いつかともに巡る先まで。

若松だんご

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第四話 あれこれいっぱい持っていたって。

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 「ただいまぁ。ミドリィ」

 ヨイショッと重たげに節子が荷物を玄関に下ろす。紙袋やらビニール袋やら。
 実際重いのだろう。ドスッと床が音を立てた。

 「ごめんねえ、留守番させて」

 別に構わぬ。
 留守番といっても、吾輩は庭に放り出されただけで、この家の中で待っていたわけではない。節子が頼んでいったという、お隣の小林さんちで飯をもらい、庭の木の上で休んでいただけだ。

 ――今回は、京都か。

 置かれた紙袋に描かれていたのは、清水寺と舞妓さんの絵。
 先日、高知へ旅行に行った節子。数日かけて帰ってきたと思ったら、次は鹿児島、その次は長崎。そして今回は京都へと出かけていた。
 
 ――今回も、あの斎藤と出かけたのか?

 旅行の行程は知らない。
 ただ、出かける前に頻繁に斎藤なる人物と連絡を取り合っていた。

 ――年甲斐もなく、若い男と。

 節子ももう七十代半ば。そんな老女が若い男と出かけるなど、はしたないではないか。
 持って帰ってきた土産のほとんどは、ご近所さんに配るものだったらしく、そのほとんどが袋ごと、あっという間に姿を消していった。
 フラフラ出かけ歩く節子を、土産をもらったご近所さんはなんと思うのだろうか。夫を亡くした途端に。若い男と。どんな噂をされているのか、わかったものではない。
 口がきけたなら、「何やっとるんじゃ」と叱って諫めるが、猫の身ではそれもままならない。ニャーニャー鳴いて、その服すそを引っ張れば、少しは引き止められるかもしれないが、そうしたところで、ヒョイッと抱き上げられ、ポイッと小林さんちに預けられるのがオチだろう。
 
 ――昔はもっと落ち着いた女だったのに。

 節子は、家事に勤しむことを良しとする女だった。
 台所に立つだけではない。子どものためにマフラーを編んだり、巾着を繕ったり。家事の合間には、本を読んで静かに過ごすことが多かった。吾輩が出かけている間、テレビも点けずに縁側で本を読んでいた節子の姿を、吾輩は覚えている。
 静かに、静かに。
 その背を少し丸めて、縁側に腰掛けていた節子。
 「美しい」というわけではない。だが、印象に残る佇まいだった。
 そして、その印象が節子を「大人しい女」だと思わせていた。家庭を、家を大事にする女。

 ――ここを離れようか。

 節子を諫めることができぬのであれば。こんな妻を見続けることになるのであれば。
 前世など、「東京一朗」であった時のことなど忘れて、新しい猫生を生きるとするか。今ある記憶も、猫として猫らしく生きてゆけば、この小さな頭からはコロンポロンと抜け落ちていくであろう。
 
 そうだ。それがいい。

 これ以上、記憶にある妻の姿とのギャップに失望する前に。記憶を美しく留め置くために。
 吾輩がここを離れたら、きっとこの座布団は次のゴミの日にでも捨てられてしまうだろう。
 だが、それでいいのだ。

 “あれこれいっぱい持っていたって、全部あの世に持っていくことはできないよ。その体ってこの世に置いていかなきゃいけないんだもの”

 いつだったか、そんな言葉を聞いたことがある。
 京一朗という体すら失くしたのに、座布団一枚執着してどうする。いつまでも、死んで生まれ変わってからも、前世に執着するのは愚かなこと。
 本の代わりにスマホを片手に縁側に腰掛けた節子。ポチ、ポチとゆっくり指を動かす仕草に目をやり、それから座布団からゆっくり立ち上がる。

 ――さらばだ。節子。

 スマホに夢中の節子は、吾輩が立ち上がろうとも、そのままピョンと庭に降りようとも頓と気づかぬ。

 ――さらば。

 わずかな洗濯物が翻った庭。初夏の日ざしを浴びて、葉を濃く色づかせた桜と橘。橘は、白い蕾が大きく膨らんで、花開く時を今か今かと待ちわびている。
 古い生家。開け放たれた縁側に腰掛ける節子。
 一度だけふり返り、ピンと立てた尻尾越しに、その景色を目に焼きつけて歩き出す。
 庭から玄関前、そして門扉へ。
 人ではないが、人であったときと同じように、この家を出る時は、門から堂々と出ていきたい。

 「あれ? 猫じゃん」

 あと一歩で道路に出る。
 そんなところで、吾輩にかかった声。

 「うわ~、ばあちゃん、猫飼ったんだ」

 ――真奈美か。

 伸ばされた手が、吾輩を抱き上げる。Tシャツから伸びる、細くハリのある白い腕。今どきらしい、フワッとパーマをかけた薄茶色の髪。吾輩と節子の孫、真奈美だ。

 「おばあちゃ~ん、いるぅ~?」

 真奈美が声を張り上げ節子を呼ぶ。

 「あれ、真奈美。どうしたん」

 呼びかけからしばらくして、門のところに姿を現した節子。
 吾輩も思った疑問を口にした。

 「ちょっとね。ねえ、しばらくこっちに置いてくれない?」

 「それはええけど……。アンタ、学校は?」

 「休んだ」
 
 休んだ――じゃないだろう。サボったの間違いだろう。
 大学生の真奈美。大学の制度など吾輩は知らぬが、そう簡単にポンポン休めるものではないと認識している。
 軽く「休んだ」と言い放った孫娘に、ムッとした気分になる。京一朗であったならば、「むかしは、勉学に励みたくても進学できない、貧しい人が大勢いたんだぞ」とか説教するのに。
 せめてもの不満表明として、その腕の中からピョンッと地面に飛び降りる。

 「十日、いや、一週間ほどでいいからさ、しばらくこっちに置いて。お願い」

 パンッと手を合わせ、真奈美が節子を拝む。

 「しゃーないねえ。お父さんたちに了解はとってあるんか?」

 「うん。おばあちゃんちならいいって言ってた」

 真奈美が休むこと。息子夫婦も了承しているのか。
 真奈美の脇にある、大きな旅行用スーツケース。真奈美がここを訪れることを息子たちが止めなかった証のように思えた。
 節子と真奈美。並んだ二人が縁側ではなく、玄関から家に入っていく。
 
 出ていくか、それとも一緒に家に戻るか。

 一瞬の逡巡のあと、吾輩は後者を選んだ。
 出ていくことはいつでもできる。
 元夫として、元祖父として。今は、この二人が何かしでかさないか、吾輩は見守る義務がある。もし、このまま真奈美が居着いて大学に行かぬとでも言い出すのなら、その腕に噛みついてでも、引きずってでも家から追い出してやる。
 そう言い聞かせて入った玄関は、日ざしのキツい庭に比べ、ヒンヤリとした空気が漂っていた。
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