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8.久我くんの欲しいもの
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「――着いたよ。降りて」
サイドブレーキを引いて。エンジンを止めて。
先にシートベルトを外し始めた久我くんが言った。
(え? でもここって……)
外壁に沿うように作られたスロープを上って着いた、普通の立体駐車場。
柱には、AだのBだのアルファベットとともに、バナナだのりんごだののイラストが描かれてる。周囲には、ワンボックスタイプ、家族連れを想定したようなファミリーカーが多い。現に、久我くんの車の前を横切ってくのも、ベビーカー押した若い家族。
「あ、あの、えっと、久我くん、その……」
大人のオモチャを買いに行くんじゃないの?
わたし、そういう目的の買い物だろうって思って、ずっと覚悟を決めて座ってたんだけど。
(ここって、どこからどう見ても、普通のショッピングモールよね?)
都市郊外にある、ショッピングモール。
オモチャ売り場はあるだろうけど、取り扱ってるのは子ども用だろうし。いろんな専門店も入ってるけど、まさかそういうお店までテナントとして入ってる――わけないよね。いくらなんでも。
(こんなところの近くに、そういう店があるとか?)
大人オモチャ店には、駐車場がないから、とりあえずここを利用した――とか?
「向井は、なにか見たい店とかある?」
「えっと……」
あると言えばある。
メイク落としとか、そういうのは仕事帰りのドラッグストアで買ったけど、それ以外、例えば「誰かに見られても問題ないようなブラジャー」とか。そういうのを買いたいなあ、とは思ってる。けど。
(でもそういうお店で買ったら、なぜか乳首だけひょっこり出ちゃうようなブラだったり、アソコの割れ目に沿ってパックリ開けておきましたパンツよね?)
それか、メチャクチャ布面積小さいヤツ。下手をすると、布ではなく、ヒモ。
エッチな気分を高めるにはいいかもだけど、日常使いには不適格なソレ。
自分がほしいのは、金のパンツでも銀のパンツでも、エッチなパンツでもなく、普通の綿百%の廉価ワゴンセールプリント柄でもいいから、ちゃんと隠すべきところを隠してくれるパンツ。
ってか、普通のおパンツブラジャーだったとしても、それを久我くんといっしょに買い物するのは、どうなの?
カップルなら、「俺、こういうブラ着けててほしいな♡」で、「やぁん♡ エッチぃ♡」で、「お前に似合うと思うんだよなあ。脱がせがいもあるし」みたいな、どっか他所でやってくれ、爆散しやがれラブラブお買い物もいいんだろうけど。
(セフレじゃねえ……)
どっちかというと、ヤることが主題なんだから、「は? 下着? ンなもん要らねえよ。ヤりやすいように、中身だけ濡らしておけ」なんじゃないの? そりゃあ、乳首ひょっこりさんブラでも、割れ目パックリパンツでも興奮はしてくれるかもしれないけど。
「じゃあ、今日は、俺の欲しいもの、買いに回ってもいい?」
「いいけど?」
鬼と出るか蛇と出るか。
久我くんの欲しいものってなんだ?
グッと息を飲み、覚悟を決める。
――嫌だったら拒否する権利はわたしにある。
その言葉を、お守り代わりに握りしめて。
*
(――って、え? え?)
ショッピングセンター内、よくあるシンプルな雑貨の店のなかで、一人戸惑う。
(買い物って、欲しいものって、ソレ?)
明るい店内。心地よいBGM。
落ち着いたキレイな陳列棚の前で、久我くんが手に取って吟味を始めたのは――
(食器?)
木製の棚に並べられた、大小いくつかの食器。
白をメインに展開されているそれを、手に取っては、「う~ん」と唸り、ジックリ見て、棚に戻すと、また新しい商品を手に取る。それをくり返してる。
(なんで食器?)
最初はこういう店でも服とか下着も売ってるから、そういうのを買うのかと思った。でも、エッチな下着は、さすがに売ってないし~とも首を傾げたくなってたんだけど。
(食器? なぜに食器?)
ショッピングセンターを駐車場にして、エッチなお店に行くんじゃないの? 欲しいものって、大人のオモチャとかそういうのじゃないの?
(ハッ! まさか、食器でそういうことを?)
なにをどうやったら、そういうことに使えるのか知らないし、想像してみてもサッパリなんだけど。
でも、わざわざ買いに来たってことは、そういうことに使うってことよね?
(にょ、女体盛り――とか?)
他にもワカメ酒とか。
小説とかのエロ知識だけど。
でも、あれは女性の体に料理を盛り付けて食べるってのだよね? ワカメも、閉じた女性の股間に酒を注いで、それを飲むってヤツで(飲みにくそう、こぼしそう)、食器をどうこうするってヤツじゃないし……。
「向井」
「ひゃいっ!」
変な声が出た。おかげで、久我くんが鉢皿を持ったまま、すっごく変な顔をしてる。
「あの、さ。こっちとそっち、どっちがいい?」
へ? なにが?
心臓バクバクさせながらも、一応は落ち着いて、その「どっち」を見る。
久我くんの手にあるのは、1人分のおかずを盛り付けるのに最適そうな鉢皿。白いシンプルな器なので、和食だけじゃなく中華、サラダ、コーンフレークなんかを食べる時にも使えそう。そっちと言われたのも同じような鉢皿。ただしそっちは楕円、オーパル型。楕円という、ちょっと特殊な形だから、盛り付けの腕を試されるような器。だけど。
「ど、どっちでもいいよ! 久我くんの好きな方で!」
うん。
その皿をどう使うか、サッパリなんだから、どっちでも!
どうやって使うか、すっごく気になるけど!
「じゃあ……、俺はこっちかな」
手にしてた丸い方の皿を買い物カゴに入れる。
「でも、こっちも捨てがたいから……。両方にしておくか」
カチャカチャとカゴにインされていく食器。
うう。買うのはいいけど、どう使うのかが、すっごく気になる。
「あ、あの、久我くん」
「ん? なに?」
「そ、それ……」
どう使うの? 訊きたいけど、その一言はなかなか出てこない。
「ああ、こっちのほうがよかった?」
言って、久我くんがまた別の食器を手にする。
(よかったもなにも……)
提案されたのは、茶色い、ちょっとゴツゴツしたような肌の器。和食にピッタリそうな器だけど、恐ろしくセックスにはそぐわない。それをどう使うんだろう。
「やっぱり、和食にはこういう器だよなあ」
「――――へ?」
久我くんの感想に、ものすごく間抜けな声というより音が出た。
和食には? こういう食器? どうゆうこと?
「向井にさ、毎日飯作ってもらってさ。旨いんだけど、なんか違うって思ったんだよな」
カチャカチャとカゴのなかの食器を整理しながら、その和食器も入れていく久我くん。
「やっぱりさ、旨い飯には、それに合う食器がいいなって。――どうした?」
ポカンとしたわたしに、久我くんが不思議そうな顔をした。
「今日、買い物に来たのって……。それを買いに来たの?」
わたしの作ったご飯に相応しい食器を? わざわざ?
「そうだけど?」
答えて、また食器吟味に戻る久我くん。
その答えに、ヘナヘナと座り込みそうになってるわたしには気づいてない。
「俺さ、そんなに自炊してなかったし、食器とかあんまり持ってなかっただろ」
「う、うん」
そこは同意。
久我くんのマンション。
調理器具は、「新生活応援セット」みたいな、基本のキぐらいのものしかなかったし、食器だって「一人暮らし男セット」。茶碗も汁椀も一人分しかない。かろうじて、お皿は二、三枚あったので、それをやりくりして、わたしのご飯を用意してた。カトラリーだって一人分だったから、わたしのお箸は割り箸。茶碗の代わりにお皿、汁椀なかったから、マグカップで対応した。
「だから、これを機会にそろえようかなって思ったんだ。旨い飯なのに、いっしょに食べるヤツの器がチグハグなのはダメだろ」
棚から久我くんが取り出した、お茶碗、汁椀。すべて二個づつ。
「……買い直すの?」
チグハグがダメでも、別にわたしの茶碗、汁椀を買えばいいだけでは? 久我くんはそれまでのを持ってるんだし。
わたしの食器ぐらい、百均で買ってもいいような気がするし。わざわざ、こんなオシャレな雑貨店で買わなくても。
「……学生時代から使ってるやつだから。そろそろ買い直したいって思ってたんだよ」
そうなの?
もったいないような気がするけど。
「他にも買うつもりだけど。向井は、欲しい食器とかあるか?」
「わたし?」
「食器以外にも、調理器具とかでもいいぞ」
えーっと。
言われて、素直に考えてみる。
「あ! それなら、菜箸がもう少し欲しい!」
パッとひらめいたもの。菜箸。
久我くんのキッチンにも一応そろってたけど、一組しかなかった。
(あれ、もう数本あると、スクランブルエッグとか作るのに便利なんだよね)
他にも炒り卵とかそぼろとか。急いでワーッとかき混ぜてダマダマ(?)作るためには、菜箸が何本かあると助かる。
「菜箸、な」
近くの売り場、調理器具売り場へ移動した久我くん。ちょっとキョロキョロしてからお目当てのものを見つける。
「他には?」
他には?
「それじゃあ、あの雪平鍋! あれ欲しい!」
久我くんのキッチンにも普通の片手鍋はある。レトルトとか温めるのに最適そうなサイズの、ステンレス片手鍋。
だけど。
「……家にあるのと、どう違うんだ?」
不思議に思ったようで、手にした雪平鍋を裏返したり、中を覗き込んだりして理由を探る久我くん。
「こっちのが熱伝導がいいの。煮物とかに向いてるのは雪平鍋なのよ」
ついでに言えば、雪平鍋には注ぎ口がついてる。煮汁なんかを注ぐのにも最適な形状。
久我くんが持ってた片手鍋は、パスタを茹でるとかに最適な鍋。雪平鍋と違ってフタもついてるから、味噌汁を作り置きする時とかに適してる。
普通の片手鍋とか、なんならフライパンでも調理はできるけど、それでもやっぱり、煮物には雪平鍋を使いたい。
「ふぅん。じゃあ買うか」
アッサリと購入を決めた久我くん。
「煮物なんてババくさい」、「茶色い料理ばっか作んなよな」とか言われるかと思ったのに。
「向井の作る煮物、旨いんだよなあ」
え?
「あれがもっと旨くなるなら、大歓迎だ」
ウソ。
「……嫌じゃないの?」
「どうして?」
どうしてって。
素で返されても困る。
だって、煮物なんてオシャレじゃないし、ババくさいし。
アイツには、散々けなされて、そのうち全然食べてもらえなくなっていった煮物。「男が肉じゃがにおふくろ味を感じるなんて、ウソだからな」とか、「そんなので男を喜ばせることができるわけねえだろ」とか散々言われた。なのに。
「俺さ、ずっと自炊ってか、コンビニ弁当とか、そういうテキトー飯だったから、向井の料理、すっごくうれしいんだよな」
「うれしい?」
「そ。うれしい。だって、おふくろの味ってかんじのメニュー多いじゃん。そういうの、テッパンかもしれないけど、やっぱうれしいんだよ。男ってヤツは」
そうなんだ。
アイツから否定されたこと、久我くんからは肯定された。
「それに。献立も、栄養のこととか、考えてあるよな?」
「う、うん。一応は」
疲れてるだろう時には疲労回復、ビタミンB1多めの豚肉。いっしょにニラや玉ねぎも採れば、胃液も分泌を促進してくれるので、消化もいい。
ストレスにはビタミンC。目の疲れにはビタミンA。カルシウムを摂取するには、いっしょにビタミンD、イワシやアジを食べるといい。
素人知識の栄養学だけど、一応は気にして、冷蔵庫の食材と相談しながらメニューを考えてる。
「そういうのもひっくるめて、全部うれしい」
「久我くん……」
そっか。
久我くんは、そうなんだ、
「栄養より、味だよ、味!」なんてことは言わないんだ。
「今は、俺、料理なんて全然だから、任せっぱなしだけど。いつかは、俺にも作れるメニュー、教えて欲しい」
「教える?」
覚えるの? 久我くんが?
料理なんて、女のするもの――じゃないの?
「レトルト温めるか、ラーメンしか作ったことないようなヤツにでも作れるようなものから、オネシャス!」
勢いよく、ペコっと頭を下げた久我くん。
ふざけてる。ちょっとどころか、結構ふざけてる。けど。
「わかった。簡単なものから教えるね」
見てるわたし、フフッと笑えるぐらい、気持ちが軽くなった。
サイドブレーキを引いて。エンジンを止めて。
先にシートベルトを外し始めた久我くんが言った。
(え? でもここって……)
外壁に沿うように作られたスロープを上って着いた、普通の立体駐車場。
柱には、AだのBだのアルファベットとともに、バナナだのりんごだののイラストが描かれてる。周囲には、ワンボックスタイプ、家族連れを想定したようなファミリーカーが多い。現に、久我くんの車の前を横切ってくのも、ベビーカー押した若い家族。
「あ、あの、えっと、久我くん、その……」
大人のオモチャを買いに行くんじゃないの?
わたし、そういう目的の買い物だろうって思って、ずっと覚悟を決めて座ってたんだけど。
(ここって、どこからどう見ても、普通のショッピングモールよね?)
都市郊外にある、ショッピングモール。
オモチャ売り場はあるだろうけど、取り扱ってるのは子ども用だろうし。いろんな専門店も入ってるけど、まさかそういうお店までテナントとして入ってる――わけないよね。いくらなんでも。
(こんなところの近くに、そういう店があるとか?)
大人オモチャ店には、駐車場がないから、とりあえずここを利用した――とか?
「向井は、なにか見たい店とかある?」
「えっと……」
あると言えばある。
メイク落としとか、そういうのは仕事帰りのドラッグストアで買ったけど、それ以外、例えば「誰かに見られても問題ないようなブラジャー」とか。そういうのを買いたいなあ、とは思ってる。けど。
(でもそういうお店で買ったら、なぜか乳首だけひょっこり出ちゃうようなブラだったり、アソコの割れ目に沿ってパックリ開けておきましたパンツよね?)
それか、メチャクチャ布面積小さいヤツ。下手をすると、布ではなく、ヒモ。
エッチな気分を高めるにはいいかもだけど、日常使いには不適格なソレ。
自分がほしいのは、金のパンツでも銀のパンツでも、エッチなパンツでもなく、普通の綿百%の廉価ワゴンセールプリント柄でもいいから、ちゃんと隠すべきところを隠してくれるパンツ。
ってか、普通のおパンツブラジャーだったとしても、それを久我くんといっしょに買い物するのは、どうなの?
カップルなら、「俺、こういうブラ着けててほしいな♡」で、「やぁん♡ エッチぃ♡」で、「お前に似合うと思うんだよなあ。脱がせがいもあるし」みたいな、どっか他所でやってくれ、爆散しやがれラブラブお買い物もいいんだろうけど。
(セフレじゃねえ……)
どっちかというと、ヤることが主題なんだから、「は? 下着? ンなもん要らねえよ。ヤりやすいように、中身だけ濡らしておけ」なんじゃないの? そりゃあ、乳首ひょっこりさんブラでも、割れ目パックリパンツでも興奮はしてくれるかもしれないけど。
「じゃあ、今日は、俺の欲しいもの、買いに回ってもいい?」
「いいけど?」
鬼と出るか蛇と出るか。
久我くんの欲しいものってなんだ?
グッと息を飲み、覚悟を決める。
――嫌だったら拒否する権利はわたしにある。
その言葉を、お守り代わりに握りしめて。
*
(――って、え? え?)
ショッピングセンター内、よくあるシンプルな雑貨の店のなかで、一人戸惑う。
(買い物って、欲しいものって、ソレ?)
明るい店内。心地よいBGM。
落ち着いたキレイな陳列棚の前で、久我くんが手に取って吟味を始めたのは――
(食器?)
木製の棚に並べられた、大小いくつかの食器。
白をメインに展開されているそれを、手に取っては、「う~ん」と唸り、ジックリ見て、棚に戻すと、また新しい商品を手に取る。それをくり返してる。
(なんで食器?)
最初はこういう店でも服とか下着も売ってるから、そういうのを買うのかと思った。でも、エッチな下着は、さすがに売ってないし~とも首を傾げたくなってたんだけど。
(食器? なぜに食器?)
ショッピングセンターを駐車場にして、エッチなお店に行くんじゃないの? 欲しいものって、大人のオモチャとかそういうのじゃないの?
(ハッ! まさか、食器でそういうことを?)
なにをどうやったら、そういうことに使えるのか知らないし、想像してみてもサッパリなんだけど。
でも、わざわざ買いに来たってことは、そういうことに使うってことよね?
(にょ、女体盛り――とか?)
他にもワカメ酒とか。
小説とかのエロ知識だけど。
でも、あれは女性の体に料理を盛り付けて食べるってのだよね? ワカメも、閉じた女性の股間に酒を注いで、それを飲むってヤツで(飲みにくそう、こぼしそう)、食器をどうこうするってヤツじゃないし……。
「向井」
「ひゃいっ!」
変な声が出た。おかげで、久我くんが鉢皿を持ったまま、すっごく変な顔をしてる。
「あの、さ。こっちとそっち、どっちがいい?」
へ? なにが?
心臓バクバクさせながらも、一応は落ち着いて、その「どっち」を見る。
久我くんの手にあるのは、1人分のおかずを盛り付けるのに最適そうな鉢皿。白いシンプルな器なので、和食だけじゃなく中華、サラダ、コーンフレークなんかを食べる時にも使えそう。そっちと言われたのも同じような鉢皿。ただしそっちは楕円、オーパル型。楕円という、ちょっと特殊な形だから、盛り付けの腕を試されるような器。だけど。
「ど、どっちでもいいよ! 久我くんの好きな方で!」
うん。
その皿をどう使うか、サッパリなんだから、どっちでも!
どうやって使うか、すっごく気になるけど!
「じゃあ……、俺はこっちかな」
手にしてた丸い方の皿を買い物カゴに入れる。
「でも、こっちも捨てがたいから……。両方にしておくか」
カチャカチャとカゴにインされていく食器。
うう。買うのはいいけど、どう使うのかが、すっごく気になる。
「あ、あの、久我くん」
「ん? なに?」
「そ、それ……」
どう使うの? 訊きたいけど、その一言はなかなか出てこない。
「ああ、こっちのほうがよかった?」
言って、久我くんがまた別の食器を手にする。
(よかったもなにも……)
提案されたのは、茶色い、ちょっとゴツゴツしたような肌の器。和食にピッタリそうな器だけど、恐ろしくセックスにはそぐわない。それをどう使うんだろう。
「やっぱり、和食にはこういう器だよなあ」
「――――へ?」
久我くんの感想に、ものすごく間抜けな声というより音が出た。
和食には? こういう食器? どうゆうこと?
「向井にさ、毎日飯作ってもらってさ。旨いんだけど、なんか違うって思ったんだよな」
カチャカチャとカゴのなかの食器を整理しながら、その和食器も入れていく久我くん。
「やっぱりさ、旨い飯には、それに合う食器がいいなって。――どうした?」
ポカンとしたわたしに、久我くんが不思議そうな顔をした。
「今日、買い物に来たのって……。それを買いに来たの?」
わたしの作ったご飯に相応しい食器を? わざわざ?
「そうだけど?」
答えて、また食器吟味に戻る久我くん。
その答えに、ヘナヘナと座り込みそうになってるわたしには気づいてない。
「俺さ、そんなに自炊してなかったし、食器とかあんまり持ってなかっただろ」
「う、うん」
そこは同意。
久我くんのマンション。
調理器具は、「新生活応援セット」みたいな、基本のキぐらいのものしかなかったし、食器だって「一人暮らし男セット」。茶碗も汁椀も一人分しかない。かろうじて、お皿は二、三枚あったので、それをやりくりして、わたしのご飯を用意してた。カトラリーだって一人分だったから、わたしのお箸は割り箸。茶碗の代わりにお皿、汁椀なかったから、マグカップで対応した。
「だから、これを機会にそろえようかなって思ったんだ。旨い飯なのに、いっしょに食べるヤツの器がチグハグなのはダメだろ」
棚から久我くんが取り出した、お茶碗、汁椀。すべて二個づつ。
「……買い直すの?」
チグハグがダメでも、別にわたしの茶碗、汁椀を買えばいいだけでは? 久我くんはそれまでのを持ってるんだし。
わたしの食器ぐらい、百均で買ってもいいような気がするし。わざわざ、こんなオシャレな雑貨店で買わなくても。
「……学生時代から使ってるやつだから。そろそろ買い直したいって思ってたんだよ」
そうなの?
もったいないような気がするけど。
「他にも買うつもりだけど。向井は、欲しい食器とかあるか?」
「わたし?」
「食器以外にも、調理器具とかでもいいぞ」
えーっと。
言われて、素直に考えてみる。
「あ! それなら、菜箸がもう少し欲しい!」
パッとひらめいたもの。菜箸。
久我くんのキッチンにも一応そろってたけど、一組しかなかった。
(あれ、もう数本あると、スクランブルエッグとか作るのに便利なんだよね)
他にも炒り卵とかそぼろとか。急いでワーッとかき混ぜてダマダマ(?)作るためには、菜箸が何本かあると助かる。
「菜箸、な」
近くの売り場、調理器具売り場へ移動した久我くん。ちょっとキョロキョロしてからお目当てのものを見つける。
「他には?」
他には?
「それじゃあ、あの雪平鍋! あれ欲しい!」
久我くんのキッチンにも普通の片手鍋はある。レトルトとか温めるのに最適そうなサイズの、ステンレス片手鍋。
だけど。
「……家にあるのと、どう違うんだ?」
不思議に思ったようで、手にした雪平鍋を裏返したり、中を覗き込んだりして理由を探る久我くん。
「こっちのが熱伝導がいいの。煮物とかに向いてるのは雪平鍋なのよ」
ついでに言えば、雪平鍋には注ぎ口がついてる。煮汁なんかを注ぐのにも最適な形状。
久我くんが持ってた片手鍋は、パスタを茹でるとかに最適な鍋。雪平鍋と違ってフタもついてるから、味噌汁を作り置きする時とかに適してる。
普通の片手鍋とか、なんならフライパンでも調理はできるけど、それでもやっぱり、煮物には雪平鍋を使いたい。
「ふぅん。じゃあ買うか」
アッサリと購入を決めた久我くん。
「煮物なんてババくさい」、「茶色い料理ばっか作んなよな」とか言われるかと思ったのに。
「向井の作る煮物、旨いんだよなあ」
え?
「あれがもっと旨くなるなら、大歓迎だ」
ウソ。
「……嫌じゃないの?」
「どうして?」
どうしてって。
素で返されても困る。
だって、煮物なんてオシャレじゃないし、ババくさいし。
アイツには、散々けなされて、そのうち全然食べてもらえなくなっていった煮物。「男が肉じゃがにおふくろ味を感じるなんて、ウソだからな」とか、「そんなので男を喜ばせることができるわけねえだろ」とか散々言われた。なのに。
「俺さ、ずっと自炊ってか、コンビニ弁当とか、そういうテキトー飯だったから、向井の料理、すっごくうれしいんだよな」
「うれしい?」
「そ。うれしい。だって、おふくろの味ってかんじのメニュー多いじゃん。そういうの、テッパンかもしれないけど、やっぱうれしいんだよ。男ってヤツは」
そうなんだ。
アイツから否定されたこと、久我くんからは肯定された。
「それに。献立も、栄養のこととか、考えてあるよな?」
「う、うん。一応は」
疲れてるだろう時には疲労回復、ビタミンB1多めの豚肉。いっしょにニラや玉ねぎも採れば、胃液も分泌を促進してくれるので、消化もいい。
ストレスにはビタミンC。目の疲れにはビタミンA。カルシウムを摂取するには、いっしょにビタミンD、イワシやアジを食べるといい。
素人知識の栄養学だけど、一応は気にして、冷蔵庫の食材と相談しながらメニューを考えてる。
「そういうのもひっくるめて、全部うれしい」
「久我くん……」
そっか。
久我くんは、そうなんだ、
「栄養より、味だよ、味!」なんてことは言わないんだ。
「今は、俺、料理なんて全然だから、任せっぱなしだけど。いつかは、俺にも作れるメニュー、教えて欲しい」
「教える?」
覚えるの? 久我くんが?
料理なんて、女のするもの――じゃないの?
「レトルト温めるか、ラーメンしか作ったことないようなヤツにでも作れるようなものから、オネシャス!」
勢いよく、ペコっと頭を下げた久我くん。
ふざけてる。ちょっとどころか、結構ふざけてる。けど。
「わかった。簡単なものから教えるね」
見てるわたし、フフッと笑えるぐらい、気持ちが軽くなった。
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