血と束縛と

北川とも

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第24話

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 イスに腰掛けた秦は品のいい苦笑いを浮かべ、紙皿にオードブルを取り分けると、和彦の隣に座った中嶋にさっそく差し出した。喉が渇いていたのか中嶋は、缶ビールを開けて勢いよく呷る。
「ここで輸入雑貨屋を開くんです」
 中嶋の飲みっぷりに目を奪われていた和彦の耳に、予想外の言葉が届く。一瞬、聞き間違いかと思ったぐらいだ。
「……誰が、何を?」
「わたしが、この場所で、輸入雑貨屋を開くんです。親会社は、起業したばかりの小さな輸入商社で、事業計画としては、今後さらに店舗を増やしていく予定です。オーナーの名義はわたしではなく、別人になりますが。先生のクリニックと同じ方式ですよ」
 秦の話によって、和彦の脳裏に浮かぶ人物はたった一人だ。わずかに顔をしかめると、こちらの言いたいことを察したのか、秦はニヤリと笑った。
「そんな顔しないでください。真っ当な商売をするつもりなんですから」
「正体不明の実業家とヤクザが組んでいる時点で、信じられるわけないだろ」
「客として来る人間には、そんなことはわかりませんよ。あくまで、正規のルートで仕入れたものを売るだけですから。必要なのは、海外からあれこれ輸入して販売している業者がここにいる、という既成事実ですよ。扱う物によっては、きちんと役所に届け出て、許可をもらいますし」
「……本当に、扱うのは『雑貨』だけなのか?」
 露骨に怪しむ和彦の問いかけに、秦はこう応じた。
「女性向けの雑貨を充実させていく過程で、おいおい扱う商品の種類も増えていくでしょうね。そのためにも、医者の診断書も必要になることがあるでしょうから、そのときはよろしくお願いします」
「医者の診断書が必要になるのは、薬事法が関わってくる商品を扱うときだ」
 秦が妖しさをたっぷり含んだ流し目を寄越してくる。それを見た和彦は改めて確信する。秦と賢吾――長嶺組が組んで、真っ当な輸入雑貨屋を営むつもりはないのだと。女性向け商品で薬事法が関わってくる商品として、まず化粧品が頭に浮かぶが、それらを輸入したところで、組のビジネスとして満足できる売り上げがあるとは思えないのだ。
 だとすれば、大掛かりな準備をしてまで、何を手に入れようとしているのか。
 和彦が目まぐるしく頭を働かせようとしたとき、イスからソファの端に座り直した秦に、顔を覗き込まれる。
「そう、難しいことじゃないですよ。一気に手広く輸入ビジネスを始めるだけです。わたしの親戚筋がそういう仕事をしているので、ノウハウについても詳しいんです。この間の海外出張も、その下準備のためでした」
 説明しているようでいて、実は詳しいことは言っていない。ここは素直に丸め込まれるべきなのだろうかと思いながら、和彦は視線を反対隣に向ける。中嶋は、すでに二本目の缶ビールを開けているところだった。目が合うと、芝居がかった仕種で肩をすくめられる。
「ダメですよ、先生。秦さんは、俺にも同じことしか言わないんです。美味しい話なら、俺も一枚噛ませてほしいんですけどね」
「そのうち、お前の手も必要になるだろうから、そのときは嫌でも協力させる」
「おや、楽しみですね」
 かつての秦は、中嶋が自分に深入りすることを、厄介事に巻き込みたくないからと避けたがる傾向があったようだが、このやり取りを聞く限り、変わりつつあるようだ。もちろん、情だけが理由ではないだろう。互いの存在が利用できると、秦も中嶋もよく知っている。
 そして和彦は、この二人にとって非常に使い勝手のいい存在なのだ。
「――……派手に動いて大丈夫なのか?」
 これまでもヤクザと関わる仕事をしていた男に対して、杞憂かと思いつつも、つい言葉が口をついて出る。秦と中嶋は顔を見合わせてから、表情を和らげた。
「心配してくれるんですか、先生」
「こんな世界に身を置いて言うことじゃないかもしれないが、〈友人〉が痛い目に遭うのは見たくない」
「優しいですね」
 さらりと秦に言われ、和彦は返事に困る。
「……優しくない。気になるから聞いただけだ」
 こう答えた途端、隣から抑えた笑い声が聞こえてくる。中嶋が顔を伏せて笑っていた。そんな中嶋の肩を軽く小突いて、和彦は紙コップのワインを飲み干す。
 ふっと息を吐き出してソファに深くもたれかかる。大通りを挟んで正面には、大型書店の入ったビルがあるが、すべての階の電気が消えており、人工の光に溢れた大通りの中、今は夜なのだと実感させてくれる。ビルの一室から街の景色を眺めながら、人目を気にすることなく寛ぐというのも、なんだか妙な気分だった。

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