機姫想杼織相愛 ~機織り姫は、想いを杼に、相愛を織る~

若松だんご

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巻の四、後宮女儒、恐るべし

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 カタン。キィ――、パタン。
 カタン。キィ――、パタン。

 規則正しい音が、室に響く。

 カタン。キィ――、パタン。
 カタン。キィ――、パタン。

 機を織る音だ。
 糸を巻き付けた杼を通し、また踏木を踏んで、二枚ある経糸を上下させる。そしてまた杼を通して、おさを打ち込み緯糸を均す。
 それを繰り返す。
 何度も、なんども。
 繰り返すことで、糸でしかなかったものが、布になっていく。
 白いしろい、まっさらな絹布。

 ハアッ……。

 機織りの音に紛れ、いや、それよりも大きなため息がした。これみよがしに、わたしに伝わるように吐き出されたため息。
 面倒くさいので、無視して機織りを続けてたんだけど。

 ワアッ!

 今度は、室の外から、人々の歓声が響いてきた。「ワアッ!」じゃないな。「ウオォォッ!」っていうか、なんていうか。大きな獣の唸り声みたいな、地を揺するような歓声。
 それを聞いてか、もう一回、盛大に吐き出された「ハアッ……」。
 わかってる。わかってるから、それ以上ため息つかないで。

 「こんな日にまで……」

 黙って無視してたら、ため息じゃなく愚痴が飛んできた。
 愚痴の主は、鈴芳リンファン
 
 「いいじゃない。好きにしてていいって言ったのは、ルー……陛下ご自身よ」

 陰陽の乙女認定されたわたし。
 自分の魔力を維持するため、乙女が必要だと言った如飛ルーフェイ
 強引に自身の後宮、瑠璃宮るりきゅうに住まわせたものの、それ以上はなにもしないし、なにもしなくていいと言ってた。
 如飛ルーフェイの皇帝即位。
 先帝だった彼の父が亡くなって、もう三年。
 本来なら、皇太子だった如飛ルーフェイがすぐに即位となってもよかったのだけど、彼には、扶けとなる〝陰陽の乙女〟が不在だったため、即位は見送られた状態だった。
 それがこうして、わたしという乙女を見つけたものだから。

 ――すぐに即位というわけにはいかぬが、とりあえず今日は、含元殿で文武百官に皇帝として謁見する。

 のだそうで。
 即位の儀式じゃない、ただの謁見だけど、実際はそれが即位の儀みたいなもの。即位自体は、後々としても、今日から如飛ルーフェイは、皇帝としてこの国を統治する。
 陰陽の乙女がそろってようやく即位となるなら、わたしも(一応は)乙女なんだし、今日の謁見も出席したほうがいいの? そう思ったけど、答えは、「否」だった。
 別に、今日は出席しなくていいって。即位のときは出席絶対だけど、今日のところはいいって。だって、正式な即位じゃない、まら皇帝(仮)だからって。
 今朝届けられた機と糸。
 部屋にこもって、機織りしててもいいって、言われてんだもん。
 皇帝自らの許可よ? それに文句があるっての?

 「それは存じてますけど……」

 知ってても、納得がいくとは限らない。
 機の隣に立つ鈴芳リンファンの顔は、「不満! イライラ!」だった。

 (まあ、そうもなるか……)

 室のなか、デデドンな寝台に負けず、ドドデンと居座る機。
 ここで暮らせと言った如飛ルーフェイが、わたしのために用意してくれた、真新しい機。高い上屋を持ち、腰掛けて織れる高機は、その大きさ高さともに、天蓋付きの寝台と存在感を競い合ってる。

 ――こんなの欲しがる姫なんて、初めてです!
 ――普通は、キレイな衣とか、宝石とかでしょう? 衣じゃなくて、布織るほうを欲しがるなんて、どうかしてます!

 機が運び込まれた時、そう言って憤慨した鈴芳リンファン
 彼女は、新しく即位する皇帝のご寵姫のために抜擢されたとかで、後宮の女性のお世話をすることを誇らしく思っていた。
 なのに。

 (来たのが、ただの機織り女じゃねえ)

 鈴芳リンファンの言いたいことはわかる。
 後宮の女性をお世話する。
 それは、後宮にいるご寵姫の身だしなみを整えたりすること。皇帝の寵愛がより深くなるようにお手伝いすること。それだけじゃないんだ。

 ――私に下がれと命じられるのだから、お二人だけで閨事を楽しまれるのかと思いましたのに。

 つ~ま~り~は~。
 普通、皇族なんて身分の高い男性は、女性とそういうことをする時、女性の性感を高めたりといった、いわゆる〝前戯〟を行わない。そういうのは、寵姫に仕えてる女儒の仕事なんだそうで。
 鈴芳リンファンがわたしにそういうことをして、その上で、陛下の気分が高まるように、そっちにもご奉仕して……というのが、普通なんだとか。(だから、あの時、部屋の隅に控えてた。わたしに奉仕するために)
 それなのに、室に入ってくるなり陛下が「下がれ」なんて命じたから、てっきり陛下ご自身がわたしに前戯をアレコレする。いやあ、愛されてるなこの姫は、と思ったんだとか。

 (アレコレされてたまるかっ!)

 わたしは、ここにいろと言われたからここにいるだけ! 機織りなりなんなり、好きにしてていいと言われたから、好きにしてるだけ!
 というか、鈴芳リンファンの仕事内容、怖い。
 身の回りの世話だけなら、「まあ、後宮だし? そういう寵姫にお仕えするって子がいてもおかしくないよね」だったけど、そっちの世話、奉仕もあるとなったら、「冗談じゃない!」。閨事がどんなものか具体的には知らないけど、そういう奉仕をされるって、なんか怖い。

 「ねえ、鈴芳リンファン

 杼を通す手を止めず話しかける。

 「ここですることないなら、自分の室で休んできたら?」

 そこに突っ立ったたれたって、気になるだけだし。
 見張ってなくても、わたしなら、ここでずっと機織りしてるだけだし。やることないなら、休んでてもらって構わない。
 というか、ため息つかれるぐらいなら、そばにいてほしくない。
 皇帝が来る前に風呂入れ、身ぎれいにしろってのなら、自分でやるし。やれるし。やらせてほしい。
 機織りに話し相手も必要ないし。
 だから。

 「そうはいきません」

 鈴芳リンファンが言った。

 「私がいなかったら、誰が訪問者の対応するんですか」

 「それぐらい、わた――」
 「まさか、里珠リジュさま自ら、応対なさいませんよね?」

 うぐ。
 応対なさるつもり満々でしたよ。
 だって、家にいた時は、普通に自分で誰かに会ってたし。

 「里珠リジュさまは、陛下の陰陽の乙女、ご寵姫なんですから。そういったことは、絶対に・・・なさらないでくださいまし。ご尊顔を、軽々しく見せてはいけません。陛下の沽券にも関わることです」

 うぐぐ。
 鈴芳リンファン、厳しい。
 ってか、陛下の沽券ってなに? わたしの行動が、あの如飛ルーフェイの威信に関わるなんて。馬鹿げてる気はするけど、それがここでは普通なことなんだろう。
 郷に入っては、郷に従え。
 仕方ないので、鈴芳リンファンの言うことに従う。けど。

 (だったら、そのムスって顔で立たないでよ!)

 気になっちゃうじゃないの!

 ――機を織る時は、心をざわめかせてはいけない。
 ――織りあがった布は、織り手の心を映す鏡のようなもの。

 そう、師でもあるお祖母ちゃんから言われてきたのに。機から顔を上げるたびに見える「ムスっ」に、心が落ち着かない。

 (ダメだ。こんなの)

 杼を持つ手を止める。
 こんな状態で織ったって、いい布が出来上がるはずがない。
 贈られた機と糸の良し悪しを確かめるための機織りだったのだけど。

 (やーめた!)

 もうちょっと気分いい時に挑戦しよう。そうしよう。

 ――バタバタバタ。

 機織りをやめたことで、静かになった室に、違う音が響く。
 いや。

 「るぅ~りぃ~ひぃ~さぁ~まぁ~」

 バタバタというよりは、ドタドタ。悲鳴のような、喘ぎ声のような、誰かが誰かを呼ぶ声。
 るぅ~りぃ~ひぃ~さぁ~まぁ~。
 そっか。
 瑠璃妃さま。つまりは、わたしのことを呼んでる声か、あれは。
 室の扉を開けに動いた鈴芳リンファンの姿で、そのことに気づいた。
 自分が〝瑠璃妃〟って呼ばれ慣れてないのと、その呼び声に「ヒィヒィ」と悲鳴のような喘ぎ声が混じってるせいで、自分が呼ばれてるってことと繋がらなかった。

 「るっ、るりっ、ひっ、さまっ……」

 開けられた扉から、転げるように入室してきたのは、初めてここに来た時に案内してくれた宦官、皎月ジャオユェさん。
 これでもわたし、一応、陛下の寵姫なんだけど。そのわたしの部屋に入ってきてもなお、苦しそうに喘ぐような息をくり返してる。どれだけ向こうから走ってきたのだか。

 「た、大変でございますっ! へ、陛下がっ、瑠璃妃さまに含元殿に参れと、申されておりますっ!」

 「――は?」

 わたしが? 含元殿に?

 「どうして?」

 「そ、それはわたくしめにも、わからっ……」

 ゼイゼイ。ゲホゲホ。
 走り終えても息の苦しそうな皎月ジャオユェさんに、見かねた鈴芳リンファンが、杯に注いだ水を差し出す。
 杯を受け取ると、皎月ジャオユェさんが一気に飲み干した。――どれだけ喉がカラカラだったんだろ。

 「おそらくは、嘉浩ジャーハォ殿に、ご自身の陰陽の乙女である瑠璃妃をご覧じようということではないかと……」

 水を飲んで、少しは滑らかになった舌で、皎月ジャオユェさんが語る。
 けど。

 「嘉浩ジャーハォ殿って、誰?」

 陛下がわたしを見せたいってのなら、それなりの身分か立場のある人物だと思うけど。

 「陛下の叔父君でございますよ」

 まだ息の苦しい皎月ジャオユェさんではなく、鈴芳リンファンが教えてくれた。

 「嘉浩ジャーハォさまは先帝の異母弟君で、長く陛下をお支えしてる方でいらっしゃいます」

 へえ。
 ってことは、自分を扶けてくれる叔父に、「これが俺の嫁じゃあ!」って見せたいと、陛下は思ってるってわけ?
 まあ、わたしは嫁でもなければなんでもない、ここにいるだけの妃だけど。
 やっと見つけた、自分の伴侶(かもしれない女)。「叔父さん、見て、見て!」ってなるのも仕方ない? ないのか、この場合?

 「では、瑠璃妃さま。お支度、始めましょうか」

 なぜか、うれしそうに、ニィっと笑った鈴芳リンファン
 
 「え? ちょっ、まっ……!」

 待って! 待ってよ!
 まだそこに皎月ジャオユェさんがいるってのに、服、脱がせないでっ! せめて、扉を閉めてから始めて!

 「かまいませんよ。皎月ジャオユェさまは宦官ですから」

 宦官だからって、そんな誰かに見られながら着替える趣味はない! 皎月ジャオユェさんがかまわなくても、わたしがかまう!

 「さあさあ、まずはお湯を使って、そのお体を洗いましょうね。皎月ジャオユェさま、お支度、手伝ってくださいますか?」

 「は、はひっ!」

 いや、なんで、皎月ジャオユェさんまで手伝いの頭数に入れるのよ!
 そして、皎月ジャオユェさん! なんでアンタは、鈴芳リンファンみたいな小娘に使われてるのよ!

 「とりあえずは、皎月ジャオユェさま。お湯を運ぶように、下女たちに申し付けてきてください」

 あ。そっちの方向で皎月ジャオユェさんを使うわけね。
 この室、湯船はあるけど、お湯はないし。お湯を持ってくるのに、普段なら鈴芳リンファン自ら下女に命じに行くけど、今はその役目を皎月ジャオユェさんに任せると。
 少しでも早く陛下の所望通り、わたしが含元殿に行くためには、速さを求めるには、走るの苦手な皎月ジャオユェさんでも使ったほうがマシ。
 わかる。
 わかるんだけど。

 (鈴芳リンファンって……)

 必要とあらば、自分の親ほどの年上の男、身分も上だろう男にでも、平気で命令する。そして、走りすぎてゼイゼイ言ってる皎月ジャオユェさんを、さらに走らせようとするなんて。
 鈴芳リンファン、ちょっと怖い。
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