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第23話
(1)
しおりを挟む玄関のドアを開けた途端、千尋が抱きついてくる。驚きで目を見開いた和彦は、次の瞬間には思いきり顔をしかめた。
「……酒臭い」
傍迷惑なほど人懐こい犬のように、千尋は容赦なく和彦の首にしがみつき、体重をかけてくる。和彦はよろめきながらも千尋の体を支え、玄関の外に立っている男に視線を向ける。千尋の護衛についている組員で、申し訳なさそうに頭を下げた。
「先生、すみません。千尋さんがどうしても、こちらに寄りたいとおっしゃるものですから――」
十分ほど前に急に電話がかかってきて、やけに上機嫌な千尋から、今からマンションに行くと言われたのだ。そのためこうして出迎えたのだが、ここまで千尋が酔っ払っているとは思わなかった。
「それはかまわないが、こいつがこんなに酔っ払うのも珍しいな」
「先代たちとご一緒されていたんです。かなり酒を勧められたようで、店から出てきたときにはこの状態で」
「先代って……」
「――じいちゃんのこと」
ぼそぼそと千尋が答え、間近から見つめてくる。本能的に感じるものがあった和彦は、表情を押し隠しつつ組員に告げた。
「あとはぼくが面倒を見るから、朝、迎えにきてくれ」
千尋を支えながらドアを閉めると、苦労して靴を脱がせ、半ば引きずるようにして寝室に連れて行く。
多少乱暴に千尋の体をベッドに転がし、和彦はその上に遠慮なく馬乗りになる。いまさら、長嶺の男が突然部屋にやってきたところで、和彦は気を悪くしない。千尋の上に馬乗りになったのも、もちろん首を絞めるためなどではなく、身につけているものを脱がせるためだ。
千尋は目を閉じ、されるがままになっている。基本的に甘ったれ気質の男なので、あれこれと世話を焼かれるのが好きなのだ。
「千尋、水を持ってこようか?」
なんとかジャケットを脱がせてから問いかけると、千尋が薄く目を開ける。
「あとでいい。……先生、全部脱がせて」
「甘えるな」
そう応じながらも和彦はネクタイを解き、ワイシャツのボタンも外していく。すると千尋が、酔っているとは思えない明晰な声で話し始めた。
「今晩、じいちゃんに言われた。先生は――総和会会長のオンナになったって」
一瞬手を止めた和彦だが、ふっと息を吐き出してスラックスのベルトを緩める。
「……そうか」
「俺は、じいちゃんが怖いよ。だけど一方で、ものすごく頼りにしてる。じいちゃんが後ろ盾にいる限り、この世界で怖いものなんてないと思ってる。こういうのを、虎の威を借る狐って言うんだろうな。もっとも、じいちゃんの背中にいるのが狐なんだけどさ。……俺は、じいちゃんとオヤジに守られている頼りない犬っころだ。俺一人じゃ、何もできない」
拗ねているわけでも、不貞腐れているわけでもなく、千尋は自分の未熟さを噛み締めるように話す。
「俺、先生を手放したくないから、最初にオヤジと組を利用したんだ。ヤクザが囲っている限り、先生は俺の側から逃げられない。俺のオンナでいてくれるって。先生は、三田村や鷹津とも寝ているけど、俺はなんとなく、先生は巣を作っているんだと感じている」
「巣?」
「この世界で、先生がぬくぬくと暮らせる場所。オヤジが価値を認めた男たちと寝て、先生はそれを作っているんだ」
千尋の表現は、なんとなく和彦の中でしっくりときた。和彦が現在関係を持っている男たちは、賢吾が認めているだけあって、和彦に危害を加えることはない。その男たちと体を重ねることで、和彦はどんどん物騒な世界から抜け出せなくなっている。それどころか、心地いいとすら思っている。
ここで和彦の脳裏に、つい先日、中嶋と『寝た』光景が蘇る。
千尋は、和彦の交友関係――というより男関係を把握はしているだろうが、和彦が中嶋を抱くとは思いもしなかったはずだ。和彦自身、千尋どころか、賢吾にすらまだ打ち明けていなかった。
ただ、知られるのは時間の問題だと思っている。
一方、中嶋との関係を認めている賢吾は果たして、和彦がここまでの行為に及ぶと想定していただろうかと考えるのだ。仮に知ったとして、あの男は怒ったりはしないだろう。
『ぬくぬくと暮らせる場所』を和彦がせっせと作り上げていることに、ゆったりと笑むかもしれない。
賢吾は、和彦を裏の世界に閉じ込めておくためなら、手段を選ばない男だ。
「先生が俺以外の男と寝てることに何も感じないわけじゃないけど、でも、先生が側からいなくなるよりずっといい。将来は、俺だけのものになる予定だし」
最後の千尋の言葉は、返事のしようがなかった。千尋の中には、和彦に飽きる、という選択肢はまだないようだ。
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