血と束縛と

北川とも

文字の大きさ
533 / 1,289
第24話

(15)

しおりを挟む
「先生、刺青を入れられそうになって、うちの組のこと、嫌いになったりしてない?」
 和彦は声を洩らして笑ってしまう。
「この状況で、嫌いになったなんて、言えるわけないだろ。というか、言わせるつもりがないだろ」
「俺は、ヤクザだからね。先生から欲しい答えをもぎ取るためなら、なんでもする。――痛いこと以外は」
「紳士だな……」
「先生に嫌われたくないから」
 返事のしようがなくて唇を引き結ぶと、かまわず千尋は言葉を続けた。
「俺が起きたら、気分転換に買い物行こうよ。前に約束した通り、ゴルフを始めるなら、いろいろ揃えておかないと。今日はクリニック休みにしたんだろ?」
「……あまり、外出したい気分じゃないんだ」
「だからこそ、出かけるんだよ。先生まだ、オヤジにされたことにびっくりして、感情が麻痺しているように見える。放っておいたら、一日中でもこの部屋でぼうっと座り込んでそうだ。今のうちに刺激を与えて、元の先生に戻ってもらわないと」
 和彦を外に連れ出すための詭弁に思えなくもないが、子供が駄々をこねているような、どこか甘えたような口調で千尋に言われると、無碍にもできない。
 どうしようかと迷っているうちに、千尋があくびを洩らす。いかにも眠そうな千尋相手に理屈をこねるわけにもいかず、和彦は小さく頷いていた。
 千尋の髪を撫でながら、中庭に視線を向ける。まだ朝の慌ただしい時間だというのに、この部屋だけは緩やかな空気が流れ、静かだった。だがそのうち、子供のように健やかな寝息が聞こえてくる。
 男の膝枕など感触がいいとも思えないのだが、関係ないとばかりに千尋は寝入っていた。和彦を心配して一睡もできなかったというのは、どうやら本当だったようだ。
 再び罪悪感が疼き、千尋の髪にそっと指を絡める。この罪悪感が和らぐのなら、いくらでも膝枕ぐらい提供しようと思った。
 だがその気持ちは、十分もしないうちに揺らぐことになる。
 正座をしたままのうえに、男一人の頭を膝にのせているせいで、足が痺れてきたのだ。しかし、千尋を起こしたくないので足を崩すことができない。
 実はこれは、千尋がいつもの甘ったれぶりを発揮したようでいて、和彦に罰を与えるための罠だったのではないかとすら考えてしまう。
 これならまだ、添い寝をしてくれとせがまれたほうがよかったと思いながらも、それでも和彦は、千尋を起こすことだけはできなかった。




「――確かに、これも花見だな」
 紙コップに入ったワインを空にした和彦は、外の景色に改めて視線を向けて、しみじみと洩らす。
 ビルから夜桜を見下ろしながら、という説明は事前に受けていたが、確かにそれは間違っていない。ただ和彦は、元ホスト二人が招待してくれるということで、勝手に想像をしていたのだ。ライトアップされた桜並木を見下ろせる、シャレた店を貸し切りにしているのだろうな、と。
 この想像は半分正解、残り半分は――といったところだ。
 大通りの一角に窮屈そうに建っている、細長い雑居ビルの最上階である六階からは、渋滞する道路も、大勢の人が行き来する歩道の様子もよく見える。そして、沿道に植えられた桜の木も。満開の時期を過ぎ、すでに葉桜になりつつあるが、それでもささやかながら花を残していた。
 夜だからといってわざわざライトアップする必要もなく、夜の街を彩る明かりのほぼすべてが、わずかな桜の花を照らしている。夜の大通りは明るいというよりきらびやかで、風情がないといってしまうのは簡単だが、変わった趣きの夜桜が楽しめる。
 紙コップにワインを注いだ秦が口を開いた。
「ここは殺風景ですが、外を眺める分には問題ないでしょう?」
「殺風景……」
 ソファの背もたれから身を起こした和彦は、自分が今滞在している場所を見回す。元は個人経営のカフェがテナントとして入っていたということで、その名残りがそこかしこに残っている。慌ただしい廃業だったらしく、隅に押しやられたテーブルやイスが物悲しい感じもするが、どちらかというと殺風景というより、雑多な空間だ。
 もっともそのおかげで、花見の宴の準備が楽だったともいえる。窓際にソファとイスを移動させて、段ボールをひっくり返しただけの簡易テーブルを作ったのだ。オードブルと飲み物は、近くのデパートで買い込んできた。
「花見の場所としては穴場だが、よくこんなところを見つけられたな。というより、よく入れたな」
「契約したんですよ、秦さんが」
 そう答えたのは、コンビニから戻ってきた中嶋だ。段ボール――テーブルの上に、買ってきたばかりの缶ビールをどんどん並べていく。
「夜桜見物のために?」
「そこまで豪気じゃありませんよ、わたしは」

しおりを挟む
感想 92

あなたにおすすめの小説

執着

紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。

秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~

めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆ ―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。― モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。 だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。 そう、あの「秘密」が表に出るまでは。

奇跡に祝福を

善奈美
BL
 家族に爪弾きにされていた僕。高等部三学年に進級してすぐ、四神の一つ、西條家の後継者である彼が記憶喪失になった。運命であると僕は知っていたけど、ずっと避けていた。でも、記憶がなくなったことで僕は彼と過ごすことになった。でも、記憶が戻ったら終わり、そんな関係だった。 ※不定期更新になります。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

結婚初夜に相手が舌打ちして寝室出て行こうとした

BL
十数年間続いた王国と帝国の戦争の終結と和平の形として、元敵国の皇帝と結婚することになったカイル。 実家にはもう帰ってくるなと言われるし、結婚相手は心底嫌そうに舌打ちしてくるし、マジ最悪ってところから始まる話。 オメガバースでオメガの立場が低い世界 こんなあらすじとタイトルですが、主人公が可哀そうって感じは全然ないです 強くたくましくメンタルがオリハルコンな主人公です 主人公は耐える我慢する許す許容するということがあんまり出来ない人間です 倫理観もちょっと薄いです というか、他人の事を自分と同じ人間だと思ってない部分があります ※この主人公は受けです

何故か正妻になった男の僕。

selen
BL
『側妻になった男の僕。』の続きです(⌒▽⌒) blさいこう✩.*˚主従らぶさいこう✩.*˚✩.*˚

星を戴く王と後宮の商人

ソウヤミナセ
BL
※3部をもちまして、休載にはいります※ 「この国では、星神の力を戴いた者が、唯一の王となる」 王に選ばれ、商人の青年は男妃となった。 美しくも孤独な異民族の男妃アリム。 彼を迎えた若き王ラシードは、冷徹な支配者か、それとも……。 王の寵愛を受けながらも、 その青い瞳は、周囲から「劣った血の印」とさげすまれる。 身分、出自、信仰── すべてが重くのしかかる王宮で、 ひとり誇りを失わずに立つ青年の、静かな闘いの物語。

帝は傾国の元帥を寵愛する

tii
BL
セレスティア帝国、帝国歴二九九年――建国三百年を翌年に控えた帝都は、祝祭と喧騒に包まれていた。 舞踏会と武道会、華やかな催しの主役として並び立つのは、冷徹なる公子ユリウスと、“傾国の美貌”と謳われる名誉元帥ヴァルター。 誰もが息を呑むその姿は、帝国の象徴そのものであった。 だが祝祭の熱狂の陰で、ユリウスには避けられぬ宿命――帝位と婚姻の話が迫っていた。 それは、五年前に己の采配で抜擢したヴァルターとの関係に、確実に影を落とすものでもある。 互いを見つめ合う二人の間には、忠誠と愛執が絡み合う。 誰よりも近く、しかし決して交わってはならぬ距離。 やがて帝国を揺るがす大きな波が訪れるとき、二人は“帝と元帥”としての立場を選ぶのか、それとも――。 華やかな祝祭に幕を下ろし、始まるのは試練の物語。 冷徹な帝と傾国の元帥、互いにすべてを欲する二人の運命は、帝国三百年の節目に大きく揺れ動いてゆく。 【第13回BL大賞にエントリー中】 投票いただけると嬉しいです((꜆꜄ ˙꒳˙)꜆꜄꜆ポチポチポチポチ

処理中です...