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第24話
(15)
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「先生、刺青を入れられそうになって、うちの組のこと、嫌いになったりしてない?」
和彦は声を洩らして笑ってしまう。
「この状況で、嫌いになったなんて、言えるわけないだろ。というか、言わせるつもりがないだろ」
「俺は、ヤクザだからね。先生から欲しい答えをもぎ取るためなら、なんでもする。――痛いこと以外は」
「紳士だな……」
「先生に嫌われたくないから」
返事のしようがなくて唇を引き結ぶと、かまわず千尋は言葉を続けた。
「俺が起きたら、気分転換に買い物行こうよ。前に約束した通り、ゴルフを始めるなら、いろいろ揃えておかないと。今日はクリニック休みにしたんだろ?」
「……あまり、外出したい気分じゃないんだ」
「だからこそ、出かけるんだよ。先生まだ、オヤジにされたことにびっくりして、感情が麻痺しているように見える。放っておいたら、一日中でもこの部屋でぼうっと座り込んでそうだ。今のうちに刺激を与えて、元の先生に戻ってもらわないと」
和彦を外に連れ出すための詭弁に思えなくもないが、子供が駄々をこねているような、どこか甘えたような口調で千尋に言われると、無碍にもできない。
どうしようかと迷っているうちに、千尋があくびを洩らす。いかにも眠そうな千尋相手に理屈をこねるわけにもいかず、和彦は小さく頷いていた。
千尋の髪を撫でながら、中庭に視線を向ける。まだ朝の慌ただしい時間だというのに、この部屋だけは緩やかな空気が流れ、静かだった。だがそのうち、子供のように健やかな寝息が聞こえてくる。
男の膝枕など感触がいいとも思えないのだが、関係ないとばかりに千尋は寝入っていた。和彦を心配して一睡もできなかったというのは、どうやら本当だったようだ。
再び罪悪感が疼き、千尋の髪にそっと指を絡める。この罪悪感が和らぐのなら、いくらでも膝枕ぐらい提供しようと思った。
だがその気持ちは、十分もしないうちに揺らぐことになる。
正座をしたままのうえに、男一人の頭を膝にのせているせいで、足が痺れてきたのだ。しかし、千尋を起こしたくないので足を崩すことができない。
実はこれは、千尋がいつもの甘ったれぶりを発揮したようでいて、和彦に罰を与えるための罠だったのではないかとすら考えてしまう。
これならまだ、添い寝をしてくれとせがまれたほうがよかったと思いながらも、それでも和彦は、千尋を起こすことだけはできなかった。
「――確かに、これも花見だな」
紙コップに入ったワインを空にした和彦は、外の景色に改めて視線を向けて、しみじみと洩らす。
ビルから夜桜を見下ろしながら、という説明は事前に受けていたが、確かにそれは間違っていない。ただ和彦は、元ホスト二人が招待してくれるということで、勝手に想像をしていたのだ。ライトアップされた桜並木を見下ろせる、シャレた店を貸し切りにしているのだろうな、と。
この想像は半分正解、残り半分は――といったところだ。
大通りの一角に窮屈そうに建っている、細長い雑居ビルの最上階である六階からは、渋滞する道路も、大勢の人が行き来する歩道の様子もよく見える。そして、沿道に植えられた桜の木も。満開の時期を過ぎ、すでに葉桜になりつつあるが、それでもささやかながら花を残していた。
夜だからといってわざわざライトアップする必要もなく、夜の街を彩る明かりのほぼすべてが、わずかな桜の花を照らしている。夜の大通りは明るいというよりきらびやかで、風情がないといってしまうのは簡単だが、変わった趣きの夜桜が楽しめる。
紙コップにワインを注いだ秦が口を開いた。
「ここは殺風景ですが、外を眺める分には問題ないでしょう?」
「殺風景……」
ソファの背もたれから身を起こした和彦は、自分が今滞在している場所を見回す。元は個人経営のカフェがテナントとして入っていたということで、その名残りがそこかしこに残っている。慌ただしい廃業だったらしく、隅に押しやられたテーブルやイスが物悲しい感じもするが、どちらかというと殺風景というより、雑多な空間だ。
もっともそのおかげで、花見の宴の準備が楽だったともいえる。窓際にソファとイスを移動させて、段ボールをひっくり返しただけの簡易テーブルを作ったのだ。オードブルと飲み物は、近くのデパートで買い込んできた。
「花見の場所としては穴場だが、よくこんなところを見つけられたな。というより、よく入れたな」
「契約したんですよ、秦さんが」
そう答えたのは、コンビニから戻ってきた中嶋だ。段ボール――テーブルの上に、買ってきたばかりの缶ビールをどんどん並べていく。
「夜桜見物のために?」
「そこまで豪気じゃありませんよ、わたしは」
和彦は声を洩らして笑ってしまう。
「この状況で、嫌いになったなんて、言えるわけないだろ。というか、言わせるつもりがないだろ」
「俺は、ヤクザだからね。先生から欲しい答えをもぎ取るためなら、なんでもする。――痛いこと以外は」
「紳士だな……」
「先生に嫌われたくないから」
返事のしようがなくて唇を引き結ぶと、かまわず千尋は言葉を続けた。
「俺が起きたら、気分転換に買い物行こうよ。前に約束した通り、ゴルフを始めるなら、いろいろ揃えておかないと。今日はクリニック休みにしたんだろ?」
「……あまり、外出したい気分じゃないんだ」
「だからこそ、出かけるんだよ。先生まだ、オヤジにされたことにびっくりして、感情が麻痺しているように見える。放っておいたら、一日中でもこの部屋でぼうっと座り込んでそうだ。今のうちに刺激を与えて、元の先生に戻ってもらわないと」
和彦を外に連れ出すための詭弁に思えなくもないが、子供が駄々をこねているような、どこか甘えたような口調で千尋に言われると、無碍にもできない。
どうしようかと迷っているうちに、千尋があくびを洩らす。いかにも眠そうな千尋相手に理屈をこねるわけにもいかず、和彦は小さく頷いていた。
千尋の髪を撫でながら、中庭に視線を向ける。まだ朝の慌ただしい時間だというのに、この部屋だけは緩やかな空気が流れ、静かだった。だがそのうち、子供のように健やかな寝息が聞こえてくる。
男の膝枕など感触がいいとも思えないのだが、関係ないとばかりに千尋は寝入っていた。和彦を心配して一睡もできなかったというのは、どうやら本当だったようだ。
再び罪悪感が疼き、千尋の髪にそっと指を絡める。この罪悪感が和らぐのなら、いくらでも膝枕ぐらい提供しようと思った。
だがその気持ちは、十分もしないうちに揺らぐことになる。
正座をしたままのうえに、男一人の頭を膝にのせているせいで、足が痺れてきたのだ。しかし、千尋を起こしたくないので足を崩すことができない。
実はこれは、千尋がいつもの甘ったれぶりを発揮したようでいて、和彦に罰を与えるための罠だったのではないかとすら考えてしまう。
これならまだ、添い寝をしてくれとせがまれたほうがよかったと思いながらも、それでも和彦は、千尋を起こすことだけはできなかった。
「――確かに、これも花見だな」
紙コップに入ったワインを空にした和彦は、外の景色に改めて視線を向けて、しみじみと洩らす。
ビルから夜桜を見下ろしながら、という説明は事前に受けていたが、確かにそれは間違っていない。ただ和彦は、元ホスト二人が招待してくれるということで、勝手に想像をしていたのだ。ライトアップされた桜並木を見下ろせる、シャレた店を貸し切りにしているのだろうな、と。
この想像は半分正解、残り半分は――といったところだ。
大通りの一角に窮屈そうに建っている、細長い雑居ビルの最上階である六階からは、渋滞する道路も、大勢の人が行き来する歩道の様子もよく見える。そして、沿道に植えられた桜の木も。満開の時期を過ぎ、すでに葉桜になりつつあるが、それでもささやかながら花を残していた。
夜だからといってわざわざライトアップする必要もなく、夜の街を彩る明かりのほぼすべてが、わずかな桜の花を照らしている。夜の大通りは明るいというよりきらびやかで、風情がないといってしまうのは簡単だが、変わった趣きの夜桜が楽しめる。
紙コップにワインを注いだ秦が口を開いた。
「ここは殺風景ですが、外を眺める分には問題ないでしょう?」
「殺風景……」
ソファの背もたれから身を起こした和彦は、自分が今滞在している場所を見回す。元は個人経営のカフェがテナントとして入っていたということで、その名残りがそこかしこに残っている。慌ただしい廃業だったらしく、隅に押しやられたテーブルやイスが物悲しい感じもするが、どちらかというと殺風景というより、雑多な空間だ。
もっともそのおかげで、花見の宴の準備が楽だったともいえる。窓際にソファとイスを移動させて、段ボールをひっくり返しただけの簡易テーブルを作ったのだ。オードブルと飲み物は、近くのデパートで買い込んできた。
「花見の場所としては穴場だが、よくこんなところを見つけられたな。というより、よく入れたな」
「契約したんですよ、秦さんが」
そう答えたのは、コンビニから戻ってきた中嶋だ。段ボール――テーブルの上に、買ってきたばかりの缶ビールをどんどん並べていく。
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「そこまで豪気じゃありませんよ、わたしは」
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