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第3話 ヴィッセルハルト公爵家。
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ヴィッセルハルト公爵家。
リーナが斡旋されたのは、郊外にある、その大きな屋敷だった。
ヴィッセルハルト公爵家は、前の勤め先であったイルゼンド伯爵家とも親交がある。その縁なのかどうかは知らないが、伯爵家で解雇されたメイドがいたら、こちらに紹介してほしい。
そう、斡旋所に依頼していたというのだ。
それも、若いメイドがいたらという条件だったらしい。職種は特に問わないという。
(なんの意味があるのかしら)
とりあえず雇い先が見つかってホッとするものの、やはり、どこか落ち着かない。
イルゼンド伯爵家の内情を知りたいとでもいうのだろうか。
でも、それなら女性、しかも若い女中に限らなくてもいいような気がする。
(あ、もしかして……)
伯爵家で聞いた噂を思い出す。
(確か、お嬢さまのお相手に、公爵家のご嫡男がいたような……)
イルゼンド伯爵の愛娘、マルスリーヌの結婚相手の候補として、公爵家の嫡男の名が上がっていた。お嬢さまより5つ年上の、確か23歳ぐらいで、名前は……。
(うーん。なんだったかしら)
仕事に忙殺されていたリーナが、お嬢さまの相手のことなど詳しく知るはずもなかった。お嬢さまとは同い年ではあるものの、接点などない台所女中だったのだから。ジャガイモの皮をむきながら、皿を洗いながら。同僚との会話のなかで、お嬢さまを知るだけだ。台所で、一日のほとんどを過ごすリーナは、お嬢さまにお会いしたことすらない。
そんな自分を雇い入れて、公爵家はどうするつもりなのだろう。
表に出てこない、お嬢さまのウワサを知りたいのだろうか。公爵家の妻にふさわしい女性かどうか知るために、内情を探っているとか。もしかして、お嬢さまと同じ年頃の女中メイドなら、お嬢さまについて知っているだろうとふんでいるのだろうか。
もし、そういうことならば自分を雇うのは、ハズレということになる。
(だって、私、お嬢さまの容姿ぐらいしか知らないもの)
あと、猫嫌いってことぐらいかしらね。
フフッと軽く笑って、屋敷へと続く道を歩く。
相手にどんな思惑があるにせよ、雇ってくれるのはありがたい。
森の奥、屋敷へとつながる一本道を、軽い緊張をこめた足取りで、リーナは歩いて行った。
「ようこそ、リーナ・アシュトリー」
呼び鈴を鳴らしたリーナを出迎えてくれたのは、白髪を丁寧になでつけた、初老の男性だった。
身なりからして、執事……らしいが。
(えっ⁉ 執事が出迎えてくださるの?)
軽く混乱をきたす。
自分が鳴らしたのは、使用人用のドアで、間違っても主人用ではない。普通、このドアから顔を出すなら、小姓か、メイドなのに。
「斡旋所から連絡を受けています。さあ、こちらにどうぞ」
まるで上質の客人を受け入れるように、サッと行く先を手で示される。
その仕草といい、扱いといい、なんだか落ち着かない。
執事に通されたのは、彼の執務室なのだろうか。丁寧な作りの落ち着いた雰囲気の空間だった。
「さあ、こちらに」
勧められた椅子に腰を下ろすと、開いたままのドアから、もう一人、今度は女性が入ってきた。
こちらもいくぶんか白髪が混じっているものの、丁寧に髪を一つにまとめ上げた女性だった。おそらく執事バトラーよりは若い。並んで座られると、少し年の離れた、品のいい老夫婦に見えなくもない。
「遠いところ、ようこそミス・アシュトリー」
柔らかな声で呼びかけられる。
「私は、この屋敷の家政婦頭、アマリエ・バートンと申します」
「あっ、はいっ!!」
思わず、声が上ずる。
「そして、こちらが執事のセドリック・アルフォード」
「よっ、よろしくお願いいたしますっ!!」
「大丈夫よ、ミス・アシュトリー。そんなに気負わなくても」
勢い込んで挨拶すると、二人が軽く微笑んだ。
そんなこと言われても、とリーナは思う。
普通、執事と家政婦頭がこんな台所女中に顔を合わせてくれるなんて滅多にない。せいぜい、片方か、もしくは料理長と台所女中頭が、うざったそうに顔を合わせてくれるだけだ。
それなのに。
緊張するなっていうほうが無理な話だと思う。
「この屋敷のことは、斡旋所で聞いているかしら?」
「あ、はい。少しは」
「そう。それなら話は早いわ」
ミセス・バートンがニッコリと笑う。
「このお屋敷に住まわれているのは、ヴィッセルハルト公爵家の嫡男、クラウドさまだけです。他のご家族の方、クラウドさまのご両親は別のお屋敷に住まわれています」
「はい」
「クラウドさまがこのお屋敷にお一人で住まわれているのには理由があるのですが、ここではそのお話はいたしません」
「はい」
どういう事情で家族のもとを離れているのか。気にならないと言えば嘘になるが、興味本位で尋ねて、いきなりクビにもなりたくないので、黙っておいた。
そして。
(お嬢さまのお相手って、クラウドさまってお名前だったのね)
知らなかった情報を、一つ得る。
「まあ、そのような事情から、この屋敷に仕える使用人はとても少ないのが実状です。なので、ミス・アシュトリー、アナタにもメイドとして様々な仕事を請け負ってもらいます」
「えっ⁉」
それは、斡旋所で聞いていない。
「台所女中としてだけでなく、洗濯女中、家女中、客間女中。ようは雑役女中に近い扱いとなりますが。それでも、よろしいですか?」
それは、つまり、伯爵家のように一日中台所にこもっていなくてもいい代わりに、どんな仕事でもこなせないといけないという……?
(まさか、こんな大きなお屋敷で?)
玄関を鳴らす直前に見上げた、屋敷全体を思い出す。
一人しか住んでいないというわりに、家族住まいだった伯爵家と同じくらいに大きい。これだけで、「公爵家の屋敷だ」と言われても頷いてしまう。そんな大きさなのに。
いったい、どれだけの仕事の忙しさなのか。
台所以外、仕事をしたことのないリーナには見当もつかない。
「出来ますか? ミス・アシュトリー」
「えっ? あっ、はいっ!!」
たとえ、どこでどんな仕事であろうと、行く当てのないリーナには、ここで頑張るしか生きる道はなかった。
どんなに忙しくても、なにがあってもここで働くしかない。
「よろしくお願いしますっ!!」
大げさなまでに、リーナは二人に頭を下げた。
リーナが斡旋されたのは、郊外にある、その大きな屋敷だった。
ヴィッセルハルト公爵家は、前の勤め先であったイルゼンド伯爵家とも親交がある。その縁なのかどうかは知らないが、伯爵家で解雇されたメイドがいたら、こちらに紹介してほしい。
そう、斡旋所に依頼していたというのだ。
それも、若いメイドがいたらという条件だったらしい。職種は特に問わないという。
(なんの意味があるのかしら)
とりあえず雇い先が見つかってホッとするものの、やはり、どこか落ち着かない。
イルゼンド伯爵家の内情を知りたいとでもいうのだろうか。
でも、それなら女性、しかも若い女中に限らなくてもいいような気がする。
(あ、もしかして……)
伯爵家で聞いた噂を思い出す。
(確か、お嬢さまのお相手に、公爵家のご嫡男がいたような……)
イルゼンド伯爵の愛娘、マルスリーヌの結婚相手の候補として、公爵家の嫡男の名が上がっていた。お嬢さまより5つ年上の、確か23歳ぐらいで、名前は……。
(うーん。なんだったかしら)
仕事に忙殺されていたリーナが、お嬢さまの相手のことなど詳しく知るはずもなかった。お嬢さまとは同い年ではあるものの、接点などない台所女中だったのだから。ジャガイモの皮をむきながら、皿を洗いながら。同僚との会話のなかで、お嬢さまを知るだけだ。台所で、一日のほとんどを過ごすリーナは、お嬢さまにお会いしたことすらない。
そんな自分を雇い入れて、公爵家はどうするつもりなのだろう。
表に出てこない、お嬢さまのウワサを知りたいのだろうか。公爵家の妻にふさわしい女性かどうか知るために、内情を探っているとか。もしかして、お嬢さまと同じ年頃の女中メイドなら、お嬢さまについて知っているだろうとふんでいるのだろうか。
もし、そういうことならば自分を雇うのは、ハズレということになる。
(だって、私、お嬢さまの容姿ぐらいしか知らないもの)
あと、猫嫌いってことぐらいかしらね。
フフッと軽く笑って、屋敷へと続く道を歩く。
相手にどんな思惑があるにせよ、雇ってくれるのはありがたい。
森の奥、屋敷へとつながる一本道を、軽い緊張をこめた足取りで、リーナは歩いて行った。
「ようこそ、リーナ・アシュトリー」
呼び鈴を鳴らしたリーナを出迎えてくれたのは、白髪を丁寧になでつけた、初老の男性だった。
身なりからして、執事……らしいが。
(えっ⁉ 執事が出迎えてくださるの?)
軽く混乱をきたす。
自分が鳴らしたのは、使用人用のドアで、間違っても主人用ではない。普通、このドアから顔を出すなら、小姓か、メイドなのに。
「斡旋所から連絡を受けています。さあ、こちらにどうぞ」
まるで上質の客人を受け入れるように、サッと行く先を手で示される。
その仕草といい、扱いといい、なんだか落ち着かない。
執事に通されたのは、彼の執務室なのだろうか。丁寧な作りの落ち着いた雰囲気の空間だった。
「さあ、こちらに」
勧められた椅子に腰を下ろすと、開いたままのドアから、もう一人、今度は女性が入ってきた。
こちらもいくぶんか白髪が混じっているものの、丁寧に髪を一つにまとめ上げた女性だった。おそらく執事バトラーよりは若い。並んで座られると、少し年の離れた、品のいい老夫婦に見えなくもない。
「遠いところ、ようこそミス・アシュトリー」
柔らかな声で呼びかけられる。
「私は、この屋敷の家政婦頭、アマリエ・バートンと申します」
「あっ、はいっ!!」
思わず、声が上ずる。
「そして、こちらが執事のセドリック・アルフォード」
「よっ、よろしくお願いいたしますっ!!」
「大丈夫よ、ミス・アシュトリー。そんなに気負わなくても」
勢い込んで挨拶すると、二人が軽く微笑んだ。
そんなこと言われても、とリーナは思う。
普通、執事と家政婦頭がこんな台所女中に顔を合わせてくれるなんて滅多にない。せいぜい、片方か、もしくは料理長と台所女中頭が、うざったそうに顔を合わせてくれるだけだ。
それなのに。
緊張するなっていうほうが無理な話だと思う。
「この屋敷のことは、斡旋所で聞いているかしら?」
「あ、はい。少しは」
「そう。それなら話は早いわ」
ミセス・バートンがニッコリと笑う。
「このお屋敷に住まわれているのは、ヴィッセルハルト公爵家の嫡男、クラウドさまだけです。他のご家族の方、クラウドさまのご両親は別のお屋敷に住まわれています」
「はい」
「クラウドさまがこのお屋敷にお一人で住まわれているのには理由があるのですが、ここではそのお話はいたしません」
「はい」
どういう事情で家族のもとを離れているのか。気にならないと言えば嘘になるが、興味本位で尋ねて、いきなりクビにもなりたくないので、黙っておいた。
そして。
(お嬢さまのお相手って、クラウドさまってお名前だったのね)
知らなかった情報を、一つ得る。
「まあ、そのような事情から、この屋敷に仕える使用人はとても少ないのが実状です。なので、ミス・アシュトリー、アナタにもメイドとして様々な仕事を請け負ってもらいます」
「えっ⁉」
それは、斡旋所で聞いていない。
「台所女中としてだけでなく、洗濯女中、家女中、客間女中。ようは雑役女中に近い扱いとなりますが。それでも、よろしいですか?」
それは、つまり、伯爵家のように一日中台所にこもっていなくてもいい代わりに、どんな仕事でもこなせないといけないという……?
(まさか、こんな大きなお屋敷で?)
玄関を鳴らす直前に見上げた、屋敷全体を思い出す。
一人しか住んでいないというわりに、家族住まいだった伯爵家と同じくらいに大きい。これだけで、「公爵家の屋敷だ」と言われても頷いてしまう。そんな大きさなのに。
いったい、どれだけの仕事の忙しさなのか。
台所以外、仕事をしたことのないリーナには見当もつかない。
「出来ますか? ミス・アシュトリー」
「えっ? あっ、はいっ!!」
たとえ、どこでどんな仕事であろうと、行く当てのないリーナには、ここで頑張るしか生きる道はなかった。
どんなに忙しくても、なにがあってもここで働くしかない。
「よろしくお願いしますっ!!」
大げさなまでに、リーナは二人に頭を下げた。
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