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第8話
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自分のことのように顔をしかめる中嶋は、とてもではないが、野心的なヤクザには見えない。ただ、この世界に足を踏み入れてわかったが、ヤクザであることを匂わせないヤクザのほうが、実は性質が悪い。
その一人が中嶋なのだが、少なくとも秦の件で見せる表情は、本心だろう。それだけ、あの男――秦を本気で心配しているのだ。頭の切れる中嶋が、明らかに厄介事を背負っている秦をまだ自分の部屋に匿い、世話を焼く理由としては、それしか思いつかない。
「あれだけの内出血だ。さぞかし派手な痣になってるだろうな」
「ええ。男ぶりが台無しだと嘆いてましたよ」
「そんなことが言える余裕があるなら、大丈夫そうだ」
和彦がこう言うと、途端に中嶋は表情を曇らせた。
「一応体を起こせるようにはなりましたが、息をするのもつらそうです。胸が痛いと言って」
「まあ、肋骨が折れているんだからな……」
ここで二人の間に、不自然な沈黙が流れる。肝心な部分をはぐらかして会話することに、どうしても無理が生じてしまうのだ。
組の事情にも立ち入らないし、ヤクザ個人やそれに近い人間の事情にも立ち入らない姿勢を貫きたい和彦だが、つい二日前に賢吾に言われた言葉が脳裏を過る。
いくら和彦が知らないと背を向けたところで、組の事情はどんどんその背にのしかかっていく。和彦が関わった人間の事情もまた、そうやって背にのしかかるのだ。これはもう、和彦の意思だけではどうにもならない。
汗で濡れた髪を手持ち無沙汰に拭きながら、とうとう和彦は切り出した。
「――……君は、何か感じているんだろう。彼が何かしらトラブルに巻き込まれていると。あの怪我は、酔っ払いに絡まれたとか、そういう生易しいものじゃない。痛めつけるという意図を持ったうえでの、リンチの跡だ」
「ええ、まあ。一応、暴力沙汰には慣れているので……」
困ったような中嶋を見ていると、別に責め立てているわけではないのに、居心地が悪くなってくる。中嶋としては、和彦に何を言われても甘んじて受け入れるつもりなのかもしれない。
「秦さんからは、何か説明してもらったのか?」
「……それとなく、仄めかすようなことは。ただ、本名を教えてくれないように、秦さんはどこからどこまでが本当で、ウソなのか、境目がわからないような話し方をするんです。もしかすると、すべてがウソなのかもしれない。もちろん、その反対もありうる」
何を教えてもらったのか、危うく和彦は無防備に尋ねそうになったが、このとき中嶋がようやく見せた、いかにも筋者らしい鋭い笑みに息を呑む。
「俺は、ヤクザですよ。単なるお人好しじゃない。確かに秦さんに恩はあるし、世話にもなってます。だけど、純粋に善意だけで助けたわけじゃないんです。……秦さんからは、金の匂いがする。しかも、真っ当な手段で得る金じゃない。秦さんを襲った連中も、その辺りに関係していそうなんです」
「だから……?」
「秦さんは、俺の手札になるかもしれない。危険な手札ですけどね。だからこそ切り札にもなりうる」
「……総和会で成り上がるために、か」
冷めた口調で和彦が言うと、中嶋は軽く肩をすくめる。
「正直俺は、自分が元にいた組に戻る気はないんです。戻ったところで、俺より使えない人間が大きな顔して居座っている。だけど総和会は生え抜きの人間揃いで、学ぶべきことが多い。だからこそ、総和会での自分の居場所を確保しないといけないんです」
普通の青年の顔をしていても、中嶋は内にたっぷりの野心を秘めたヤクザだ。そんなことはとっくにわかっていたことだ。ただ和彦は、ヤクザの言動を頭から疑ってかかるようにしていたせいか、中嶋の演技を見抜いていた。
「悪党ぶらなくても、君はヤクザのくせに優しい、なんて恥ずかしいことは言わないよ」
目を丸くした中嶋が、まじまじと和彦を見つめてくる。どんな表情を浮かべていいかわからない、といった様子は、とうていヤクザには見えない。
「君が野心家なのも、そのためには他人を利用することも厭わないのもわかる。だけど、彼に対しては、その気持ちがいくらか控えめになるんだろ。恩のあるなしじゃなく……自分たちは似た者同士だと思っているんじゃないか」
参ったな、と洩らした中嶋が苦笑を浮かべる。
「先生は、怖いですね」
「失敬な」
「――でも、甘い」
今度は和彦が目を丸くする番だった。中嶋は目の前で涼しげに笑う。したたかなヤクザの素顔が覗いて見えるようだ。
「今みたいな話を聞いたら、俺の頼みを断れないでしょう?」
「頼みって……」
「もう一度、秦さんを診察してください。一応、先生に言われた通りの手当ては続けていますが、不安なんです。もしこれで異変がないなら、もう無茶は言いません。だからあと一回だけ、お願いします」
テーブルに額を擦りつけるようにして中嶋が頭を下げる。その姿を見ながら和彦は、自分の迂闊さに歯噛みしたくなった。もう面倒事は嫌だと断りたいのに、中嶋が言った通り、断れない。打算だけではない中嶋と秦の奇妙な関係を知ると、和彦は非情に徹しきれないのだ。
聞こえよがしにため息をつき、ぼそりと答えた。
「――……これが最後だからな」
和彦の返事に、中嶋が顔を上げる。このとき一瞬見せたのは、心底安堵したような表情だった。こんな顔をされると、ますます断れない。
ただ、流されるばかりではいけないと、和彦はある条件を出した。
「ぼくは、長嶺組に不信感を抱かれるようなことはしたくない。極力悟られないよう動くが、もしバレて、何をしているのか聞かれたら、正直に答える。君のことも、秦さんのことも」
中嶋は厳しい表情で考え込んでから、頷いた。
「でも――」
「わかっている。ぼくだって、あれこれ追及されるのは嫌だ」
これで話は決まった。
一人で動けるのは夜しかないと和彦が告げると、一方の中嶋は、夜は総和会に詰めているということで、更衣室に移動してから合鍵を渡される。その合鍵を受け取ることに、和彦はためらいを覚えずにはいられなかった。また、秦と二人きりになってしまうのだ。
しかしいまさら嫌だとは言えず、結局、合鍵を受け取った。
その一人が中嶋なのだが、少なくとも秦の件で見せる表情は、本心だろう。それだけ、あの男――秦を本気で心配しているのだ。頭の切れる中嶋が、明らかに厄介事を背負っている秦をまだ自分の部屋に匿い、世話を焼く理由としては、それしか思いつかない。
「あれだけの内出血だ。さぞかし派手な痣になってるだろうな」
「ええ。男ぶりが台無しだと嘆いてましたよ」
「そんなことが言える余裕があるなら、大丈夫そうだ」
和彦がこう言うと、途端に中嶋は表情を曇らせた。
「一応体を起こせるようにはなりましたが、息をするのもつらそうです。胸が痛いと言って」
「まあ、肋骨が折れているんだからな……」
ここで二人の間に、不自然な沈黙が流れる。肝心な部分をはぐらかして会話することに、どうしても無理が生じてしまうのだ。
組の事情にも立ち入らないし、ヤクザ個人やそれに近い人間の事情にも立ち入らない姿勢を貫きたい和彦だが、つい二日前に賢吾に言われた言葉が脳裏を過る。
いくら和彦が知らないと背を向けたところで、組の事情はどんどんその背にのしかかっていく。和彦が関わった人間の事情もまた、そうやって背にのしかかるのだ。これはもう、和彦の意思だけではどうにもならない。
汗で濡れた髪を手持ち無沙汰に拭きながら、とうとう和彦は切り出した。
「――……君は、何か感じているんだろう。彼が何かしらトラブルに巻き込まれていると。あの怪我は、酔っ払いに絡まれたとか、そういう生易しいものじゃない。痛めつけるという意図を持ったうえでの、リンチの跡だ」
「ええ、まあ。一応、暴力沙汰には慣れているので……」
困ったような中嶋を見ていると、別に責め立てているわけではないのに、居心地が悪くなってくる。中嶋としては、和彦に何を言われても甘んじて受け入れるつもりなのかもしれない。
「秦さんからは、何か説明してもらったのか?」
「……それとなく、仄めかすようなことは。ただ、本名を教えてくれないように、秦さんはどこからどこまでが本当で、ウソなのか、境目がわからないような話し方をするんです。もしかすると、すべてがウソなのかもしれない。もちろん、その反対もありうる」
何を教えてもらったのか、危うく和彦は無防備に尋ねそうになったが、このとき中嶋がようやく見せた、いかにも筋者らしい鋭い笑みに息を呑む。
「俺は、ヤクザですよ。単なるお人好しじゃない。確かに秦さんに恩はあるし、世話にもなってます。だけど、純粋に善意だけで助けたわけじゃないんです。……秦さんからは、金の匂いがする。しかも、真っ当な手段で得る金じゃない。秦さんを襲った連中も、その辺りに関係していそうなんです」
「だから……?」
「秦さんは、俺の手札になるかもしれない。危険な手札ですけどね。だからこそ切り札にもなりうる」
「……総和会で成り上がるために、か」
冷めた口調で和彦が言うと、中嶋は軽く肩をすくめる。
「正直俺は、自分が元にいた組に戻る気はないんです。戻ったところで、俺より使えない人間が大きな顔して居座っている。だけど総和会は生え抜きの人間揃いで、学ぶべきことが多い。だからこそ、総和会での自分の居場所を確保しないといけないんです」
普通の青年の顔をしていても、中嶋は内にたっぷりの野心を秘めたヤクザだ。そんなことはとっくにわかっていたことだ。ただ和彦は、ヤクザの言動を頭から疑ってかかるようにしていたせいか、中嶋の演技を見抜いていた。
「悪党ぶらなくても、君はヤクザのくせに優しい、なんて恥ずかしいことは言わないよ」
目を丸くした中嶋が、まじまじと和彦を見つめてくる。どんな表情を浮かべていいかわからない、といった様子は、とうていヤクザには見えない。
「君が野心家なのも、そのためには他人を利用することも厭わないのもわかる。だけど、彼に対しては、その気持ちがいくらか控えめになるんだろ。恩のあるなしじゃなく……自分たちは似た者同士だと思っているんじゃないか」
参ったな、と洩らした中嶋が苦笑を浮かべる。
「先生は、怖いですね」
「失敬な」
「――でも、甘い」
今度は和彦が目を丸くする番だった。中嶋は目の前で涼しげに笑う。したたかなヤクザの素顔が覗いて見えるようだ。
「今みたいな話を聞いたら、俺の頼みを断れないでしょう?」
「頼みって……」
「もう一度、秦さんを診察してください。一応、先生に言われた通りの手当ては続けていますが、不安なんです。もしこれで異変がないなら、もう無茶は言いません。だからあと一回だけ、お願いします」
テーブルに額を擦りつけるようにして中嶋が頭を下げる。その姿を見ながら和彦は、自分の迂闊さに歯噛みしたくなった。もう面倒事は嫌だと断りたいのに、中嶋が言った通り、断れない。打算だけではない中嶋と秦の奇妙な関係を知ると、和彦は非情に徹しきれないのだ。
聞こえよがしにため息をつき、ぼそりと答えた。
「――……これが最後だからな」
和彦の返事に、中嶋が顔を上げる。このとき一瞬見せたのは、心底安堵したような表情だった。こんな顔をされると、ますます断れない。
ただ、流されるばかりではいけないと、和彦はある条件を出した。
「ぼくは、長嶺組に不信感を抱かれるようなことはしたくない。極力悟られないよう動くが、もしバレて、何をしているのか聞かれたら、正直に答える。君のことも、秦さんのことも」
中嶋は厳しい表情で考え込んでから、頷いた。
「でも――」
「わかっている。ぼくだって、あれこれ追及されるのは嫌だ」
これで話は決まった。
一人で動けるのは夜しかないと和彦が告げると、一方の中嶋は、夜は総和会に詰めているということで、更衣室に移動してから合鍵を渡される。その合鍵を受け取ることに、和彦はためらいを覚えずにはいられなかった。また、秦と二人きりになってしまうのだ。
しかしいまさら嫌だとは言えず、結局、合鍵を受け取った。
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