560 / 1,289
第25話
(16)
しおりを挟む
「腸閉塞だな。わかりやすく言うなら、腸が詰まっているんだ。だから、飲食したものがすべて逆流して、嘔吐が続くし、腹痛も起こる。先日の手術で内臓の組織が癒着して、腸が圧迫されたんだろうな。それに、寝たきりのストレスも、腸によくない影響を与える」
部屋にいる男たちに淡々と説明をしながら、輸液の準備をする。一方で頭の片隅では、この場にいるのは、南郷率いる第二遊撃隊の人間ばかりなのだろうかと考えてもいた。
手術を行ったときは、男が怪我を負った簡単な経緯だけは聞いたが、それ以外のことは何も知らされなかった。唯一はっきりしていたのは、総和会から回ってきた仕事、ということだけだ。だが、帰宅する車で南郷と乗り合わせ、さほど知りたくなかった事情を、大まかながら教えられた。
総和会の中で詰め腹を切らせるために、男は生きていなくてはならないのだ。
こういう事実を知ってプレッシャーを感じるぐらいなら、何も知らなかったほうがありがたい。
医者として患者を救いたいのは当然だが、この世界で求められるのは、そういう道徳や倫理といったものではない。優先されるべきは、組織の都合であり、事情なのだ。結果として患者を救えるのだから文句はないだろうと、南郷なら平然と言いそうだった。
必要以上に南郷を悪辣な男として捉えてしまうのは、やはり苦手だからだ。
車中での出来事が蘇り、和彦は眉をひそめる。背筋を駆け抜けたのは、不快さだった。気を取り直し、男の腕に点滴の針を刺す。
「当分、食事はおろか、水を飲むことも厳禁だ。点滴で栄養をとりながら、胃腸を休ませる」
「……また、手術をすることになるんですか?」
和彦の指示に従い、新しい洗面器を持ってきた男が問いかけてくる。なんとなく見覚えがある顔だと思ったら、先日、南郷と同乗した車を運転していた男だ。
咄嗟に和彦は、質問に対して、まったく関係ない質問で返していた。
「――南郷さんもここに来ているのか?」
男はわずかに目を見開いたあと、すぐに無表情となって首を横に振った。
「いえ、今日は会長と行動をともにしているので」
「そうか……」
安心した、という露骨な言葉を寸前のところで呑み込み、和彦は男の質問に答える。
「手術は今のところしない。というより、なるべくならしたくない。腸が詰まった状態で腹を開くほうが、かえって危険だ。今はつらいだろうが、点滴で様子が落ち着くのを待つほうがいい。それで症状が悪化するようなら、他の手段を取ることになる」
男から物言いたげな視線を向けられ、事情を察した和彦はこう指示した。
「今夜はここにいる。長嶺組には、そう連絡しておいてくれ」
部屋に足を踏み入れた和彦は、殺風景な空間をぐるりと見回す。狭く薄暗い共用廊下の奥にある部屋は、すべての窓が板で塞がれており、そのせいか少しかび臭い。ただ、掃除は行き届いているように見えた。
仮眠室ということで案内された部屋だが、普段は詰め所の一つとして使っているのだろう。テーブルとソファ、テレビと順番に視線を向けたあと、壁際に置かれたマットを見てひとまず安心する。どうやらソファに横になる必要はないようだ。
患者に付き添って、床の上に毛布を敷いて寝た経験もあるため、仮にソファで休むことになってもひどい扱いだと文句を言う気もなかった。
男たちなりに気をつかってくれているのは、マットの上に真新しいシーツと毛布、スウェットの上下が用意されていることからも、察することができる。さらにテーブルの上には、おにぎりやパン、ペットボトルのお茶が詰め込まれたコンビニの袋が置いてある。
ここで和彦は、自分がまだ夕食をとっていないことを思い出した。
まず先に着替えを済ませると、小さなキッチンで顔を洗ってから、ふらふらとソファに座り込む。猛烈に眠いが、空腹でもある。
和彦はおにぎりを食べながら、さきほどまで診ていた患者のことを考えていた。
夜が更けるにつれて男の顔色はずいぶんよくなってはきたが、相変わらず胃液を吐き続けており、腹痛も和らいだかと思えば、再発するということを繰り返している。数日間は、様子を見ながらの点滴による補液が続くだろう。つまり、何も食べられないということだ。
それを思えば、コンビニで調達した食事といえど、何も考えずに頬張れる自分の健康状態がありがたい。和彦はおにぎりだけではなく、サンドイッチもしっかりと平らげ、お茶を飲んで満足する。
マットにシーツを敷いて毛布を広げると、たまらず横になる。一気に意識が眠りへと吸い込まれそうになるが、ここで、部屋の電気を消していないことが気になる。それに、携帯電話をテーブルの上に置いたままだ。
部屋にいる男たちに淡々と説明をしながら、輸液の準備をする。一方で頭の片隅では、この場にいるのは、南郷率いる第二遊撃隊の人間ばかりなのだろうかと考えてもいた。
手術を行ったときは、男が怪我を負った簡単な経緯だけは聞いたが、それ以外のことは何も知らされなかった。唯一はっきりしていたのは、総和会から回ってきた仕事、ということだけだ。だが、帰宅する車で南郷と乗り合わせ、さほど知りたくなかった事情を、大まかながら教えられた。
総和会の中で詰め腹を切らせるために、男は生きていなくてはならないのだ。
こういう事実を知ってプレッシャーを感じるぐらいなら、何も知らなかったほうがありがたい。
医者として患者を救いたいのは当然だが、この世界で求められるのは、そういう道徳や倫理といったものではない。優先されるべきは、組織の都合であり、事情なのだ。結果として患者を救えるのだから文句はないだろうと、南郷なら平然と言いそうだった。
必要以上に南郷を悪辣な男として捉えてしまうのは、やはり苦手だからだ。
車中での出来事が蘇り、和彦は眉をひそめる。背筋を駆け抜けたのは、不快さだった。気を取り直し、男の腕に点滴の針を刺す。
「当分、食事はおろか、水を飲むことも厳禁だ。点滴で栄養をとりながら、胃腸を休ませる」
「……また、手術をすることになるんですか?」
和彦の指示に従い、新しい洗面器を持ってきた男が問いかけてくる。なんとなく見覚えがある顔だと思ったら、先日、南郷と同乗した車を運転していた男だ。
咄嗟に和彦は、質問に対して、まったく関係ない質問で返していた。
「――南郷さんもここに来ているのか?」
男はわずかに目を見開いたあと、すぐに無表情となって首を横に振った。
「いえ、今日は会長と行動をともにしているので」
「そうか……」
安心した、という露骨な言葉を寸前のところで呑み込み、和彦は男の質問に答える。
「手術は今のところしない。というより、なるべくならしたくない。腸が詰まった状態で腹を開くほうが、かえって危険だ。今はつらいだろうが、点滴で様子が落ち着くのを待つほうがいい。それで症状が悪化するようなら、他の手段を取ることになる」
男から物言いたげな視線を向けられ、事情を察した和彦はこう指示した。
「今夜はここにいる。長嶺組には、そう連絡しておいてくれ」
部屋に足を踏み入れた和彦は、殺風景な空間をぐるりと見回す。狭く薄暗い共用廊下の奥にある部屋は、すべての窓が板で塞がれており、そのせいか少しかび臭い。ただ、掃除は行き届いているように見えた。
仮眠室ということで案内された部屋だが、普段は詰め所の一つとして使っているのだろう。テーブルとソファ、テレビと順番に視線を向けたあと、壁際に置かれたマットを見てひとまず安心する。どうやらソファに横になる必要はないようだ。
患者に付き添って、床の上に毛布を敷いて寝た経験もあるため、仮にソファで休むことになってもひどい扱いだと文句を言う気もなかった。
男たちなりに気をつかってくれているのは、マットの上に真新しいシーツと毛布、スウェットの上下が用意されていることからも、察することができる。さらにテーブルの上には、おにぎりやパン、ペットボトルのお茶が詰め込まれたコンビニの袋が置いてある。
ここで和彦は、自分がまだ夕食をとっていないことを思い出した。
まず先に着替えを済ませると、小さなキッチンで顔を洗ってから、ふらふらとソファに座り込む。猛烈に眠いが、空腹でもある。
和彦はおにぎりを食べながら、さきほどまで診ていた患者のことを考えていた。
夜が更けるにつれて男の顔色はずいぶんよくなってはきたが、相変わらず胃液を吐き続けており、腹痛も和らいだかと思えば、再発するということを繰り返している。数日間は、様子を見ながらの点滴による補液が続くだろう。つまり、何も食べられないということだ。
それを思えば、コンビニで調達した食事といえど、何も考えずに頬張れる自分の健康状態がありがたい。和彦はおにぎりだけではなく、サンドイッチもしっかりと平らげ、お茶を飲んで満足する。
マットにシーツを敷いて毛布を広げると、たまらず横になる。一気に意識が眠りへと吸い込まれそうになるが、ここで、部屋の電気を消していないことが気になる。それに、携帯電話をテーブルの上に置いたままだ。
80
あなたにおすすめの小説
執着
紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。
奇跡に祝福を
善奈美
BL
家族に爪弾きにされていた僕。高等部三学年に進級してすぐ、四神の一つ、西條家の後継者である彼が記憶喪失になった。運命であると僕は知っていたけど、ずっと避けていた。でも、記憶がなくなったことで僕は彼と過ごすことになった。でも、記憶が戻ったら終わり、そんな関係だった。
※不定期更新になります。
秘花~王太子の秘密と宿命の皇女~
めぐみ
BL
☆俺はお前を何度も抱き、俺なしではいられぬ淫らな身体にする。宿命という名の数奇な運命に翻弄される王子達☆
―俺はそなたを玩具だと思ったことはなかった。ただ、そなたの身体は俺のものだ。俺はそなたを何度でも抱き、俺なしではいられないような淫らな身体にする。抱き潰すくらいに抱けば、そなたもあの宦官のことなど思い出しもしなくなる。―
モンゴル大帝国の皇帝を祖父に持ちモンゴル帝国直系の皇女を生母として生まれた彼は、生まれながらの高麗の王太子だった。
だが、そんな王太子の運命を激変させる出来事が起こった。
そう、あの「秘密」が表に出るまでは。
かわいい美形の後輩が、俺にだけメロい
日向汐
BL
過保護なかわいい系美形の後輩。
たまに見せる甘い言動が受けの心を揺する♡
そんなお話。
【攻め】
雨宮千冬(あめみや・ちふゆ)
大学1年。法学部。
淡いピンク髪、甘い顔立ちの砂糖系イケメン。
甘く切ないラブソングが人気の、歌い手「フユ」として匿名活動中。
【受け】
睦月伊織(むつき・いおり)
大学2年。工学部。
黒髪黒目の平凡大学生。ぶっきらぼうな口調と態度で、ちょっとずぼら。恋愛は初心。
オム・ファタールと無いものねだり
狗空堂
BL
この世の全てが手に入る者たちが、永遠に手に入れられないたった一つのものの話。
前野の血を引く人間は、人を良くも悪くもぐちゃぐちゃにする。その血の呪いのせいで、後田宗介の主人兼親友である前野篤志はトラブルに巻き込まれてばかり。
この度編入した金持ち全寮制の男子校では、学園を牽引する眉目秀麗で優秀な生徒ばかり惹きつけて学内風紀を乱す日々。どうやら篤志の一挙手一投足は『大衆に求められすぎる』天才たちの心に刺さって抜けないらしい。
天才たちは蟻の如く篤志に群がるし、それを快く思わない天才たちのファンからはやっかみを買うし、でも主人は毎日能天気だし。
そんな主人を全てのものから護る為、今日も宗介は全方向に噛み付きながら学生生活を奔走する。
これは、天才の影に隠れたとるに足らない凡人が、凡人なりに走り続けて少しずつ認められ愛されていく話。
2025.10.30 第13回BL大賞に参加しています。応援していただけると嬉しいです。
※王道学園の脇役受け。
※主人公は従者の方です。
※序盤は主人の方が大勢に好かれています。
※嫌われ(?)→愛されですが、全員が従者を愛すわけではありません。
※呪いとかが平然と存在しているので若干ファンタジーです。
※pixivでも掲載しています。
色々と初めてなので、至らぬ点がありましたらご指摘いただけますと幸いです。
いいねやコメントは頂けましたら嬉しくて踊ります。
帝は傾国の元帥を寵愛する
tii
BL
セレスティア帝国、帝国歴二九九年――建国三百年を翌年に控えた帝都は、祝祭と喧騒に包まれていた。
舞踏会と武道会、華やかな催しの主役として並び立つのは、冷徹なる公子ユリウスと、“傾国の美貌”と謳われる名誉元帥ヴァルター。
誰もが息を呑むその姿は、帝国の象徴そのものであった。
だが祝祭の熱狂の陰で、ユリウスには避けられぬ宿命――帝位と婚姻の話が迫っていた。
それは、五年前に己の采配で抜擢したヴァルターとの関係に、確実に影を落とすものでもある。
互いを見つめ合う二人の間には、忠誠と愛執が絡み合う。
誰よりも近く、しかし決して交わってはならぬ距離。
やがて帝国を揺るがす大きな波が訪れるとき、二人は“帝と元帥”としての立場を選ぶのか、それとも――。
華やかな祝祭に幕を下ろし、始まるのは試練の物語。
冷徹な帝と傾国の元帥、互いにすべてを欲する二人の運命は、帝国三百年の節目に大きく揺れ動いてゆく。
【第13回BL大賞にエントリー中】
投票いただけると嬉しいです((꜆꜄ ˙꒳˙)꜆꜄꜆ポチポチポチポチ
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる