まつろわぬ民だからって、目くじら立てるつもりはないよ」
「それならいいや」
ケロリとした返事。
「それより、坊っちゃんは何しに市に来たんだよ。まさか歌垣に参加するためじゃねえだろうな」
「参加しちゃいけないのか?」
歌垣は年若い男女が出会う場でもある。気に入った相手と踊りあい、求愛の歌を詠みあう。
「あったりまえだろ? 坊っちゃん“身分”っての? そういうのありそうだし。ウッカリ見初められたりしたら、相手がかわいそうだろ」
「かわいそうなのか?」
「だって考えてもみろよ。ただの里の娘がそんな“身分”あるやつの妻になっても苦労するだろ」
「それは……」
「坊っちゃんが惚れて惚れてどうしようもなくなって、その子を大事にするってのなら話は別だけどよ。でなきゃ、その子が不幸になる」
脳裏に山辺の姿が思い浮かぶ。
「ま、歌垣で惚れるべきは、オレみたいなヤツだろうけどね。きっとオレが参加したら人気者間違いなしだぜ。言い寄る女をかき分け進まなきゃいけなくなる」
グイッと自分を指さした八尋。
その自信満々な姿に笑い、吹き出す。
「なんだよ」
「いや、ゴメン。僕は、贈り物を求めてきただけなんだ」
ムッとむくれた八尋に謝罪して、ここに来た理由を告げる。
「妻問いするのか?」
「違うよ。最近お姉さんになった姪がいてね。その子に贈り物をしたくて探しに立ち寄ったんだよ。それに、歌垣に参加しなくても、僕にはもう妻がいるし」
「なんだよ、女持ちかよ」
仮にも山辺は先帝の皇女、帝の皇子の妻なのだが。“女持ち”と言われてしまうと、里の男の妻のような印象になってしまう。
「なら、オレが見繕ってやるよ。姪はいくつぐらいなんだ?」
ピョンッと岩から立ち上がった八尋。
「三つ。だがいいのか? 蜂蜜は」
「ああ、アイツが持ってきたら食べる。それよりまずは姪っ子への贈り物と、嫁さんへの贈り物だ」
「嫁?」
なぜ山辺にも?
「考えてもみろよ。亭主が『姪っ子の喜びそうなもの買ってきた~』なんて言って帰ってきたら、嫁がどう思うか。『あら、素敵なものを。きっとあの子も喜びますわね~』とか言うかも知れねえけど、それ本心じゃねえからな。心んなかでは『なんでアタシのものはないのよ!!』って僻むからな、絶対」
山辺はそんな僻む心から遠く離れた場所にいる女性だと思うが。姪への贈り物だけでも喜んでくれそうだけど。
「女心に詳しいんだな」
「長いこと姉ちゃんたちと一緒にいるからな。女はそういうのに結構小うるさいんだ」
スタスタと人の間をすり抜けるように歩いて行く八尋。ごった返す市のなかなのに、その足が戸惑い止まることはない。
「アンタのことだから、どうせそういう贈り物を一度もしたことないんだろ」
図星。
「せっかくだから、オレがしっかり見繕ってやるよ。それで嫁を喜ばせてやれ」
――もちろん、その分の礼も奢ってもらうからな。
追加の請求に笑う。
美豆良髪や髷を結うわけではない、無造作に髪を束ねただけの姿。
あの舞の一座の仲間で、普段は舞を見ている客から報酬をもらう役を担っているという。自分より二、三年下だろうか。忍壁と、さほど変わらない歳だろう。
「タダで舞ってるわけじゃないからな~、貰うもんはキッチリ貰わねえと」
言いながら、八尋が胡桃の実を摘む。
先程、自分が買ってやったやつだ。舞を見た報酬とは別。胡桃はスリから懐を守ってやった礼なのだという。
市の外れにあった岩に腰掛け、胡桃を食べる八尋。
「アンタも食べるか?」
笹の葉の上に置かれた胡桃を八尋が差し出す。
「いや、買ったのは僕なんだが」
なぜ、分けて譲ってもらうような立場に?
「いいじゃん。ほら」
納得いかないまま、胡桃を手にする。真足が不服そうに身を乗り出したが、軽く制しておく。おそらく「皇子さまが召し上がるようなものではありませぬ」とか、「お毒見もせず」とかそういう理由だろうから。くだらない。
「本当はさ、蜂蜜つけて食べるのが一番なんだけどな~」
八尋が真足にチラッと視線を送る。「買ってこい」ということらしい。
「塩ではダメなのか?」
訊ねながら、真足に買いに行くよう顎で指示する。
自分から離れるのが嫌なのか。それともこんな少年の言うことを聞かなくてはいけないのが嫌なのか。仕方なく買いにいった真足の背中は、「不満!! 納得しかねる」と書かれているようだった。
「んー、ダメってわけじゃねえけどさ。胡桃には蜂蜜が一番だと思ってるわけよ。オレたちは塩なんて滅多に手に入んねえからな。普段食ってるやり方が一番旨い」
なるほど。
「じゃあ、きみたちは普段山野で暮らしているということか」
蜂蜜は海や里では採れない。採るとするなら野か山だ。
「ああ。オレたちは隠から来たんだ」
「隠?」
八尋が川の上流、初瀬道の方を指し示す。
「あっちにあるんだよ。今日は、里のみんなのために色々仕入れたくてな。それで出てきた」
「あっちというと、伊勢国か?」
「いや、確か伊賀だ。名前なんて詳しく知らねえけど」
「知らない? どうして?」
不思議に思った。
「だって、地面に『ここは伊賀です』って記されてるわけじゃないだろ。ここから伊賀って境目の線が引かれてるわけでもねえし」
よっと八尋が棒切れを拾うと、ガリガリと地面に線引した。
「こうなってれば、オレにだって、こっからが大和だ伊賀だってわかるけどさ。けど、山んなかにそんなもんねえし」
「確かに。そうだな」
大地に区切りなど存在しない。区切っているのは人。この国を治る者が勝手にやってるだけ。
「ま、書いてあってもオレには読めねえけどな」
ニシシッと八尋が笑う。
裏も表もない、屈託ない笑顔。
「オレたちはさ、こうして舞や歌を披露したり、山野で食べるものを得て暮らしてるんだ。アンタの言う伊勢国? とかにも行くことあるし、その先まで海を渡ってくこともある。ここにいる大君? スメラミコト? とか、そんなのあんまり興味ねえし、どうでもいいんだよなあ」
「それは……」
「だから、勝手に決められた“国”ってやつもわかんねえんだよ」
自分がそのスメラミコトの子だと言ったら、この八尋はどんな顔をするのだろう。
「まあ、オレたちはオレたちで勝手にやるからさ。そっちもそっちで勝手に決めてろって思うんだよな」
「それでいいのか?」
「ああ、決められたからって従わなきゃいけない理由もないし。オレたちはさ、一応今は隠の里で暮らしてるけど。なんかあったらどっかに行っちまうし。ずっと同じところで暮らしてねえんだよな」
「“まつろわぬ民”というやつか」
税も納めず、上に仕えず流浪する民。国に従わぬ民。
「そ。って、これ、坊っちゃんに言ってもよかったのか?」
八尋がまずいことを言ってしまった、調子に乗って喋りすぎたと口を押さえた。
おそらく、自分の身なりから察したのだろう。こちらが、そのような民を取り締まり、従える立場にあるということを。
「いいよ。まつろわぬ民だからって、目くじら立てるつもりはないよ」
「それならいいや」
ケロリとした返事。
「それより、坊っちゃんは何しに市に来たんだよ。まさか歌垣に参加するためじゃねえだろうな」
「参加しちゃいけないのか?」
歌垣は年若い男女が出会う場でもある。気に入った相手と踊りあい、求愛の歌を詠みあう。
「あったりまえだろ? 坊っちゃん“身分”っての? そういうのありそうだし。ウッカリ見初められたりしたら、相手がかわいそうだろ」
「かわいそうなのか?」
「だって考えてもみろよ。ただの里の娘がそんな“身分”あるやつの妻になっても苦労するだろ」
「それは……」
「坊っちゃんが惚れて惚れてどうしようもなくなって、その子を大事にするってのなら話は別だけどよ。でなきゃ、その子が不幸になる」
脳裏に山辺の姿が思い浮かぶ。
「ま、歌垣で惚れるべきは、オレみたいなヤツだろうけどね。きっとオレが参加したら人気者間違いなしだぜ。言い寄る女をかき分け進まなきゃいけなくなる」
グイッと自分を指さした八尋。
その自信満々な姿に笑い、吹き出す。
「なんだよ」
「いや、ゴメン。僕は、贈り物を求めてきただけなんだ」
ムッとむくれた八尋に謝罪して、ここに来た理由を告げる。
「妻問いするのか?」
「違うよ。最近お姉さんになった姪がいてね。その子に贈り物をしたくて探しに立ち寄ったんだよ。それに、歌垣に参加しなくても、僕にはもう妻がいるし」
「なんだよ、女持ちかよ」
仮にも山辺は先帝の皇女、帝の皇子の妻なのだが。“女持ち”と言われてしまうと、里の男の妻のような印象になってしまう。
「なら、オレが見繕ってやるよ。姪はいくつぐらいなんだ?」
ピョンッと岩から立ち上がった八尋。
「三つ。だがいいのか? 蜂蜜は」
「ああ、アイツが持ってきたら食べる。それよりまずは姪っ子への贈り物と、嫁さんへの贈り物だ」
「嫁?」
なぜ山辺にも?
「考えてもみろよ。亭主が『姪っ子の喜びそうなもの買ってきた~』なんて言って帰ってきたら、嫁がどう思うか。『あら、素敵なものを。きっとあの子も喜びますわね~』とか言うかも知れねえけど、それ本心じゃねえからな。心んなかでは『なんでアタシのものはないのよ!!』って僻むからな、絶対」
山辺はそんな僻む心から遠く離れた場所にいる女性だと思うが。姪への贈り物だけでも喜んでくれそうだけど。
「女心に詳しいんだな」
「長いこと姉ちゃんたちと一緒にいるからな。女はそういうのに結構小うるさいんだ」
スタスタと人の間をすり抜けるように歩いて行く八尋。ごった返す市のなかなのに、その足が戸惑い止まることはない。
「アンタのことだから、どうせそういう贈り物を一度もしたことないんだろ」
図星。
「せっかくだから、オレがしっかり見繕ってやるよ。それで嫁を喜ばせてやれ」
――もちろん、その分の礼も奢ってもらうからな。
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