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六、風早。 (かざはや。風が強く吹くこと。風の激しい土地)
(二)
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ここにいてはいけない。
何が正しくて、何が間違っているのか。
大后の言う通りにすることが正しいのか。
亡くなった父さまに代わって、わたしが大君を罰するのが正しいのか。亡くなった母さまに代わって、剣の巫女姫となるのが正しいのか。
忍海彦を新たな剣の持ち主として、ともに人の国を治めるのが正しいのか。
ううん。
どれも正しくない。どれも間違ってる。
父さまも母さまも、わたしにそんなことしてほしいって思ってない。
お二人はきっと今でも、わたしが無事であること、幸せであることを願ってる。
かろうじて残った、切れ端のような記憶だけど、やさしかった両親は、わたしに国を治めよだなんて思ってない。
それに。
――忍海彦とともに大君を倒し、二人でこの国を治めよ。
大后の言葉を聞いて以来、ずっとわたしのなかで、何がか叫んでいる。
頭の奥から、心の底から。
「それは違う」と叫び続けている。
忍海彦を選ぶことが間違っているのか。それとも大君を倒すことが間違っているのか。
なにが違うのかわからないけど、ずっと「違う」と叫び続けている。
だから。
(ここにいちゃダメ)
大后の言う通りになってちゃダメ。逃げなくては。
兄さまを思って泣いてるだけじゃダメ。逃げなくては。
大鷹という心強い翼がいなくても、二度と鳥人の里に帰れなくても。
ここにいてはいけない。
懐に入れた天鳥笛をギュッと握りしめ、心を決める。
幸い、ここに来てからずっとおとなしくしていたせいで、大后たちをはじめ、誰もがわたしのことを誤解している。
鳥人どもから、救い出した姫。
一人では何もできない、おとなしい姫。
室にこもりっぱなしの、おとなしい姫。
巫女姫らしく着飾って室に置いておけば問題ない。
誰ともしゃべらない、誰とも関わらない、置き物のような姫。
祭儀の準備、もしくは大君を倒す準備で忙しいのだろう。大后も忍海彦もここ数日、室を訪れたことはない。
(あまいわね)
誰とも喋らないのは、誰ともしゃべりたくなかったら。誰とも関わり合いを持ちたくなかったから。鳥人族のところにいた時みたいに、「しゃべれない」のではなく「しゃべりたくなかった」だけ。
室から動かなかったのは、その時を待っていたから。わたしをおとなしいと判断して、ほっといても問題ないって誤解されるのを待っていたから。
本当のわたしは、いっぱいしゃべるし、ジッとなんかしていない。山では、兄さまにナイショで、いっぱい駆け回ってた。兄さまのように、空を舞うことはできないから、疾く速く走れるようにがんばった。
大鷹がいない今、あのころみたいに飛ぶように走ることはできないけど、それでもわたしにはこの二本の足がある。逃げ出すだけの足がある。
巫女姫らしくと装われたわたしの髪。結い上げるために使われたカンザシで、戸を壊す。人のカンザシは、鉄でできているからちょうどいい。
巫女姫らしくと装われたわたしの衣。肩からビラビラ下げられた領巾を縄にして、地面に降りる。裸足で走るのは難しいから、裳の裾を切り裂いて足に巻く。裾もからまないので走りやすくってちょうどいい。
あとは、誰にも気づかれないように走って、ここから逃げる。私がいなくなったこと、いつかは気づかれるから、それまでに少しでも遠くに逃げる。逃げる先は決めてないけど、それでも逃げる。
(ハヤブサ……)
本当は、このまま走って鳥人の里に帰りたい。帰って、ただのメドリとしてハヤブサのそばで暮らしたい。
けど、そんなことしたら、また迷惑をかけてしまうから。だから、わたしは一人で生きていく。海のそばか、陸の果てか。
大丈夫。一人でも生きていけるように、いっぱい木の実の採り方を教えてもらった。食べられる草、毒のある草も見分けられる。川の魚は獲ったことないけど、ハヤブサたちが獲ってたのを見ていたから、それをまねすればなんとかなる。
(ハヤブサ……)
お守りとなった、天鳥笛をギュッと握りしめる。
大丈夫。
大丈夫。
何度も自分に言い聞かせ、グッとくちびるを噛みしめる。速くなった鼓動をしずめ、気持ちを落ち着かせる。
今は夜。暗がりに紛れてしまえばわたしの姿は見えない。
さあ、わたしの足よ。疾く速く逃げるため、力のかぎり走るのよ!
ザッと隠れていた茂みから走り出す。かつて、山を駆け下りたように、疾く、疾く、疾く! この先に、誰も待っていなくっても、疾く、疾く、疾く!
「――おや。姫。このようなところで何をなさっているのです?」
地面を蹴る足が止まる。
「まったく。そんなに急いて室からお出ましにならずとも、こちらからお迎えに上がりましたのに」
「……忍海彦」
わたしの目の前に現れた男。後ろには槍や剣をたずさえた兵。兵たちの持つ松明が、わたしと忍海彦を照らし出し、わたしを昼の明るさへ引きずり出す。
「姫がこのようにお転婆だとは。思いもしませんでしたよ」
何が楽しいのか、クツクツと喉の奥を鳴らして笑われた。
「姫は鳥人などという野蛮な種族とともに暮らしておられた。その影響でしょうかね。こうして逃げ出そうとなさるのは」
「ヤッ……! 離してっ!」
忍海彦の手が、わたしの腕をつかみ上げる。高く持ち上げられたせいで、足がわずかに宙をかいた。
「やはり鳥は、頑丈なカゴに入れておいたほうがよさそうだ」
近づいた忍海彦の顔。そのちっちも笑ってない目は、赤く血走ってギラギラしてる。
「今日、私はすべてをただします。大丈夫です。姫は見ているだけでいい。私が、姫の父君の無念も晴らして差し上げますよ」
「それは、あなたが自分の父親を殺すということ?」
カタカタと歯が鳴った。体中の血が足元に溜まっていくような感覚。
「ええ。そうすればあなたを妻にできますから。ずっと、お慕い申し上げてたのですよ。あの森で出会ったときから。父に奪われるぐらいなら、私はなんでもいたしますよ。父を倒せば、あなたは私の妻です」
ニッコリ笑う忍海彦。
ああ、この男は決めたのだ。母親、大后の言う通り、父親殺しという道を。
「は、離してっ!」
力のかぎりもがいて、暴れる。
父親殺しという、狂った、恐ろしい闇のなかに引きずり込まれそうで怖い。
「――人ってヤツは、とんでもなくおっかねえモンを妻問いの宝にするんだな」
――え?
「まったくだよなあ。そんなので女の鳥の気をひけるって思ってんのかねえ」
「僕たち鳥人を野蛮って言ってたけどさ。本当に野蛮なのって人族だと思うね」
カッカッカッカッ、カッカッカッカッ。
(まさか)
まさか。まさか。まさか。
信じられない思いで、声のした方を見る。
「よお、メドリ。お前、いつまで遊びに出かけてるつもりだ?」
暗い夜空に、淡く光るようにして浮かぶ姿。
「あんまり遅いから、迎えに来たぞ」
それは、剣を手に、翼を大きく広げたハヤブサと彼の友人、ノスリとカリガネ。それと大鷹だった。
何が正しくて、何が間違っているのか。
大后の言う通りにすることが正しいのか。
亡くなった父さまに代わって、わたしが大君を罰するのが正しいのか。亡くなった母さまに代わって、剣の巫女姫となるのが正しいのか。
忍海彦を新たな剣の持ち主として、ともに人の国を治めるのが正しいのか。
ううん。
どれも正しくない。どれも間違ってる。
父さまも母さまも、わたしにそんなことしてほしいって思ってない。
お二人はきっと今でも、わたしが無事であること、幸せであることを願ってる。
かろうじて残った、切れ端のような記憶だけど、やさしかった両親は、わたしに国を治めよだなんて思ってない。
それに。
――忍海彦とともに大君を倒し、二人でこの国を治めよ。
大后の言葉を聞いて以来、ずっとわたしのなかで、何がか叫んでいる。
頭の奥から、心の底から。
「それは違う」と叫び続けている。
忍海彦を選ぶことが間違っているのか。それとも大君を倒すことが間違っているのか。
なにが違うのかわからないけど、ずっと「違う」と叫び続けている。
だから。
(ここにいちゃダメ)
大后の言う通りになってちゃダメ。逃げなくては。
兄さまを思って泣いてるだけじゃダメ。逃げなくては。
大鷹という心強い翼がいなくても、二度と鳥人の里に帰れなくても。
ここにいてはいけない。
懐に入れた天鳥笛をギュッと握りしめ、心を決める。
幸い、ここに来てからずっとおとなしくしていたせいで、大后たちをはじめ、誰もがわたしのことを誤解している。
鳥人どもから、救い出した姫。
一人では何もできない、おとなしい姫。
室にこもりっぱなしの、おとなしい姫。
巫女姫らしく着飾って室に置いておけば問題ない。
誰ともしゃべらない、誰とも関わらない、置き物のような姫。
祭儀の準備、もしくは大君を倒す準備で忙しいのだろう。大后も忍海彦もここ数日、室を訪れたことはない。
(あまいわね)
誰とも喋らないのは、誰ともしゃべりたくなかったら。誰とも関わり合いを持ちたくなかったから。鳥人族のところにいた時みたいに、「しゃべれない」のではなく「しゃべりたくなかった」だけ。
室から動かなかったのは、その時を待っていたから。わたしをおとなしいと判断して、ほっといても問題ないって誤解されるのを待っていたから。
本当のわたしは、いっぱいしゃべるし、ジッとなんかしていない。山では、兄さまにナイショで、いっぱい駆け回ってた。兄さまのように、空を舞うことはできないから、疾く速く走れるようにがんばった。
大鷹がいない今、あのころみたいに飛ぶように走ることはできないけど、それでもわたしにはこの二本の足がある。逃げ出すだけの足がある。
巫女姫らしくと装われたわたしの髪。結い上げるために使われたカンザシで、戸を壊す。人のカンザシは、鉄でできているからちょうどいい。
巫女姫らしくと装われたわたしの衣。肩からビラビラ下げられた領巾を縄にして、地面に降りる。裸足で走るのは難しいから、裳の裾を切り裂いて足に巻く。裾もからまないので走りやすくってちょうどいい。
あとは、誰にも気づかれないように走って、ここから逃げる。私がいなくなったこと、いつかは気づかれるから、それまでに少しでも遠くに逃げる。逃げる先は決めてないけど、それでも逃げる。
(ハヤブサ……)
本当は、このまま走って鳥人の里に帰りたい。帰って、ただのメドリとしてハヤブサのそばで暮らしたい。
けど、そんなことしたら、また迷惑をかけてしまうから。だから、わたしは一人で生きていく。海のそばか、陸の果てか。
大丈夫。一人でも生きていけるように、いっぱい木の実の採り方を教えてもらった。食べられる草、毒のある草も見分けられる。川の魚は獲ったことないけど、ハヤブサたちが獲ってたのを見ていたから、それをまねすればなんとかなる。
(ハヤブサ……)
お守りとなった、天鳥笛をギュッと握りしめる。
大丈夫。
大丈夫。
何度も自分に言い聞かせ、グッとくちびるを噛みしめる。速くなった鼓動をしずめ、気持ちを落ち着かせる。
今は夜。暗がりに紛れてしまえばわたしの姿は見えない。
さあ、わたしの足よ。疾く速く逃げるため、力のかぎり走るのよ!
ザッと隠れていた茂みから走り出す。かつて、山を駆け下りたように、疾く、疾く、疾く! この先に、誰も待っていなくっても、疾く、疾く、疾く!
「――おや。姫。このようなところで何をなさっているのです?」
地面を蹴る足が止まる。
「まったく。そんなに急いて室からお出ましにならずとも、こちらからお迎えに上がりましたのに」
「……忍海彦」
わたしの目の前に現れた男。後ろには槍や剣をたずさえた兵。兵たちの持つ松明が、わたしと忍海彦を照らし出し、わたしを昼の明るさへ引きずり出す。
「姫がこのようにお転婆だとは。思いもしませんでしたよ」
何が楽しいのか、クツクツと喉の奥を鳴らして笑われた。
「姫は鳥人などという野蛮な種族とともに暮らしておられた。その影響でしょうかね。こうして逃げ出そうとなさるのは」
「ヤッ……! 離してっ!」
忍海彦の手が、わたしの腕をつかみ上げる。高く持ち上げられたせいで、足がわずかに宙をかいた。
「やはり鳥は、頑丈なカゴに入れておいたほうがよさそうだ」
近づいた忍海彦の顔。そのちっちも笑ってない目は、赤く血走ってギラギラしてる。
「今日、私はすべてをただします。大丈夫です。姫は見ているだけでいい。私が、姫の父君の無念も晴らして差し上げますよ」
「それは、あなたが自分の父親を殺すということ?」
カタカタと歯が鳴った。体中の血が足元に溜まっていくような感覚。
「ええ。そうすればあなたを妻にできますから。ずっと、お慕い申し上げてたのですよ。あの森で出会ったときから。父に奪われるぐらいなら、私はなんでもいたしますよ。父を倒せば、あなたは私の妻です」
ニッコリ笑う忍海彦。
ああ、この男は決めたのだ。母親、大后の言う通り、父親殺しという道を。
「は、離してっ!」
力のかぎりもがいて、暴れる。
父親殺しという、狂った、恐ろしい闇のなかに引きずり込まれそうで怖い。
「――人ってヤツは、とんでもなくおっかねえモンを妻問いの宝にするんだな」
――え?
「まったくだよなあ。そんなので女の鳥の気をひけるって思ってんのかねえ」
「僕たち鳥人を野蛮って言ってたけどさ。本当に野蛮なのって人族だと思うね」
カッカッカッカッ、カッカッカッカッ。
(まさか)
まさか。まさか。まさか。
信じられない思いで、声のした方を見る。
「よお、メドリ。お前、いつまで遊びに出かけてるつもりだ?」
暗い夜空に、淡く光るようにして浮かぶ姿。
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