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2.距離ナシディスタンス
(三)
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ピッ。ピッ。
無機質な機械音。
オレの手元でだって、同じ音がしているのに。
ピッ。ピッ。ピピピピピッ。
(あ、ミスったな)
音で、今何しているか、さっきの音はなんの音なのか。聞き分けられるぐらい、オレの耳が異様に音を拾う。
あたりには、うるさいぐらい有線の音楽と、人のざわめきがあるっていうのに。
今のは――、どうせ、バーコードを読もうとして、隣のQRコードでも読んじまったか。商品次第なんだけど、時折、バーコード脇に商品説明のQRもついてたりして、たまにそっちを拾う悲しい(というか、ムカつく)事故がある。QRを読むと、エラーとして警告音が鳴る。
「以上15点で、七千三百七十二円です」
これだけうるさいのに、なぜかその声だけは、音をかき分けるようにして、オレの耳に入ってくる。
(声も厚かましいのか)
俺を、俺の、俺が話す声を聞いて!
そんなわけないのに、ふと、そんなことを思う。
こんなに騒がしいのに、隣のレジで接客するアイツの声だけが、耳に届く。
教育係として、気にかけているから? そういうことにしておく。
「じゃ、お米、あっちに運びますね!」
そんな声も聴こえ、アイツが、お客のお米(おそらく十キロ)を担いだのが見えた。
アイツが接客していたのは、初老の女性。米、運んでやるのも正解だけど。その女性、カートを押してるから、そのカートに載せてやるほうが親切だぞ。サッカー台に置いたら、カートに載せるっていう力仕事がお客に残るじゃねえか。
アイツに仕事のノウハウを教える立場の者として、そのへんを伝えてやりたいけど、今は、オレも接客中。叫んで教えるわけにもいかないし、淡々と自分の仕事だけをこなす。
「あ、そのカートに置いたほうがいいっすか?」
サッカー台に運び始め、そこで、お米置きの正解を見つけたらしい。アイツが立ち止まり、カートを押すお客様にふり返る。
「ありがとね」
カートにお米を下ろすだけじゃない。レジに残っていた会計済みのカゴをサッカー台に運ぶ。
重いもの二つを運んだアイツに、お客様が目を細める。
「いえ。ありがとうございました!」
ブンって音がしそうな勢いで、アイツが頭を下げる。
「以上、15点で、三千二十八円です」
おっと。
アイツのことばかり見てられない。オレだって、キチンとレジをこなさなくては。後輩を気にかけすぎて、オレが仕事を完璧にこなせなくなってたら、シャレにもならない。
「クレジット、一括で」
「はい。では、タッチか差し込みでお願いいたします」
軽く手で機械を案内しながら、顔を上げる。
(あっ)
目の前に立つお客の肩越し、レジに戻って来るアイツと、なぜか目があった。それもバッチリ。
――先輩、オレ、どうですか?
そんな言葉を多分に含んだアイツの視線。
無視しようか。それとも「よくやった」と頷いてやろうか。
ピーッ。
悩むオレを「仕事しろ」と叱りつけるように、お客様の置いたクレジットの機械が音を立てる。
「ありがとうございます。では、一括で処理させていただきます」
アイツの視線に答えることなく、自分の仕事に戻る。
そうだ。
アイツがちゃんと仕事出来たからって、オレがいちいち褒める必要はないんだ。
「では、こちらレシートとなります。ありがとうございました」
吐き出されたレシートをお客様に渡し、深々と頭を下げる。
そうだ。
オレはオレの仕事をするだけ。アイツがちゃんと出来てたって、それが当たり前なのが、レジ作業ってもんなんだから、一々褒める必要はない。
オレだって、ここでバイト始めた頃は、同じように先輩がそばについてたけど、「よくやってるな」とか言われたことなかったし。ってか、そもそも、そこまで親しくもならなかったし。
アイツが人懐こいせいで、距離がバグってる感じになってるけど。
オレはオレの仕事をする。アイツはアイツの仕事をする。
「いらっしゃいませ」
新しく来た客のカゴを受け取る。
アイツがキチンと接客出来てりゃ、それでいいじゃないか。
気にかけてやる必要もない。
キチンと出来てりゃ、アイツの独り立ちも早いだろうし、オレが面倒を見るって目的で、ワンセットにされることもなくなる。
いいことずくめだ。
そう思うのに。
ピッ。ピッ。ピッ。
アイツの鳴らす機械音。その音を、耳が必死に拾い上げ続ける。
*
「お疲れ様で~す」
「お疲れ~」
バイトも終わって、ロッカーで、同じくバイト上がりの氷鷹と声を掛け合う。
事務所隣に併設されたロッカー。男女それぞれ用意されているが、スーパーなんて、圧倒的女子の職場だからか、同じように仕事上がりの人と被ることなく、ロッカールームは暗く閑散としていた。反対に、壁一枚向こうにある女性のロッカールームは、オバチャン独特の話し声と、バタンバタンとロッカーを開ける音で、かなりかしましい。
ロッカールームで着替える――といっても、そう大したことをするわけじゃない。
この後は、ただ帰るだけだから、お仕着せのエプロンを自分のロッカーに放り込んで、代わりに薄いパーカーを羽織る。それで終わり。後は、大学から直行したせいで、教科書やノートの詰まったカバンを肩にかけるだけ。
「佐波くん、ちょっと」
特に言葉を交わすこともなくロッカーを出たオレと氷鷹。事務所でパソコン作業をしていた店長が、チョイチョイと手招きで、オレだけを呼び止める。
「じゃあ、佐波先輩」
「おう。またな」
普通に。普通に氷鷹と挨拶を交わし、先に帰るだろうヤツと別れる。別に、いっしょにロッカーを使ったからって、いっしょに帰らなきゃいけないわけじゃないし。
「――彼、どんな感じ?」
その氷鷹が出ていってしばらくして。声をひそめた店長が、なぜかゲンドウポーズで、机に肘付き、尋ねてくる。
「普通だと思いますけど?」
「独り立ちしてもよさそう?」
「ええ、まあ。今日も問題なく仕事できてましたし」
「そっか」
オレの回答に、店長がゲンドウポースを緩める。
「じゃあ、明日から彼を独り立ちさせてもよさそう?」
「――え?」
明日から? 氷鷹一人で仕事させるのか?
「いやあ、昨日、次長とも話てたんだけどね。今月で猪木さんが産休に入るじゃない。だから、もう一人レジ枠に誰か入れたいなぁってなってさ」
猪木さんっていうのは、オレより5つぐらい年上のパート女性。すでに結婚して、子どもも一人いる。現在妊娠中で、年明けに二人目が生まれる。
「それで、今日も彼の仕事ぶりはチェックしてたんだけど。佐波くんから見ても、彼は一人でやっていけそうかい?」
「まあ……、多分、やれると思いますけど」
「そっか。じゃあ、明日からは別々でシフトを組ませてもらうよ。ちょっと早い気もするが、佐波くんから見ても問題ないのなら、もう独り立ちしてもらおう」
「はい」
オレの評価なんかで、そんな簡単に決めていいのか?
オレはあくまでバイトで、そんな人を評価できるような能力なんてないぞ?
これで、氷鷹が使いものにならなかったら?
氷鷹自身が、「独り立ちしたくないです!」って思ってたら? それを、オレの評価なんかで、突き放すことになったら?
「まあ」とか「多分」とか「思いますけど」をつけたって、アイツの未来を自分が決めたのかと思うと、ズンっと腹が重くなる。本当に、大丈夫なのか、アイツ。
「じゃあ、オレはこれで。お先に失礼します」
「ああ。お疲れ」
オレとの会話は終了。シフトを組むためだろう。再びパソコンに視線をやり、キーボードを叩き始めた店長。軽く挨拶だけ残して、事務所を去る。
「あ、先輩、お疲れっす!」
「……氷鷹」
事務所のそば、駐輪場でなぜか氷鷹がオレに手を振って待っていた。
「どうしてそこに?」「なんで帰ってないんだ?」なんて質問が、グッと喉までせり上がってくる。が。
「お前、明日から、独り立ちだそうだ」
別の言葉が、口をついて出る。
自転車の鍵を開け、スタンドを上げると、自転車をズリズリと引っ張り出す。
「独り立ち?」
キョトンとした氷鷹。
「オレと離れて、別々の仕事を任されるってことだ。猪木さんが産休に入る穴埋めだそうだ」
「ああ、あのお腹の大きい人ですね」
一瞬、「猪木? ダレソレ」って顔した氷鷹が、一人で納得する。
「でもじゃあ、先輩とも仕事時間が別々になっちゃうってことですか?」
「いや、それはない」
仕事の日程は変わらない。ただ、いっしょに仕事するばっかりじゃないってだけ。
「オレは、お前の教育係を卒業するってだけ」
「じゃあ、いっしょにこうやって帰ることはできるんですね?」
「――は?」
「ホラ、せっかくだし、先輩と帰りたかったんですよ」
なにが「せっかく」なんだ? それに。
「お前、歩きじゃん」
オレと同じように学校帰りなのか、大きなリュックを背負っているけど、コイツ、歩きじゃん。自転車のオレといっしょになんて――。
「大丈夫です。俺にはこの足がありますから」
パンパン。
氷鷹が、自分の足を叩いてみせる。けど。
なんとなく、自転車に跨る気になれなかったオレは、荷物だけ前カゴに入れ、自転車を押して歩き出す。
「――先輩?」
一瞬変な顔して、首を傾げた氷鷹だったけど、すぐに、オレと並ぶようにして歩き始めた。もしかしたら、「走るといった自分に遠慮して、先輩が歩き出した」とでも思っているのかもしれない。
まあ、確かに今のオレの行動は、「走ると言った後輩をいたわり、いっしょに歩く優しい先輩」にもとれるからな。
「これでお前も独り立ちだ。これからは、教えたことをシッカリ実行しろ」
「先輩――」
「大丈夫だ。お前なら。店長もお前なら大丈夫だろうってことで、独り立ちを決めてたからな」
オレだけの評価じゃない。店長たちだって、氷鷹なら大丈夫だって判断したんだ。
「独り立ちして。後は、次に入ってくるだろう後輩に教えられるようになれ。次に来る後輩に教えるのは、お前の仕事だからな」
オレがお前に教えたように。次の教育係を氷鷹に委ねる。
「先輩――」
「オレに感謝とかそういうの感じてるっていうのなら、次にお前が教育係として、後輩に教えてやるんだ。それが、オレへの感謝になる」
オレもそうやって、先輩から教えられた。「ありがとう」言うヒマがあるなら、完璧に仕事を覚えて、次に来る(かもしれない)後輩に仕事を教えてやれって。
「先輩、それ、カッコいいっす!」
「――は?」
オレの先輩の受け売りなんだけど?
「いやあ、俺も、そんなこと言ってみたいっす! やっぱ、カッコいいなあ、先輩」
なぜか、陶酔したように氷鷹が目を閉じる。それも、なぜか胸に手を当てて。
「そ、そうか」
その姿を見てられなくて、視線を道路に落とす。日の落ちた道路には、影すらない。外灯のない場所では、前に出す足先すらぼんやりと闇に紛れる。
「先輩。これからもいっしょに帰りましょうね」
横に並んだ氷鷹が言う。
「俺の教育が終わっても。だからって、せっかくの縁を終わらせちゃもったいないですし。俺、これからも先輩とは仲良くしていきたいです」
日か落ちて、暗い道に氷鷹の声が響く。
ようやくやってきた秋。その夕方に吹く風は、昼間と違って、ヒンヤリ冷たい。
その風のなかで。
氷鷹の明るすぎる声に、オレは、「ウン」とも「イヤだ」とも言えず、ただまっすぐ前だけを見て、自転車を押して歩いた。
無機質な機械音。
オレの手元でだって、同じ音がしているのに。
ピッ。ピッ。ピピピピピッ。
(あ、ミスったな)
音で、今何しているか、さっきの音はなんの音なのか。聞き分けられるぐらい、オレの耳が異様に音を拾う。
あたりには、うるさいぐらい有線の音楽と、人のざわめきがあるっていうのに。
今のは――、どうせ、バーコードを読もうとして、隣のQRコードでも読んじまったか。商品次第なんだけど、時折、バーコード脇に商品説明のQRもついてたりして、たまにそっちを拾う悲しい(というか、ムカつく)事故がある。QRを読むと、エラーとして警告音が鳴る。
「以上15点で、七千三百七十二円です」
これだけうるさいのに、なぜかその声だけは、音をかき分けるようにして、オレの耳に入ってくる。
(声も厚かましいのか)
俺を、俺の、俺が話す声を聞いて!
そんなわけないのに、ふと、そんなことを思う。
こんなに騒がしいのに、隣のレジで接客するアイツの声だけが、耳に届く。
教育係として、気にかけているから? そういうことにしておく。
「じゃ、お米、あっちに運びますね!」
そんな声も聴こえ、アイツが、お客のお米(おそらく十キロ)を担いだのが見えた。
アイツが接客していたのは、初老の女性。米、運んでやるのも正解だけど。その女性、カートを押してるから、そのカートに載せてやるほうが親切だぞ。サッカー台に置いたら、カートに載せるっていう力仕事がお客に残るじゃねえか。
アイツに仕事のノウハウを教える立場の者として、そのへんを伝えてやりたいけど、今は、オレも接客中。叫んで教えるわけにもいかないし、淡々と自分の仕事だけをこなす。
「あ、そのカートに置いたほうがいいっすか?」
サッカー台に運び始め、そこで、お米置きの正解を見つけたらしい。アイツが立ち止まり、カートを押すお客様にふり返る。
「ありがとね」
カートにお米を下ろすだけじゃない。レジに残っていた会計済みのカゴをサッカー台に運ぶ。
重いもの二つを運んだアイツに、お客様が目を細める。
「いえ。ありがとうございました!」
ブンって音がしそうな勢いで、アイツが頭を下げる。
「以上、15点で、三千二十八円です」
おっと。
アイツのことばかり見てられない。オレだって、キチンとレジをこなさなくては。後輩を気にかけすぎて、オレが仕事を完璧にこなせなくなってたら、シャレにもならない。
「クレジット、一括で」
「はい。では、タッチか差し込みでお願いいたします」
軽く手で機械を案内しながら、顔を上げる。
(あっ)
目の前に立つお客の肩越し、レジに戻って来るアイツと、なぜか目があった。それもバッチリ。
――先輩、オレ、どうですか?
そんな言葉を多分に含んだアイツの視線。
無視しようか。それとも「よくやった」と頷いてやろうか。
ピーッ。
悩むオレを「仕事しろ」と叱りつけるように、お客様の置いたクレジットの機械が音を立てる。
「ありがとうございます。では、一括で処理させていただきます」
アイツの視線に答えることなく、自分の仕事に戻る。
そうだ。
アイツがちゃんと仕事出来たからって、オレがいちいち褒める必要はないんだ。
「では、こちらレシートとなります。ありがとうございました」
吐き出されたレシートをお客様に渡し、深々と頭を下げる。
そうだ。
オレはオレの仕事をするだけ。アイツがちゃんと出来てたって、それが当たり前なのが、レジ作業ってもんなんだから、一々褒める必要はない。
オレだって、ここでバイト始めた頃は、同じように先輩がそばについてたけど、「よくやってるな」とか言われたことなかったし。ってか、そもそも、そこまで親しくもならなかったし。
アイツが人懐こいせいで、距離がバグってる感じになってるけど。
オレはオレの仕事をする。アイツはアイツの仕事をする。
「いらっしゃいませ」
新しく来た客のカゴを受け取る。
アイツがキチンと接客出来てりゃ、それでいいじゃないか。
気にかけてやる必要もない。
キチンと出来てりゃ、アイツの独り立ちも早いだろうし、オレが面倒を見るって目的で、ワンセットにされることもなくなる。
いいことずくめだ。
そう思うのに。
ピッ。ピッ。ピッ。
アイツの鳴らす機械音。その音を、耳が必死に拾い上げ続ける。
*
「お疲れ様で~す」
「お疲れ~」
バイトも終わって、ロッカーで、同じくバイト上がりの氷鷹と声を掛け合う。
事務所隣に併設されたロッカー。男女それぞれ用意されているが、スーパーなんて、圧倒的女子の職場だからか、同じように仕事上がりの人と被ることなく、ロッカールームは暗く閑散としていた。反対に、壁一枚向こうにある女性のロッカールームは、オバチャン独特の話し声と、バタンバタンとロッカーを開ける音で、かなりかしましい。
ロッカールームで着替える――といっても、そう大したことをするわけじゃない。
この後は、ただ帰るだけだから、お仕着せのエプロンを自分のロッカーに放り込んで、代わりに薄いパーカーを羽織る。それで終わり。後は、大学から直行したせいで、教科書やノートの詰まったカバンを肩にかけるだけ。
「佐波くん、ちょっと」
特に言葉を交わすこともなくロッカーを出たオレと氷鷹。事務所でパソコン作業をしていた店長が、チョイチョイと手招きで、オレだけを呼び止める。
「じゃあ、佐波先輩」
「おう。またな」
普通に。普通に氷鷹と挨拶を交わし、先に帰るだろうヤツと別れる。別に、いっしょにロッカーを使ったからって、いっしょに帰らなきゃいけないわけじゃないし。
「――彼、どんな感じ?」
その氷鷹が出ていってしばらくして。声をひそめた店長が、なぜかゲンドウポーズで、机に肘付き、尋ねてくる。
「普通だと思いますけど?」
「独り立ちしてもよさそう?」
「ええ、まあ。今日も問題なく仕事できてましたし」
「そっか」
オレの回答に、店長がゲンドウポースを緩める。
「じゃあ、明日から彼を独り立ちさせてもよさそう?」
「――え?」
明日から? 氷鷹一人で仕事させるのか?
「いやあ、昨日、次長とも話てたんだけどね。今月で猪木さんが産休に入るじゃない。だから、もう一人レジ枠に誰か入れたいなぁってなってさ」
猪木さんっていうのは、オレより5つぐらい年上のパート女性。すでに結婚して、子どもも一人いる。現在妊娠中で、年明けに二人目が生まれる。
「それで、今日も彼の仕事ぶりはチェックしてたんだけど。佐波くんから見ても、彼は一人でやっていけそうかい?」
「まあ……、多分、やれると思いますけど」
「そっか。じゃあ、明日からは別々でシフトを組ませてもらうよ。ちょっと早い気もするが、佐波くんから見ても問題ないのなら、もう独り立ちしてもらおう」
「はい」
オレの評価なんかで、そんな簡単に決めていいのか?
オレはあくまでバイトで、そんな人を評価できるような能力なんてないぞ?
これで、氷鷹が使いものにならなかったら?
氷鷹自身が、「独り立ちしたくないです!」って思ってたら? それを、オレの評価なんかで、突き放すことになったら?
「まあ」とか「多分」とか「思いますけど」をつけたって、アイツの未来を自分が決めたのかと思うと、ズンっと腹が重くなる。本当に、大丈夫なのか、アイツ。
「じゃあ、オレはこれで。お先に失礼します」
「ああ。お疲れ」
オレとの会話は終了。シフトを組むためだろう。再びパソコンに視線をやり、キーボードを叩き始めた店長。軽く挨拶だけ残して、事務所を去る。
「あ、先輩、お疲れっす!」
「……氷鷹」
事務所のそば、駐輪場でなぜか氷鷹がオレに手を振って待っていた。
「どうしてそこに?」「なんで帰ってないんだ?」なんて質問が、グッと喉までせり上がってくる。が。
「お前、明日から、独り立ちだそうだ」
別の言葉が、口をついて出る。
自転車の鍵を開け、スタンドを上げると、自転車をズリズリと引っ張り出す。
「独り立ち?」
キョトンとした氷鷹。
「オレと離れて、別々の仕事を任されるってことだ。猪木さんが産休に入る穴埋めだそうだ」
「ああ、あのお腹の大きい人ですね」
一瞬、「猪木? ダレソレ」って顔した氷鷹が、一人で納得する。
「でもじゃあ、先輩とも仕事時間が別々になっちゃうってことですか?」
「いや、それはない」
仕事の日程は変わらない。ただ、いっしょに仕事するばっかりじゃないってだけ。
「オレは、お前の教育係を卒業するってだけ」
「じゃあ、いっしょにこうやって帰ることはできるんですね?」
「――は?」
「ホラ、せっかくだし、先輩と帰りたかったんですよ」
なにが「せっかく」なんだ? それに。
「お前、歩きじゃん」
オレと同じように学校帰りなのか、大きなリュックを背負っているけど、コイツ、歩きじゃん。自転車のオレといっしょになんて――。
「大丈夫です。俺にはこの足がありますから」
パンパン。
氷鷹が、自分の足を叩いてみせる。けど。
なんとなく、自転車に跨る気になれなかったオレは、荷物だけ前カゴに入れ、自転車を押して歩き出す。
「――先輩?」
一瞬変な顔して、首を傾げた氷鷹だったけど、すぐに、オレと並ぶようにして歩き始めた。もしかしたら、「走るといった自分に遠慮して、先輩が歩き出した」とでも思っているのかもしれない。
まあ、確かに今のオレの行動は、「走ると言った後輩をいたわり、いっしょに歩く優しい先輩」にもとれるからな。
「これでお前も独り立ちだ。これからは、教えたことをシッカリ実行しろ」
「先輩――」
「大丈夫だ。お前なら。店長もお前なら大丈夫だろうってことで、独り立ちを決めてたからな」
オレだけの評価じゃない。店長たちだって、氷鷹なら大丈夫だって判断したんだ。
「独り立ちして。後は、次に入ってくるだろう後輩に教えられるようになれ。次に来る後輩に教えるのは、お前の仕事だからな」
オレがお前に教えたように。次の教育係を氷鷹に委ねる。
「先輩――」
「オレに感謝とかそういうの感じてるっていうのなら、次にお前が教育係として、後輩に教えてやるんだ。それが、オレへの感謝になる」
オレもそうやって、先輩から教えられた。「ありがとう」言うヒマがあるなら、完璧に仕事を覚えて、次に来る(かもしれない)後輩に仕事を教えてやれって。
「先輩、それ、カッコいいっす!」
「――は?」
オレの先輩の受け売りなんだけど?
「いやあ、俺も、そんなこと言ってみたいっす! やっぱ、カッコいいなあ、先輩」
なぜか、陶酔したように氷鷹が目を閉じる。それも、なぜか胸に手を当てて。
「そ、そうか」
その姿を見てられなくて、視線を道路に落とす。日の落ちた道路には、影すらない。外灯のない場所では、前に出す足先すらぼんやりと闇に紛れる。
「先輩。これからもいっしょに帰りましょうね」
横に並んだ氷鷹が言う。
「俺の教育が終わっても。だからって、せっかくの縁を終わらせちゃもったいないですし。俺、これからも先輩とは仲良くしていきたいです」
日か落ちて、暗い道に氷鷹の声が響く。
ようやくやってきた秋。その夕方に吹く風は、昼間と違って、ヒンヤリ冷たい。
その風のなかで。
氷鷹の明るすぎる声に、オレは、「ウン」とも「イヤだ」とも言えず、ただまっすぐ前だけを見て、自転車を押して歩いた。
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